戦争と平和13
拓也は林の下草を燃やす火を見てから、その向こうを見上げた。こちらに襲いかかってきた甲冑の兵士は見えなくなっていた。
「何だよ? さっきから偉そうにしやがって……」
拓也はひとまずは去ったと思しき危機に、内心安堵しながらも相手の態度に噛みついた。
むしろこの血の匂いと、草木が焼ける匂いが、拓也を煽り立てるようだ。
この初めて経験する戦場の雰囲気が、拓也をいつもより更に攻撃的な気分にする。そして火の灯りが、その炎の熱が、拓也の気持ちを増々煽る。
その拓也の足下に、
「ん?」
黒く、それでいて鈍く輝く球体が転がってきた。
「なんだ?」
拓也は足下に転がっていた黒い玉を拾う。
掌にすっぽりと収まる程の大きさだ。手触りはガラスのようでもあり、よく磨かれた石のようでもある。しっとりした質感は、しっくりと手に馴染んだ。
そしてかなり冷たい。それでいながら手そのものが凍えるような気もしない。掌の中の神経を通じて、直接精神を凍えさせているかのようだ。
「それに触るな!」
「何だよ…… えっと…… ブシドーさんよ! 何、勝手に上から命令してんの? てか、もう拾っちゃってるよ!」
カズサと名乗ったのは聞いていたが、相手の態度が気に食わない拓也は、相手の見た目のままにそう呼んだ。
そして見せびらかすように、水晶を上に放り上げては掴んでやった。
「それは黒水晶! 人の感情を、攻撃的な力に変える邪悪なものだ。手を離せ!」
「はぁ?」
「サワラギ先輩、何か物騒ですよ。渡した方が……」
「あん? 何、マヒルちゃん? 後輩なのに、俺に意見すんの?」
拓也が不快げに、眉間にシワを寄せる。
「何言ってるんですか? そんなつもりじゃ!」
「てか、ブシドーさんよ。人にものを頼む態度が、さっきからなってくなくない? それに、感情がどうのって言われても、俺ら分かんないんよ」
「それは導きの儀式の副産物だ。澱と言ってもいい。異世界同士を結ぶ時に、自然と集まってしまう人間の負の感情の結晶だ」
「はぁ? 何そのファンタジーな設定?」
「先輩、とにかく渡した方が……」
「け……」
拓也が渋々その黒い水晶を放り投げようと腕に力を入れると、
「早くしろ!」
「はぁ?」
じれたカズサが声を荒らげ、拓也の動きがピタリと止まる。
水晶に対する認識の差か、カズサは拓也の物わかりの悪さに苛立ち、拓也はそんなカズサに反発を覚える。
「カズサ焦るな。そこのおぬし、確かにそれは――」
ラーグラを肩に担ぎ、戻ってきたガーゴが二人を宥めようとする。
「あぁん!」
そしてカズサの命令口調も、一人冷静なガーゴの物言いも、かえって拓也を苛立たせるようだ。拓也はガーゴの声も無視し、むしろ黒い水晶を力一杯握りしめる。
「そのまま、叩き斬ってやろうか?」
こちらも苛立つカズサは、そう言って見せつけるように剣を振り上げた。
「何だよ! アブねぇだろ!」
「だったら早く手を離せ!」
「はぁ? さっきから何を偉そうに! 俺は、拓也ってちゃんと名前あんのよ! それにあんたより下って決まってる訳でないんよ! うざいから止めてくれる! 命令すんの!」
拓也が片眉を上げてそう言うと、黒い水晶が内から輝き出した。
「タクヤか? 分かった! 分かったからその黒水晶を足下に置け!」
「だ・か・ら! 命令すんなって! ての!」
拓也は苛立ちに声を荒らげる。そしてその言葉に応じるかのように、
「鬱陶しいって!」
拓也の手元で漆黒の闇が爆発した。
「グワッ!」
突如魔力を爆発させた黒い水晶に弾かれて、カズサはその身を後ろに吹き飛ばされた。腰から一本の立木にぶつかってしまう。
「ひゅー…… 何だ、今の?」
拓也は黒い水晶を持ち上げる。
「これの力なの? てか――」
その黒い塊は先程にも増して、内からの輝きが明るくなっているようにも見えた。
「てか…… これって、俺の力?」
黒い水晶は内から、その闇をにじみ出す。まるで黒い霧か、靄のようだ。そしてそれ自身が意識を持っているかのようだ。
「違う。おぬしの悪い感情に反応しているだけだ。悪いことは言わん、その黒水晶を離せ」
ガーゴがラーグラの遺体を肩に、拓也の前に回り込もうとする。
「悪い感情? 反応? 何それ?」
マヒルは突然の現象に驚き、抱え起こしているミユリをより強く抱きしめる。
「難しい話ではない。殺してやりたいとか、相手を吹っ飛ばしてやりたいとか、単純で、それでいて厄介ないくらでも湧いてくる感情だ」
ガーゴはラーグラの体を地面に降ろしながら答える。ガーゴ自身もたった今、その感情に身を任せて敵兵と戦った。
「く…… その水晶はそれらの感情を、簡単に力に変えて暴発させる…… ほら…… 危ないから手を離せ……」
強かに腰を打ちつけたカズサが、その背後の立木に手を着きながら立ち上がる。
「サワラギ先輩…… 渡した方が……」
「あん! 何、マヒルちゃん、やっぱ命令してくれちゃって! 俺の力、嫉妬してんの?」
「なっ…… 何で嫉妬なんか……」
「法律は無力じゃん! こういう力で相手をねじ伏せたら?」
「何を……」
「マヒルちゃんの刑法何とかより、こっちの方が効き目ありそうだしね!」
拓也はそう叫ぶと、黒い水晶を前に突き出した。その中からにじみ出ていた黒い靄が、四人に襲いかかる。
「――ッ!」
マヒルは思わず腕の中の少女をかばおうと、その身を屈めさせた。
一瞬身をすくめて衝撃を待ち構えるが、
「ぐ……」
という、呻き声だけが聞こえただけだった。
「えっ……」
「大丈夫か……」
カズサがとっさに二人の前に回り込み、その身で拓也の攻撃を遮っていた。
「う、うん……」
我が身を省みず二人をかばったカズサに、
「……あ、ありがとう……」
マヒルは赤くなりながら、小さく礼を言うだけで精一杯だった。