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異邦人15

「そうよ。おひさ」

 先程までお客を虜にしていた美人ダンサーは、見知った顔でマヒルに手を振った。

「馴染んでますね」

「馴染んでるわよ」

 客の視線を独り占めにしていたダンサー――治樹は陽気に応える。艶やかなドレスに似合う、目鼻立ちをくっきりとさせる派手な化粧をしていた。

 そして優雅な腰つきのくねりをマヒルに見せつけながら、入り口に近づいてくる。店の方々で、その治樹の仕草に合わせて喚声が上がった。

「こっち。戸籍とかないし、逞しい男多いし。モテモテだし。パラダイスね」

「モテるんですか?」

 マヒルは恐々と入り口のドアをくぐった。ミユリを背中に隠すように、一歩だけ店の中に入る。

「モテモテよ。このお店に二日前に拾われて、今や押しも押されぬナンバーワンよ、マヒルちゃん」

 治樹の『ナンバーワン』と言う言葉とともに、またもや店内から喚声が上がる。野卑で下世話な喚声だが、治樹はその喚声を恍惚の笑みで迎えた。

「えっと…… ハルキ先輩……」

「その名で呼ばないで。井川いがわ治樹は死んだの。ううん、生まれ変わったの。そう、ここではアケミって呼ばれているわ」

 マヒルが店の中までは入ってこないと見るや、治樹は手を差し出す。

「えっ? もっとこっちっぽい名前にしないんですか?」

「いいじゃない。エキゾチックっての? この方がウケがいいのよね。このお店で」

「そうですか……」

「そんなことより、やっぱり皆、この世界に飛ばされてきてるの?」

 治樹は入り口近くの空いていた席に、マヒルの手を引いて座らせる。マヒルとミユリは治樹に促されるままにその席に座った。

「えっ?」

「私は光に呑み込まれた後、すぐに川に落ちたわ。とっさにタッちゃんの姿が、見えたような気はしたけど……」

「サワラギ先輩はいました…… でも今は……」

 マヒルはテーブルに視線を落とす。

「そう、行方知れず? それとも死んじゃった?」

「いえ、そうじゃないんです……」

 マヒルは慌てて顔を上げる。軽々しく『死』などと言わないで欲しかった。

 だが思った以上に治樹は真剣な顔をしていた。治樹なりにこの世界で『死』に直面したのかもしれない。冗談や場を和ませる為に言った訳ではないようだ。

「そ、まあいいわ。生きてんのならそれで。タッちゃんにマヒルちゃんに私――後、可能性があるのは、和人になおか…… あっでも和人は、必死で街灯にしがみついてたわ…… きてないかも……」

「川辺くんもです……」

「あの子? あの子がここにきても、三日と生きてはいないんじゃない?」

「そんな…… でも大丈夫です。多分きてないです……」

 明俊も街灯にしがみついていた。マヒルはその光景を思い出す。

 手を伸ばして助けを求めたが、振り払われてしまった。

「刑法第三十七条――緊急避難……」

 マヒルはその言葉を思い浮かべ、仕方がなかったのだと己に言い聞かせる。

「何? マヒルちゃん?」

「いえ。何でもないです」

 ――『自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避ける為、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる』

 マヒルは刑法の条文を心の中で読み上げ、己の平静を保とうとする。

 マヒルの手を振り払わなければ、明俊も一緒に光に呑まれていたはずだ。明俊の判断は正しい。法もそう判断するはずだ。マヒルは理性でそう思おうとした。

「マヒル」

 そこへカズサが席に帰ってきた。

「あら。いい男ね。マヒルちゃんの? 隅に置けないわね?」

「なっ! 違います!」

 一度は取り戻しかけた平常心を、マヒルはあっさりと失った。


「何だ? 知り合いか? マヒル?」

 カズサがカウンターから戻ってきた。そして先程まで情熱的に踊っていたダンサーが、マヒルに親しげに話していることに気がついた。

「あら、いい男! 兵士さん? 軍人さんよね? でも何かこっちの人と、雰囲気が違うわ」

「お爺さんが、日本人らしいです」

「へぇ…… 何? 私らの先輩の子孫ってこと?」

 治樹は媚を含んだ流し目で、カズサを見つめる。

「何だ…… 男?」

「あら残念ね。男は嫌い? 仕方がないわ。好みだけど、マヒルちゃんに譲るわ」

「ええっ! 譲っていらないです!」

「おい。いきなり何の話で、何で俺は邪険に扱われてるんだ?」

「お兄さんは、モテモテってことよ」

 治樹はイスから立ち上がると、親しげにカズサの背中に回ってしまう。

「お、おい……」

「いい背中。やっぱり譲るのはもったいないかしら?」

 そしてやおら肩から腕を回すと、吐息を吹きかけるように耳元で囁いた。

「なっ!」

「ななな…… 何を言ってるんですか? ハルキ先輩!」 

 思わず頬を染めるカズサ以上に、マヒルが真っ赤になる。

「まっ、いいか。真っ赤なマヒルちゃんに免じて、潔く身を退いてあげるわ」

「別に…… 退いて下さらなくって、結構です。差し上げます」

 マヒルはプイッと横を向く。

「おい…… 人を物みたいに――」

「ところでお兄さん。お近づきのしるしにいいこと教えてあげる。マヒルちゃんはああ見えて、押しに弱いタイプと私は見たわ」

「何と……」

 カズサが突然のアドバイスに息を呑む。

「ちょ、ちょっと……」

「二人きりになったら、多少強引でも唇を奪ってあげなさい」

「むむ…… それで……」

「ななな、何、真剣に聞いてんのよ! ミユリちゃんもいるのよ!」

「お兄ちゃん! 聞いておいた方がいいよ!」

「ミユリちゃんまで!」

「おう!」

「コラッ! カズサ! 本気にすんな!」

「あはは。で、うちのお店に何の用だったの?」

 治樹はカズサのやってきた方を見る。カウンターはやにわに慌ただしくなっていた。明らかにカズサの来訪が原因のようだ。

「ああ、この街の人に伝えて欲しくってね。敵が近い。皆逃げた方がいい」

「敵? 攻められてるって聞いてたけど、もう近くまできてるの? お客さんと、避難の前の最後の宴会してたのに…… ここもすぐにやられちゃうの?」

 治樹は辺りを見回した。昼から酒を飲んでいたような連中が、潮が退くように店を出ていく。

「ああ、山向こうまできてる。お姉――いや、あんたも、逃げる準備をした方がいいぜ」

「えぇ! アケミ怖い! やっぱお兄さんに、守ってもらおうかしら!」

 治樹はそう叫ぶと、カズサの首にしがみついた。

「な! おい!」

「ちょっと、ハルキ先輩!」

 引きはがそうとするカズサに、真っ赤になっているマヒル。その様子を楽しそうに見ているミユリの横で、ヌッと人影が現れた。

「カズサ。首尾は?」

 ガーゴが入り口から顔を出し、

「まっ! こっちもいい男!」

「グワッ!」

 治樹はカズサを突き飛ばし、一瞬でガーゴの首に乗り換えた。

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