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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
凍れる花と籠抜けの小鳥

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鉄格子越しのぬくもりと、花街の小鳥

息を呑む気配。そして、暗闇の奥から、怯えきった小動物のような掠れ声が返ってくる。


「……ひっ、だ、だれ……? ゆ、ゆうれい……?」


幽霊。その言葉に、私は思わず小さく吹き出しそうになった。

無理もない。こんな光も音もない冷たい石の地下牢で、突然自分と同じくらいの子供の声が響けば、

怪異か何かだと思っても不思議ではない。


「幽霊じゃないよ。私は凛花リンカ。あなたと同じ、黒蓮こくれんの悪い奴らに捕まって、そっちの向かいの牢屋に入れられてる、ただの女の子だよ」


私ができるだけ優しく、敵意がないことを伝えるようにゆっくりと言葉を紡ぐと、

向かいの牢の奥で衣擦れの音がした。


やがて、松明の微かな明かりが届く鉄格子のすぐ近くまで、少女が恐る恐る這い寄ってくるのが見えた。

涙と泥で汚れてはいるが、大きな瞳を持った、とても可愛らしい顔立ちの女の子だった。


「ほんとに……生きてる、人間……?」


「うん。ちゃんと生きてるよ。……あなたの名前は?」


「……小鈴シャオリン


彼女は、消え入りそうな声で自分の名前を口にした。

小鈴。その名の通り、小さくて可愛らしい鈴のような響きだった。


「小鈴ちゃん。……どうして、そんなに綺麗なお着物を着ているの?」


私が尋ねると、小鈴の大きな瞳から、再びボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

彼女は鉄格子を細い両手でぎゅっと握り締めながら、しゃくり上げるようにして自分の身の上を語り始めた。


「わたし、花街はなまちの生まれなの。……貧しい親に売られたけど、妓楼ぎろうの優しい女将さんに拾われて。顔立ちがいいからって、将来は一番偉い遊女になれるようにって、綺麗なお着物を着せてもらって、お遊戯や三味線を習ってたの」


花街の、遊女の卵。

華やかな世界で蝶よ花よと育てられていた彼女が、なぜこんな地獄にいるのか。


「……お祭りの夜だったの。ちょっとだけ外の提灯が見たくて、裏口から抜け出したら……いきなり口を塞がれて、麻袋に入れられて。……黒い服を着た怖い男の人たちが、『上玉だ。これなら高く売れるし、良い商品になる』って……」


人攫いだ。黒蓮は暗殺一族でありながら、裏社会のあらゆる汚れ仕事に手を染めている。

資金源にするためか、あるいは別の『目的』のために、こうして身寄りのない子供や美しい少女を誘拐して集めているのだろう。


「わたし、ここで殺されちゃうの……? もう、綺麗なお化粧もできないし、甘いお菓子も食べられない……。こんな暗くて臭いところで、一人ぼっちで死んじゃうんだ……っ」


小鈴が、再び絶望の淵に沈み込んで泣き崩れる。

その細い肩の震えを見ていると、私は、彼女をこのまま泣かせておいてはいけないと強く感じた。


彼女を救うためには、私自身の「一番痛い部分」を差し出さなければならない。


「……小鈴ちゃん」


私は、自分の鉄格子の前に正座し、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返すようにして口を開いた。


「小鈴ちゃんは、一人ぼっちじゃないよ。……私もね、少し前までは、外の明るい世界で、大好きなお父様とお母様と一緒に暮らしていたの」


「え……?」

 小鈴が、涙で濡れた顔を上げる。


「私のお父様はね、ちょっと変わってたけど、私のことを『天使』って呼んでくれる、世界で一番優しい人だったの。でも、あの黒い服の男たちが私の里を襲ってきた時……私とお母様を逃がすために、一人で囮になって、いなくなっちゃった」


「……っ」


「お母様は、すごい天才の薬師くすしだったの。でも、逃げ切れなくて一緒に捕まっちゃって……。今、お母様は、私を殺させないために、この建物のどこかで、毎日恐ろしい毒を作らされて、自分の体でその毒を飲む『毒味』をさせられてるんだよ」


私が淡々と語るその壮絶な事実に、小鈴は息を呑み、泣くことすら忘れて呆然としていた。


「凛花ちゃんのお母さん……凛花ちゃんのために、どくを……?」


「うん。……でもね、お母様は負けてないの」


私は、今日食べた塩粥の味を思い出しながら、誇らしく笑ってみせた。


「毎日一回運ばれてくるご飯の中にね、お母様はこっそり『解毒剤』の味を混ぜてくれてるの。『私は無事よ、凛花も生き延びなさい』って、味で私に教えてくれてるんだよ。……だから、私は絶対に死ねないの。ここで私が心を壊して死んじゃったら、命懸けで私を逃がそうとしてくれたお父様も、今も戦ってくれているお母様も、悲しませちゃうから」


暗闇の中で、私の声だけが静かに、けれど強く響いた。

言葉にして誰かに伝えることで、私自身の胸の中にも、熱い火が灯るのを感じた。


「だからね、小鈴ちゃん。泣いてちゃダメなんだよ」


私は、通路を挟んだ向こう側にいる彼女に向けて、そっと手を伸ばした。

届くはずのない距離。けれど、小鈴もまた、引き寄せられるように鉄格子の間から小さな手を伸ばした。


「黒蓮みたいな悪い奴らの思い通りになんて、絶対になってやらない。……生きてさえいれば、絶対に希望はある。いつか、ここから抜け出せる日が来るかもしれない。だから、一緒に生きよう? 私が、ずっとお話ししてあげるから」


私の言葉に、小鈴の大きな瞳から、今度は絶望ではない、温かい涙が一筋だけこぼれ落ちた。


「……うん。……うんっ! わたし、もう泣かない。……凛花ちゃん、ありがとう……っ」


暗く冷たい地下牢に、初めて「希望」という名の小さな明かりが灯った瞬間だった。


それからの私たちは、起きている間中、ずっと小さな声で言葉を交わし合うようになった。


小鈴は、花街の綺麗なかんざしや、お祭りの甘い飴玉の話をしてくれた。

私は、お母様とジャガイモの皮剥きをした温かい厨房の話や、微かに分かる毒草の味の話をした。


お互いの声が、この地獄で正気を保つための、唯一の命綱だった。


だが、私たちはまだ幼く、知る由もなかったのだ。

私たちの周囲にいくつも並んでいる、あの無数の『空き部屋の牢獄』が、いったい何のために用意されていたのかを――。

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