消える薬草と、暗殺知識の平和利用
銀杏騒動が落ち着き、月光宮には本来の穏やかな日常が戻っていた。
女官たちの顔からも過労の隈が消え、明苺や桂花の明るい声が回廊に響く平和な日々。
しかし、そんな平穏無事な月光宮の片隅で、私の身の回りにだけ『ある地味な事件』が発生していた。
「……また減ってる」
自室の机の上。広げた手包みの中身を見て、私は思わず眉間に皺を寄せた。
先日、医務室の瑞祥から分けてもらった貴重な生薬たち。
それがここ数日、夜な夜な少しずつ消えているのだ。
特に甘みのある草根木皮ばかりが狙われている。
「ひっ……!ゆ、幽霊よ!絶対に幽霊の仕業だわ!」
私の部屋に遊びに来ていた明苺が、両腕を抱え込んでガチガチと震え出した。
「この前の毒事件で捕まった犯人の怨念が、夜な夜な月光宮を彷徨って薬草を食べているのよぉ……!」
「幽霊ってあんたねぇ……。怨念がわざわざ薬草かじりに来るわけないでしょ」
桂花が呆れたようにため息をつく。
「普通に考えたら泥棒じゃない?でも……」
桂花は顎に手を当てて首を傾げた。
「月光宮の警備はかなり厳しいわよ?夜中に見回りの目を盗んで、わざわざ凛花の部屋の生薬だけを少しずつ盗んでいくなんて、そんな器用なことできる人間がいるかしら」
「だから幽霊なのよぉ!」
二人のやり取りを背中で聞きながら、私は冷静に部屋の窓際へと近づいた。
外からの侵入経路になり得る窓枠を指先でなぞり、じっと観察する。
(……あった)
木枠の端に、かすかに残る複数の細かな引っかき傷。
そして、窓台の隅に不自然に落ちていた小さな葉っぱと、微かに残る土の跡。
「二人とも、安心して。これは人間の仕業でも、幽霊の仕業でもないわ」
「えっ?」
「じゃあ、何なの?」
「動物よ。体が小さくて、身軽な生き物」
私は窓枠の傷を二人に示しながら、自信を持って断言した。
「なるほど、動物かぁ。……でも凛花、どうやって捕まえるの?相手が小さくてすばしっこいなら、夜中にずっと起きて見張るわけにもいかないでしょ?」
桂花の疑問に、私はふっと口角を上げた。
「簡単なことよ。向こうから罠にかかってくれればいいの」
私は部屋の隅から、裁縫用の丈夫な絹糸、いくつかの小さな鈴(鳴子)、そして深めの竹カゴを取り出してきた。
「えっと……凛花?何を作ってるの?」
「傷つけないように、捕獲用のからくりを組んでいるのよ」
私は窓辺から机の上の生薬へと続く通り道に、見えないように細い絹糸を張り巡らせた。
糸の端には鈴を結びつけ、少しでも糸に触れれば音が鳴る仕掛けにする。
さらに、おとりの生薬の真上には竹カゴを吊るし、支えの棒に細工を施した。
目標物が薬草を咥えて引っ張ると、留め具が外れて一瞬でカゴが落ちる仕組みだ。
「……はい、完成」
ササッと音もなく仕掛けを作り上げた私を見て、桂花は目を丸くして固まっていた。
「凛花……あんた、なんでそんなに手先が器用なのよ。まるで暗殺者か忍者みたいな手際じゃない……」
「む、昔、お母様から護身術の延長で教わったのよ!」
私は慌てて誤魔化した。
まさか「暗殺の仕掛けや毒の知識を応用した」などとは口が裂けても言えない。
その夜。
部屋の明かりを消し、私、桂花、明苺の三人は部屋の隅で身を潜めていた。
静寂の中、月明かりだけが部屋を薄暗く照らしている。
明苺は私の袖をぎゅっと握りしめて震えていた。
(来るかしら……)
――チリン。
微かな鈴の音が鳴った。
三人の肩がビクッと跳ねる。
窓枠から、音もなく小さな黒い影が滑り込んできた。
影は警戒するように周囲を見回した後、机の上の生薬へと一直線に向かっていく。
ガサッ。
影が生薬を引っ張った瞬間。
――パタンッ!!
「にゃあっ!?」
見事に仕掛けが作動し、吊るされていた竹カゴが落下。小さな影は、一切傷つくことなくカゴの中へと閉じ込められた。
「か、かかったわ!」
桂花が勢いよく立ち上がり、私が急いで部屋の明かりを灯す。
三人が恐る恐るカゴの中を覗き込むと――そこには、お腹を空かせて丸くなった、少し焦げたような毛色の一匹の野良猫が、きょとんとした顔でこちらを見上げていた。
「にゃーん」
「……ね、猫?」
明苺が間の抜けた声を上げた。
「ええ。後宮に迷い込んだ野良猫ね。お腹が空いて、甘い匂いのする生薬をかじりに来ていたみたい」
私がカゴを少し持ち上げると、猫は逃げることもなく、喉をゴロゴロと鳴らして私の手にすり寄ってきた。
「なんだぁ……幽霊じゃなかったんだ。よかったぁ……!」
明苺がその場にへたり込み、安堵の涙を拭う。
「もう、明苺ったら大袈裟なんだから」
桂花が笑いながら明苺の背中を叩き、それから感心したように私を見た。
「それにしても、凛花は本当にすごいね。こんな仕掛けをあっという間に作っちゃうなんてさ」
「ふふ、これくらいお茶の子さいさいよ」
平和を取り戻した月光宮の夜。私たちは小さな侵入者の頭を撫でながら、三人で顔を見合わせてくすくすと笑い合った。




