第八話 願望達成
「教育国家サンシャインはトルメギス王国――いや、連邦の一部になったぞ」
「いや、だから結論だけ先に言っても全然分からないって」
アルバーナの宣言に対し、メイリスのその突っ込みが全てを物語っているだろう。
あの日。
五百対二千という劣勢をはね返し、華々しい勝利を上げたアルバーナは国内はおろか周辺国も驚愕させた。
さらに自らが武器も持たずに単騎で特攻するという愚行もとい戦果は民衆を驚かせ、今ではあちこちで英雄譚として詩人の語り草となっている。
「まあ、俺としては完全なる独立を目論んでいたんだがな」
アルバーナはここまで華々しい戦果を上げた以上、独立してもトルメギス王国を始めとした周辺の国々しばらくは狙ってこないという目論みがあった。
だがそこで待ったをかけたのがトルメギス王国。
一国の王が近衛兵を率いていたにも拘らず、劣勢かつ新参者のアルバーナに討ち取られたとなれば威信の失墜は避けられない。
事実周辺国もその日を境に強気に出始めていた。
困り果てたメイヤー宰相はアルバーナに直談判を行い、様々な条件と引き換えにアルバーナが独立するのを引き留めた。
「ユラス、やはり私が説明した方が良さそう」
「うん、その方が良いな」
メイリスは説明上手なのでこの場合は彼女に任せるべきだろう。
アルバーナは人を納得させるのは上手だが、説明が上手くないという矛盾を抱えている。
「まず一つがトルメギス王国はトルトン連邦に生まれ変わり、立憲君主制を取る」
前国王――マルグレットには後継ぎが存在しており、この人物をトルトン連邦の象徴として君臨させる。
「一応主君という位置付けだけど権利など何も無く、祭事や要人との会見のみ出番があるだけ」
「簡単に言うと操り人形。実験は全て俺やメイヤー宰相を始めとした人物が握っている」
メイリスの説明にアルバーナは身も蓋もなくそう告げる。
「あまり褒められないな」
騎士出身であるフレリアは傀儡主君を表す言葉に嫌悪を示す。
まあ、フレリアの性格は身分制度社会に向いているため、その言い分も理解できる。
「フレリアの言い分もわかる。しかしな、新たに立つ主君はまだ十代前半の少女だぞ。経験も覚悟も持っていないのに権力と責任を負わせる方こそ残酷だと思うが」
「それを早く言って欲しかった」
フレリアは顔を真っ赤にして口を閉ざす。
彼女は確かに封建主義だが、物事の分別を行えるだけの思慮を持ち合わせている。
右も左も分からない幼子に、主君だという理由だけで重責を与えようとは思っていない。
「ちょっと待て、アルバーナ」
と、ここで何かに気付いたのかフレリアは顔を上げる。
「アルバーナ。その主君の容姿はどんなんだ?」
「ヴィクトリア=マルグレットのことか?」
フレリアの疑問にアルバーナは腕を組む。
「そうだな……あの野獣と血が繋がっているのか本気で考えるレベルだ。見事な金色の髪が腰に掛かり、顔立ちは整っているのだが、そのブルーアイズが儚げな印象を与えるせいか、何かこう護ってあげたい衝動に駆られ……おい、どうした?」
ヴィクトリアの容姿について説明していたアルバーナだが、場の空気が重くなっていることに気付いて首を傾げる。
「あ~、済まないが何故皆がそう不機嫌なのか分からない。説明してくれないか?」
フレリアやメイリスはもちろん、優しげなクークや活発なアメリアさえもゴミを見るような軽蔑の視線を投げかけてくることにアルバーナは冷や汗を垂らす。
「俺? 何か変なこと言った?」
どうやらアルバーナは本気で分かっていないのだろう。
顔はひきつり、視線を右往左往させていた。
「はあ。誤解を解いておくけど、ユラスが独立を思い留まったのはヴィクトリアが幼女だからじゃない……まあ、ヴィクトリアのことも大きな要因であることに変わりはないけど、その話題は後で時間を取ってゆっくりと話そう」
話がどんどん脱線していることに気付いたメイリスはため息を付いてアルバーナに助け船を出す。
もちろんフレリアを始めとした彼女達の顔を立てることも忘れていなかった。
「二つ目の条件。それはトルトン共和国における教育関係は全て俺達が管理することだ」
アルバーナ達はトルトン連邦の政治や軍事、そして外交方針に関する権利一切を手放す代わりに連邦内の教育関連を全て引き受ける取引を行った。
これによって各領袖内に作られていた――それこそ教会やギルドが主催していた教育施設も全てアルバーナの領袖内へ置かれることになる。
「それは……」
クークが言葉を詰まらせるのは二つの理由がある。
一つはアルバーナが中堅国とはいえ一国の分野の独占を合法的に行ったということ。
そしてもう一つは。
「だからクークはその集合する教育機関の総責任者を務めてもらうぞ」
「ふええ……」
以前の役職と比べ物にならないぐらい仕事と責任が増大したことによる嘆きから来ていた。
誰だって責任は負いたくないのである。
「なあに、安心しろ。全てをお前一人に負わそうとは思わない。俺やメイリスはもちろんのこと、今度からフレリアやアメリアも加わるからな」
正直な話、アルバーナ派軍事や経済を国へ献上したためフレリア達の仕事は減ることがあっても増えることはない。
そうであるがゆえに空いた時間や人手を教官としてクークに移譲する予定である。
「でも……」
全員がクークを支えると言われても彼女の心は晴れない。
「クーク、以前嘆いたよな。子供達を戦争の道具にするなんて許せないと」
「……はい」
アルバーナは戦争のために子供達に教育を施し、フレリアは勝つために子供達を殺人者に仕立て上げようとした。
その方針に最も悩み苦しんでいたのはクークだろう。
それが溜まりに溜まって土壇場で爆発したが、あれは紛れもなくクークの心の叫びだとアルバーナは考えている。
「子供達は未来を創る宝だ。そしてその未来のために魔法や武力、政治という手段を与える……それがヨーゼフ=バレンタインの遺訓だ」
子供は手段ではない。
子供そのものが目的であり、その他全て――大人も学問もその他全てが手段である。
「爺さんの悲願を達成するに相応しい人物は俺でもメイリスでもない……クーク=バースフィールド、お前だ」
アルバーナの当初の予定ではメイリスまたは自分自身が教育関連の一切を担う予定だった。
しかし、フレリアの連れてきたクークの方がより適任だと気付き、彼は全てを彼女に任せることに決める。
「クークは子供達から慕われる上に、誰かのために捨て身の覚悟で物申す芯の強さもある。悔しいが俺は両方を兼ね備えていない」
もちろんアルバーナ自身が成し遂げたい感情もあるが、大願成就のため抑え込む。
民衆にとって大事なのは“誰”が行ったかではない、“何を”行ったかである。
「断言しよう、お前は俺以上だ。お前より他に教育を任せられる人物など存在しない」
その発言にクークはおろかメイリスさえも驚く。
あの自信に充ち溢れたアルバーナが面と向かって相手を自分以上だと宣言することは滅多にないのだ。
「……分かりました」
しばらくの沈黙の後、クークはポツリと洩らす。
「どれだけ期待に応えられるかは分かりませんが、この菲才の身でよければ遠慮なく差し出しましょう」
そして顔を上げたクークには不安や迷いなど一切なく、ただ決意に溢れている。
「うん、それで良い」
そんなクークにアルバーナは心底嬉しそうに微笑んだ。
「さてと、これからの役割について議論し合おうか」
アルバーナはそう話題を切り出す。
「メイリスからの説明があった通り、俺達はこれから教育一本でいく」
今までは独立のために経済やら軍事やら外交やらも担当しなければならなかったが、これからはそういった面倒な事柄は国に一任する。
「最終目標はこのサンシャインをトルトン連邦だけでなく、大陸全土に響き渡る教育国家へと持っていくことだ」
教育の最高峰。
サンシャインと聞けば大陸に置いて最も優れた教育を行う国家と呼ばれることがアルバーナの次の目標。
「具体的にはどうするの?」
「そうだなメイリス。俺はこれからしばらく大陸中を回る」
「え?」
突然の宣言にメイリスは驚くのだが、アルバーナは構わず続ける。
「優れた教育を行うためには優れた教師が必要不可欠だ。ゆえに俺は大陸の各地域から賢人を発掘する」
大陸は広く、地域によってその特性が表れている。
南部地方だと食糧が豊富なため農業が。
北部地方だと鉱山が多数存在するため産業が。
西部地方だと魔法が発達しているため魔法が。
東部地方だと鬼など人間以外の種族が住んでいるため政治が。
そして中央だとそれた四方の地域を物流が盛んなため貿易が。
それぞれ優れている分野が違うがゆえに地方によって特色豊かな文化を育んでいる。
「優れた教師によって優れた人材を世に送り出し、噂を聞きつけて大陸の各場所から優秀な卵が集まる……最終的には多数の文化が入り混じる色彩豊かな国家を作るんだ」
それがアルバーナの夢。
ヨーゼフ=バレンタインの薫陶を受けたことによって抱いた途方もなく大きな理想。
「だから俺は大陸中を回る。皆、留守は任せたぞ」
「「「「……」」」」
アルバーナはそう呼びかけるが誰も反応しない。
彼の見ている景色が彼女達の想像を絶していたので、沈黙するのは仕方のないことだろう。
「だからメイリス。時折学者がお前の元を尋ねることもあるが、丁重にもてなしてやってくれ」
「……うん」
呆気に取られたメイリスだが、アルバーナから呼びかけられて反射的に頷く。
「そしてフレリア。教師や学生が安全に暮らせるよう治安の維持を頼むぞ」
「ああ、分かった。しかし……」
フレリアの顔が冴えないのは分かる。
フレリアの主はアルバーナであり、彼の身辺の警固は己が行うのが筋である。
しかし、治安の維持の最高責任者であるためフレリアは持ち場を離れることが出来ないというジレンマを抱えている。
「なあに、安心しろ。俺が国を空ける時間を換算すると一年の内半年以下だ。何せそれ以上国を空にすると心配だからな、お前と離れるのが」
最後の部分だけいやに強調するアルバーナ。
端目から聞くと嫌味にしか聞こえないのだがフレリアはそうでもないようだ。
「そ、そうか。私から離れたくないのか」
一体フレリアは彼の言葉をどう受け取ったのだろう。
まあ、本人が幸せな以上、指摘するのは野暮というものか。
「そしてご存じクークは教育関係の総責任者。しかし何も一人で抱え込む必要はない。困ったことがあれば俺でもメイリスでも相談しろ。必ず助けてやる」
メイリスはともかく、アルバーナは位置関係上難しいのだがそこは御愛嬌。
少々のリップサービスは必要なのである。
「はい、出来る限り皆さんの手を煩わせないよう頑張ります」
先刻アルバーナに説得されたことがあるのだろう。
クークはふんわりとした笑顔を浮かべて了承した。
「さてと、最後はアメリアだが――」
「私はユラスさんに付いていきますよ!」
アルバーナの言葉を遮ったアメリアは勢いよく宣言する。
「何がどうあろうと私はユラスさんから離れません! 旅のお供としてご一緒します!」
「……」
その威勢の良い啖呵に、さすがアルバーナも閉口する。
アンサーティーンから何を吹き込まれたのか知らないがあの戦以降、アメリアは積極的にアルバーナと一緒にいることを望んでいた。
「しかし、お前が抜けると商会との太いパイプが消え――」
アメリアはギール商会との折衝役を担っており、情報や物資などを優遇してもらっている。
安定したとはいえ、それを手放すのは惜しい。
しかし、そんな懸念など吹き飛ばすかのようにアメリアは素敵な笑顔で。
「大丈夫です! 私の代わりにボスがサンシャインとの折衝役になります!」
「だからそれが嫌なんだよ!」
思わずアルバーナは吠えてしまった。
アンサーティーンが国の中枢にいると自分がいない時に国を好き勝手に引っかき回される懸念があった。
「アハハ、もしそんな気があるのならとっくの昔にやっちゃってますって。ボスってあの涼しい微笑みの裏で相当な数の人間を死または死より辛い地獄に追いやっていますから」
「笑顔でそんな物騒なことを言われてもな……」
今のアルバーナに事の真偽は分からないが、あのアンサーティーンならやりかねない。
「……仕方ないか」
しばらく逡巡したアルバーナだったが最終的に折れる。
旅のお供が欲しいことは事実だったたし、何よりもアメリアを断ってアンサーティーンの不興を買う必要もない。
彼は己よりもはるかに頭の切れる存在ゆえに、頭で勝とうなんて土台無理なのである。
まあ、しかし……
「メイリス、フレリア、そしてクーク。アンサーティーンに決して心を許すなよ」
と、くぎを刺すことも忘れていなかったが。
「さて、異論が無ければこれで解散――」
「次はアルバーナのロリコンについての話題に入る」
メイリスはアルバーナの言葉を遮り、彼の幼女好きをどう矯正するかの議論へと入る。
「……覚えていたのか」
三時間に及ぶ会議という名の弾劾を喰らったアルバーナは誰もいなくなった部屋で崩れ落ちた後、そう呟いた。
「俺は国を創ったぞ」
夕暮れ。
森林が広がる中、一箇所をくり抜いたような場所の中には主がいない家と荒れ果てた畑、そして草が繁茂しきった広場がある。
草の生命力は凄まじく、そのほとんどが人の身長程度まで伸びていたので、アルバーナは墓参りの前にまず草刈りから始めなければならなかった。
朝から始めてようやく今終わり、綺麗になったヨーゼフ翁の墓標の前にアルバーナは改めて向き直る。
「報告が遅れて悪かった」
いみじくも師に対して使う口調ではないのだが、ヨーゼフ翁は生前から彼に対して素のままで話すよう忠告していたので問題ない。
「……何から言えば良いのかな?」
アルバーナは珍しく困り果てた様子で頬を掻く。
「ここに来るまでは一晩中かけても語り尽くせないほど言いたいことがあったのに、今は何も言えない」
道中、羊皮紙に書いてまで伝えることを整理していたアルバーナだったが、実際墓標の前に立つと、そういった言葉は酷く無粋に思われてしまい、結局懐の中にしまったままである。
「まあとにかく……爺さんが好きだったウイスキーだ」
アルバーナは持参した酒瓶の栓を抜き、逆手に持ち中身を黒ずんだ十字架にかける。
強い香りを発するのその液体はたちまちその墓標と周辺の地面を濡らし、アルバーナは最後の一滴が出るまでその姿勢を貫いていた。
墓標は木製のため多少痛んでいることを懸念していたが、嬉しいことに十字架の腐食は全然進んでいない。
だが、かといって安心するわけにはいかず、出来るだけ早いうちにヨーゼフ翁の亡骸をサンシャインに移し、未来永劫残る様な立派な墓標を作るべきだとアルバーナは考えるが。
「おお!」
途端に十字架の一部が崩れ落ちてしまった。
「……そんな派手なことをするなということか」
今思えばヨーゼフ翁は大衆の目に晒されることをひどく嫌っていた。
アルバーナが表に出ることさえ己が死んでからという徹底ぶりである。
「……仕方ない。爺さんの墓の処遇についてはメイリス達を交えて決めるとするか」
ヨーゼフ翁は恐らくこのままひっそりと忘れ去られたいのだろうが、そんなことはアルバーナ自身が許せない。
そうであるがゆえに、折衷案として皆で話し合って決めることにした。
「さてと、行くか」
そう結論付けたアルバーナは踵を返す。
振り返ることはしない。
何故ならアルバーナの目の前にはやらなければならないことが山積しており、過去を懐かしむ暇などないからだ。
「師匠、お疲れ様です」
遠くから見守っていたアメリアがヒョコッと顔を出す。
普段から騒がしい奴だが、さすが商人の端くれだけあって空気を読む力はある。
「ああ、手伝わせて済まんな」
ヨーゼフ翁の墓標周りの草刈はアルバーナ一人で行うと、今日中に終わらなかったのでアメリアにも手伝わせていた。
大の大人でさえ音を上げる重労働を、まだ少女であるアメリアにやらせたことに対してアルバーナは謝罪するが、アメリアは笑って首を振る。
「いえいえ、私は師匠の従者です。師匠の都合に合わせるのが当然です」
後ろ暗い感情など微塵にも感じない彼女の快活な返事にアルバーナは思わず唇を綻ばせる。
「ハハハ、そうかそうか」
そして大笑いした彼はアメリアの頭にポンと手を置いて。
「さてと、今日はもう遅いから俺の家に招待しよう」
本来なら昼前には終わらせて、近くの都市で一泊する予定だったが、もう陽が沈みかけている。
夜に入ってから村を出るのは夜盗や猛獣に襲われる危険性が出てくるので、アルバーナの実家で夜を明かすことにした。
「驚くだろうな」
一国の王を打ち取り、国を建国したアルバーナ。
その武勇伝はラクシュリア王国内にも轟いている。
加えて彼は今日村に帰っていることも両親に伝えていない。
二重の意味で驚くのは確定だった。
「あ、師匠。何か悪だくみを考えていますね?」
アルバーナの表情を見たアメリアはニヒヒと笑う。
「もしかして両親に何も伝えていなかったとか?」
アメリアの言葉通りである。
そしてそれを肯定するのは癪に障ったため、アルバーナはアメリアを抱きよせて耳に口を近づけて。
「ああ、お前を俺の婚約者として紹介しようと思ってな」
と、そんな戯言を囁いた。
「なあ!?」
……アメリアが仰天し、同様の極みに達してしまったのは当然の帰結だろう。
そんなアメリアにアルバーナは高笑いしながら。
「ハハハ、冗談だ冗談。さあ、陽が暮れないうちに行くぞ」
そう言い残して去っていく。
「もう! 師匠! 酷すぎます!」
そんなアルバーナをアメリアは顔を真っ赤にしながら追いかけて行った。