戦争と平和3
「いたたた……」
マヒルは背中を蹴られ、打ちつけた膝を押さえながら立ち上がった。膝頭に血がにじんでいた。体育館の裏。雑草が所々に顔を出すアスファルトで、膝を擦りむいたようだ。
「何するんですか!」
マヒルは転んでも手放さなかった、分厚い本を手に立ち上がる。むしろをマヒルはその本を守ったようだ。膝頭と同じく、本を持つ右手の甲も少々擦りむいていた。
「何? 何かしたか? 何かあったか?」
拓也はわざとらしく、蹴りつけた足をぶらぶらとさせながら応える。
「これは、刑法第二百四条――傷害ですよ!」
「はぁ? マヒルちゃん、何?」
「『人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する』――怪我してるんですよ! 立派な傷害罪です! サワラギ先輩!」
わざとらしく耳に手を当てる拓也に、マヒルは声を荒らげて抗議する。
「何言ってんだよ。俺何もしてないぜ。なっ!」
拓也が呼びかけると、仲間の男子達が笑い転げるかのように身を捩って応える。
「そうよ。勝手に転んだんじゃないの? ねっ、和人」
「ちげーねー」
和人と呼ばれた男子は、わざとらしく語尾を伸ばしながら応え、
「ははっ!」
もう一人の生徒も笑う。
「なっ! 何言ってるんですか! 川辺くん! 見てたよね?」
マヒルは怯えて視線を外している明俊に、それでも見ていたはずだと声をかける。
「……」
だが明俊は答えない。
「マヒルちゃん。しつこいよ。うざいよ。しらけるよ」
拓也はやはりバカにするかのように目だけ笑って、マヒルに上半身を屈めてみせる。
ちょうど太陽の光を背にした拓也は、目だけが光っていてその白々しい表情を一段と露にしていた。
「俺らノリでやってんのよ。ヒエラルヒーての? ちょいっと、下の人間いじってさ――」
「なっ?」
「俺らの為に、仲間内で楽しんでんのよ。別にコイツに特別恨みとか、ある訳じゃないし」
「だったら……」
「そうだよ。だったら別に問題ないじゃん。恨みとかでやってんのなら、深刻になっちゃうけどさ、ノリだから軽くで済んじゃうだろ? そっちの方がいいじゃん。普通に考えようぜ、マヒルちゃん」
「何を言ってるんですか! 人間には基本的人――」
「ああ! だ・か・ら! そういうのが、し・ら・け・る! って言ってんだよ! ホント、しらけた! 帰ろうぜ!」
拓也はマヒルに皆まで言わせずに吐き捨てるようにそう言うと、そのまま本当に唾を吐いて背を向けた。
「はいはい。楽しい時間は終わりね。いきましょ」
治樹が拓也にそう応えてマヒルの横をすり抜けると、残りの男子も歩き出す。
「明俊! テメーもくんだろ?」
「う…… うん……」
明俊は視線を合わせまいとする為か、肩を縮こまらせて首を捻りながらマヒルの横を抜ける。
「川辺くん! ダメよ。ちゃんと正しいことを言わないと! これが法廷で宣誓していたら、刑法第百六十九条の偽証罪になるのよ。『法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは――』」
「うるさい! しらけるから止めろ!」
最後を歩いていた男子が、明俊のお尻を蹴り上げる。
「痛ッ!」
「ちょっと!」
「ふざけて遊んでいるだけだよな? なぁ、明俊?」
明俊のお尻を蹴り上げた男子は、アゴをその肩に乗せて話しかける。
「う、うん……」
「川辺くんってば! それでいいの?」
マヒルは右手に持った本を握りしめる。自身の汗で本のカバーが湿り出しているのが分かった。そして自分がこの状況を恐れているのも分かる。
「マヒルちゃん! 法律法律って、うるさいよ!」
拓也は苛立たしげに振り返る。
「な…… 法律違反は……」
「法律? 違反? 何が? どこが?」
拓也はそう言ってふざけたように耳に手を当てる。そして近づいてくる明俊のお腹に、
「だったら守ってみせろよ! 法律ってやつでさ!」
力一杯つま先を蹴り入れた。