【1-10】迷子の魔女
昔の話だ。かつて人がまだ古代魔術を扱えた時代、想像力にはいつか限界がやってくる。魔術を使いたくても使えない、そんな悩みを誰しも抱えていた。魔獣はそんなときに、突然現れる。
ある人は空が突然光って、それがやって来たと言う。ある人は地響きがして地中から這い出てきたと言う。夢の中から現実へ舞い込んだという話もある。とにかく、魔獣というのはそういう人知を超えた存在なのだ。
人の世にやって来た彼らは、獣と書くだけあって人では無い見た目をしていたが、動物らしい形であるとも限らなかった。あらゆる物語に出てくる人外は大概魔物のことを言っている。
シエルも立つと、宙に浮かんで明らかに私から距離を取っていた。その待遇に私は少し腹が立った。
「貴方ちょっと……はぁ、子供の時はよくお話しに出てきたわよ。でも、童話の中の存在がどうして今の白い手に関係するの」
『あれは大体実話なのよ。あの手は魔獣の一部よ』
「それと、私が契約したって言うの?」
問題はここだ。見に覚えのない契約を知らぬ間に結んでいるなんて、詐欺師も驚く芸当だろう。何より、私はあの白い手と会うのは初めてな気がするのだ。
『……分かっているわ、契約を結ぶタイミングが無いのよ。でも、契約しないまま、白い手が意志を反映して出てくるなんてあり得なくて』
「理由は不確かだけど私が発動させてしまったのは確かなのよ、感覚的に分かるわ。だから、ドールのことを謝らせてほしいの」
一歩前に踏み出すと、シエルは露骨に後ろに引き下がる。私は顔を見て謝ろうとすれば、視線を逸らしていく。
「シエル?」
『お姉様……いえ、アンネリーゼ・シルヴレッタ。お願いだからそれ以上近寄らないで欲しいの』
拒絶。
目の前が真っ暗になったような気がした。一人しか居ない友達、大切な仲間、血縁関係のある人間。そんな大切な人が、目の前で私に怯えている。私のせいで。私を見ようともしないシエルが視界に入るだけで辛かった。
伸ばそうとした手を胸の前で握りしめるしかできなかった。下手に動けば、また怖がらせてしまいそうだから。
「そう、よね、ごめんなさい。あんな化け物怖いわよね」
シエルは何も言わずに、部屋の奥へ消えた。私はその日一人で部屋の隅で横になった。目を閉じると、地下の暗闇が瞼に馴染む。
(お兄様、私は友達を大切にする方法を知っていても、仲直りまでは教えて貰っていませんでした)
シエルの目は、私を人扱いしていなかった。
あれは理解できない化け物に向ける目だ。
***
風が気持ち良くて、太陽の明かりが眩しい。初夏の涼しい風が私のワンピースを通り過ぎていく。少し昼寝をしてしまったいたらしい。
「ん……」
目を開くと広大な青空と黄色の花々がゆらゆらと揺れていた。頬をかする若い草が気持ち良くて、いつまでもここにいたかった。
(ここ、どこだっけ。そうだ、昔お母様とよく来ていた離れの裏の中庭だ)
「アンネ、またこんな所で寝て……母様が心配しているよ?」
頭上に自分より大きな影ができて、元気な少年の声がする。お母様譲りの森のような深い緑の瞳と私と同じ銀髪。優しい笑顔と少し私より焼けた肌。
「コンラッドお兄様!」
剣術の鍛錬でできた硬いマメのついた手で私の頭を撫でると、私の両脇に腕を入れて立ち上がらせる。スカートについた土まで払うと、私に手を差し出した。
「あ、あれ、お兄様はどうしてここに?」
「まーたアンネがいないからお茶会ができないってシエルが言っていたのさ。外で皆お前を待ってるんだよ」
「ごめんなさい、迷子になってたの」
私はお兄様の手を取ると、隣に並んで歩き出す。いつだって私の歩幅に合わせて歩いてくれた。見上げるとお兄様は私の顔を不安そうにのぞき込む。お兄様がいつでも守ってくれる、そんな安心感を体現したような存在だった。
「アンネ、何か悩み事があるんだろ?お父様に何か言われたか?」
「ううん違うの。ちょっと、その喧嘩しちゃって。私のせいで大事な子が怖がってて」
「アンネに友達ができるなんて俺は嬉しいよ。どんな子なんだ?」
私は嬉しくなって話した。シエルは今じゃ使われていない魔術の使い手だってこと。少し生意気だが、友達ができたらはしゃいじゃうような可愛らしさもあるってこと。意外と説明がうまくて、私がいくら分からなくても根気よく教えてくれる子だってこと。
私は彼女が大好きだってこと。
「なのに私のことをもう同じ『人』だって思ってなさそうで、『怪物』みたいに見られてて。なんて言えばいいのか分からないの。もう……話せなかったらどうしよう」
ポロポロと涙が出てきた。ルカと離れ離れになった時ですら泣かなかったのに、止め方がわからなくて下を向いて顔を隠した。お兄様は汚れることも構わず袖で私の涙を拭うと、私の前に目線を合わせるしゃがんでくれた。
「いいかアンネ、人はよく分からないものが怖いんだ。特に『奇跡』や『怪物』とか呼ばれるものは、実態が掴めなくて距離を置きたくなる。怖がらせたのは自分のせいじゃなくて、そのよく分からないもののせい、そうだろ?」
「うん」
「だったら、お前だってその『怪物』が怖いだろ」
「怖いわよ、いつ誰を傷つけるか分からないもの」
「じゃあその気持ちをきちんと伝えるんだ。自分も怖いって、一緒にその正体を探る仲間のなればいいさ。そうすればシエルも心を開くよ」
「でも……」
やっぱり不安だ。もしこれで分かってもらえなかったら、私はこの地下室で一人ぼっちじゃないか。俯いていると、私の頭をわしゃわしゃと乱した。驚いてポカンと口を開いてると、陽だまりのようなお兄様はピンッと私のデコを弾く。
「アンネリーゼ・シルヴレッタ」
「はいっ」
思わず姿勢が伸びる。お兄様は満足そうに頷くと、立ち上がって私と再び手を繋ぐ。両手をふいに掴まれて、お兄様の腕と輪を作るような形になると、私を掴んだまま二人はくるくると回り始めた。狂ったように風が吹いて、周囲の花が花弁をあげる。辺りは黄色い祝福に埋め尽くされた。
「お、お兄様っ」
「あはは、綺麗な景色だね!アンネ!その名前は君が君であることの証明さ。さぁ、大事な友人の元へ帰るんだっ」
お兄様が私から手を離すと、私の体はヒラヒラと舞う花のように空へ飛ばされていく。お兄様は庭の真ん中で幼い私の手を引いて歩いて宮殿へ帰って行った。まだ5つか6つの頃の私だ。
「コンラッドお兄様!」
お兄様は振り返らない。もう私の兄はいないのだから、あれが夢の中にいる幻想だって分かっている。それでも、幻想でも迷子の私を導いてくれたのだ。
ーーありがとう
声に出せていたか分からない。それでも、天国のお兄様までこの気持ちが伝わりますように。
「ねぇお兄様、さっき誰と話していらっしゃったの?」
「僕にとっても君にとっても大切な人だよ」




