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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
凍れる花と籠抜けの小鳥

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檻の中の温もりと、膨張する悪意

 地下牢の静寂は、ある日を境に唐突に破られた。


 ガチャン、ガチャンと、重い鉄の扉が開閉する無機質な音が、絶え間なく地下の通路に響き渡るようになったのだ。


「歩け! ぐずぐずするな!」

「離せ、俺をどこへ連れて行く! 助けてくれ!」

「お母ちゃぁん……っ、お家にかえるぅ……っ」


 怒号、悲鳴、そして絶望に満ちた啜り泣き。

 

 松明の薄暗い明かりに照らされた通路を、黒装束の男たちに引きずられ、見知らぬ人々が次々と運ばれてくる。

 

 私と小鈴シャオリンが鉄格子越しに交わす小さな会話は、その騒音と混乱にかき消される日が多くなった。


 鉄格子の隙間から観察していると、連れてこられる人々に共通点は何一つ見当たらなかった。


 小鈴のように身なりの良い子供がいれば、薄汚れた衣服をまとった浮浪者もいる。

 屈強な体つきの若い男から、腰の曲がった老人まで、年齢も性別も身分もバラバラだ。


 ただ一つ確かなのは、私と小鈴の周囲にあった無数の「空き部屋」が、恐ろしい速さで次々と埋まっていくということだった。


(……どうして、こんなにたくさんの人を?)


 暗殺一族である黒蓮こくれんが、無差別に人をさらう理由。

 

 身代金目的や人身売買なら、もっと標的を絞るはずだ。浮浪者や、病を抱えたような老人をわざわざ連れてきても、一銭の金にもならない。


 不吉な予感が、私の胸の奥でどろりと冷たく渦を巻き始めていた。


 数日が過ぎ、地下牢は足の踏み場もないほどの人々で溢れかえった。

 牢屋の数が完全に足りなくなったのは、誰の目にも明らかだった。


 そして、その「飽和」は、私と小鈴の運命を思いがけない形で交差させることになった。


「おい、こっちのガキどもを一つにまとめろ。奥の牢を空けるんだ」


 看守の粗野な声と共に、向かいの牢の鍵が開けられた。


「ひっ……!」


 怯える小鈴が腕を掴まれ、引きずり出される。

 そして、今度は私の牢の鉄格子が開かれ、彼女は私のいる冷たい石の床へと、乱暴に突き飛ばされた。


「あ痛っ……」


 ガシャン! と再び鍵がかけられ、看守の足音が次の獲物を求めて遠ざかっていく。


 私は、目の前にうずくまる小さな背中を見つめ、信じられない思いで息を呑んだ。


「……小鈴ちゃん?」

「凛花、ちゃん……?」


 小鈴が、恐る恐る顔を上げた。


 薄暗い松明の光の中、涙と埃で汚れた彼女の顔が、手の届く距離にある。


「小鈴ちゃん……!」


 私は弾かれたように這い寄り、彼女の細い体を力いっぱい、ぎゅっと抱きしめた。


「あ……ああっ、凛花ちゃぁん……っ!」

 

 小鈴もまた、私の背中に腕を回し、顔を埋めて声を上げて泣き出した。


 ずっと鉄格子越しに言葉を交わしてきた、暗闇の中での唯一の親友。


 その確かな体温と、花街の少女らしい、少し甘い白粉おしろいの残り香。

 冷え切っていた私の体を、彼女の存在そのものがじんわりと温めていく。


「よかった……やっと触れ合えたね、小鈴ちゃん。もう、一人じゃないよ」

「うん、うんっ……! わたし、人がいっぱい来て、ずっと怖くて……でも、凛花ちゃんが一緒にいてくれるなら、がんばるっ……!」


 私たちは、冷たい石の床の上で身を寄せ合い、互いの温もりを確かめ合うように、いつまでも手を握り合っていた。


同じ牢屋になったことで、私たちの絆はさらに深まった。


 食事の時間になれば、私は二人分の塩粥を味わい、母からの「味の手紙(解毒剤の残り香)」を読み取って、「今日もお母様は無事だよ」と小鈴に教えた。

 小鈴はそれを聞いて、まるで自分の母親が無事だったかのように喜んでくれた。


 夜になれば、体を密着させて地下の底冷えを凌ぎ、小鈴が知っている花街のわらべ歌を小さな声で歌ってくれた。

 私も、お母様に教えてもらった薬草の豆知識や、お父様との鬼ごっこの思い出を、おとぎ話のように語って聞かせた。


 二人でいれば、どんな絶望も耐えられる気がした。


 だが――私の心の中に芽生えた「不気味な違和感」は、日を追うごとに大きく、黒く膨らんでいった。


 周囲の牢屋からは、毎日のように新しい泣き声や呻き声が聞こえてくる。

 

 人の息と汗の匂いが地下に充満し、地下牢全体が、巨大な生き物の胃袋のように人間を飲み込んで内側から膨張していくような錯覚を覚えた。


(……おかしい。これだけの人数を生かしておくには、膨大な食料と手間がかかるはずよ)


 私は、お母様から教わった「合理的な思考」で現状を分析した。

 

 黒蓮は慈善事業で人を集めているわけではない。

 金にならない人間まで無差別に集め、最低限とはいえ、殺さずに毎日食事を与え続けている。


 それはまるで――檻の中で『実験用のねずみ』を大量に飼いならしているのと同じだ。


 背筋に、氷のような悪寒が走った。


 お母様は今、地上で黒蓮のために「これまでにない新しい毒」を作らされている。

 そして、地下には無差別に集められた大量の人間たち。

 

 この二つの事実が結びついた時、導き出される答えは一つしかなかった。


(……まさか、この人たちは全員……お母様の作った新しい毒を試すための、『生贄モルモット』……?)


 私は、隣で無邪気に私の手を握りながら眠る小鈴の寝顔を見つめた。

 

 こんな小さな女の子まで、毒の実験台にするつもりなのか。


 もしそうだとしたら、私たちに明日生きている保証はどこにもない。

 いや、生きていたとしても、それはただ「まだ実験の順番が回ってきていない」というだけの話だ。


 暗闇の中で、黒蓮という組織の底知れない悪意が、真綿で首を絞めるように私たちに迫っていた。

 

 しかし、事態は私の最悪の予想をさらに裏切る、ひどく「歪で優しい」形となって、翌日、唐突に動き出すことになるのだ。

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