毒を以て癒やす、月下の晩餐
犯人の女官が連行された後の月光宮は、嵐の後のような静けさに包まれていた。
だが、芙蓉妃の衰弱は、もはや「静養」でどうにかなる段階を超えていた。
数ヶ月にわたり『夢幻草』を吸わされ続けた彼女の体は、自ら消化する力すら失い、死の淵で微かな呼吸を繰り返すのみ。
「……もう、いいのです。蝶々たちも、いなくなってしまったわ。……独りは、寂しい……」
寝台で力なく微笑む妃に、御典医たちは「もはや天命」と匙を投げ、ただ祈るようにと繰り返す。
私は、部屋の片隅で腕を組み、その光景を氷のように冷めた目で見つめていた。
(祈るだけで腹が膨れるなら、誰も苦労しないわよ。……全く、無能揃いで困るわ)
私は、こっそり部屋を抜け出し、後宮の厨房へと向かった。
特別専属下女の特権という名の「叡明様の威光」をフル活用し、最高級の干し鮑と、禁忌の薬草蔵から掠めてきた『雷茸』を取り出す。
「さて、毒味役の初仕事……その仕上げといきますか」
数時間後。私は、香炉の煙が消えた芙蓉妃の枕元に、一杯の粥を運んだ。
それは、燭台の光を浴びて黄金色に輝く、不思議な透明感を持った粥だった。
「芙蓉妃様、これを。……一口だけで結構です。これは、私が用意した『最後の毒』ですから」
「毒……?」
妃が虚ろな目を向ける。付き添っていた高星様が「おい、何を!」と制止しようとするが、私は構わず、温かな匙を彼女の唇に寄せた。
その粥には、ごく微量の『雷茸』が練り込まれている。
それは、心臓を叩き起こし、神経を強引に覚醒させる、文字通りの劇薬だ。
一口。二口。
妃の瞳に、激しい火花が散ったような輝きが戻る。
「…………っ!!」
刹那、妃の顔が真っ赤に染まり、全身から汗が噴き出した。
無理やり昂ぶらされた神経が、全身の細胞に「生きろ」と叫びを上げる。
「……あら? なんだか、体が……熱い。お腹の底が、焼けるように……」
「脳が蝶々の夢を見るのをやめたがっていたので、喝を入れてあげました。さあ、その熱を逃さないうちに食べて。それは毒を解き、血を造る特製の『養生粥』です」
芙蓉妃は、それから驚くべき勢いで粥を平らげた。
死を待つだけだった枯れ木に、再び命の奔流が駆け巡る。
彼女の頬に差した赤みは、もはや幻覚によるものではなく、本物の生命の灯火だった。
「……凛花、と言ったかしら。あなたは……なんて不思議な娘なの」
芙蓉妃は、汗に濡れた手で私の、泥で汚れた手を握りしめた。
その瞳には、感謝だけでなく、後宮を生き抜く「女傑」としての強い意志が戻っていた。
「……叡明様。この娘を、私に預けてはいただけないかしら? 私の側近として、最高の地位を約束するわ」
いつの間にか部屋の入り口に立っていた叡明様が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「断る。これは私の毒味役だ。……芙蓉妃、息災で何よりだが、この娘にこれ以上の面倒を押し付けるのは、私の食卓が寂しくなる」
叡明様は私に歩み寄り、当然のような顔をして、私の肩を力強く引き寄せた。
芙蓉妃はそれを見て、鈴を転がすように軽やかに笑った。
「あら、そんなに独り占めなさるなんて。……凛花、もしこの偏屈な執政官に飽きたら、いつでも私のところへいらっしゃい。あなたのような『毒』なら、私は大歓迎よ」
「……はぁ。お二人とも、勝手に盛り上がらないでください。私はただ、平和にジャガイモを剥いていたいだけなんですから」
私は大きくため息をつき、わざと前髪を深く引き下げて「石ころ」の顔に戻った。
けれど、肩に触れる叡明様の掌の熱が、なぜか先ほどの『雷茸』よりも熱く、私の心臓を騒がせていることに、私は気づかないふりをした。




