異邦人4
「私、帰れるの?」
マヒルは暗い表情で長く続いた沈黙を破る。
「帰れる。と、思う。サーシャ姉ぇ――いや、俺の姉上なら何とかしてくれる」
「ホントッ!」
マヒルは思わず大きな声を上げてしまった。暗い雰囲気が続き、もしかしたら帰れないのではないかと思い始めた矢先だった。
「ああ、俺の爺様も、導きの儀式でやってきた戦士だった。導くのは大変だが、元々あちら側である人間を向こうに戻すのは――元ある場所に戻すのは簡単らしい。その方が自然だからとか言ってたかな?」
「ふぅん」
「だけど爺様は、帰れるのに帰らなかったと聞いている」
「何で?」
マヒルは目を白黒させて聞き返す。少しわざとらしく反応することで、直前までの嫌な雰囲気を吹き飛ばそうとしているようだ。
「俺の婆様と恋に落ちて結婚してね。自分の意志でこっちに残ったてさ」
カズサも努めて明るくそう言う。考えていることは同じようだ。この薄やみの中、暗い話をしていても仕方がない。カズサはそう思い、この話の流れを内心で歓迎した。
「そ、じゃあ私は遠慮なく帰らせてもらうわ」
「何だよ。こっちもいいところだぞ」
カズサはくすっと笑って、焚き火から目を離してマヒルを見上げる。
「火の番をする振りをして、ちらちらスカートの中を覗こうとする人の言うことなんか、信じられません」
マヒルが足を組み替えて、肩にかけていた毛布をミユリと二人の足にかけ直す。
「中なんか見てねえよ」
「ホントに?」
「その手前の太ももを、少々堪能させて――」
調子に乗り出したカズサに、
「刑法第百七十四条。公然わいせつ」
マヒルが楽しげに法律書を開き、もはや馴染み始めた法律の名を読み上げる。
「ギャッ! 冗談だろ!」
「反応してんだもの。本気で言ってたんじゃないの?」
マヒルが意地悪げにカズサを睨む。
「てか、短いんだよ。そのスカート。踊り子さんみたいだぞ」
「向こうじゃ、もっと短い娘は沢山いるわよ。これは短過ぎず、長過ぎずの――ちょうどいいかわいらしさなのよ。分かんない?」
「隠されたから、分からん。もう一度見せてくれよ」
カズサはやられても、もう一度わざと相手を怒らせるようなことを言う。この雰囲気を途切れさせたくないようだ。
「ふん。刑法――」
「冗談だって!」
「あはは!」
そしてやっと取り戻した雰囲気に、二人は素直に笑い合った。
「てか、何で俺達には効いて、あのタクヤっ奴には効かなかったんだ?」
カズサが焚き火をかき混ぜながら、昼間のタクヤの様子を思い出す。
「うーん…… 因果関係が証明されてないからかな……」
「何だって?」
「考えてるだけじゃ、何を思っていても、罪には問えないもの。むしろ思想良心の自由から言えば、人が何を考えようとも、何を信じようとも、それは尊重しないといけないしね。あの水晶は明確な凶器なのかもしれないけど、サワラギ先輩自身は考えてただけだし…… その辺のせいじゃないかな?」
「危ないこと考えてる奴は、しょっぴきゃいいじゃないのか?」
「そういう考え方が、暗い時代を呼んだことがあるのよ。まぁ、警察力と司法権が一緒になったような、今の私が言うことじゃないかもしれないけどね」
「そうか…… 面倒なんだな。よく分からないな。あ、そうだ。これ見てくれ」
カズサは脇に置いていた剣を持ち上げる。焚き火の明かりは変わらないのに、何だがさっきより明るくなったような気がしていた。
この会話の流れを途切れさせまいと、カズサは気になっていたことを切り出す。
「何よ。そう言えば、これって不思議に思ってたのよ。こっちの世界のなの?」
「いや…… これは爺様の形見の品でね……」
「でも、それって――日本刀よね……」
そう、その反った刀身を持った得物は、マヒルから見れば、どこからどう見ても日本刀にしか見ない。
「ん? これか? 『タチ』とか、か――なんとかって、爺様は呼んでた気がするが……」
「タチ…… 『か』? カタナね…… やっぱり、日本刀なんだわ……」
マヒルは目を丸くする。
「マヒル! 何か知ってんのか? これかなり特殊な剣だろ、分からないことばかりでな。爺様は全部教えてくれる前に死んじまうし、手入れは特別だし、結構大変なんだ」
「詳しくは知らないけど。ていうか、お爺さんって、日本人なの?」
「さあ? ヒゼンとか言ってから、違うんじゃないかな?」
「ヒゼン? 肥前は日本の一部よ。でも肥前って…… 何時の時代の人よ?」
「そうか、ふぅん。カタナって言うのか? そう言えば、爺様はそう呼んでいた気がする! よし、その呼び方が気に入った! カタナって呼ぶぞこれから!」
「好きにしなさいよ」
「あと、これ読めるか? その法律書とかいうのに使われている字と、似てると思うんだが」
カズサは柄を器用に外し、持ち手のその中の茎――刀身の柄の部分を曝け出す。
「『肥前國住人源宗安』ね…… これが銘ってやつかな…… やっぱり日本刀なんだわ……」
マヒルはその柄に打たれた銘に、眉を寄せながら見入る。この異界の地で見かけた日本刀。自分がこの地に迷い込んでいるのは不思議でしょうがない。
だがこれが前例だとすると、やはり自分は異界に紛れ込んでしまったのだと思い知らされてしまう。
「読めるのか? やっぱヒゼンなのか? てか、何の呪文だ?」
「読めるわよ。呪文じゃないわ。この法律書と同じ日本語よ、これ。はっきりとした、漢字の読みまでは分からないけど」
「何て書いてあるんだ? 俺には呪文にしか見えないが」
「作った人の名前よ、多分。肥前はやっぱり、あんたのお爺さんの国みたいよ。その肥前って国の、ミナモトノムネヤスさんって人なんじゃないかな?」
マヒルは読みのはっきりとしない文字に、首を傾げながら答える。
「何だ。まじないみたいな名前だな。やっぱり呪文か」
「うるさいわね。こっちじゃ普通の名前よ。少し昔の人みたいだけど……」
「この呪文の意味が分かれば、更なる力を発揮すると見ていたのに……」
カズサは柄を元に戻し、あらためて刀と呼ぶことにした剣を脇に置く。
「そんな都合良くはいかないわよ」
そのマヒルの言葉にビクッと身を震わし、ミユリがぎこちなく薄目を開けた。どうもしばらく前から起きていたらしい。バツの悪そうに、ミユリはマヒルを見上げる。
「どうしたのミユリちゃん?」
「へへ。都合良く二人きりにしたら、都合良くいくかなって……」
「狸寝入りしてたの? ないない――」
「そうだな……」
カズサは置いたばかりの刀を手にとる。
「ちょっと…… そんな真剣に否定するなんて失礼ね」
「二人きりどころか、四人きりにもしてもらえないようだ」
カズサは息を殺して前を見据える。こちらに駆けてくるガーゴの姿を、その闇夜の向こうに捉えた。
ガーゴは松明を持っていない。月明かりだけを頼りに、森を駆け抜けてきている。己の位置を悟らせまいとする為に、どこかで松明を投げ捨ててきたのだろう。
だがやはり松明は見えないが、ガーゴ以外の足音と気配が暗闇の向こうから感じられる。つけられているようだ。
そうと見るや、ミユリが心得たように焚き火に砂をかけ明かりを消した。
「気をつけろ……」
カズサが刀を抜き放ち、
「ちょっと……」
マヒルはただならぬ二人の雰囲気に、息を呑んで法律書を握りしめた。