異邦人11
「マヒル……」
カズサはミユリの部屋で、床に座らされていた。そのまま己の前に仁王立ちする、マヒルを見上げる。
「何よ……」
そのマヒルは片手に法律書を持っていた。胸を張り腰に手を当てているその姿は、どこか誇らしげだ。今まさに法の下に裁きを下さんと、内心の高揚感を押さえるのに必死だった。
「何だこの座り方。足首が痛くて仕方がないんだが」
カズサはマヒルに言われるがままに、膝を折って自身の足首の上にお尻を置いていた。
「それが正座よ。お爺さんに教わらなかった? 日本の居を正す座り方よ」
ギロッとマヒルがカズサを睨みつけた。
その様子にベッドに腰掛け見守っていたガーゴとミユリが、軽く怯えたように肩をすくませた。
「ぐ…… 爺様はアグラってのが好きだったが…… これは…… 痛いだけだ……」
「そう? では今より、起訴状の読み上げに入ります。被告人前へ」
マヒルはこの部屋を裁判所に見立てたように、胸を張ってそう宣言する。
気分はもう最高裁判所大法廷だった。罪状はただの覗きだが、国政規模の判断を下すその司法の場に、マヒルの心は飛んでいた。
いつか私はあの場に立つと、マヒルが固く誓った司法の頂点だ。
マヒルがカズサの顔をあらためて見てみた。何だかスケッチされた絵――法廷画のように、デフォルメされて見えてしまう。
脇に座るミユリは、もちろん情状酌量を貰う為の身内の証言者だ。何なら身内の責任を感じて、本人の更生の為に厳罰を望んでもらっても構わない。
ガーゴは共犯による証人。
マヒルは判事から、検察官、弁護人、意見を求められる法学者。ありとあらゆる法関係者に、己を内心なぞらえる。
マヒルが起訴状を読み上げ、マヒルが弁護し、マヒルが法解釈の意見を求められ、マヒルが判決を下さんと双方の言い分に耳を傾ける。そんな感じだ。
傍聴人とマスコミがいないのだけが、マヒルは少々もの足りなかった。
「前へって、座ってろと言われたんだがな……」
法廷画から普通の顔に戻り、カズサが意見を言う。
「被告人。心証が悪くなるようなことは、慎んだ方がいいですよ」
「ぐ…… 俺が理不尽なことを言われたはずなのに……」
「では始めるわよ」
「てか、待て。座らされるのは、俺だけか?」
「そうよ。ガーゴさんは容疑不十分な上に、社会的制裁をもう十分に受けているので不起訴処分ね」
「はぁ……」
「また訳の分からんことを」
「で、覗きに対する釈明は?」
「覗き? 釈明? 失礼な! 誰がマヒルなんか――」
「『なんか』ですって? 軽犯罪法第一条その二十三!」
マヒルが法律書をめくる。
「ギャン!」
「めちゃくちゃ反応してんじゃない? そんなに見たかったの? わ、私の…… そ、その…… は、はだ――」
「はっ、誰がそんなない胸に――」
「何ですって! 刑法第二百三十三条――信用毀損及び業務妨害罪!」
マヒルが新たなページをめくった。
「こら!」
カズサは更なる魔力に備えて、両手で顔を隠すように慌てて身構える。
「『虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する』!」
だがマヒルの威勢のいい条文の読み上げと、身構えるカズサに相反して、今回は何も起こらなかった。
「あれ? 効かないの?」
「だっ…… ん? 何も起こらないぞ……」
マヒルが驚きに固まり、カズサは恐る恐る顔を上げる。
「――ッ! まさか――」
「『きょぎ』って何? マヒルお姉ちゃん」
ミユリが一番触れて欲しくないところを、まさにその言葉に内心打ちのめされているマヒルに尋ねる。
「きょ、虚偽は、う、嘘ってことよ……」
「嘘? 嘘を裁く法律で、何も起こらないってことは、俺は嘘はついてないってことだよな! なら、無罪だろ! 放免だろ!」
「ちっ! 刑法第二百三十条――名誉毀損!」
「何だよ! まだやる気か? てか、事実だろ!」
抗議に声を上げるカズサを、押し返すかのように、
「うるさい! 『公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する』!」
一段と声を荒らげてページをめくり、マヒルは一気に条文をまくしたて上げた。
「ウギャ!」
「『その事実の有無にかかわらず』! はい、ここ大事ね!」
「どういうこと? マヒルお姉ちゃん?」
「嘘はよくないってことよ、ミユリちゃん」
マヒルは微妙に意味をずらして、ミユリに微笑みかけて説明する。
「嘘…… 嘘だと…… 俺が何時嘘を……」
「刑法第二百三十条――名誉毀損! 『その事実の有無にかかわらず』!」
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!」
一際大きな魔力に打ちつけられ、尾を引いてカズサが悲鳴を上げる。
「マヒル殿。少々やり過ぎでは……」
「そう、ガーゴさん? そうね、侮辱罪――刑法第二百三十一条は勘弁してあげるわ」
マヒルはそう言うと、満足げに法律書を肩に乗せた。