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戦争と平和1

「日本国憲法! 刑法第二百三十六条!」

 昼下がりの高校の体育館裏。

 気だるげな五月の陽光の下に、少女の正義感溢れる声が響き渡った。

「『暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期懲役に処する』!」

 そう。それはこの陽気にそぐわない、緊迫した一言だ。そして普通の学校には似つかわしくない、物騒な文言だ。

「それは法律違反ですよ! 刑法に抵触してます! 止めて下さい、先輩!」

「あぁん!」

 上級生と思しき一人の男子生徒が、苛立たしげにその声に応えた。声の主を睨みつけるように彼は大げさに振り返える。そしてその他の男子生徒数名がその彼に続いた。

 皆、普通の制服姿だ。法律違反はおろか、校則違反すら問えるかどうか怪しい身なりだ。一見しただけなら、誰でも普通の生徒に見えただろう。法律や刑法など縁遠い、普通の学生だ。

 そんな普通の男子生徒に囲まれて、こちらも普通の男子生徒が一人、怯えるようにカバンを抱きしめていた。引っ張られたのか、シャツをズボンからはみ出させている。

 そうこれは、普通の高校の、普通の体育館裏の、普通の日常の光景――恐喝かつあげだ。

「だから。日本国憲法刑法第二百三十六条に違反してるって、言ってるんです」

 確かに法律違反だろう。刑法に抵触するだろう。だかしかしそんな普通の日常に響き渡るにしては、少女が口にする日本国憲法の刑法の条項はいささか場違いだった。

「またおまえか? 新入生!」

 先に応えた男子の目が、やはり苛立たしげに相手に向けられる。彼は自分達のいつもと変わらない日常を邪魔しようとする、一人の女子生徒をねめつけた。

 女子生徒は自分のその声で、己の体に芯でも刺したかのように真っ直ぐ立っている。誰はばかることなくピンと胸を張り、分厚い本を片手に背筋をシャンと伸ばしていた。

 髪はショートカットで、色は地毛の黒。背は高くない。体つきも貧相だ。まさに新入生――中学からの上がりたてといった感じの、姿だけを見ればこちらも普通の女子生徒だ。

 最初にねめつけた男子に続いて、周りを取り巻いていた生徒達が次々と口を開く。

「しらけんだよ、てめぇよ」

「うっせーよ」

「そうよ。私達、お昼休みだから、ちょっと遊んでただけよ? ねっ?」

 『ねっ?』とお姉言葉で呼びかけられて、

「……え……」

 シャツをはみ出させた生徒は、おびえた様子で身をすくめる。

「『暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期懲役に処する』――そう、これは立派な強盗! 犯罪ですよ! 何を言っているんですか!」

 女子生徒は男子達の声を無視するかのように、一息にまくしたてた。その小柄の体に、どれだけの空気が入っていたのかと、周りの者が思わず身をすくめてしまう程の声量だった。

「あのな、マジになんなよ。シャレだろ? シャレ」

「それに、おめーに何のカンケーあんの? これ? ん?」

「てか、あなた誰よ? 何で毎度邪魔しにくんのよ?」

 囲んでいた生徒達が、少女に身ごと向き直る。皆この女子生徒より頭一つ以上大きい。

「私? 私は一年三組――六法全晝りくほうまひるです。そしてその被害者は私のクラスメートの川辺明俊かわべあきとしくんです。その手を、離して下さい」

 少女は人数差にも、体格差にも臆せず答え、男子生徒達に近づく。

 やはり右手に大きな本を持っていた。その手に隠された背表紙から、本のタイトルの一部『六法』が覗き見えた。法律書のようだ。

 その本は猫のシールが貼られたビニールのカバーに入れられている。まだ新しいが、よく読み込まれていると思しき癖のついた分厚い本だ。

「マヒルちゃんね…… マヒルちゃんさ、被害者とか大げさ。これは遊んであげてるだけ。俺達の『アソビ』なの。邪魔しないでくれる?」

「遊び? 何を言ってるんですか!」

「マジになっちゃって、かわいいじゃん」

「タッちゃん、こんなのタイプなの?」

「かわいくね? 正義感空回りちゃんって」

 リーダー格と思しき、『タッちゃん』と呼ばれた男子が前に出る。

「ええっ? 治樹はるきちゃん! ちょっとショックだわ!」

「だはは! 治樹! タッちゃんにそのケはねえよ!」

「はは! こんなちっけー娘に、きょーみ持つのもどうかと思うけどね!」

 周りがはやす間に、タッちゃんと呼ばれた男子はマヒルの前に立つ。小馬鹿にするように肩を怒らせながら身を屈め、毎回自分達の『アソビ』を邪魔する女子生徒を覗き込む。

「マヒルちゃんね。俺、沢良宜拓也さわらぎたくやっての。三年生。上級生なの、分かる? 君より上なの。まぁ、マヒルちゃんになら、タッちゃんて呼ばれてもいいけどね」

「ふざけないで下さい」

「ふざけてないって! そっちこそ、俺達の楽しい時間を、毎度毎度邪魔してくれちゃってるよね、君? マヒルちゃん。俺らの楽しみ奪って、何が嬉しいの? てか、そんな偉そうに、上級生に意見していいの? こういうのこそ、ふざけやがって――とか言うじゃんないの?」

「楽しい? こんなことして楽しいんですか?」

「楽しいさ。強いものが、弱いものを搾取する――」

「なっ!」

「社会勉強だろ? 普通だろ? 世の中の縮図なだけだろ? 何かおかしいか? 世のことわりそのものを、俺らシミュレーションしてるだけじゃん」

「何言ってるんですか。世の中じゃこれは立派な強盗って言うんですよ。刑法第二百三十六条――」

「おっと! 俺ら何かやったか? なあ、明俊?」

「えっ?」

 明俊と呼びかけられて、シャツをはみ出させた男子生徒はビクッと身をすくませた。怯えるように身を縮こまらせていたところに、突然話しかけられて更に身をこわばらせた。

「俺ら遊んでただけだよな?」

「え……」

「何言ってるんですか。私ちゃんとお金をせびっているところを、見てたんですから。ね、川辺くん。ねっ、そうでしょ?」

 川辺くんと呼びかけられ、この男子生徒――川辺明俊は更に小さくなる。

「それを本人に確認しようってんだ! 横から仕切んないでくれる、マヒルちゃんよ! 俺ら別にお金なんてせびってないよな! なぁ、明俊!」

 拓也の声に、周りの男子が皆明俊の方を見る。目だけ笑って、明俊に顔を向ける。

 明俊は手に持つカバンを力の限り抱き締めた。

「そうよね? 強盗だなんて物騒な話、とんだ勘違いよね?」

 治樹と名乗った男子が、馴れ馴れしく明俊の肩に手を回す。

「え…… う、うん……」

 明俊は目をそらしてうなづく。

「ほら、タッちゃん! 明俊いじめられてないって! えん罪よ!」

「だろ?」

「な、何を! 今自分でも搾取とか言ってたじゃないですか!」

「ああっ、知らね! しらけた! 帰ろうぜ!」

 拓也がそう言うと、治樹が明俊を突き飛ばした。

「はーい」

「痛ッ!」

 明俊は体育館の壁に背を打ちつけてしまう。

「ちょっと! そういうのを、刑法第二百四十条――」

 慌てて明俊に駆け寄ろうとしたマヒルの背中を、

「うざいって」

 拓也はそう言って蹴飛ばす。

「キャーッ!」

 マヒルは手もまともに着けない勢いで、前に突っ伏した。


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