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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
凍れる花と籠抜けの小鳥

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陽だまりの飼育箱と、花街の遊戯

 その日、私たちに向けられたのは「処刑の刃」ではなく、目を焼くような「太陽の光」だった。


「お前たち。そこから出ろ」


 地下牢にやってきた看守たちは、私と小鈴シャオリン、そして周囲の牢に押し込まれていた「幼い子供たち」だけを次々と牢屋から引きずり出した。

 

 大人たちが何事かと絶望の声を上げて鉄格子にしがみつくのを尻目に、私たちは一列に並ばされ、長く暗い石段を上へと歩かされた。


 重い扉の向こう側にあったのは、むせ返るような緑の匂いと、降り注ぐ初夏の陽光だった。


「まぶしっ……」

「わぁ……お日様だ……!」


 久しぶりに浴びる本物の太陽の光に、小鈴が目を細めて歓声を上げる。

 

 連れてこられたのは、黒蓮こくれんの屋敷の敷地内にある、高い塀に囲まれた美しい庭園だった。


 私たちはそこで、温かい湯で何日もこびりついた泥と汚れを洗い流され、清潔で肌触りの良い絹の衣服を与えられた。


「すごいね、凛花ちゃん! ふかふかのお布団があるよ!」


 与えられたのは、庭園に面した陽当たりの良い立派な部屋だった。

 しかも、私と小鈴は『同じ部屋』を割り当てられたのだ。


 さらに驚くべきことに、昼時になると、部屋に信じられないようなご馳走が運ばれてきた。

 ほかほかに湯気を立てる肉饅頭に、甘いタレの絡んだ鶏肉、そして新鮮な果物まである。


「美味しいっ! すっごく甘いよ、凛花ちゃんも早く食べて!」


 小鈴は、まるでこれまでの地獄が嘘だったかのように、満面の笑みで肉饅頭に食らいついた。

 私は、その肉饅頭を手に取り、そっと匂いを嗅ぎ、少しだけ舌先で舐めてみる。


 ……毒は、入っていない。

 それどころか、お母様がこっそり仕込んでくれていた「解毒剤」の微かな苦味すら、この食事からは完全に消え去っていた。


(……純粋に、栄養価が高くて美味しいだけのご飯。どうして?)


 大喜びで食事を平らげる小鈴を見つめながら、私の心の奥底には、真っ黒なインクを一滴垂らしたような不気味な不安が広がっていた。


 それからの日々は、まさに夢のようだった。

 

 私たちは庭園を自由に走り回り、蝶を追いかけ、疲れたら同室のふかふかの寝台で一緒に眠った。


 ある日の午後。

 部屋の鏡台の前に座っていた小鈴が、引き出しの中にあった小さな子供には不釣り合いなほど上質なべにや豪奢な小箱に入った白粉おしろいを見つけて、目を輝かせた。


「ねえ凛花ちゃん、こっちに来て! わたしが綺麗にお化粧してあげる!」


「え? 私はいいよ、そういうのやったことないし……」


「だーめ! 女の子は綺麗にしなきゃ。わたし、花街はなまちの女将さんにいっぱい教えてもらったんだから!」


 小鈴は強引に私を鏡台の前に座らせると、小さな手で器用に私の髪を梳き、唇にほんのりと紅を差してくれた。

 鏡の中に映った自分は、地下牢で泥と埃に塗れていた私とも、母に教わってジャガイモを剥いていた私とも違う、ほんの少しだけ華やかで、女の子らしい顔をしていた。


「わぁ……凛花ちゃん、すっごく可愛い! お目々がぱっちりしてるから、絶対いいお姫様になれるよ!」


 小鈴は自分の顔にも嬉しそうに化粧を施すと、立ち上がり、部屋の中央でくるりと回ってみせた。


「見ててね! これが、わたしが習った一番得意な踊りなの!」


 彼女は、何もない空間で扇子を持っているかのような優雅な手つきを作り、トントン、と軽やかな足取りで舞い始めた。


 絹の衣服がふわりと翻り、彼女の小さな体から、春の風のような甘い香りが漂う。

 音のない三味線の調べが、本当に聞こえてくるようだった。


「すごい……小鈴ちゃん、本当に綺麗」

「えへへ、でしょ? いつかここから出られたら、凛花ちゃんにも踊り、いっぱい教えてあげるね!」


 太陽の光が差し込む部屋で、綺麗な化粧をして、笑い合いながら踊りを見る。

 それは、普通の女の子なら当たり前に享受できるはずの、最高に平和で愛おしい時間だった。


 ――だが。


(……違う。こんなの、絶対におかしい)


 小鈴の美しい踊りを見つめながら、私の頭の中は、お母様から教わった「合理的な思考」による冷酷な計算で埋め尽くされていた。


 黒蓮は、暗殺一族だ。無意味な慈善事業など絶対にしない。


 私たちが今いるこの陽だまりは、天国などではない。

 最高級の『何か』を作り上げるための、狂気に満ちた「飼育箱」なのだ。


(……もし、新しい毒の実験体モルモットが必要なら、地下牢にいる大人たちで事足りるはず。なら、どうして私たち『幼い子供』だけが、こんなにも健康的に太らされているの……?)


 健康な肉体。清潔な環境。基礎体力をつけるための十分な食事と睡眠。

 その答えの「切れ端」を、私はその日の夕暮れ時、部屋の窓から見下ろした庭園の片隅で、偶然目撃することになった。


「……あれは」


 窓枠に手をかけた私の目に飛び込んできたのは、高い塀の向こう側へと続く石畳の道を、重い足取りで歩かされている集団の姿だった。


 泥だらけの服。うつろな目。

 ……数日前まで、私たちと同じ地下牢に押し込められていた、大人たちだ。


 黒装束の男たちに鞭で打たれながら、彼らは敷地の奥にある、窓のない不気味な別棟へと次々に吸い込まれていく。


 遠目からでもはっきりと分かった。

 

 大人たちの顔色は、土気色を通り越してどす黒く変色し、中には自力で歩けずに引きずられている者さえいる。


「……凛花ちゃん? どうしたの、窓の外に何かあるの?」


 背後から小鈴が無邪気な声をかけてくる。

 私はハッとして窓から離れ、慌てて笑顔を作った。


「ううん、なんでもないよ。……ただ、少し風が冷たくなってきたなって」


 心臓が、早鐘のように嫌な音を立てていた。

 不安は的中した。


 あの別棟で、大人たちは恐ろしい毒の実験台にされているのだ。

 お母様が泣きながら作らされている新種の毒を、彼らがその体で受け止めている。


 大人たちが、実験体モルモット


 ならば、この綺麗で安全な部屋で、健やかに育てられている「私たち子供」の存在理由は、いったい何なのだ?


 その恐ろしい『答え合わせ』が、数日後、私と小鈴の運命を決定づけることになろうとは――この時の私たちは、まだ知る由もなかった。

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