窓越しの惨劇と、生かされる子供たち
陽だまりの部屋で過ごす「優しい地獄」の生活が始まってから、私の視線は常に、部屋の片隅にある小窓へと向けられるようになっていた。
そこからは、高い塀の向こう側にある別棟へ続く、灰色の石畳の道が見下ろせる。
私の不吉な予感は、最悪の形で的中していた。
黒蓮の地下牢に押し込められていたのは、私たちのような幼い子供だけではない。
あの劣悪な環境には、無差別に集められた多くの大人たちがいたのだ。
そして彼らは今、私たちとは全く違う「地獄」のど真ん中に立たされていた。
朝。太陽が昇りきった頃、黒装束の男たちに引き立てられ、大人たちの集団が別棟へと歩かされていく。
そして夕暮れ時。
空が血のように赤く染まる頃、彼らは再び石畳の道を戻ってくる。
その時の大人たちの姿は、朝とは別人のように変わり果てていた。
「……ひどい」
窓枠の陰に隠れながら、私は息を呑んだ。
自力で歩けず、両脇を看守に引きずられている男。
激しく咳き込みながら、口の端から黒い血を滴らせている女。
昨日まで普通に歩いていたはずの老人は、今日はもう列の中に姿がなかった。
彼らの顔色は、夕日に照らされてなお隠しきれないほど、明らかに異常だった。
土気色を通り越して、どす黒く変色した肌。
あるいは、異常なほどの黄疸が出て、目が黄色く濁ってしまっている者もいる。
(……あの皮膚の青黒い斑点。間違いない、『烏頭』と『毒芹』を混ぜた遅効性の神経毒だわ。……あっちの女の人が吐いている黒い血は、内臓の粘膜を溶かす『水銀』系の毒……)
お母様から徹底的に叩き込まれた毒の知識が、私の頭の中で冷酷な答え合わせをしていく。
黒蓮の連中は、毎日違う種類の毒を、大人たちに試しているのだ。
そして、それらの凶悪な新種の毒を、寝る間も惜しんで調合させられているのは――他でもない、私のお母様だ。
(……お母様。どんなに辛いだろう。どんなに、苦しいだろう)
お母様は、人を救うための薬学を愛していた。
そのお母様は、自分の知識で作った毒が、罪のない人々を毎日少しずつ殺していくのを見せつけられているのだ。
私というたった一人の娘を、生かすためだけに。
窓枠を握る手に、ギリッと爪が食い込む。
血が滲むほどの怒りと、どうしようもない無力感。
私がこの綺麗で安全な部屋で、温かい肉饅頭を食べている裏側で、大人たちの命と、お母様の心が、毎日すり潰されている。
「凛花ちゃん? ずっとお外を見て、どうしたの?」
背後から、無邪気な声が響いた。
振り返ると、小鈴が不思議そうな顔で小首を傾げていた。
彼女の手には、中庭で摘んできたらしい、可愛らしい白い花が握られている。
「……ううん。なんでもないよ。ちょっと、夕焼けが綺麗だったから」
私は慌てて表情を取り繕い、いつもの笑顔を作った。
小鈴には、あの窓の外の惨状を見せるわけにはいかない。
花街で大切に育てられてきた彼女の心は、あの地獄に耐えられないだろう。
「そっか! ね、凛花ちゃん、このお花、凛花ちゃんの髪に飾ってあげる! きっと似合うよ!」
「ふふ、ありがとう、小鈴ちゃん」
小鈴が私の髪に白い花を挿し、嬉しそうに手を叩く。
太陽の光。花の匂い。綺麗に梳かれた髪と、ふかふかの寝台。
幼い子供たちだけは、相変わらず何不自由ない、鳥籠の中の小鳥のような生活を送らされていた。
(……どうしてなの?)
私は、小鈴の温かい手に触れながら、再び思考の海へと沈んでいった。
大人たちが、お母様の作った毒の実験台にされていることは、もう疑いようのない事実だ。
ならば、なぜ幼い子供たちである私たちには、毒が与えられないのか。
(ただ健康に育てるだけなら、こんなに贅沢な食事や綺麗な衣服を与える必要はない。……黒蓮は、私たちに『特別な価値』を見出している?)
黒蓮は暗殺一族だ。
彼らが欲しがるものといえば、より確実に標的を殺せる「至高の毒」。
そしてもう一つは――その毒を、標的に怪しまれずに盛ることができる「優秀な手駒」だ。
(……まさか)
背筋に、冷たい氷の柱を突き立てられたような悪寒が走った。
幼い子供。疑われにくい存在。
そして、この清潔な環境での集団生活と、基礎体力を作るための徹底した食事管理。
(私たちは……毒の実験台じゃない。……黒蓮の『手足』になるために、ここで生かされているの……?)
その推論に行き着いた瞬間、私は胃の奥からこみ上げてくる吐き気を必死に飲み込んだ。
もしそれが真実なら、私たちを待っているのは、ただ殺されることよりもずっと恐ろしい未来だ。
自分自身の意志を奪われ、誰かを殺すための「道具」として洗脳され、一生この暗殺一族の鎖に繋がれる運命。
「……凛花ちゃん? 手、すごく冷たいよ。お熱あるの?」
「大丈夫。少し、夜風に当たりすぎちゃったみたい」
私は小鈴の手をそっと握り返し、自分に言い聞かせるように微笑んだ。
まだ、はっきりとした確証はない。
だが、窓の外を歩く大人たちの数は、日に日に確実に減っていく。
大人たちがすべて死に絶えた時。あるいは、私たちが黒蓮の求める「基準」に達した時。
この陽だまりの部屋の扉が開き、本当の地獄が口を開けて私たちを飲み込みに来る。
その「答え合わせ」の日は、もうすぐそこまで迫っていた。




