意識の果てに~彼女の思考~
一人でぼーっとしているとむくむくと膨れ上がってくる思考がある。
それは毎度同じことなのだけれど、結論が出ないから何度も何度も何度も何度も、考えてしまう。
私はどこまで「私」でいられるのだろうかと。
いつ死んでもおかしくないと言われている(私自信はそんなつもりは微塵もないが)私の体。そんな体だったせいか、年齢にして小学校の高学年の頃には馬鹿のようにそんなことを考えていた。
私は輪廻転生というものを信じている。否、夢を見ているといった方が正しいのだと思う。
とにかく、死ねば魂は輪廻を巡り、新しい肉体を持って生まれ変わるという。肉体は朽ちるから新しいものが必要になるだろう。
では、その意識は?
魂によって生まれるのか、肉体が形成するのかわからないからこそ気になる。
もしも、魂によって生まれるものならば意識も輪廻を巡るのだろうか。はたまた、肉体と共に朽ちてしまうのか。
そんなことを考えながら私の意識は深いところへ潜っていく。
どうなるのか、と考えながら私の中では一つの考えが確固たる形で存在している。
死は眠りだという。
死を隣にして死なない私にとっては死は冗談でしかないのだけれど、意識についてはそう考えることができた。
意識は眠るのだと。
眠りは意識の上では一瞬。
つまり死んだら「私」はまた「別の誰か」として目覚めることができるのだと。
その光景を想像する。しばらくすると「私」の意識が、意識の境界があやふやになったような感じがしてくる。
そこまでくるといつも強制的に戻されてしまう。
何がそうさせるのかは分からない。ひょっとしたら私の意識が溶けて消えることを拒んだ本能的なものだろうか。
ふと窓の外を見れば、日がかなり傾いてきていた。時計を見れば四時半を過ぎていた。
今日は彼が来るはず。
昨日の夜にパソコンの方に連絡が来ていたから、それは間違いないだろう。
しかも兎の夜のロールケーキを持ってきてくれるのだ。今から楽しみで仕方がない。
今日は彼とこの事について話そう。
こんな話を真面目に聞いてくれて、きちんと返事をしてくれる私の貴重な、友人かはよくわからない知り合い。
さあ、彼を迎える準備をしよう。使い捨ての紙皿と紙コップはある。冷蔵庫にはお茶もある。
特にやることがなかった。
どうでもいいあとがき。
この短編を読んでくださってありがとうございます。
自分にとっての考えです。
死んだら、と考える分には若すぎるのかもしれませんが、実際にこんなことを考えています。
どうしても『死=意識の停止』にはならないんですね。
彼女とは死の概念は違いますが、意識の考え方は被らせました。
なんか、つい。