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第一話 宣言

「俺は国を創る」

 黒目黒髪という珍しい色を持った青年はヨーゼフ=バレンタインと銘打たれた墓標の前で宣言した。

 太陽の半身が森の中へ隠れる夕暮れ時のことであった。

 村から北へ真っ直ぐ進むと四方を森に囲まれている家屋がひっそりと佇んでおり、廃屋と間違われそうな古びた家屋だが、傍に井戸と鶏小屋そして畑があることから人が住んでいたことを伺わせた。

 そしてその家屋の申し訳程度にあった広場の真ん中に新しく建てられたであろう墓標の前に青年は佇んでいた。

 墓標と言っても、土を丸く盛った場所に十字架を模した木を立てた作りゆえに世間一般の墓の基準から比較すると相当質素な代物。

 青年は土の下で眠る老人に長年お世話になったにも関わらず、この簡素な墓を建てるというのはあまり褒められないだろう。

 だが、青年はそれで構わないと思う。

 単にお金や腕前が無いという唯物的理由だからではない。

 青年は、老人はまだこの世界に存在していると信じているからである。

 人が死ぬのは剣や魔法によってではない。

 誰からも忘れ去られた時に人は死を迎えるのだ。

 ゆえに少なくとも自分が生きている限り老人が死ぬことなどありえなかった。

「爺さんが思い描いた理想を俺が実現させる」

 青年はそう呟く。

 老人は国のあり方について思考を繰り返すのが日課だった。

 どうして争いは無くならないのか。

 何故国家は人を不幸に追いやる場合が多いのに、人は国家なしで生きようとしないのか。

 人が人らしく生きられる世界はどうすれば実現できるのかを老人は繰り返し青年に説いていた。

「だからこれは墓ではない、道標だ」

 全ての始まり。

 今、この瞬間から老人の意志が形を成す。

「そう……このユラス=アルバーナが教育国家――サンシャインを建国する第一歩だ!」

 青年――アルバーナは天へ届けとばかりに高らかと宣言した。




「……ありがとう」

 アルバーナが決意を述べて少し経った後に労いの声をかけられる。

「――メイリスか」

 アルバーナは振り返った先にいた少女を確認してフッと微笑を浮かべる。

 蒼いローブを身に纏い、手に頭一つ分高い杖を携えている少女の名前はメイリス=カナザール。

 彼女はアルバーナの胸元しか身長がない上に、頭に被っている三角帽子からはみ出す藍色の髪をボブカットに纏め、幼さの残る顔立ちゆえに見ようによっては十代前半に見えるが彼と同年代である。

 付け加えるとアルバーナとメイリスが出会った当初から全く成長していないのだが、そこに触れることはタブーとされている。

 別に魔法をぶっ放されることはないがしばらくの間絶対零度の視線で貫かれてしまい、非常に居心地が悪くなってしまう。

「もう調子は大丈夫か?」

 早朝。

 まだ陽も上がっていない時間帯にアルバーナが住む家に駆け付けたのがこのメイリス。

 感情の表現が乏しく、滅多に感情を表に現さないメイリスが体を震わせて己に抱き付いてきた様子から、アルバーナはただ事でないと判断して急いで駆け付けてみたところ、ヨーゼフ翁がベッドの上で冷たくなっていた。

 恩師の突然の死にアルバーナも一瞬気が跳んだものの、メイリスが尋常でなく動揺していたことから逆に落ち着きを取り戻し、墓の準備をして現在に至る。

「うん、少しはましになった」

 そう言うメイリスは平坦な調子で頷く。

 まだ抑揚はあるものの、大分落ち着いたようだとアルバーナは肩を撫で下ろした。

「そうか。だったらこっちに来て爺さんの冥福を祈れるか?」

「……ごめん、それはまだ無理」

「そうか」

 メイリスが申し訳なさそうに首を振るが、アルバーナは落胆した様子はない。

 何故なら、ヨーゼフ翁が亡くなったことに最も衝撃を受けたのはメイリスだからとアルバーナは知っているからだ。

 アルバーナの記憶が正しければ、五年前にここへ赴任してきた時からメイリスはヨーゼフ翁と共にいた。

 一度ヨーゼフ翁とメイリスの関係が気になり、ヨーゼフ翁にしつこく問い質してみたところ。

 “メイリスはわしの古い友人の娘でのう。戦争に参加している間、預かってほしいと頼まれたんじゃよ”

 普段から無神経だの傲岸不遜だの非難されるアルバーナだが、そんな話を聞かされてはさすがの彼も沈黙するしかなかった。

 ヨーゼフ翁曰く、両親の訃報が届いたその日からメイリスは感情が抜け落ちた人形のようになってしまったと聞いている。

 そんな生きる意志を失ったメイリスを粘り強く支え、励ましていたのがヨーゼフ翁。

 そんな命の恩人の亡骸を前にすることを拒否するメイリスを責められる者はいないとアルバーナは考えていた。


「さてと、メイリス。明日出立するから準備を整えておけよ」

 メイリスを肩越しに見ながらアルバーナはそう言い切る。

「え?」

 アルバーナの言葉に目を丸くするメイリスだが彼は構わず続ける。

「朝一番の馬車に乗って王都を目指す。しばらくこの村には帰ってこないから心残りがあるのなら今日中に済ませておけ」

「だからどういうこと?」

 まあ、突然「明日から別の場所に行くのでもうここには戻ってこない」と言われれば誰だってそう問い返すだろう。

「決まっているだろ、仲間を集めるんだよ。国を創るためにな」

 が、アルバーナはまるで隣町に買い出しへ行くかの様な気楽気な調子で答える。

「国?」

「そう、国。爺さんが長年夢見た国を実現させるためだ」

 メイリスの疑問にアルバーナは力強く答える。

 アルバーナの思い描く国――それはヨーゼフ翁の思想を根本に置いた国家を作り上げること。

 ヨーゼフ翁の思想は生半可な境遇で生まれたわけではない。

 王立学院を首席卒業し、齢三十で副宰相にまで上り詰めたヨーゼフ=バレンタイン。

 エリートコースに乗ったヨーゼフ翁はそのままで一生安泰だったにも拘らず、敢えて新たな思想――人が人らしく生きられる国家の実現を目指した。

 主流とは異なる思想のため冷遇され、国王自身から説を捨てるかそれとも職を去るかを迫られ、迷いなく職を去ったヨーゼフ翁。

 それゆえに辺境の地に住まうことになってもヨーゼフ翁は気にも留めず一心不乱に考え尽された思想。

 全てを捨て去ってまで作られた理念を根本に置いた国家を実現させることが自分達の使命だとアルバーナは固く信じている。

「……説法から始めない?」

 メイリスは至極まっとうな方法を提案する。

「お爺さんの考えを広めるのに、何も国を創る必要なんてない。自分達はこのラクシュリア王国の国民なんだからこの村または王都でなり演説を行って徐々に広めるべ――」

「何百年かかるぞそんなもん」

 メイリスの正論をアルバーナは鼻で笑う。

「下から徐々に変えていくのも良い。俺達が後五十年以上生きられるのであれば、俺もその選択を取りたいのだが悲しいことに現実はそうでなく、俺達はすでに人生の折り返し地点にいる」

 この時代の平均寿命はおよそ四十代。

 ヨーゼフ翁の年齢が五十一で死因が老衰だったことを鑑みると、アルバーナの命は半分である。

「さて、問おうかメイリス。後二十年で爺さんの理念を国に浸透させることは可能か?」

「……」

 頭脳明晰なメイリスも黙り込む。

 一日中説法するわけにはいかず、どうしても生きる糧を得る必要がある。

 唯一実現率が高そうな方法は学術機関に就職し、そこで理念を広めることだが国がバックに付いている以上、どうしても中身が婉曲してしまうだろう。

「分かっただろうメイリス。爺さんの説を証明するには国を創るしかないんだ」

 最も効率的かつ短時間で浸透させるにはトップを取ること。

 革新的な事柄を実行するには上意下達の手段しかないのである。

「じゃあ何で住み慣れたこの国を離れて外国でやるの?」

 メイリスは当然の疑問を口にするが。

「俺も出来るならばこの国で行いたい。しかしな、今のラクシュリア王国は安定し、強靭な体制を持っている。そんな状態で爺さんの理念を訴えようとも一つの珍説として一笑に付されるか、狂人として牢獄に入れられて終わりだ」

 どんな物事にも“時”がある。

 満腹の者に料理を持ってきた所で、例え体に良い健康料理であろうとも喜ぶはずがない。

 今のラクシュリア王国は紛い物の理念とはいえ、一応国民は納得しているので新たな理念など必要ないだろう。

「だから外国でやる。具体的には王都で一人拾った後、南の国境線を越える。あちらは小国家が乱立しているから他の地域よりも簡単に国を創れる。だからそこで爺さんの説の正しさを証明するつもりだ」

 アルバーナは自信満々に宣言する。

 彼としては間違ったことなど言ったつもりはない。

 全てが理路整然としており、反論の隙など一分たりともないと信じている。

「それは無理」

 が、メイリスは明確に拒絶の意を示す。

「どうしてそこまで今に固執するのか理解できない」

「は?」

 アルバーナなど気に留めず彼女は続ける。

「例え今の理念が間違っていたとしても、国が上手く回っているのなら問題ない。それゆえに私達がするべきことはお爺さんの理念が本当に必要な時まで風化させないよう書物なり口伝なりで残しておくべ――」

「ふざけるな!!」

 アルバーナは先程の不敵な笑みを引っ込め代わりに烈火の如く怒り狂う。

「お前は! お前はそれで良いのかメイリス! その時まで爺さんが狂人扱いされてもお前は許容するのか!」

 アルバーナはメイリスに反対されたから怒っているのではない。

 メイリスが事なかれ主義に走ったこと――つまりヨーゼフ翁の名誉を回復しようとしないことに激怒していた。

「お前は国や村の皆が爺さんに行った仕打ちを忘れたのか!? 本当の爺さんを知りもせず、国から狂人のレッテルを張られただけで敬遠されていた日々のことを!」

「そんな……わけはない。ただ、私は時期を見てと――」

「言い訳するな!」

 メイリスはうろたえながらも反論しようとするがアルバーナは一言で止める。

「俺はお前の口からそんな言葉が出て来るとは思わなかった! 俺よりも長く爺さんと共にいたメイリスが爺さんを否定するわけなんてないと信じていた! 信じていたんだ!」

 アルバーナの逆鱗に触れて小動物のように身を震わせるメイリス。

 彼女は何とか反論しようとするが、今のアルバーナにどのような言葉をかけて良いのか分からず、口を開いては閉じ、また開いては閉じるを繰り返した。

「……もういい」

 十回ほどそれを繰り返したメイリスにアルバーナは怒りから一転、黒き瞳から一筋の涙を流す。

「爺さんは確かに狂人というレッテルを張られた。国がそう張った以上百人に説いて九十九人が爺さんを狂人扱いするのは覚悟していた。だがな」

 メイリスだけは共感する一人だと俺は考えていた。

 そう言い残してメイリスに背を向けるアルバーナ。

「お前は一生ここにいろ」

 アルバーナは振り返らずに告げる。

「この場所で俺が爺さんの名誉を回復させる瞬間を見ていると良い」

 そしてアルバーナは歩き始めた。

 背筋を伸ばし、足取りもしっかりしたアルバーナはこの場を後にしようとする。

「……って」

 後ろからか細い声が聞こえるがアルバーナは速度を落としすらしない。

「待って」

 今度はハッキリと聞こえる。

 どうやら自分を追いかけてきているらしい。

「ふん」

 が、アルバーナは早歩きに切り替え、振り切ろうとする。

 どうやら後ろを振り返ろうとはしないらしい。

「お願い! 待って!」

 が、腰に抱き付かれてはアルバーナも足を止めざるを得ない。

 案の定、アルバーナの腰には涙で顔をぐしゃぐしゃに汚したメイリスが抱き付いていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい。私が間違っていた。だから一人にしないで、お願い。お爺さんが死んでユラスも去ったら私は一人で何をすれば良いの?」

「知らん、俺に聞くな」

 そう抗弁するメイリスをアルバーナは振りほどこうとする。

 今のアルバーナからすれば臆病風に吹かれたメイリスなど憎悪の対象。

 ヨーゼフ翁を軽蔑した輩よりも許せない存在である。

 そしてアルバーナがそんな心境であることを長年の付き合いから熟知しているメイリスは考える。

 このままだと間違いなくアルバーナはメイリスを捨てる。

 そしてそうなったら時のことを想像するだけで震えが止まらなかった。

 最悪の未来を回避するため、どうすればアルバーナが自分を見てくれるのか高速で考え、出た答えが。

「ユラスはお爺さんの国家論を完全に網羅しているの?」

 アルバーナがヨーゼフ翁の考えを完全に学んでいないことであった。

 何せヨーゼフ翁が遺したメモは数万枚に及び、要点だけを注釈しても下手な辞書のページ数を大きく越える。

 しかも量だけでなく中身も相当濃く、何度読み返しても新たな発見がありアルバーナを唸らせていた。

「……」

 アルバーナも心当たりがあるのだろう。

 歩みを止めてメイリスの方を振り返る。

 その瞳には不敵な笑みも怒りの炎でもない。

 地獄の裁判長が罪人を品評するかの様な冷酷な光を湛えている。

 その視線にメイリスは身震いするが必死の思いで見返す。

 メイリスからすれば、もしここでアルバーナに見捨てられれば自分がどうなるのか分からない。

 自分が自分でなくなるので、決して目を逸らすわけにはいかなかった。

「……明日の朝、村の入り口に来い」

 メイリスにとって永遠に近い時間が終わりを告げる。

 どうやら自分はアルバーナのお眼鏡に適ったようだ。

「ただし、俺はお前を許したわけではない。もし今度保身に走るような素振りを少しでも見せたら、俺は釈明など聞かずお前を切るからな」

 アルバーナの底冷えする声音から、それは真実なのだろう。

 アルバーナは有言実行、言ったことは必ず果たそうとする性質の持ち主。

 もしメイリスが臆病になってしまったら、例えなくてはならない状況であろうとも約束を違えず遠慮なく切ることは容易に予想できた。

「……うん」

 少しの時の後に頷いたメイリスはアルバーナの迫力によって心なしか震えていた。

 

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