異邦人12
「ぐ…… おのれ…… その魔導書さえなければ……」
「何? これを狙ってたの?」
マヒルが法律書を上に持ち上げる。そんなことをしてもたいして役には立たないが、カズサの手から逃れさせるように頭上に掲げた。
「そうだ」
「何? 覗きならまだかわいげあるのに、窃盗なの?」
持ち上げられる法律書と一緒に、カズサの視線が上がる。その様子を確かめたマヒルは、呆れたように法律書を下ろした。やはりカズサの視線は、その法律書に合わせて下がる。
「マヒル殿。許してやって――」
ガーゴがベッドから慌てて飛び降りた。
「いや許して欲しい。国を思えばこそ…… その魔導書が我々の手に必要だと思ったのだ」
そのままカズサの隣りに座って頭を下げる。
「ガーゴ……」
「ほら。カズサも頭を下げろ。悪いのはオレらのほうだ」
「ぐ……」
「何よ。謝らないの? 故意――ううん。確信犯って訳ね」
「何だ? カクシンハン? 何のことだ?」
「客観的に見たら犯罪なのに、自分のしていることは正しいって考える人のことよ」
「違うな。犯罪じゃない。俺は正しいことをしようしただけだ」
カズサは真っ直ぐとマヒルを見る。
「そういう自分のしたことを、犯罪とすら思わない人のことを、確信犯って言うのよ」
「お兄ちゃん……」
「ぐ……」
ミユリの避難がましい声に、カズサは僅かに身を捩る。
「ふん。妹の一言で揺らぐような信念、確信犯としては甘いわね」
「何を――」
反論しかけたカズサの前に、マヒルがその顔を近づける。マヒルは上半身を傾けて、カズサの顔を真正面から捉えた。
「……」
マヒルはジッとカズサの目を覗き込む。
「何だよ……」
カズサはすぐに目をそらした。
「よろしい。目をそらしたのはやましい証拠。人のものを盗るのは、本当はダメだと分かっているんでしょ?」
「なっ……」
慌てて視線を戻したカズサに、
「窃盗なんてダメよ……」
マヒルは変わらずその目を向けていた。
「……だったらその法律書とやらで、裁いたらいいだろ?」
バツが悪そうにカズサはもう一度目をそらす。今度は顔ごと脇を向いた。
「こんなに近くにあるのに、力づくでは奪おうとはしないんだもの。気の迷いだったって、信じてあげるわ。法の裁きを食らうのは、もうしばらく後ね。情状酌量で、執行猶予をつけてあげる」
「また分からん単語を」
「許してあげるって言ってんのよ」
「マヒル殿……」
「マヒルお姉ちゃん……」
「けっ……」
カズサは視線を前に戻す。にこやかなマヒルが、そのカズサの顔を迎えていた。
「マヒル様は心が大きいのだ」
「……それは――」
上半身を前に傾けてカズサを覗き込んでいるマヒル。その寝間着の襟元が少々甘くなっていた。そしてそれはカズサの視線のすぐ目の前だった。
「何よ?」
「外側が追いついてから言えってんだ」
そのマヒルの襟元を覗き込み、カズサがニヤッと笑ってから顔を上げた。
「――ッ!」
「まずは入れ物を大きくしからだな――」
「なっ! 食らいなさい――」
マヒルは分厚い法律書を振り上げると、
「キョギとやらは言ってないぞ! 何の法律で、俺を――」
「法の裁き!」
「グハッ!」
その背表紙でカズサの顔面を強打した。
「ふふん」
「マヒルお姉ちゃん、ご機嫌だね」
マヒルに櫛で髪を梳かれながら、こちらも上機嫌にミユリが振り返る。
ミユリは宿舎の部屋でイスに腰かけ、マヒルに髪を任せていた。
外の陽は落ちかけており、鮮やかな赤い夕日が街を染め始めていた。
マヒルの世界で見るよりも、それは鮮やかな赤だった。空気がきれいなせいかもしれない。マヒルはそのことにも機嫌をよくした。
「えっ、そう? 怒ってるわよ、私。あんなこと言われて」
言葉とは裏腹に、マヒルは軽やかに櫛を滑らせる。
ミユリの部屋からカズサとガーゴを追い出すと、二人は時間つぶしに髪を整え出した。
「でもお姉ちゃん。これからどうするの?」
「うぅん…… ミユリちゃんの力には、なってあげたいけど……」
「お兄ちゃんの力には?」
「えっ? あれは殺しても死なないわよ」
マヒルはあははと笑いながら言ったが、
「死にますよ……」
ミユリは真剣そのものの口調で呟いた。
「へ……」
ぽつりと呟いたミユリの一言に、マヒルの手が止まる。
「サーシャお姉ちゃんの恋人も、前の戦争で死んだし…… ラーグラさんも死にました…… お兄ちゃんだけが死なないなんて、ないです……」
「ミユリちゃん……」
「ラーグラさんは強かったんですよ。お兄ちゃんとガーゴ兄ちゃんの三人で、いつもいつも腕を競ってて……」
ミユリはマヒルに振り向かない。
「……」
「お兄ちゃんがバカなことをすると、いつも止めてくれてました。それなのに……」
ミユリはやはり振り向かない。
「……」
マヒルは話し続けるミユリの背中を、黙って見つめることしかできない。
「てへ、ごめんなさい。でもマヒルさん……」
上手く言えなかったのか、ミユリはそこで黙ってしまう。
「そうね…… 確かに人の死ってよく分からないの…… あっちじゃ戦争なんてないし――」
なくはない。ただマヒルの周りにないだけだ。マヒルはそう自覚しつつも後を続ける。
「戦争とか、現実のような気がしないの。ごめんなさい」
ミユリの言いたいことを察したつもりだが、マヒルもやはり上手くは言えなかった。
「いいんです。その方が絶対いいですから!」
ミユリは途端に明るく声を出した。意識して明るく話そうとしたようだ。
「はは。そうよね」
「でも、マヒルお姉ちゃんが、お兄ちゃんを守ってくれたらいいなって……」
「ミユリちゃん。何かと私とカズサを、くっつけようとしていない?」
「別にそんなこと考えてませんよ」
「ふぅん…… そう? でも…… くっついちゃおっかな?」
「えっ? ホントですか?」
ミユリが思わず身ごと振り返る。
「ほら、引っかかった。やっぱり考えてるじゃない」
あははとマヒルとミユリが笑い合うと、
「マヒル!」
その当の本人のカズサが部屋に飛び込んできた。
顔の真ん中が少々赤らんでいる。法律書をぶつけられた跡だ。
「ちょっと! ノックぐらいしなさいよ!」
「悪いがそれどころじゃない!」
カズサはミユリの手をとって立ち上がらせると、鼻の赤い間抜けた顔とは裏腹に、
「敵襲だ!」
緊迫した声で短く告げた。