異邦人13
「敵? どこに!」
マヒルは俄に聞こえ出した廊下の足音に耳をそばだてる。だがとっさに見た窓の外は、まだ敵の気配や影のようなものは感じられなかった。
先程カズサ達が忍び込んだ裏庭と、その向こうに続く町並みが見える。最初に訪れた時と陽の傾き以外は何も変わらない。
そう、日が落ちかけていること以外は、変化らしいものは何もない。戦争や、敵が近づいているなど、俄には信じられなかった。
だが敵がいると知らされてから見た夕日は、どこかその後に続く夜を思い起こさせた。マヒルは急速に暗くなっていくような気がして、その夕日を不安げに見つめた。
「斥候部隊が発見した。敵は今、隊列を整えているところだそうだ」
「カズサ……」
ガーゴがドアから顔を出す。こちらも緊張した面持ちだ。事態は切迫しているのだろう。こちら以上に、敵の数が多いのかもしれない。
「ガーゴ、待ってろ今いく! マヒル、ミユリ、お前らは着替えを済ませて、逃げられる用意をしておけ!」
カズサはマヒルとミユリにそう告げると、ドアに向かって駆け出す。
その背中を見た瞬間――
「待って……」
思わずマヒルはカズサの手を掴んでしまった。その無意識の行動に、マヒルは自分でも内心驚く。
「何だよ?」
「えっ…… いえ、その…… 戦いに、いくの……」
マヒルは視線を外して、カズサの手を更に力強く握りしめる。
「マヒルお姉ちゃん……」
「マヒル……」
カズサはそのマヒルの力強い手に、戸惑いの声を上げる。『戦うな』『殺すな』と言われるのかと思ったが、マヒルは引き止めたきり口を開かない。
「マヒル殿…… オレらはマヒル殿とミユリ様を連れて、裏から逃げるように言われています」
「ホント?」
ガーゴの言葉に、マヒルは弾かれたように顔を上げる。
「ああ、だがひとまずは、お前らが準備するまで、外を見張らなくちゃならない……」
「分かったわ! すぐ着替えるから!」
マヒルはカズサの手を離すと、そのカズサを押し退けて部屋を出ていこうとする。
「おい。自分達だけ助かる形になるんだ。そんなに嬉しそうな顔を――」
部屋を出ていったマヒルに、ドアから体を乗り出してカズサが叱ろうとする。
その背中を――
「誰が助かるのが嬉しいのか、分からないの?」
ミユリが思い切り蹴飛ばした。
日没寸前の夕日を背に受けて、矢が空気を震わせて放たれた。炎と煙をたなびかせながら、矢は放物線を描いて飛ぶ。火矢だ。
敵軍は街を焼いて、そのまま雪崩れ込んでくるつもりだろう。
街の裏側の山へと続く道に連れられながら、マヒルはその炎を遠目に見た。
「刑法第百八条――現住建造物等放火…… 同第百九条――非現住建造物等放火…… 同第百十条――建造物等以外放火…… 延焼に、消火妨害……」
街のあちこちで火が上がっていた。夕日とはまた違う赤みが、町のいたるところで上がっている。
マヒルは法律書を握りしめる。己の無力を思い知らされる。戦争での法律の無力を考えさせられる。逃げることしかできない。
法律の条文がそのまま、魔法の呪文の役割を果たすこの世界。
戦うと覚悟すれば、少しなら力になれるのかもしれない。マヒルはカズサ達の助けに、救国の力とやらでなれるかもしれない。
だがそれは本物の法律の力ではない。マヒルはそうも思う。
「……」
そして一人ではどうにもできない。マヒルはそのことも思い知らされる。
あれだけの炎を前に飛び出しても、マヒルができることなどたかが知れているのだ。
「マヒル……」
うつむき加減で山道を駆けるマヒルに、カズサが心配げに声をかける。
「ゴメン…… ありがとう…… 何でもない……」
マヒルは炎の明かりを背に、山を駆けることしかできなかった。