異邦人16
「ガーゴさん。本当に男の人にモテるんですね」
時折後ろを振り返るガーゴに、マヒルが意地悪げに訊いた。
四人は街を抜けようと道を急いでいる。そしてガーゴは治樹が追いかけてきやしないかと、先程から何度も振り返っていた。
マヒルもカズサもミユリも、状況も忘れて不謹慎に笑ってしまう。
「いや、そんな訳では……」
治樹の店を後にしたマヒル達四人は、大きな街道を駆け足で急ぐ。
ガーゴはしきりに頬をこすっている。痕はついてないが治樹に熱烈に吸いつかれた感覚が、何時までもその頬に残っていた。そして絡みつかれた足の感覚も、まだ己の足に残っている。
ガーゴは時折その感覚を思い出し、派手に身震いをしながら道を急いだ。
治樹は店の主人について、街道の向こうにある別の国の街に逃げ込むと言っていた。
街は急に慌ただしくなっていた。
マヒルの足でも一日で抜けれたような山を隔てて、その向こうに敵兵が近づいている。隊列を組む軍隊といえど、そう時間はかからないだろう。皆が先を急いでいた。
「私達はどうするの?」
「中央の城に向かう。敵襲やら犬やらで遠回りしちまったが、そこが一番安全だ。もう一日半以上かかるがな。逃げ切れるだろう」
「ふうん」
「マヒルはどうするか、それまでに決めておいてくれ」
「えっ?」
マヒルは突然の話に、目を白黒させる。
「マヒル殿。マヒル殿の力はありがたい。だがやはり、あなたはこの国の民ではありません」
「ガーゴさん…… 帰れって…… こと……」
「それを決めておけってことだ。勝手に呼び出しておいて、こんな言い方はすまない。だが、その法律書さえ置いていってくれれば、他の連中は幾らでもごまかすさ」
「でも……」
マヒルは駆けながらもうつむく。
「サーシャ姉ぇのことか? 生きてるって! 絶対助け出すって!」
カズサがムキになったように声を張り上げ、
「……」
ミユリが一瞬暗い顔をした。
「それは…… 信じてるけど……」
「何だよ。それとも、何か? そんなに惜しいのか? その法律書?」
「なっ! そんなこと言ってないじゃない!」
マヒルが見当違いな指摘に真っ赤にして顔を上げると、
「おい!」
後ろから不意に声をかけられた。
「えっ!」
誰よりも驚いたのは、その声に聞き覚えのあるマヒルだった。
「リクホウだよな? リクホウマヒル!」
「あなた…… 確か……」
マヒルは驚いて立ち止まり、振り返った。見覚えのある顔だ。その人物はマヒルの高校の制服を着ていた。間違いようがない。マヒルの旧知の男子生徒だ。
その生徒は慌てたように、マヒルに向かって街道を走ってくる。
「知り合いか? 大丈夫か?」
「ええ。知ってる顔。大丈夫よ、カズサ。ガーゴさんも」
警戒するのが習慣づいているのか、刀と剣にそれぞれ手をやるカズサとガーゴ。マヒルはそのカズサ達の前に手を出して、二人に得物を引っ込めさせようとした。
「やっぱり…… きてたんだ……」
マヒルは自分が巻き込んでしまったであろう新たな人物を、複雑な表情で迎えた。
息せき切って近づく人物に、マヒルは自分の名前を告げる。
「六法です! 六法全晝です! えっと……」
だが相手の名前が分からずに言い淀む。拓也達と一緒に、明俊をいびっていた生徒の一人のはずだ。名前は聞いた覚えがない。
「本田だ。本田尚久!」
「ハルキ先輩が、ナオって呼んでいた人ですね?」
マヒルは目の前で立ち止まった懐かしい顔に、それまでのいきさつを忘れて嬉しげに話しかける。
「ああ、そうだ。治樹もこっちにきてるのか?」
尚久と名乗った生徒は、肩で息を切らしてマヒルに答えた。
「ええ、この街のお店で働いてました。今から避難するそうです」
どんなお店だったかは、マヒルは自分からは言い出せなかった。
「そうか。俺はこっちにきてすぐ川に落ちて…… 気がついたら助けられてた。だからよ、よく状況が分かってないんだが……」
「そうですか……」
マヒルは申し訳なさそうにうつむく。この尚久も自分のせいではないとはいえ、マヒルが巻き込んでしまったことになるのだろう。そう思うと、まともに目が見れなかった。
「どうなってるんだ? 帰れんのか俺達?」
「帰れるそうです…… その……」
マヒルは言いにくそうにカズサを見る。聞いた話ではサーシャは捕まっている可能性が高い。もしかすると死んでいてもおかしくはない。
カズサは先程そのことでムキになっていた。ミユリも暗い顔をしていた。蒸し返していいのかマヒルには分からない。
「そうか…… じゃ、分かってることを、お互いに交換しないか?」
「それはいいですけど…… 今ですか?」
「ああ、だけど逃げながらじゃなんだし…… ここでもな…… そうだ。そこに大きな廃屋があるんだ。そこで話そう」
尚久が首を振って、自分がきた方を振り返る。確かに人気のない廃屋らしき小屋が一軒、尚久の視界の向こうに建っていた。
「えっ? そうですね…… でも……」
マヒルはカズサとガーゴを見る。尚久の話は聞きたい。だが今は敵から逃げている身だ。
「時間か? 仕方がない。手早く済ましてくれ」
カズサが皆を代表して応える。
「決まりだな。こっちだ」
尚久が率先して廃屋に向かった。窓が割れ、ドアが辛うじてついているような小屋だった。
カズサとガーゴが先に入り、中身のなくなった倉庫と思しき小屋を見回す。
出入り口はドア一つのようだ。だが奥と側壁にそれぞれ窓がある。いざとなれば、五人ともそこから逃げられるだろう。カズサはそう判断した。
カズサがガーゴにうなづき、そのガーゴが外の三人に手招きした。
危険がないと分かるとマヒルとミユリが続き、尚久が周囲を警戒しながら中に入ってドアを閉めた。
小屋はやはり倉庫のようだった。テーブルのような生活用具はまるでない。
ただし、最近は使われていないようだ。小麦を入れていたと思しき麻袋が二、三落ちている。その他は木箱があるだけだ。床はしばらく誰も入ってすらいないのか、うっすらとホコリが溜まっていた。
その広さと相まって、マヒルは机も何もない学校の空き教室を思い出していた。
「ホンダ先輩、帰れますよ。サーシャさんって人を、見つけないといけませんけど」
帰るべき先の一つ――高校の教室を思い出しながら、先ずは尚久が喜びそうなことをマヒルは口にする。
「そうか…… サーシャ…… さんね……」
尚久は落ち着きがないように、ちらちらと後ろを振り返った。尚久は最後に入ってきて、そのままドアのところに立っていた。
「ホンダ先輩も、やっぱりあの時にきたんですよね?」
「ああ、光に呑み込まれたと思ったら、川に落ちてね。俺は鎧の連中に助けられて…… 川から這い出した」
「鎧の連中?」
カズサがその単語に反応する。カズサが知っている鎧の一団なら、そうやすやすと異界の人間を逃したりはしないだろう。何かがおかしい。カズサは本能的に刀を握った。
物音がしてカズサが横を向くと、同じくガーゴが剣を握っていた。
二人の勘は悪い方向で一致したようだ。
「教会の騎士団とか言ってたが、根掘り葉掘り聞かれた。全く何を言っているのか分からなかったが……」
「でもよく解放されましたね」
マヒルは特に不審に感じず、素直に感心する。
「ああ……」
尚久の後ろでドアが勢いよく開かれ、その向こうから鎧の一群が雪崩れ込んできた。
「協力するって言ったら――」
「――ッ!」
マヒル達が驚きに目を剥く。
騎士は三人だった。あっという間に横に並び、唯一の出入り口であるドアを塞ぐ。
「見逃してくれるってさ」
尚久は騎士達の後ろにスッと隠れた。