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戦争と平和6

「強情ですな」

 男は含み笑いとともに、目の前の二十前後の女性に面を向けた。

 男は全身赤の鎧で身を固めている。

 その赤い鎧は、まるで返り血で染めたかのようだ。赤いだけでなく禍々しい。

「……」

 女性は気丈にも睨み返す。亜麻色の髪が揺れた。カズサの姉サーシャだ。

 サーシャの目の前には多数の死体が並べられていた。皆この城を、そして彼女を守って死んだ者達だ。

 カズサを控え室で受け止め叱りつけた年かさの兵の顔もあった。カズサを叱責したその口は、もちろんもうぴくりとも動かない。

 サーシャは腕を体ごと後ろ手に縛られている。足も枷をはめられていた。自由に動かせるのは首から上だけのようだ。配慮もなく転がされ服が泥に汚れていた。

 それでもサーシャは悲鳴一つ上げようとしない。

「一言ぐらい発したらどうですか?」

「……」

 味方の兵の死体をわざと積み上げられた謁見の間で、サーシャは己の命の危険を感じながらも我を張り通そうとする。

「導きの巫女などと…… 只のシャーマン風情が大口を叩くからこのざまですよ。サーシャさんでしたかな……」

 男は死体の一角を、手に持った剣で突き崩した。

「死者を冒涜するのは、お止めなさい」

 サーシャは喉の乾きを自覚しながら、それでも滑らかにしゃべろうと唾を溜めて口を開く。

「やっと口を開いたと思ったら…… お説教ですか? 異教の巫女の分際で……」

「あなたも宗教者なら、死者に対して――」

「はっ!」

 男が鼻で笑うと、死体の一つが炎に包まれた。

「なっ!」

「死者ですと? 死者というのは、人間が死んだ場合に呼ばれるもの――」

「何を!」

「これらを死者と呼ぶのは、我らと同じ神を信じない者を、人間だと認めること! 到底納得できませんな!」

 男はそう言うと高らかに笑った。

「おのれ……」

「あなた方とて、家畜のように命を無駄に散らしていたではありませんか? 死んでから人間扱いして欲しいなど、虫がよすぎます」

「黙れ! 彼らは誇りと信仰心を胸に戦った! 愚弄は許さん!」

「誇り! 信仰心! はは! 異教徒が笑わせる! だったらその異教の神の力で、この状況をどうにかなさったらどうですか? 異教徒のシャーマンさん!」

 男は炎を背に、兜の隙間から歪んだ笑みを見せつける。

「く……」

 サーシャは悔しげに歯ぎしりをするが、唸ることしかできなかった。



 カズサは馬に乗り換え、隊列の先頭に向かった。すれ違う兵は皆意気消沈している。

 ラーグラともすれ違ったが、

「ケッ!」

「ハン!」

 バツが悪そうに互いに目をそらしてしまった。

 総勢二十名程の隊列は、左手に丘を、右手に林を見ながら街道を進む。林の向こうは川のようだ。かなりの急流なのか、水の流れる音が馬上からでもよく聞こえた。

 首都のある街へ、これから二晩は夜通しで、この道を歩き続けることになるだろう。敗走という現実と、これからの行程に、皆その重い足を引きずっていた。

「お兄ちゃん」

「ミユリ…… 無事だったか……」

「うん……」

 先頭のやや後ろを走っていた唯一の幌つきの馬車に、十を少し過ぎたぐらいの歳の少女がいた。

 幌つきの馬車は前後左右を馬で固められている。この幌つきの馬車を、そして中の少女を警護しているようだ。

 少女は亜麻色の髪を左右にお下げに束ねていた。生地自体は質素だが、赤や青で染められた祭礼的な文様を施したワンピースを着ている。

 そしてやや装飾過多にも見える首飾りを幾本かその首にぶら下げていた。見るからに重そうだ。そう、その首飾りは少女には大きすぎる。少女のものというよりは誰かのものを預かっているように見える。

「お姉ちゃんは?」

「無事だ。心配するな」

 カズサはガーゴに聞いた内容を、己も信じようとしてか力強く繰り返す。必要以上に強く馬にひと蹴りを入れて、更にミユリと呼んだ少女に近づく。

「カズサ!」

 ガーゴが同じく馬を駆って近づいてきた。

「ガーゴ兄ちゃん!」

「ガーゴ! どうした?」

「カズサ。そこにいろ。ミユリ様を守れ」

「なっ……」

 ただならぬガーゴの様子に、カズサが息を呑む。

「敵の姿が見えた。教会の騎士団だ。間違いない」

「そんな……」

 幌の中でミユリが身を強ばらせた。

「どこだ?」

「あの小高い丘の向こうだ。斥候らしき人影が見えた。オレは先頭の隊長に伝えてくる」

 そう言ってガーゴは馬を前に駆けさせる。

 駆けるガーゴの後ろ姿を見ながら、カズサは街道の脇に続く丘の向こうを見やる。そしてそこに騎兵の姿を見つけて、

「そんな時間はなさそうだな……」

 カズサは腰にぶら下げていた両手剣の鞘を持ち上げた。

 敵は早駆けの利く騎馬だけのようだ。足止めでもするつもりか、その数騎の騎馬で隊列の前に回り込んだ。

 そしてそれだけで、新兵しかいないこの隊列は崩れた。

「おい! 幌を守れ!」

 カズサは馬を敵に向けながら、手綱を捌いて剣を構える。

 味方は浮き足立っている。惨めな敗走の記憶がそうさせるのか、自分達より圧倒的に数の少ない敵に対して怯え切っていた。皆腰が退けている。

 敵騎馬隊はその数の不利をものともせずに先頭から突っ込んできた。

 隊長とその横に並んでいたガーゴが、敵を迎え撃たんと身構えるのが、遠目にもカズサに分かった。

 だが――

「ガーゴ! 隊長!」

 そう、だがガーゴが先ず弾き飛ばされ、続いて隊長が背後から斬られるのが目に飛び込んでくる。

「ガーゴ兄ちゃん!」

 カズサの言葉に驚いて、ミユリが思わず幌から身を乗り出す。

「ミユリ! 引っ込んでろ! ガーゴなら大丈夫だ!」

 実際一度は弾き飛ばされたガーゴは、馬上から落ちるのを辛うじて堪えていた。しかしその隙に敵全員が先頭を突破し、隊長はその騎馬の蹄の下敷きになっていた。

「く……」

 遠目に見える強引に逆方向に折れ曲がる手足に、隊長の骨の砕ける音を耳元で聞いたような錯覚をカズサは覚える。思わず我が身に置き換え悪寒が走った。カズサは首を振って己を奮い立たせてると、剣を構え直す。

 敵は列をなしてこの幌に向かってくる。

 心臓を直接叩いているかのような、その鈍い蹄の音にカズサの心臓はかき乱される。その緊張を紛らわそうとしてか、カズサは上唇を舐めて相手を睨みつけた。味方が各々に剣を振り上げて、その侵入を阻止しようとしていた。

「お兄ちゃん!」

 馬の足音に怯えたのか、ミユリが幌を掴みながらもう一度顔を出した。

「引っ込んでろって!」

 カズサは馬を反転させ、ミユリの頭に手を伸ばした。そのまま強引に幌の中に押し込む。

 その背後に馬の気配が迫りくる。

「この…… 早い……」

 カズサは思わず唸る。ミユリを幌に押し込む為に馬ごと敵に背を向けていた。もちろんまだ大丈夫だと踏んでのことだが、それは甘かったようだ。

「もらった!」

 先頭の敵はその駆ける勢いのままに、カズサに剣を突き出してきた。

 幌の周りを固めた他の兵は、抵抗らしい抵抗を見せないまま蹴散らされていく。幌の前にいた味方も似たようなものだったのだろう。ろくに時間も稼げないのだ。

「異教徒め!」

 敵兵の憎悪を込めた気合いが、

「――ッ!」

 振り向き切れないカズサの背後で、剣ととともに打ちつけられた。

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