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第六話 それぞれの役割

 トルメギス王国は南部諸国の中で中堅に位置する国力を持っている。

 それは偏に国のすぐ上に位置する大国ラクシュリア王国との貿易によって得た経済力が抜きんでており、逆を言えばそれ以外の力――軍事や農業などは他の中堅南部諸国より後れを取っていた。

 経済力というのは非常に繊細であり、他国との友好そして自国の信頼関係が無ければすぐに崩れ去ってしまう。

 前国王はその辺りを意識して他国を敵に回さぬよう細心の注意を払っていたのだが、悲しいことに現国王は言葉よりも武器を好み、その経済力を楯に至る所に戦争を吹っかけていた。

「くそっ、忌々しい」

「王よ、そのような悪態をついてはなりませぬ」

 トルメギス王国の王――イースザール三世=マルグレットが思わず吐いた悪態に宰相のメイヤーが諌める。

 マルグレットは三十代前後の年齢であり、その体格は猛牛を連想させる。

 事実、マルグレットの若い頃は素手で猛獣の首を絞め殺したという逸話があった。

 対するメイヤーは髪も髭も真っ白の壮年である。

 顔に深い皺がいく筋も刻まれているが、その枯れ木の様な体から発する壮絶な破棄はメイヤーがまだまだ健在だということを伺い知れた。

「メイヤーよ、お前なら分かるだろう」

 マルグレットは不機嫌そうに鼻を鳴らし、手に持った羊皮紙の束を床に投げ捨てる。

「今はヴィレージ国との戦争真っ最中だ。それ以外の事柄に時間を使いたくはないのだ」

「王の心中をご察しします。私も戦争以外の事柄――比較的安全な北部の集落から絶縁状が出て来る事態など想像すらしませんでした」

 二人が話題に挙げているのは、先日“彼”が持ってきた羊皮紙に書かれた内容である。

 ガスト、コライン、キュール、セントラ……

 ざっと挙げるだけで十もの集落がトルメギス王国の支配から脱し、“彼”の命令に従うと宣誓してきた。

「やはりあの若造の首を切るべきか?」

「王よ、早まってはいけません」

 マルグレットの血気流行る台詞を押しとどめるメイヤー。

「“彼”を処罰したところで事態が好転するわけではありますまい」

 “彼”が敵国の間者だったり、ラクシュリア王国の関係者だったりすれば問題がここまで複雑にならなかったのだが、驚くべきことに“彼”は田舎の商人の息子であり、何の後ろ盾も持っていない。

 つまり“彼”は持ち前の情熱で北部の集落の翻意を促していたのだ。

「“彼”は集落の長達に夢を提示しました。これで“彼”に何もさせなければ後々の禍根となるでしょう」

 心を動かせる理想ほど厄介なものはない。

 彼ら集落の長達の心をメイヤー達に再び戻すには長達が納得する施し――以前の生活水準を取り戻させなければならない。

 そして、それを行えるだけの金と時間を今のトルメギス王国は捻出できなかった。

「しかし! 奴はわしの国を土足で踏み荒らしたのだぞ!」

 マルグレットは歯を剥き出しにして声を荒げる。

「従う集落も集落だ! 政治も経済も何も知らん他国の若造に任せた所で破滅するのがオチだ!」

 少し考えれば二十を過ぎた程度の他国の者に全てを任せることがどれだけ危険なのか分かるはずである。

「造反した集落には然るべき処置を与えねばならんな」

 そんな愚行を犯した者に権利など与えるわけにはいかないゆえ、マルグレットは彼等の罷免を考えるが。

「しかし、集落の長達はそんな判断も出来ないほど追いつめられていたのです」 

 メイヤーが淡々と異を唱えた。

「王が登座してから二十余年。その間一度として臨戦体制が途切れた日などありません。戦争に次ぐ戦争によって訪れる外来人が減り、代わりに助けを求める難民が増えていく。いくら蓄えがあるとしても、日に日に目減りしていくそれらを見ていれば誰でも、例え泥船であっても縋ろうとするでしょう」

「しかし、それは仕方のないことなのだ。向こうがこちらを潰そうとしているのだから、やられる前にやらなければ――」

「一昨年はトランス連邦、去年はバーツボック共和国、そして今年はヴィレージ国と、民の負担を顧みずに相次いで戦う理由がありますか?」

「ぐう……」

 メイヤーの正論に黙り込むマルグレット。

 言外にマルグレットの治世が失敗したから“彼”が現れてしまったのだと責める。

 マルグレットがメイヤーに対して怒らないのは、自身の責任を自覚していたからだろう。

「しかし、わしは国を割る気はない」

 ここはマルグレットの国である。

 よそ者には一寸たりとも割譲するつもりはなかった。

「……再度会ってみるのがよろしいでしょう」

 老境の域に達したメイヤーは静かに言葉を紡ぐ。

「処罰を加えるなり、領土を一時譲渡するなりにしても、もう一度“彼”に会ってから決めた方が無難です」

「……」

 メイヤーの言葉にマルグレットは反対しなかった。

 

 後日。

 トルメギス王国の王宮内の謁見室に多数の人が詰めていた。

 マルグレットやメイヤーはもちろんのこと高級官吏や上級士官、そして貴族をも含めると百を越す人物が揃っている。

 それだけの人数を集めたため、城内は空っぽであり、今火急の事態が起こっても対処できないだろう。

 ただ、逆を言えばそれらの事態など些細と思える出来事が現在起こっていた。

「ご入場です!」

 大人の身長の三人分はありそうなほど大きな扉が開かれる。

「……」

 衛兵に連れられた“彼”が玉座へと続く赤色の絨毯に敷かれた道を歩いていた。

 嫉妬、憤怒、軽蔑。

 様々な負の感情に満ちた百人以上の視線を受ける“彼”は気後れする素振りすら見せない。

 この周りなど歯牙に掛けんという態度が、聴衆に困惑を与える。

「歓迎、大変感謝する。マルグレット」

 “彼”はマルグレットの前で片膝をついて首を垂れる。

 しばらくの沈黙の後、マルグレットは重い口で“彼”の名を呼んだ。

「面を上げい……ユラス=アルバーナよ」


 国家ほど排他的かつ閉鎖性の高い組織はないとメイリスは考える。

 議会制民主主義を謳ったり、広く移民を受け入れている国は数あれど、その実国家の根本に関わる肝心な部分に他人を入れることはない。

 一般の視点からだと詐欺に見えるが、国家の観点から見ると仕方のないことだと言える。

 何故なら国家の中枢というのは混じり気のない純粋な液体だと例えることが出来、そうであるがゆえに他の価値観が一滴でも入り込むとたちまちの内に変色し、終には別の何かへと変貌してしまう。

 その理由から、別の文化で育った者が国家運営に関われることはありえない。

 ありえないはずなのだけど。

「と、いうわけで俺はトルメギス王国における北部の暫定領袖になったぞ」

「……嘘」

 あっけらかんと一地域の支配権を握ったアルバーナに対してメイリスは驚愕を隠せなかった。

「カナザールの驚きも分かるぞ」

「……イズルード」

 メイリスの表情を見たフレリアは苦々しく呟く。

「フレリアで良い。あいつは化け物だ。心弱い難民ならまだしも村長に翻意を促し、果ては国主であるマルグレットを口説き落とした」

 フレリア曰く、アルバーナは持ち前の詭弁と情熱で次々と有力者を毒牙にかけていったらしい。

 無論抵抗や躊躇する者もいたが、彼の弁舌の前には砂上の砂の如く意味のないものであったという。

 アルバーナが豪語していた通り「相手が席にさえ付いてくれればどうにでもなる」という言葉は真実だったのだとメイリスは戦慄する。

(本当にお爺さんの言った通りになった)

 生前、ヨーゼフ翁はよく呟いていた。

 ユラス=アルバーナは危険過ぎる。

 下手すれば歴史上最悪の独裁者として名を馳せる危険性があると。

 そして、もしそうなってしまったらメイリスがアルバーナの息の根を止めろとも言伝ていた。

 あの時は単なる自慢話だと思い、話半分に聞いていたが今回のことで真実味を帯びる。

「いやいや、俺が凄いんじゃない」

 メイリスが懸念している横でアルバーナは心外だとばかりに首を振って。

「本当に称賛されるべきは人類史上最高峰のヨーゼフ=バレンタインだ。爺さんの説が深く、重厚で真実だったからこそ俺は一地方の支配権を得ることが出来た」

 あくまで己の力でなく、ヨーゼフ翁の遺訓の賜物だと言い切る。

 今のままならば最悪の未来など訪れることはないだろう。

 メイリスは誰にも知られずホッと肩の力を抜いた。


「さてと、大方針を決めよう」

 暫定とはいえ北部の領袖ゆえにアルバーナは国王にたかって豪華な屋敷を手に入れた。

 そしてその屋敷の最も奥まった部屋にアルバーナはメイリスやフレリアといった全員を揃えていた。

「最終目標は“教育国家サンシャイン”の建国だ」

「おい、それは立派な反逆だぞ!?」

 アルバーナの方針にフレリアがいきり立つも彼は微塵にも揺るがない。

「安心しろ、こちらから独立宣言を仕掛けることはない。あくまで向こうから戦争を仕掛けてくるんだ……本来なら話し合いで解決したのだがな」

 アルバーナがそう苦々しげに呟く様子から、フレリアは彼が戦争など本意で無いことを知る。

「話を誤魔化すな! アルバーナ!」

 まあ、知ったからと言って反逆するという事実に変わりはないのだが。

「だから言っただろう、俺は出来る限り戦争を起こしたくないと。向こうが折れる――つまり爺さんの教育論を認めてくれるのならそんな破壊の祭典などやる必要はない」

 アルバーナの目的はヨーゼフ翁の説を広めることにある。

 しかし、それは既存の体制から余りに乖離しているため、既得権益者から受け入れられないので武力を使うのであった。

「向こうが席についてくれるのならばわざわざ国を創る必要はないぞ」

「う……むう」

 口達者なアルバーナの言に押されてフレリアは黙り込む。

 アルバーナの行いはれっきとした反逆なのだが、話し合いという解決を残している以上深く追求できなかった。

「さて、フレリアと同じく異論のある者は手を挙げろ」

 アルバーナが全体を見渡してそう問うも挙手する様子は見えない。

 一見するとアルバーナに賛成したように見えるが実態は違う。

 本当に出来るのか?

 その疑問符が皆の頭の上に浮かんでいる。

 何せ武力も資金も兵隊も向こうが圧倒的に上にも関わらず先制をしないというのだ。

 どう楽観的に見ても敗北の二次しか見えない以前に、そもそも国と戦えるほどの力を一地方で蓄えられるのかという不安があった。

「まあ、皆の懸念も分かる」

 アルバーナは目を閉じて両手を広げる。

「現状ではトルメギス王国に勝つことは不可能、それは認めよう……だがな」

 アルバーナの瞳が鋭く光り。

「メイリス、フレリア、アメリア、そしてクークが己の役割をしっかりと果たしてくれれば必ず勝てる」

 そんな大言を吐き出した。

「「「「……」」」」

 端から聞けばとんでもない妄言だが首を傾げる者はいない。

 彼女達は自分を勧誘した手腕に加え、アッサリと他国から支配権を手に入れたアルバーナの能力を疑えなかった。

「よし、では各々の役割を決めようか」

 場の空気を呼んだアルバーナはそう前置きをし、一人一人名前を呼んで目的を伝える。

「メイリスは政治を司ってもらう。具体的には数日後に十の集落の村長を集めるから彼等のまとめ役になってくれ」

「何をするの?」

 一口にまとめ役と言っても様々な意味合いがあるゆえに、アルバーナのいうまとめ役が何を指すのか分からず尋ねる。

「簡単だ。既存の法と爺さんの教育論を照らし合わせ、法に触れないギリギリの範囲で運営してほしい」

「でも、村長らはすんなりと納得するの? それに役人の目も光っているし」

 そんなメイリスの疑問にアルバーナは笑って。

「なあに、初回は俺も参加するから心配するな。それに役人に関しても俺が何とかするし」

「何とかって……」

 そんな簡単にいくものだろうか。

 メイリスは不安に感じるも、アルバーナなら本当に何とかしてしまいそうだったのでこれ以上の疑問は止めた。

「フレリアは軍事関係を担当してもらう。まあ、軍事と言っても治安維持だからやることは王国騎士団での任務と変わりはないから大丈夫だな」

「断っておくが全く自信が無いぞ」

 フレリアは断言する。

「長年共にいて信頼関係を培っていた仲ならともかく、昨日今日の即席部隊。それも数十人でなく数百数千規模の人数を統率するとなると私だけでは無理だ」

 フレリアが守らなければならない地域は端から端までで数日かかるほど広大である上に、彼女自身それを統括した経験がない。

 精々村の一つや二つが関の山であり、北部地域一体となるとそれはもう未知の領域であった。

「なあに、安心しろ」

 そんなフレリアの懸念を吹き飛ばすようにアルバーナは笑う。

「誰もフレリア一人に任せるとは言っていない。ちゃんと応援を呼ぶ」

「応援とは?」

 フレリアの問いかけにアルバーナは頷いて。

「ああ、元々北部地域の守護を任されていた者達と交渉してこちらの指揮系統に入ってもらう。まあ、他にもラクシュリア王国から手頃な幹部を数人引き抜こうかな」

 アルバーナは余所から他人を引っ張りこんでくるつもりらしい。

「アルバーナよ、それは無理だろう。歴史や名声があるのならともかくお前一人が何を訴えた所で向こうが効く耳を持つはずがない」

 フレリアは常識的な意見を口にしたつもりだろう。

 だが、フレリアはここにいる全員が何故アルバーナの元に集ったのかを失念していた。

「なるほど、つまり人を引き込むのにフレリアは反対でないのだな?」

「いや、それはまあ……」

 アルバーナの目の色が変わり、身を仰け反るフレリア。

「じゃあ問題無い。少なくとも半月までには全てを揃わせるから、それまでフレリアはメイリスが作成する治安の原文を頭に叩き込んでおいてくれ」

 そんなフレリアを睥睨しながらアルバーナはそう締め括る。

 フレリアは何故か分からないが、自分が間違ったことを言ったかの様な錯覚に囚われる。

「……また私の仕事が増えた」

 余談だがメイリスのその嘆きは誰にも聞かれることはなかった。

「さて、次に移ろうか」

 重くなった空気を振り払うかのようにアルバーナは両手を叩く。

「クークはフレリアの補佐。白魔法使いがいると兵隊の人心も安定する。そして他にもメイリスと協力して白黒混成の魔法使い部隊を育成してほしい」

「それも余所から引き抜くのですか?」

 クークの問いかけにアルバーナは首を振る。

「いや、日蔭者の治安維持部隊と違って魔法使いはどの国でも花形だ。魔法使いの数が国力に直結すると言い換えてもおかしくないので、どの国も魔法使いは厳重に保護、管理している」

 魔法使い一人を相対するのに中隊規模の兵力を揃えなければならない。

 しかもベテランや天才となるとそれ単体で関を陥落させるほど強大ゆえに、魔法使いを奪われたという理由で宣戦布告する国が後を絶たなかった。

「だから魔法使いは自前で用意しなければならない」

「簡単に言ってくれます」

 クークは頭を抱えながら抗弁する。

「一から魔法使いを育て上げることがどれだけ大変なのか分かります? 実践に投入できるだけの技量を身に付けるだけでも数年の歳月と何万Gという金が掛かってしまいます」

「クーク、イザルダークの英雄王を知っているか?」

「数千の正規兵を僅か百の農民からなる軍隊で破った伝説の英雄です」

「つまり前例はあるから問題ない」

「全然解決になっていませんよ!?」

 余りに抽象的な解決策ゆえに、さすがのクークもアルバーナに食ってかかるも。

「安心しろ。要は一人一人の士気の問題だ。俺が集めた彼らの心を一つにするから、その後の方法については俺が後で爺さんが遺した魔法使いの教育方法を教える」

「う……」

 クークが反論しないのは、目の前のアルバーナ自身が魔法使いの才能が無いにも拘らずヨーゼフ翁が考案した鍛錬によって日常程度の魔法を扱えることである。

「クークよ、諦めた方が良いぞ」

「……反論するだけ時間の無駄」

 さらに両隣のフレリアとメイリスが肩をポンと叩いてきたので、根ッから小動物のクークはこれ以上話を続けるのを止めた。

「最後に主にアメリアは財務関係、副業として他にギール商会との連絡役をお願いする。援助を受ける他にも難民が作った商品を商会を通して売りさばいてくれ」

「……可能なのでしょうか?」

「心配する必要はない。売る先の大半は俺の庭であるラクシュリア王国だから何が売れるのか大体目星がついているし、最悪俺自身が営業をかけても良い」

「それなら大丈夫かもしれませんね」

 アルバーナの商才の高さはすでに御承知の通り、全く売れない品物であろうが完売させてしまう。

 それに連絡役として話す相手も気心の知れたアンサーティーンや商会の同業者なので、全く見知らぬ他人よりも安心できた。

「よし、これで方針は決まったな」

 最後にアルバーナは席を立ち、辺りをぐるりと見回す。

「目的を遂行中、何か問題が起こったら遠慮なく俺を呼んでほしい。最悪なのは自分一人で抱え込むことだ。頻繁に呼んでも俺は怒らないからどんどん呼べ」

 アルバーナの言葉に全員が安心する。

 何せ集められた彼女達はつい先日まで一般市民であり、地方とはいえ国の運営に携われるなんて夢にも思っていなかった。

「ところでユラスは何をするの?」

「ん? ああ、俺か。俺はトルメギス王国の他にラクシュリア王国と外交を行う」

 現在のアルバーナの立場は微妙であり、変な疑いを呼び起こさないために二国と頻繁に話し合う必要があるのだが、それ以上に資金と人員が喉から手が出るほど欲しかった。

「俺の役目はお前らが何の憂いも無く仕事に専念するための場を整えることだ。他国が妨害してくるのなら守ろう、人手が欲しいのなら補充しよう、資金が足りないのなら工面しよう。だから安心して仕事に打ち込め」

 彼女達が内側の憂いを取り除くのならアルバーナは外部の障害を打ち払う。

 内政と外交。

 剣と楯の関係である。

「諸君! 国を創るぞ!」

「「「「おー!!」」」」

 不安で一杯な彼女達の対局の位置にいるのが自信の塊であるユラス=アルバーナ。

 彼が旗を振り、これから先待ち受ける障害から守ってくれるのならばちゃんと役割を果たしてやろうと全員が思った。




 アルバーナの無茶ぶりによって四苦八苦している四人の中で最も責任が重く仕事量も半端無いのは何といってもメイリスだろう。

 彼女はヨーゼフ翁が唱えた教育論を根付かせるだけでなく、集落や難民達に不満が出ないよう利益配分に加えてクークと共に魔法使いの育成という三つの重責を担っていた。

「……ふう」

 執務室で書類仕事に勤しんでいたメイリスはそう呟いて息を吐く。

 彼女の身長の二倍はありそうな長大かつ重厚な机にはいくつかの書類の山が出来上がっている。

「あれ? もう夜?」

 冷えたお茶を口に含んだメイリスは窓の外の様子を見て首を傾げる。

「おかしいな。先程まで朝日が昇っていたのに」

 どうやらメイリスは陽が昇る頃からぶっ続けで仕事をしていたらしい。

 休憩も取らず仕事をするなどいつ倒れてもおかしくないハードワークなのだが、当の本人はいたって呑気な様子である。

「まあ良いか。おかげで溜まっていた書類も片付いたから問題なし。明日の午前は会議、そして午後はクークの様子を見に行く予定だった」

 サンドイッチを頬張りながらそんなことをのたまう様子からメイリスはまだまだ元気な様子であった。

 が、それで万事良しというわけにはいかない。

 メイリスが倒れると全てが狂うため、アルバーナも彼女に付き人を用意している。

 その一人が。

「あー! やっと顔を上げてくれた!?」

 けたたましい声を上げたのはメイリスと同程度の身長の、人形を思わせる造形を持ったアッシュブロンドのメイド。

「も~! メイリス様~、少しはご自愛下さいよ~。私がどんなに騒いでも目線を上げることすらしないんですから~」

 南方地域出身らしく肌は浅黒いものの、容姿は完全に人間離れしている美しさのため思わず見とれてしまいそうなのだが、口を開けばご覧の通りかなり煩い。

「ごめん、カナン。今度から気を付ける」

 メイリスはカナンにそう頭を下げる。

「その言葉は三十三回目です! そろそろ無理矢理中断させてよろしいですか!」

 彼女の名はカナン=ブロート。

 アルバーナが何処かから用意したメイドの一人である。

「お黙りなさい、カナン」

「クノン、お姉様……」

 カナンの後方から音程の低いハスキーボイスが彼女に注意した。

 彼女はクノン=ブロート。

 カナンの姉であり、瓜二つの容姿をしているのはクノンとカナンは一卵性双生児の双子であるゆえである。

「アルバーナ様は『メイリス様に触れるな、彼女の好きなようにやらせろ』と仰っていませんでしたか?」

 クノンは騒がしいカナンと真逆の性格をしており、真面目一筋である。

「そうは言いましても~」

「言い訳しない」

 カナンはまだ納得がいかなさそうに首を振るがクノンは一言で黙らせる。

「カナン、私達はアルバーナ様に拾って頂いたのよ。だからアルバーナ様の命令が最優先事項でしょ」

「そりゃあ明日も分からない極限生活を強いられている最中に救って頂いたのはアルバーナ様ですけど、今はメイリス様の主です。だからメイリス様を第一に置くのが筋だと思います」

 実はこの双子。

 アルバーナが難民のキャンプを回っていた時に見つけた双子である。

 二人とも容姿が幼いことから、またもアルバーナの無意識なロリ好きが発動してしまったとメイリスは辟易するのだが、能力的には十分役に立っていることからとやかく言うまい。

 余裕が全くない修羅場において見た目など些細なことである。

「カナン、本当にあなたは順序がクルクルと入れ替わるわね」

「そんなことを仰るクノンお姉様は融通のきかない堅物よ」

 メイリスが目を離した隙から始まる姉妹喧嘩。

 もはや名物と化しており、これが始まると一日が終わったなあとメイリスは実感する。

 経験も人脈も無いのに仕事だけは山ほどあるというこの状況を癒してくれる数少ない光景だった。

「まあ、それらは後にしましょう」

 が、クノンは咳払いを一つして早々に切り上げる。

「ちょっとクノンお姉様? 話はまだ終わって――」

「アルバーナ様がお目見えです」

 アルバーナ――その言葉によってカナンが黙り込む。

 騒がしいカナンを黙らせるほどアルバーナの名前は畏怖に満ちていた。

「メイリス様は就寝なさりたいと思いますが、どうかもう少しだけお付き合いください」

「言われなくても分かってる」

 彼が来ているのに無視なんてしたら後でメイリスや双子がどんな目に遭わされるのか分からない。

 まあ、アルバーナはそれぐらいで怒る程狭量な人物でないのだが、変なことはしないに越したことはなかった。

 メイリスは一息を入れて立ち上がり、クノンの後に付いていく。

 執務室に残ったカナンからは。

「あいつに会いたくないのでここを掃除しておくわ」

 反抗心丸出しのセリフを吐いて部屋の後始末を開始した。


「夜分遅く済まないな」

 来客室で紅茶を飲んでいたアルバーナは開口一番メイリスに頭を下げる。

「本来ならメイリスの暇がある時間帯に来るべきなのだが」

「誰かさんのせいで私が起きている間に暇な時間なんて存在しない」

「そういうことだ」

 メイリスはその誰かさんを睨み付けるが、当の張本人は重々しく頷くだけで終わった。

「はあ……」

 まあ、メイリスはアルバーナとの長年の付き合いのためその性格は分かり切っているため諦めて肩を落とす。

「で、どうだメイリス? 仕事で何か困ったことはないか?」

「特に何も」

「まあ、お前なら手に負えないと判断した時点で俺を呼ぶから不要だったな……フレリアに見習わせたい」

 メイリス自身も仕事で忙殺されているため、アルバーナが普段何をしているのか詳しくは知らないが彼も苦労しているらしい。

 不敵な笑顔を浮かべていたアルバーナが一瞬遠い眼をしたことをメイリスは見逃さなかった。

「しかし、爺さんの読み通りメイリスは政治家の才能があったんだな」

 背もたれに深く腰をかけたアルバーナはそう感嘆する。

「別に。私に才能があったのではなく、単に政治についての教育を受けていただけ」

 ヨーゼフ翁の講義の中にはもちろん政治分野も含まれており、アルバーナもメイリスも受けていた。

「本当は政治家よりも魔法使いとして名を馳せたい」

 メイリスは掌に収まるぐらいの旋風を発生させながらそんなことを呟く。

 彼女は魔法の才能も持っており、ヨーゼフ翁の訓練方法によって開花していた。

 経験はともかく魔力については魔法国家イゼルローン所属の魔法使いに引けを取らないとメイリスは自負している。

「ん~、やはり両親の影響を受けているのか」

「うん、そう」

 メイリスの両親は双方とも魔法使いであり、ヨーゼフ翁に引き取られるまでその後ろ姿を見ている。

「私も両親と同じく魔法使いとして人を救いたい」

 魔法使いという職業のみが今は亡き両親とメイリスを繋ぐ糸。

 そう訴えるゆえにアルバーナも多少希望を組み込むように思えるが。

「で、本音は?」

「一部の人しかなれない魔法使いになって羨望の的になりたい」

「うん、しばらく政治家やっとけ」

 アルバーナの絶妙な間かつ巧妙な突っ込みによってメイリスはうっかり本音を滑らしてしまい、素敵な笑顔を浮かべた彼に絶望を突き付けられた。

「酷い……」

「そう涙目になるなメイリス。お前の意志はともかくその政治手腕は目を見張るものがあるぞ」

 例えベテランでもメイリスがこなしている案件である三つの内一つでも達成するのが難しいのに、彼女はその三つを大きな支障なく同時並行で進めている。

 なので現在は最短距離でヨーゼフ翁の理想が現実のモノと化して来ていた。

 しかし、そんなアルバーナの謙遜にメイリスは首を振って。

「ユラスのおかげ。貴方が要所要所に介入して皆を纏めてくれているから、これといった不満が出ていない」

 どれだけ才能があろうとも今のメイリスは頭でっかちのど素人である。

 それゆえ現場に身を置いてきた村長らや難民のリーダー達と意見がぶつかり合うこともあるが、そこはアルバーナが颯爽と登場して時には彼らを納得させ、時にはメイリスを宥めるがゆえに決定的な亀裂が入るまでには至っていない。

「アルバーナこそ政治家に向いていると思う」

 周りの意見を統一させ、絶妙な匙加減で纏めるそれにメイリスは人間業と思えない。

 そんな褒め言葉にアルバーナは笑って。

「いやいや、俺は物心ついた時から商売の駆け引きを見てきたからな。話術で彼等の心を納得させているだけで実際は何も解決していない」

 アルバーナの小さい頃は両親と共に行商人として生計を立てていた。

 どれだけ良い商品であろうと客が物を買ってくれなければ冗談抜きでのたれ死んでしまうゆえ、アルバーナは子供ながら必死に学んで両親を助けていた経験がある。

「爺さん風に言うと俺は幼少から、如何に人を納得させるかを学んできたことになる」

 メイリスが両親から魔法について教わっていたのならアルバーナは話術を勉強してきた。

 昨日今日から始めたことでなく、長い年月を掛けて培ってきたがゆえに出来ている所業であるとアルバーナは考えている。

 締めくくりとばかりアルバーナはニヤリと表情を歪めて。

「まあ、もし俺が政治家になったら独裁者となるぞ」

「……」

 アルバーナは場を和ませるために冗談を言い放ったのだがメイリスは全然笑ってくれない。

「……おい? ここは笑う所だぞ?」

 期待していた反応と違っていたせいかアルバーナは引き攣り気味な笑みを浮かべて問い返した。


 馬車の中。

 アルバーナの黒目黒髪は生来のものゆえ仕方ないにしろ、変更可能な上着やズボン、果ては貴族の証であるマントでさえ黒一色に揃えている彼の姿は異様に見える。

 まるで己は何物にも染まらぬと、それどころか周囲を侵食してやるといった意気込みが見て取れた。

「……はあ」

 が、今のアルバーナを、彼の性格をよく知る者が見たら驚きで腰を抜かすだろう。

 国を創るという神をも恐れぬ図太い神経を持ち、その圧倒的なエネルギーで周囲を引っかき回す彼が疲れたとばかりにため息を零す姿に、もしかしてあれは影武者でないかと勘ぐってしまうが、紛れもなく本人である。

「フレリアのあの頑固な性格は何とかならないものだろうか」

 アルバーナの悩みの種はこれから向かう先にいるフレリア=イズルードである。

 治安維持の総責任者という未知の領域に加えて周りにはクーク以外己をよく知る者がいない中、彼女は与えられた仕事をこなそうと努力するだけでなく、アルバーナが満足する結果も出していた。

 具体的には、最初の四半月で北部の治安は劇的に良くなり、次の四半月にはトルメギス王国を訪れる観光客も戻ってきていること。

 それは偏に元来生真面目な性格のフレリアはヨーゼフ翁が提唱した兵士の訓練法を先入観や周りの意見に囚われず忠実に実行していたからであった。

 与えられた材料に一切の手心を加えず台本通りに実行するその能力は感心するところだが、そうであるがゆえに数字に上がっていない部分で多くの火種を抱えている。

 具体的には周囲との兼ね合いが上手くいかず、軋轢を多々生んでしまっていること。

「困っているなら報告してくれれば良いのだが」

 生真面目な性格であるフレリアは例え事故が起こっても自分の手で何とかしようとする。

 自分がしでかしたミスは自分で責任を取るというその姿勢は立派だが、初期だと数時間で終わる失敗が、最悪の出来事に発展してしまうことは感心できない。

 ゆえにアルバーナは他の三人と比べ、フレリアの元を足しげく通わなければならなかった。

 

「また貴様か」

「そんなに怖い顔をするなよフレリア」

 隠そうともしないフレリアの怒りをまともに受けながらもアルバーナはヘラっと相好を崩す。

 夕暮れ。

 アルバーナが統治する領土の治安を維持するための本部として使用している建物に彼とフレリアが対面していた。

 出会いはメイリスと同じであり、アポなしに突撃したアルバーナが座って待っているという図式である。

「いつも通りの様子見だ。そろそろ慣れろ、俺は同じ言葉を繰り返すことが性に合わない。で、どうだ、何か変わったことはないか?」

「何も無い」

 アルバーナの言葉を華を鳴らしながら答えるフレリアは続けて。

「つい先週も同じことを言っただろう」

「いやいや、あの時根掘り葉掘り聞いたおかげで部隊の一部が暴走という事態を避けることが出来た」

 真面目なフレリアは部隊の調練に対しても嘆願や容赦を聞き入れないため、周りの経験豊かな幹部達との間に溝が出来ていることもしばしば。

 まあ、それは起こってしまうものだから仕方ないにしても問題はその対処法であり、フレリア自身その不穏な気配に勘付いていたもののどう対処して良いのか分からず、かと言ってアルバーナに相談もしていないことが彼を不快にさせている。

「まだ私を信用していないのか?」

 前回の失態を指摘され、真っ赤な顔になって睨み付ける。

「あれは私の力不足ゆえだ。今度は同じミスなど犯すはずがないから安心してくれ」

 そう吠えるフレリアの眼尻には涙が浮かんでいた。

 恐らくフレリアにとって最も辛いのはアルバーナに失望されることだろう。

 命令を出す相手は己よりも年齢も能力も上である連中ばかり。

 そんな中で自分が勝っている点と言えば、他の誰よりもアルバーナに一目置かれているということのみ。

 その利点ゆえに彼女はアルバーナに依存している。

 冷静になって考えれば己の居場所を奪ったアルバーナに忠誠を示す必要はないのだが、その考えに至らせないよう硬軟上手く使っている彼を誉めるべきか。

 閑話休題。

 フレリアからすると、自分はやるべきことをしっかりやった。

 だから自分を捨てないでほしいと訴えているのだとアルバーナは推測する。

 そんな輩に対処する方法はたった一つ。

 フレリアの不安を取り除くためにアルバーナは彼女へ近づく。

「なっ!?」

 そしてあっという間にフレリアの腰に手を回して抱き寄せ刹那のキスを行った。

「違うな。信用している、いないではない。お前は俺のものなのだから包み隠さず正直に話すのは当然だろ?」

 動揺しているフレリアにアルバーナは噛み締めるように一言一言耳元で繰り出す。

「お前は俺のもの。つまりお前の考えも、意志も、責任も、人格も全て俺が背負っている。お前の失敗は俺の失敗であり、責任も俺が背負う。だから隠し事なんて許されると思うのか?」

「だったら私にも全て打ち明けろ。普段何をしているのか全然教えてくれないくせに」

 先ほどとは打って変わって弱々しい口調で口を尖らせるフレリアにアルバーナは首を左右に振って。

「いや、お前。まさか俺と対等だと勘違いしていたのか? 頭は体の全てを把握しているが、逆に体は頭の全てを把握していない。それと一緒だ」

 そしてアルバーナは腰に回していた右手をフレリアの肩へ置く。

「なあに、安心しろ。いずれはお前に対して隠し事なんてしなくなる。しかし、今ではない。今はまだ吹けば吹き飛ぶ組織ゆえに不要な情報を与えて惑わせるわけにはいかないからな」

 もし盤石な組織ならば多少の失敗ぐらいビクともしないが、今のアルバーナの組織は少しの失敗が入院するほどの重傷へと繋がり、裏切りなんて起きようなら即死ものである。

 ゆえにアルバーナはフレリアが勘違いして暴走しないよう情報を制限し、かといって不安に晒されて暴挙にでないよう頻繁にフレリアと会っていた。

「……信じて良いのか?」

 瞳が揺れているフレリアに対し、アルバーナは一言こう宣言した。

「ああ、俺を信じろ」

 全てを知っているアルバーナからすれば全く安心できる状況でないのだが、あえて強気に言い切る。

 弱気を見せて不安にさせるよりか、傲慢を見せて心配させる方が良いのであった。


 クークの役目はフレリアの補佐であるのだがそれは補佐という名の彼女の愚痴を聞く仕事であり、それ以外の時間はずっと魔法使いの育成にあてている。

 そうしなければクークが潰れてしまう。

 何故ならクークはアルバーナが集めた魔法使いの卵達と日夜奮闘しているからであった。

「クーク姉ちゃん、もう勉強いや~!」

「わーん! シュダが私をぶった~!」

「ホリイ、どうして私の言うことを聞けないの!?」

 との会話から推測できる通り全員が十歳前後の遊びたい盛りの年齢。

 問題なのが男子と女子の比率が二対八であり、数少ない男子も男の娘と表現できる可愛らしい容姿をしていることから、またもアルバーナの悪い癖が発動してしまったのだろう。

「ふえ~ん」

 生徒達のあまりの元気さにクークが溜まらず鳴き声を出した。

 魔法使いのための修行というよりかは学校と表現した方が合っており、子供達は生徒で先生はクークであり、彼らが修行する場所も校舎に教室に黒板と、世間一般の学校の様相である。

「……苦労しているようだなクーク」

 いつの間にかアルバーナが教室の外に立ち、苦笑しながら黒板の前で右往左往している彼女を見つめている。

「ユラスさ~ん、私には無理です~」

 アルバーナの姿を見つけたのだろう。

 クークは半ベソをかきながら彼の方へ駆け寄っていく。

「そう泣き言を言うなクーク。お前なら出来る」

 指導役であるクークが教室の外に出ることは良くないと判断したアルバーナは中へ入り、彼女の髪を撫でながら元気づける。

「俺だけではない、フレリアもメイリスも皆クークなら大丈夫だと言っているぞ」

 実際に確認を取ったわけではないのだがアルバーナは気にしない。

 今、ここで重要なのはクークが逃げ出さない様励ますことである。

「本当ですか?」

 アルバーナの励ましが効いたのだろう、上目使いに彼を見つめる瞳は先程よりも光を取り戻している。

「ああ、その通りだ。だから自信を持て」

 クークが良い方向へ向かったことを悟ったアルバーナは軽く腰を曲げてクークの額に軽く接吻を行う。

「な、な、な……」

 いきなりの行動にクークが慌てふためいたのは言うまでもないだろう。

 と、今度は別の理由で右往左往し始めたクークに背を向けたアルバーナは子供達の方へ向き直る。

「おーい、ユラス兄さんが来たぞ~」

 そしてアルバーナが笑顔を浮かべてそう両手を広げると。

「あー、お兄ちゃんだー」

「抱っこ抱っこー」

 と、子供達がわらわらとアルバーナの周りに集まり、口々に遊んでと言い始めた。

「うんうん、子供は元気なのが一番だ」

 子供達の様子にアルバーナは大きく頷くと子供達の要望を聞ける範囲で叶え始める。

「ねえねえユラスお兄さん。私はこんなに魔法を使えるようになったよ」

「あー、一人だけズルイズルイ。私もここまで出来るよ」

「僕だってそれぐらい」

 一人がアルバーナに対して現在の進歩状況を披露すると他の子供も我先と争って見せ始める。

 どうやら子供達は元気一杯に遊びながら、クークは振り回されながらもしっかりと目的は果たしているようだ。

「ほう、みんな偉いな、お兄さんは嬉しいぞ」

 この成果にはアルバーナも満足しているのだろう。

 破顔した彼はいつものテンションの五割増しで子供達と接し始めた。

 余談だが五~十分程度で遊ぶのを終わらせて教壇に上がったアルバーナはしっかりと遅れた時間分を取り戻させたと追記しておく。

 いつもより早いペースでの授業なのに子供達は真剣に聞き入っている。

 詰まる所、アルバーナは子供達に大人気なのであった。


「ふう~……子供達は元気だなぁ」

 職員室という名のクークの私室にある椅子に体を預けたアルバーナは盛大に息を吐き出す。

「あの小さな体のどこにあんなパワーが眠っているのだろうか」

「クスクス、さすがのユラスさんもお疲れのようですね」

 そんなアルバーナを見てクスッと笑ったクークは彼に紅茶と菓子を運んできた。

「済まんなクーク」

 礼を述べたアルバーナは紅茶を啜る。

「ほう、この苦さと濃さは俺好みだな」

 アルバーナとしては褒めたつもりなのだが、それを聞いたクークは可笑しげに笑う。

「ウフフ、その仕込みは子供達に大人気なんですよ」

 クークが遠回しに言いたいことなど聡いアルバーナは瞬時に理解できる。

「……俺の味覚はガキと同レベルだと言いたいのか?」

 渋面を作ってそう抗議するアルバーナの表情は悪ガキのそれによく似ていた。

「ご一緒します」

 そう前置きしたクークはアルバーナの対面に腰を下ろして菓子を一つ掴む。

 美味しそうにそれを頬張る姿はまるで小動物が木の実を食べているようでアルバーナの気分をほっこりさせた。

「しかし、自分で卑下するほどクークが教師に向いていないことはないぞ」

 一段落ついたアルバーナはそう切り出す。

「少々騒がしいがちゃんと椅子に座っているし、結果も出している……どれぐらい進んだかな?」

「黒の才能がある子は簡単な火球を、そして白の才能がある子は軽い擦り傷なら治療できます」

 クークは誇らしげに胸を張る。

 要領の良い子はすでに呼吸をするかの様に魔法を繰り出せているが、一番出来ていない子を基準にすることからクークの優しい性格が表れている。

 つまり彼女は一人の落第者も出したくない気質であり、全員を一角の人物に育てようとする意気込みが見て取れた。

「だろ? 九ヶ月でこの成果だ。ゆえにクークが思い悩む必要など無いんだ」

「いえ、私一人の力ではありません」

 しかし、そんなアルバーナの激励にもクークは首を振る。

「一つはヨーゼフ=バレンタイン氏が提唱した魔法教育方法には驚かされるばかりです。まさかここまで簡単に魔法使いを育成できるとは、目から鱗の気分です」

「当然だ、何せ爺さんが編み出した修行方法だぞ」

 アルバーナは自分が褒められたかのように鼻を高くする。

「何せ魔法の才能が全くない俺でさえ僅かだが魔法を扱えたんだ。そして俺より若く、純粋な子供が本気で修業すれば力を付けるのは当然だろう」

 この時代の魔法使いの養成というのは、忘我に至るほど深い瞑想を何度も繰り返し、さらに魔力密度が濃い空間で魔法の反復訓練を行って会得、強化する。

 特に魔力密度が濃い空間を作るとなると、魔法を唱えても大丈夫なスペースの確保以上にそれだけ広い空間に魔力を満たせるの魔法使いが必須となる。

 それゆえに魔法使いの育成は困難を極めるのだが、ヨーゼフ翁の提唱した方法はその前提条件を覆した。

 魔法を扱うために必要なのは魔力だが、その魔力は気力を変換して生み出しているという説にヨーゼフ翁は注目した。

 つまり魔力への変換率が低くとも、その絶対量が膨大ならば結果的に魔法を扱えるということである。

 ではその気力を増やし、魔法を扱えるにはどうしたら良いか?

 それは己にとって心の底から楽しいと思える環境を作り、そして自然に魔法を扱えるよう方向を誘導させることであった。

「さすが無邪気な子供だ。乾いた綿が水を吸うかのように吸収していく」

「ええ。正直な話、私が苦労して習得した魔法をあっさりと使われると多少嫉妬を覚えますね」

「おいおい、子供達の成長を妨げるなよ」

 クークの不穏な物言いにアルバーナは釘を刺すが。

「クスクス、冗談です」

 クークは茶目っ気たっぷりの表情で笑った。

「まあ、それもありますが」

 一しきり笑ったクークは目を閉じて話を戻そうとするが。

「それも?」

「……ヨーゼフさんの凄さもありますが」

 アルバーナに凄まれて言い直す。

 彼の前でヨーゼフ翁を蔑ろにする言動はタブーである。

「子供達が本当に生き生きしているのは皆がユラスさんのお役に立ちたいからです。あなたに褒めてもらいたい、その一心で皆は頑張っています」

「ほう、それはそれは……嬉しいな」

 一見すると何の変哲もない会話である。

 しかし、他人の気配に聡いクークはアルバーナの言葉に酷薄な響きを感じた。

「もしかしてユラスさんはその期待を素直に喜べないのでしょうか?」

「ほう、クーク。見事な観察眼だ」

 クークの問いかけにアルバーナは称賛の言葉を送る。

「何ででしょうか?」

「なあに、彼等子供達の将来を考えるとな」

「……」

 アルバーナの言わんとしていることにクークは沈黙する。

 魔法使いというのは戦争を行うための存在であり、その卵である彼等は将来戦場に出る。

 あの無邪気な子供達の行く先は血に塗れた修羅の道であるがゆえにクークは言葉を失って地面を見つめ始めた。

「クーク。断っておくが全ての責任は俺にあるぞ」

 アルバーナは先手を打つ。

「子供達に人殺しをさせるのも、クークに人殺しのための方法を教えろと命令したのも全て俺だ。だからお前も子供達が罪を感じる必要など一片たりともない」

 アルバーナが懸念しているのは今後クークが今の行いに迷いを覚えそうだったからである。

 今ここでクークが腑抜けになるのは不味いため、彼女を安心させるためにアルバーナは全ての罪は自分にあると宣言し、さらに。

「それになクーク、俺も好き好んであいつらを戦場に送りだしたくないぞ。出来ることならば魔法を戦争の道具でなく文化の一つとして発展させ、子供達はその先駆者になってもらいたい」

 子供達を戦わせることはアルバーナにとっても不本意であり、魔法は本来楽しいものだということを大陸中に浸透させたいと付け加えておいた。

「そうですか」

 クークが目に見えて安堵の息を吐く。

「分かってくれて良かった」

 クークが理解の色を示してくれたのでアルバーナは大仰に頷いた。

 ――アルバーナは今、クークに対して大ウソを付いていることを自覚している。

 国を創る以上、戦争が起きるのは確実ゆえに子供達の手が血に汚れることも確定している。

 しかし、アルバーナは歩みを止めようなどという意志など毛頭ない。

 国を創るために、ヨーゼフ翁の提唱した国家を現実のものとするためならば、アルバーナは屍の山を越え血の河を渡る覚悟を決めていた。

「爺さんよ……俺は必ず国を創る。例え何を犠牲にしてもな」

 幸か不幸か、アルバーナの危険味を帯びたその呟きをクークは聞き取ることが無かった。


「ようやく軌道に乗ってきたな」

 馬車の中。

 アメリアの元へ向かう途中のアルバーナは報告に挙げられた内容に目を通して微笑む。

「これならばギール商会に借りた借金も案外早く返せるかもしれない」

 領地を得たアルバーナにとって最大の問題は資金であった。

 もちろん国と交渉して補助金を得ているものの、難民達の衣食住や観光客を呼び戻すためのパフォーマンス、そして治安の向上など金を使う理由は幾らでもある。

 そうであるがゆえにアルバーナは解決策としてアメリア経由で融資してもらい、対価として作った特産品を払っていた。

 しかし、地位も何も無い青二才のアルバーナに対してトルメギス王国もギール商会もアルバーナに融資するというのは良いのだろうか。

 アルバーナが凄いのか、それとも周りが愚かなのか判断に悩むところである。


 情報によるとアメリアは今日この屋敷に止まるらしいのでアルバーナは当然の如く連絡なしで足を踏み入れる。

 そして使いの者に自分がやって来たことを伝え、その間にくつろぐのだが。

「お待ちしておりましたアルバーナ様」

「凄いですボス! 師匠が本当に来ました!」

「……アンサーティーン。お前はラクシュリア王国担当だろう」

 アルバーナを出迎えたのはニコニコと笑みを浮かべるアンサーティーンとその隣で目を輝かせるアメリアであった。

「ご心配ありがとうございます。しかし、アルバーナ様は私の支社において唯一の大口契約様ゆえに多少の便宜を取らせて頂いております」

 アンサーティーンはアメリアとギール商会を繋ぐ重要な役目を帯びている。

 本来なら弱小支社長が務める業務で無いのだが、彼は如才なくこなす。

 本当に彼は何者なのだろうか。

「よく俺がこの時間帯に来ると予想できたな」

 アルバーナがアメリアの元を訪れる時期は不規則であり、下手すれば何日も来ない時がある。

 その中でピンポイントに待ち構える所業など出来ないはずなのだが。

「ええ、現在の資金の推移状況ゆえにそろそろ尋ねる頃合いに加え、アルバーナ様の位置ですとこの時間帯に訪れると予想していました」

 何でもないことの様にアンサーティーンは述べた。

「アメリア、厨房へ行って夕食を運んできて下さい。これから先は少々混み合うお話なので食事を取りながらにしましょう」

 つまりアルバーナがどんな話をするのかもアンサーティーンは知っている。

「食えない奴だ」

 常に先手を打つ如才ないやり方にはさすがもアルバーナも舌を巻いた。


「黒字化おめでとうございます」

 温かいスープが湯気を立てる中、アンサーティーンが頭を下げる。

「よくあの零――いえ、マイナスの状態から僅か一年で利益を上げることが出来ました」

「師匠は商売の神様です!」

 アンサーティーンの称賛にアメリアが乗っかる。

 二人ともギール商会で商人として働いてきたがゆえに今の状況のありえなさを実感しているのだろう。

「アルバーナ様、もしよろしければその技法の一部をご教授出来ないでしょうか?」

「私からもお願いします、師匠」

 時に恵まれているわけで無ければ土地の習慣に合っているわけでもない、果ては人々から全く知られていない状態から何故ビジネスとして成功したのか。

 商人のはしくれである二人の好奇心がうずくのは当然の帰結だっただろう。

「教育だ」

 スープを口に運んだアルバーナは端的に答える。

「アメリア、以前俺は国で物を売りたければその国の教育方針を知れと言っただろう」

「はい、その通りです」

 アルバーナの問いかけに頷くアメリアは。

「けど、それで何が分かるんですか?」

 と、首を傾げながら聞いてきたので、アルバーナは頭を抱えそうになる。

「この鳥頭が」

「酷い!?」

「何が酷い? 俺は同じことを繰り返すことが嫌いなことは知っているだろう」

「まあ、アメリアが酷過ぎるのはさておき」

 アルバーナの罵倒とそれにショックを受けるアメリアのコントはさておき、場の空気を元に戻すためアンサーティーンが口を開く。

「――戦略を練ることが出来るのですよ。普通は習慣や風習を基本とするのですが、そこをあえて教育方針とするのがアルバーナ様の妙です」

「まあな。習慣や風習から戦略を練るという手もあるが、教育を受けていない人間は保守的なうえ財布に余裕があるとは思えんからな」

 極論だが、例えば目の前に二種類の給与形態があるとしよう。

 一方は週払いで一週間十G。

 もう一方は月払いで月五十G。

 少し機転を働かせれば月払いの方が得だと理解できるのだが、学が無いと前者を選んでしまう場合が多い。

 そして、もし週払いを選ぶ者に物を売りたければ安くすれば良い。

 品質や安全よりも価格を第一に持って来ればその商品は大抵売れる。

 だが、そうなると勝者は強大なマンパワーと大量生産できる設備が整っている大手であり、中小勢力ではどう足掻いても勝てない上に下手すれば泥沼に嵌り込んでしまう。

 ゆえにアルバーナの様な新興勢力が物を売るためには必然的に教育を受けられるだけの知識水準が高い者達へとなってしまう。

「爺さんが独裁や共和制、一定の教育方針を取っている国には何を売るべきかの指針を示してくれたからな」

「それはもちろん拝見させてくれないのでしょう?」

 アンサーティーンの言葉にアルバーナは鼻を鳴らして断る。

「当然だ、少なくとも安定するまで見せるわけにはいかない」

「残念です」

 そっけなく拒否を言い渡されたのにアンサーティーンは特に堪えた様子もないことから、ある程度予想していたのだろう。

 まあ、常識的に考えれば確実に儲かる手段を他人に後悔するのは愚の骨頂ゆえに、アルバーナの態度は当然かもしれない。

 むしろ大元の出発点を教えたこと自体が大出血サービスなのである。

「まあ、俺からすると嬉しい誤算だったのはギール商会が難民達が作った商品を全て買い上げてくれていたことだな」

 正直な話、ここまで早く軌道に乗ったのは売れる売れないに関わらず全て買い取ってくれたギール商会の恩ゆえである。

 おかげで難民達の住居や工場を造るための資材や資金を調達することが可能となった。

「そこはアンサーティーンに感謝するしかない」

 大陸レベルで運営している商会ともなると部外者であるアルバーナ一人が奮戦したところで門前払いにされるのが落ちである。

 そうにも関わらず、地方を担当する幹部と相対で来たのは偏にアンサーティーンの紹介ゆえであった。

 そんなアルバーナの礼に対してアンサーティーンは微笑みを崩さずに首を振って。

「いえいえ、私は単に口利きをしただけですし、何よりアルバーナ様の働きによって私も相応の利益を得ることが出来ましたのでイーブンです」

 利益というのは金だけではないだろう。

 アンサーティーンの所属する派閥内での地位が向上したとか政治的な側面の方が大きいとアルバーナは見た。

「まあ、何にせよ」

 アルバーナはすっかり冷めたステーキにナイフを入れる。

 同時にまずアンサーティーン、次にアメリアへ視線を動かすのも忘れない。

「アメリア、帳簿を持ってきてくれませんか?」

 アルバーナの意図をくみ取ったアンサーティーンはアメリアにそう命令する。

「そして一緒にコックへ別の料理を持ってくるよう頼んで下さい、すっかり冷えてしまいました」

「そうだな、よろしく頼む」

「はい、分かりました!」

 アメリアはアンサーティーンとアルバーナの両方からお願いされた事実に張り切っているのだろう。

 椅子を大きく引いて勢いよく立ちあがったアメリアは文字通り扉の外へ走り去っていった。

 そして残るはアルバーナとアンサーティーンの二人だけ。

 ムードメーカーであるアメリアがいなくなったことで幾分か空気が重くなるのだが、これから行う話題の中身だと重苦しい方が良いだろう。

「基盤は整った。後は何時行動を起こすかだ」

「行動とはもちろん?」

 アンサーティーンの冷たい眼差しに。

「もちろんあれだ」

 アルバーナは目を逸らさず睨み返す。

「もう二、三ヶ月すれば俺の領地は貰う側から金を生み出す側へと回る。そうなれば王の関心は北部へと向き、俺の代わりに信頼できる部下へ配置転換を行うだろう」

 アルバーナはあくまで異邦者。

 赤字を垂れ流す不毛地帯だからこそ領袖を拝命されたのであり、それが利益を生み出す財源領地になった以上、引き続きアルバーナに任せる理由などどこにもない。

 むしろ反逆を起こされたら国にとって大きな痛手となってしまうゆえに、アルバーナの更迭は時間の問題であった。

「そろそろ武器を輸入したい」

 アルバーナはそう切り出す。

「しかし、派手にやると場の空気が面白くない方向へ転がってしまうから、出来るだけ秘密裏に行ってほしい」

「つまり密輸ですね?」

 アンサーティーンの瞳がキラリと光る。

「そうなると正規のお値段より割高になりますがよろしいでしょうか?」

「構わん、金ならある」

 アルバーナは自信たっぷりに頷くと。

「ご用件を了解しました。そしてこちらの御好意として傭兵も追加させましょう……もちろんお値段は頂きません」

「助かる」

 今のアルバーナは猫の手も借りたい状況であるがゆえにアンサーティーンの申し出は素直に嬉しかった。

「それと、これは一つの提案ですが」

 これで終わると思いきやアンサーティーンは続ける。

「焦土地帯を短期間で蘇らせたアルバーナ様の能力は目を見張るものがあります。ゆえに、もし独立が失敗に終わるようでしたら、あなたはもちろんのことその部下のかたがた全員を我々ギール商会が保護します」

 ヘッドハンティング。

 客観的に見ればアルバーナは一つの奇跡を起こしている。

 そしてそれが断頭台の露へと消えてしまうのはあまりに惜しいため、亡命の手助けをするというのだ。

 最悪命の保証はされているため、一般人にとっては相当魅力的な提案だろう、が。

「部下をよろしく頼む、俺は自身が起こした責任を取らなければならない」

 残念ながらアルバーナは一般常識とかけ離れた思考回路の持ち主ゆえにその申し出を断る。

「そうですか……」

 そうため息を吐くアンサーティーンの瞳は僅かに悲しみの色を浮かべていたように見えた。


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