異邦人2
マヒルは慣れない森に足をとられながら、皆に合わせて何とか前に進んだ。
子供のいたずらで結ばれた下草のように、木の根が湾曲して土から顔を出していた。石はコケに滑り、踏んでしまった木切れは、てこのように立ち上がり逆の足を絡めとろうとする。
地面も平坦な箇所はもちろん一つもなく、一歩一歩足の裏でその形を意識しないと直ぐにマヒルは転びそうになった。
「ねえ、とりあえず、ざっとでいいから説明してくれない――」
敵の気配が感じられない程森の奥へと進み、やっとマヒルは話が長くなりそうことに切り出せた。敵から遠ざかったことは元より、やっと森の歩き方に慣れ、話しながら歩いても大丈夫な気がしたところだった。
共に逃げることに不安を感じなくはない。
だが鎧に身を固めた相手よりは、何かと話しかけてくるカズサ達の方が信用できた。とりあえずカズサ達の話を聞いて、状況を理解したかった。
「何なのよ、これ?」
「俺達の国は今、敵に襲われていてね……」
「特に導きの巫女…… カズサの姉サーシャ様と、この妹のミユリ様が狙われています」
「ふーん。巫女さんなんだ、ミユリちゃん」
「そうだよ。マヒルお姉ちゃん」
「でも、何で? 何で狙われてるの?」
すぐ前を歩きこちらに振り向いてくれたミユリに、マヒルは笑顔を向けながら尋ねる。
「導きの巫女は俺達の国とっては、救国の力を呼び出す大切な存在でね。だけどその副産物の黒水晶が、これが厄介でね」
妹に代わって兄が答えた。
「黒水晶…… サワラギ先輩……」
「マヒル殿。あのサワラギとやらは、何者ですか?」
「えっ? 普通の高校生――学生よ…… ちょっと毎日、いらついていたみたいだけど……」
「そうですか…… あれ程見事に黒水晶を扱うとは…… 余程日頃から、負の感情の扱いに慣れた、一流の魔導士か何かだと……」
ガーゴが深刻な顔をして呟く。本人は至って真面目に、そう考えているようだ。
「ええっ! そんな、あれでも一応普通の人よ。さすがにそこまでは……」
マヒルは自分で否定しようとして言い淀んでしまう。拓也との接点は、それこそ明俊を介してしかない。
明俊ですら、入学早々拓也にたまたまぶつかってしまい、以来からまれている。きっかけはその程度の関係だ。
拓也は確かに日頃から、よくない感情に身を任せていたようにも見えた。だが拓也のことを、よくよく考えてみればマヒルは何も知らない。
「あれって消えた訳じゃないよね? 生きてるわよね?」
「ああ…… 黒水晶で悪いことしてなきゃいいがな」
カズサは立ち塞がる枝を打ち払いながら前に進んでいる。
今一瞬だけ、殊更強く枝を打ち払ったのは、おそらく黒水晶を逃したことに対する苛立ちだろう。その様子はマヒルにも、他の者にもよく分かった。
「で、その救国の力がこの法律書なのね」
マヒルは努めて明るく振る舞おうとしてか、意識して大きく声を出した。黒水晶の話題からそらし、カズサに気を使わせまいと自然と声に力が入ったようだ。
それに話自体がマヒルの日常からかけ離れている。自分を保てるように、声だけは明るくしようとした。
「何? 新しい法律を作るの? それとも法解釈の専門家が必要なの? どうしよう? 一から法律を作る仕事なら、何だかのめり込んでしまいそうよ」
「いや、外敵を退けたいのです。マヒル殿」
「敵? あの甲冑の集団のことよね?」
「ああ、最近力をつけた連中さ。自分達の信じる神以外は、皆邪神だって決めつけてくる」
「何、憲法違反じゃない? 思想・良心の自由に反するわね。日本国憲法第十九条――『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない』って知らないのかしら?」
「すまない、マヒル殿。よく分からない」
「気にしないで、ガーゴさんは真面目ね。それに比べてカズサは……」
「いちいち引き合いに出すなって。俺らに必要なのは、法律書じゃなくて、魔導書なの」
カズサは今度も力強く枝を払う。だが先程と違って、どこか楽しそうだった。
「でもお兄ちゃん、あれはやっぱり魔導書じゃないみたい」
「だがよ……」
カズサは妹の言葉に納得せず、少々焦げた髪を揺らしてマヒルの法律書に振り返る。
「むっ! 刑法第百七十四条! 公然わいせつ!」
マヒルがとっさに法律書を開いた。
「ガッ!」
「ふん。油断も隙もない」
「何すんだよ? 振り返っただけだろ? もう十分乾いてんだろ?」
「目がいやらしいのよ。立派に犯罪だわ」
「こんなにしてやられて、これが魔導書じゃないのか、ミユリ?」
「うん、魔導書そのものじゃないみたい。多分、代わりを果たしているだけだと思うよ」
「ふーん。不思議ね。でも気持ちいいわ。これが法の力よ」
「おのれ……」
「でも、ゴメン…… お兄ちゃん……」
「ま、気にするな」
「何でミユリちゃんが謝るの? 調子に乗らしたらダメよ」
「何だと」
「乙女の敵は、法が裁いてあげるわ」
マヒルはこれ見よがしに、法律書をカズサに見せつける。
「だって、導きの儀式に失敗したし……」
マヒルの元気づけにも、ミユリの気分は晴れないようだ。
「失敗って……」
「あの儀式は、本来救国の――国を救う力を呼び出す魔法なんだが……」
「呼び出したのは、制服着た女の子に、法律書って訳ね……」
「セイフク?」
ミユリが不思議そうに振り返った。
「この服のことよ。学校のお揃いのユニフォーム」
マヒルは三人に制服がよく見えるように、一瞬だけ立ち止まる。
「かわいいね」
「ありがとう、ミユリちゃん。ミユリちゃんのワンピースも可愛いね」
「貴族の屋敷にいるような、女中の着ている服とはまた違うのですか?」
「何? 女中? メイドさんのこと? メイドさんいるの、この世界? まぁ、ユニフォームと言えば同じだと思うけど。てか、いるのね。本物のメイドさんが! 何か、テンション上がってきた!」
「そ――」
「あんたはしゃべんな!」
マヒルは口を開きかけたカズサの後頭部に、手を伸ばして法律書の背表紙を叩きつけた。
「グ…… 何だよ。『そ』しか言ってないぞ!」
「カズサは何となく、余計なことしか言わない気がしてきたわ」
「すごい! マヒルお姉ちゃん、分かってる!」
「その通りです、マヒル殿」
「お前らな……」
四人は森の中を急ぎながらも、互いの不安を打ち消し合うかのように、にぎやかに奥へと進んでいった。