戦争と平和7
謁見の間で上がった炎は、瞬く間に他の死者にも燃え広がり出した。
「司祭殿…… 屋内ですので……」
脇に控えた甲冑の騎士が、身を屈めて赤い鎧の男に囁きかける。
「ふん。松明代わりにもならんか」
赤い鎧の男がそう鼻を鳴らすと、炎が一際大きな光を発して一瞬で消えた。残されたのは黒こげの死体だ。脂の焼ける匂いが、炎の熱気に煽られて皆の鼻孔に届けられた。
「おのれ…… 鎧の司祭は異教徒を人と認めぬか……」
サーシャは動けないと分かっていながらも、その身を捩らせて相手に詰め寄ろうとする。黒ずんでいたサーシャのドレスが、更に床のホコリと血で汚れる。
「そう、このグルゲ。異教徒を人と思ったことは一度とてない」
「何を言う。同じ赤い血を流す人間同士。信じる神が違うからと――」
「赤い血だけなら、家畜でも流す! そんなもの証拠にもならんわ!」
グルゲと名乗った男は、サーシャの言葉を蔑むように遮る。
「な……」
「さて、あなただけ生かしたのは他でもない。あれを呼び出してもらう為ですよ」
「……」
「知らないとは言わせませんよ。黒水晶ですよ。異教の唾棄すべき業。外道の所業を見せてみなさい」
「あれは救世主を呼ぶ為の神聖な儀式…… 黒水晶はただの副産物です…… 外道などと呼ばれる覚えは……」
――ガンッ!
という鈍い衝撃とともに、サーシャのお腹が蹴り上げられた。
「――ッ!」
サーシャは声を上げることもできない。
赤い鎧のつま先が、身動きの取れないサーシャの鳩尾に入り込んでいた。
サーシャはその場で声も出せずにのたうち回った。
「神聖などという言葉! 邪教の徒が軽々しく口にするな! 言葉が汚れるわ!」
「げほ……」
サーシャは血とともに、反吐を吐き出す。そして自らの血と反吐と涙に頬を濡らした。
「そうそう。そういう風に、家畜のように悲鳴を上げて、獣みたいに顔を歪めていればいいんですよ。異教徒にはお似合いです」
「獣は…… 貴様だ……」
「ふん…… 挑発には乗りませんよ。さて、首飾りはどこにやりました? 巫女だけでは力は出せないことは、分かっているんですよ」
「……」
「殺されてしまう方がマシですか? 首飾りの行方とともに死人に口無しで、自分の使命を果たすつもりですか? ですが残念――」
グルゲはそこで言葉を区切り、蔑むようにサーシャを見下ろす。
「?」
「あなたが吐かないのなら――」
赤い鎧の司祭は身を翻すと、死体の一角に剣を突き刺した。
「新たな死体の山を築き、この鎧に更なる血を吸わせるまでですよ!」
「――ッ!」
死体から血がほとばしり、サーシャが驚きに目を剥く。
脈もなき死者から流れ出たはずのその血は、
「ははっ!」
高笑いを上げる司祭の赤い鎧に、吸い込まれるように噴き出した。
「――ッ!」
カズサはとっさに振り返れない。
万事休すか――
本能的にそう悟りながら、それでもカズサが剣を振り上げると、
「何をぼさっとしてやがる!」
馬で駆けつけた一人の兵士が、その敵を脇から突き刺した。
「ラーグラ!」
「また、貸しだぜ! カズサ!」
敵に最後の一捻りを入れながら、ラーグラが叫ぶ。
「分かってるって!」
カズサは前に振り向き直る。息つく暇もなく新たな敵が、カズサの頭上めがけて剣を振り下ろしていた。
「く……」
カズサがとっさにその攻撃を、己の剣で受け止める。火花散るつばぜり合いが始まり、ラーグラがその脇から剣を横なぎにふるった。
敵がカズサとのつばぜり合いを押し退けるように解き、ラーグラの攻撃を身を捩って避ける。
そして――
「すまん! 遅れた!」
そしてその言葉とともに、敵はガーゴに後ろから首筋を切られた。
敵は声を上げることもできずに、それでも血が吹き出る首筋を押さえながら馬上より落ちていく。その兵士は地に落ち、二、三度もがくように足を動かすと、そのまま動かなくなった。
「カズサ! ラーグラ! 無事か?」
「おうよ。カズサは危なかったがな」
「うるさいぞ、ラーグラ!」
カズサは毒づきながらも幌に目をやり、
「ミユリ。危ないぞ。奥にいろ」
ミユリの無事を確かめると、頭を出そうとしている妹を叱りつけた。
「どうする?」
ガーゴは周りを見回しながら、二人に問いかける。幌を守るのは、カズサとラーグラそしてガーゴだけだ。
馬車の手綱を握る新兵は、怯えながら剣を闇雲に振り回していた。見るからに怯えている。頼りになりそうにない。
倒せた敵は、カズサ達が相手をした二名だけのようだ。残り五名程が、味方を圧倒していた。
「突っ切るしかねえか?」
そのラーグラの問いに、
「いや、敵は騎馬が本職のようだ。林に逃げ込もう」
カズサは背後の林に振り返った。街道と川を隔てるように、立木が並んだ林がある。広くはない、身を隠してくれる程の鬱蒼さはない。
それでもカズサは、
「林で迎え撃つ!」
そう決心し、幌つきの馬車に馬を寄せた。