戦争と平和11
「何……」
マヒルは飛び出した先で、分厚い胸板に迎えられた。
そして見知らぬ男子の胸に抱きかかえられるや、その膝から力が抜けていった。全身が折り畳まれるように虚脱し、湿気った落ち葉の上に座り込んでしまう。
それからが理解できない。
ここが何処で、今何が起こっているのか理解できない。
まるで中世の戦場だった。甲冑に身を固めた男達が、火の迫る森で武器を振り回している。
そんな非日常的な光景をマヒルはとっさに理解できない。
マヒルを優しく抱きとめた男子は、
「……」
何か言うと両手で剣を持ち直した。緩やかに湾曲する片刃が燃える下草の炎に映えて、妖しい光を放っていた。
男子の足下では十を少し超えたぐらいの少女が、気を失ったように倒れていた。
マヒルは自分が何を叫んでいるのか自分でも分からない。
男子は二言三言、マヒルに何か話しかけてきた。だがマヒルはまともに返事ができない。
特にその手に持った両手持ちの剣が血に光るのを見て、助けを求めるように悲鳴を上げてしまった。
だがこんな時に一番に口を突いて出るのは、やはり己が信じる法律の条文だ。
マヒルは肌身離さず持ち歩き、今も両手でしっかりと握り締めている法律書をとっさにめくった。
表紙の『六法』の文字が、火の灯りに一瞬赤く照り返った。
法律書を開かなくとも、その条文はマヒルの頭に入っている。だが法律書がめくれる音に、法律で埋まるその紙面に、マヒルは力を得るようだ。
目的の法律のページをめくり終えるや、マヒルはその条文を力の限り読み上げた。
「日本国憲法刑法第二百四条――傷害! 『人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する』!」
マヒルの声に皆が雷に打たれたかのように身を一瞬すくませた。
先にマヒルを受け止めた男子も、何か内にダメージを受けたようにこちらを振り向いていた。
「間違いない。魔導書だ……」
その男子はそう呟いた。
「魔導書? 何のこと?」
マヒルはその両手剣の男子と目が合った。
力強い。意思のこもった目だ。
俺が守るから――
最初に抱きとめられた時に、確かこの男子はそう言った。今もその目がその言葉が嘘でないと告げるかのように光っている。
マヒルは大きく息を呑んだ。戦場に居るという緊張とはまた違う何かにマヒルは一瞬身がすくむ。
だが一人の敵兵がその剣士の脇を抜け、マヒルに剣を振り上げた。
マヒルはその光景がやはり信じられない。
こちらも炎の光に映える剣は、どう見てもマヒルの頭を狙っている。そして甲冑の向こうに見える兵士の目は、殺気に血走っていた。
固まってしまっているマヒルの前に、その片手持ちの両刃剣が振り下ろされた。
「キャーッ!」
「この!」
マヒルの前に振り下ろされた剣は、その眼前で火花を散らして止まる。
「大丈夫か?」
片刃の剣の剣士がその敵兵の一撃を受け止めていた。寸でのところでマヒルへの攻撃を止めていた。
「だっ!」
マヒルを約束通り守ったその剣士が、気合いとともに相手を押し戻す。
「えっ? 何? これ? 撮影……」
マヒルは目の前の状況を何とか理解しようとする。
剣をふるう甲冑の一群。実際に血を流して倒れている一部の兵士。興奮が収まらないらしき馬のいななき。
そう、これはまるで――
「どこかの戦場ロケか? 何だこれ!」
マヒルの後ろで聞き慣れた声がした。
「サワラギ先輩!」
「マヒルちゃん! いんのか? どこだ! 治樹は? 他の奴らは!」
驚き振り返ったマヒルは、木々の向こうに半身が隠れた拓也を見つけた。拓也は全身がずぶ濡れで、服と髪から水をしたたらせていた。
「こっちです!」
「おいおいおい。何だよこれ? どこだよここ?」
拓也は辺りを見回しながら、マヒルに倒けつ転びつ近づいてくる。この状況に足下が覚束ないようだ。
「分かりません…… どうなってるんですか?」
「俺だって知るかよ! 俺、光に包まれて、気がついたら川の中よ! 誰か他にも見た気がするが、後は分かんね! とりあえず流れに逆らって、俺だけ何とか這い出した!」
「そんな……」
マヒルのその呟きを、
「はっ!」
両手剣の兵士が一際大きな気合いで打ち破った。兵士は相手の甲冑の首の隙間に剣を振り下ろしていた。
「ちょ……」
「ひゅー……」
その兜の下から勢いよく吹き出す血。その光景にマヒルは息を呑み、拓也は渇いた口笛を鳴らした。
「大丈夫か?」
甲冑の兵士を倒した男が、振り向いたマヒル達に近づいてくる。その後ろで膝から崩れるように、ろくに受け身もとれずに甲冑の兵士が前に倒れ込んだ。
「キャーッ!」
マヒルはその様子に、声の限り悲鳴を上げた。