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魔王:勇者が部屋に来るまでの様子

作者: 晴め
掲載日:2026/07/18


 グロウヴァーレは焦っていた。


 彼は非常に焦っていた。というのも、彼の命はあと1時間、早ければ10分ほどで消えてしまう、風前の灯であったからだ。


「やばい…あぁもう、やばいなぁ」


 無意識に声が漏れた。


 死が目の前に迫っていると分かると、無性に落ち着かなかった。彼は座り心地の良い煌びやかな王座に座っていたが、おもむろに立ち上がり、せわしなく辺りを歩き回った。


 ぐるぐるぐるぐると、大きい楕円を描きながら同じところを歩き続ける。時々立ち止まると、今度は逆向きに楕円をなぞった。

 数分ほど歩きまわった後、グロウヴァーレは再び王座に座り込んだ。王座の柔らかいクッションは、大樹の如く筋骨隆々の肉体を優しく包み込んだが、彼の心は不安に流され常にふよふよと浮いていた。


「ああああ、ほんとまずいなこれ。やばいやばいやばい」


 彼は呪いを呟くように嘆くと、膝を持ち上げてうずくまった。


 焦りは臨界点を超え、もはや後悔と諦めに変状していた。


 ――ついにこの日が来たのか。


 何故、もっと早くから準備しなかった。こうなってしまってからじゃ遅いんだよ。前々から粛々と鍛錬を重ねていれば、こんなにも早くこの日を迎えることはなかったはずだ。あの時、忠臣の進言に耳を傾けていれば。もう少しだけ剣と魔法の練習をしていれば。日頃から早起きして、実力を伸ばす時間に充てられていれば。


 何故我は、この戦禍の中で剣と魔法よりも二度寝を選んでいたのか。馬鹿すぎる。


 後悔の念が後を絶たなかった。反省と自己嫌悪が脳を支配し、絶望感に苛まれる。全身からみるみるうちに血の気が引いていき、めまいがした。


 自分への怒りがふつふつとこみ上げ、濁流となる。グロウヴァーレは激昂した。


「クソッ!クソッ!なんでだよ!あー!うわぁー!!我は死ぬのか!?今日!!」


 彼は立ち上がると、近くにあった荘厳な柱を一本蹴り破った。続けざまに魔の紋章が描かれたタペストリーを引き裂くと、地面に倒れゴロゴロと転がった。


「夢だ!誰か夢だと言ってくれ!我はまだ死にたくないんだぁ!」


 その空虚な叫びに、答えてくれるものはいなかった。辺りは静寂に包まれ、彼自身の荒い呼吸音だけが室内に空しく響いた。


「ふーっ、ふーっ、ふー。…そうだ。落ち着け。落ち着くんだ我。まだ死ぬと決まった訳じゃない。…そうだ。勝てばいいんだ。我があいつらを木っ端微塵に打ち砕き、返り討ちにしてやればいいんだ。そうだ、そうだ…」


 グロウヴァーレは一つの希望を見出すと、目を閉じて脳内戦闘シミュレーションを始めた。


 ――まずあいつらがこの部屋の扉を開ける。聞いていた情報では四人組だ。階下にいる配下たちがナイスファイトしてくれていたら減っているかもしれない。ただ、我の怠惰が感染(うつ)った、配下たちの堕落っぷりを顧みるに、あまり期待しない方が良いだろう。


 なんにせよ対面の瞬間はかなり重要だ。よし落ち着け。まず我が「よくぞここまで来たな、勇者諸君。敵ながらその力量と蛮勇は尊敬に値する。…そこで貴様らに提案だ。今ここで我に下れば、この世界の半分をくれてやろう。悪い話では無いだろう?はははッ(悪役っぽく笑う)。…どうする、勇者よ」と言ってやる。


 ここで奴らが頷くことは、まぁ、まずない。だが問題ない。想定内だ。これは単なる余興で、あちら側も形式的なものと理解しているはず。…もし「貴方の下僕になるので世界の半分ください」と、勇者どもが頭を縦に振るのなら願ってもないことだが。…いや、願ってもないけどキモイな。そんな奴配下に欲しくない。奴らが武器を下ろした隙をついて逃げるか。


 さて次のフェーズ。会話ターンが終わったら戦闘が開始されるのは常識である。

 勇者パーティーは確か、勇者、聖女、賢者、狂戦士の四人パーティーであったよな。狂戦士は頭のおかしいサイコ野郎と聞いた。怖いなぁもう。恐らく前衛が勇者と狂戦士。後衛が聖女と賢者だろう。なんてバランスの良いパーティーだ。連携を崩すのは至難の業であろう。たいして我は一人きり。悲しい。本気を出せば幻影を五体まで召喚できるが、正直言って使えないのだ。五体とも我の劣化コピーにしか過ぎないため、黒いだけのただの案山子である。


 あー、勝てる気がしなくなってきた。不味い不味い不味い。


 と、とりあえず、戦いの口火を切る最初の一撃は我の極大魔法だ。「クハハッ。よかろう、それでも我を斃すというのだな。面白い…その言葉、地獄で後悔すると良い!!」。お決まりの口上を言って、杖を振るって初撃を放つ。何がいいかな――最近覚えた極大爆発魔法でいいか。派手だし。ワンチャン仕留められるし。


 …あれ、それ撃つための魔力って足りてるかな。てか杖大丈夫?最近整備をサボってたから分からん。何してんだよ我。こんな重要な決戦前に装備を整えていないなんて馬鹿のすることだぞ。自分のだらしなさが憎すぎて頭がおかしくなりそうだ。


 グロウヴァーレは亜空間から杖を取り出し、慎重に整備を始めた。


 ついでに整備するため、剣や斧、魔道具や水晶を床に置いていく。

 硬く滑らかな床に、召喚した武器を一つずつ並べていく。コツン、コツンと乾いた音が鋭く響く。その一音一音が、グロウヴァーレに迫る死神の足跡のように思えた。


「…」


 見えない恐怖が、彼の心臓を鷲掴みにする。心臓はその鼓動がもうじきに絶えるのを予感しているかのように、冷え切った身体の中で暴れ始めた。


 紫色の邪眼から、ぽろりと涙がこぼれた。


 彼の脳裏に記憶がオーロラのようになびいて消えてゆく。どれも懐かしい思い出だった。父と母との食事。配下との何気ない会話。この魔剣を初めて手にした時の感触と高揚感。城の屋上から見える、圧倒されるほど広大な星空――。


 それが、死にゆく自分に餞として与えられる走馬灯であると思い至ると、彼は肩を震わせてしくしくと泣いた。


 この世に生まれ落ちてから数百年。長いようで短い生涯だった。


 もとより彼は、魔王の器では無かった。肉体と魔法の才は種族のなかでも飛び抜けて優れていたが、それでも歴代最強の王と言われれば疑問符が付いた。かといって、大群を率いる軍師の才やカリスマ性も持っていない。むしろ性格は真逆だった。なによりも怠惰を愛し、口では「ワンフォーオール」と言いつつも、仲間より自己を優先するタチだった。弱音は吐露せずに表面的な強い自分を作り上げ、目先の利益と威厳だけをだまし取ってきた仮初の王。見た目だけは絢爛だが、中身は空の矢筒のような存在だった。


「…うう…なぜだ…我は、何か悪い事をしたのか…?」


 涙をこぼしながら、両手を見つめる。


 グロウヴァーレは魔王という位についてはいたが、悪事らしい悪事に手を染めたことが無かった。世界各地では魔物が暴れ、人間を苦しめ続けている一方、その全ては魔物や配下が勝手に行ったことであり、グロウヴァーレが主だって命令したことは一つも無かった。理由は単純。彼は人間に対する恨みも、領土を拡大したい野望も持っておらず、その地位に胡坐をかき暢気に日々を過ごしているだけだったのだ。


 勇者たちが魔王討伐を志すきっかけとして、「故郷の村が魔王幹部に焼かれた」ことが挙げられるが、それも幹部が酔った勢いで行ったことであり、グロウヴァーレは関与していない。


 部下の失態は上司の責任とはよく言うが、素が無責任なグロウヴァーレにとって、現在の窮状は理不尽以外の何物でもなかった。


「我は何も悪い事してない…うわあああああああああああ!!!!!こんなバカな話があるかッ!!誰か助けてくれえええええ!!!!!!!!!!!」


 配下が聞き及べば、即座に幻滅するような遠吠えを繰り返す。


 その時、部屋の外から重厚感のある足音と鎧がきしむ音が近づいてきた。


「ひっ、来た…!」


 グロウヴァーレは一瞬硬直した後、光の速さで身なりを整え、王座に足を組んで腰かけた。足腰は既に正常に動いていなかったが、わずかにある魔王の威厳を振り絞って何とか体裁を整えた。


 王座の間の扉が、ギギギ…と音を立てて開かれた。


「お前が…孤高の魔王グロウヴァーレか…!!」

「ようやくここまで来たぜ…。俺達人類をさんざん苦しめやがって…!」

「私達の故郷をよくも滅ぼしてくれたわね」

「殺す」


 勇者たちが怒りを滾らせた声で魔王を睨む。グロウヴァーレは蛇に睨まれた蛙のように数秒ほど幽体離脱し、仮死した。


「おいッ!!聞いてんのかてめえ!その余裕そうな笑みを止めやがれ!!」

「なるほど、舐められてるって訳、か…ッ!」

「許せない。私達を何だと思ってるのよ!人間は、あんた達魔族の玩具じゃないわ!」

「息を吸う前に殺す」


 死神四体の怒りがヒートアップしていく。世界の半分~やらの過程をすっ飛ばして、すぐに首を跳ね飛ばしそうな勢いだった。


 まずい、このまま何も言わなければ殺される。そう判断した孤高の魔王は短く咳払いをして、口を開けた。


「…ょ…たな。…て…す、…そ…っ…する。…せ、せかいのはんぶ……」


 怯んだ喉から出る声は、あり得ないほど小さかった。


「何だっ!――皆気をつけろォォッ!呪いを唱えている!」

「汚えぞこの野郎!返事は無しかよ!…くっ、つくづく卑怯な奴だぜ!」

「戦いはもう始まってるってことね…!呪詛なら私が反射するわ!全員で仕掛けるわよッ!」

「瞬きの合間に殺す」


 死神が各々の鎌を取り出した。魔王の死は近い。


 四人が地を蹴った。前衛後衛関係なく、パーティー全員が塊となって魔王の首に肉薄した。


「ま、待て――!!」


 グロウヴァーレは反射的に叫んだ。咆哮でも呪詛でも何でもない、ただの悲鳴が喉から出た。


 死神の鎌が、彼の首を切り裂く。絶対的な死を与える…。






 ――その時。


「…え?」


 彼は、純白の寝台の上で目を覚ました。

 視界に入ったのは、魔力が練りこまれた黒晶の天蓋。窓から差し込む健やかな朝日。小鳥型ガーゴイルの鳴き声。手汗でぐちょぐちょな両手が、ぶるぶると震えている。


「…まさか、夢だったのか?」


 グロウヴァーレは動揺を抑えながら起き上がり、日付を確認する。驚くことに、日付を示す魔法時計の針は、勇者が魔王城に攻め込み魔王を討伐する日の――ちょうど一年前を指していた。


「一年前…そんな馬鹿な、どういうことだ?勇者の幻惑魔法か!?…いや、この魔力を通して伝わる感覚は、決して幻惑なんかじゃない。夢…?いや、一年も続く夢なんてあるものか。――まさか、我は一年前にタ(・)イ(・)ム(・)ス(・)リ(・)ッ(・)プ(・)したのか!?」


 その事実に気づいたグロウヴァーレは、数秒茫然と固まった後、生き残った安堵と共にへなへなと床に崩れ、パジャマ姿のまま慟哭した。


「わぁぁぁ!!我は――愚かだったっ!こんな目に合わなければ、勤勉に生きる意味すらも知れない――王になる器じゃない、卑劣で矮小な、愚図ゴミ野郎だ…っ!!――わああああああん!!」


 自戒と悔恨の念が胸の内で爆発した。その爆破の勢いのまま、ぐるぐるとカーペットの上を転がりまくる。悶え、足掻き、苦しみ、ひっくり返された虫のように部屋中を暴れまわった。


「ふーっ、…ふーっ…っ」


 ただ、泣き終わった後の彼の瞳に灯る炎は、かつてないほどの熱を宿していた。


「…これは、天より我に齎されし天啓だ。一年後のあのような悲劇を避け、勇者どもの凶刃を搔い潜り、我ら魔王軍こそが世界一だと、知らしめるためのな…」


 魔王はその決意をもって、立ち上がる。


 そこには、怠惰で他責思考で意気地なしな【孤高の魔王】グロウヴァーレの姿は無かった。あるのは、谷のように深い復讐の念と、山のように気高い未来への野望だった。


「待っていろ…勇者ども。次に貴様らが我が王座の前に現れた時、跪き、地に敗北のキスをするのは貴様らの方だ――ッ!!」








 一年後。


 昨年とは打って変わり、対極的に勤勉となった【大器の魔王】グロウヴァーレは、秘めていた審美眼と洞察力を生かし、大陸世界の約50%に及ぶ魔王の統治領域を爆発的に繫栄させた。その勢いはとどまることを知らず、隣接する人間の国々を軽く圧倒するほどだった。


 グロウヴァーレはいとも容易く「肥沃で豊潤な世界の半分」を手に入れた。


「ふふっ…計画通り…」


 彼は研ぎ澄まされた思考で、「よし、これで勇者どもに世界の半分をあげれば、我が殺されることもないし、なんなら配下にできるぞ」と、完璧な勝利プランを脳内で描いた。






 そして舞台は戻り、魔王城。王座の間。


 勇者四人組が鬼の如き気迫で部屋に飛び込んできた最中。彼は世界の半分の提案をするために、口を開いた


「…ょ…たな。…て…す、…そ…っ…する。…せ、せかいのはんぶ……あ、あれ?」


 前回と同じように、喉からは死にかけの蛙の声のような音しか出なかった。


 グロウヴァーレはシンプルに馬鹿で、緊張しいだった。


「一年後でも殺す」


 狂戦士の高速の剣閃が飛んできた。グロウヴァーレは王座で足を組んだまま被弾した。死んだ。



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