塩と氷の魔術、籠抜けの絡繰
半刻後。息を切らして戻ってきた高星様の手には、厨房から借りてきた小瓶と麻袋、そして無骨な金槌が握られていた。
「凛花さん、お酢と大量の塩です。それから氷室の管理人に頼み込んで、貴重な『夏の氷』も少しだけ分けてもらいました」
「ありがとうございます、高星様。完璧です」
私は金槌を受け取ると、麻袋に入った氷を遠慮なくガンガンと叩き割り、細かく砕いた。
静と小蘭が、何事かと目を丸くして見つめている。
「では、怨霊の正体を暴きましょうか。……まず、この『凍った花』の呪いから」
私は、砕いた氷を深めの鉢に入れ、そこに高星様が持ってきた塩をドサドサと大量に流し込んだ。
そして、木杓子で勢いよくかき混ぜる。
「氷に大量の塩を混ぜると、周りの熱を急激に奪う性質があるんです。……ほら、鉢の周りを見てください」
夏の暑い室内だというのに、鉢の表面にはあっという間に真っ白な霜が張り付いた。
「冷たっ……! 何これ、氷だけよりずっと冷たい!」
恐る恐る鉢に触れた小蘭が、弾かれたように手を引っ込める。
「ええ。この中に、水に濡らした花を数分間閉じ込めておけば、夏場でも簡単に『カチカチに凍った花』の出来上がりです。……犯人は、鳥籠の中にこの花を置き去りにすることで、後宮に蔓延る『見えない呪いの噂』に見せかけたかったのでしょう」
静がハッとして息を呑んだ。
「それでは……密室の鳥籠から、どうやって鳥を消したというのです? 鍵は私自身が管理しており、複製は不可能です。それに、鳥籠の鉄線の隙間は、小鳥の頭すら通らないほど狭いのですよ?」
「鳥は『生きて暴れている』から隙間を通らないんです」
私はお盆の上に、先ほど中庭で拾っておいた白い石灰石を置き、金槌で粉々に砕いた。
そして、その上から小瓶の『お酢』をドバッと回しかける。
シュワシュワッ! という音と共に、目に見えない気体が立ち上った。
「石灰にお酢などの強い酸をかけると、目に見えない『重い空気』が発生します。この空気は下に溜まる性質があり、小さな動物が吸い込むと……あっという間に気を失ってしまうんです」
私は、空になった鳥籠の隙間に指を差し込んだ。
「犯人は、夜の間にこの鳥籠の下で気体を発生させ、小鳥を気絶させた。全身の力が抜け、骨と羽だけのふにゃふにゃの状態になった小鳥なら、この装飾用の鉄線の『少しだけ広い部分』から、無理やり引っ張り出すことができます」
部屋が、水を打ったように静まり返った。
呪いでも何でもない。ただの氷と塩、そしてお酢を使った、あまりにも人為的で計算高い「窃盗」の手口。
「……信じられません。そんな、料理の延長のような知識で……」
静が呆然と呟く中、私は鳥籠の鍵穴の近くに顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
「犯人は、氷室の鍵を持ち出せる立場で、なおかつ昨夜、妃様の宮に出入りできた人物。
……そして何より、その人物の指先には、氷と塩を素手で混ぜたことによる『凍傷』ができているはずです」
私の言葉に、静の顔色が一気に険しいものへと変わった。
芙蓉妃の筆頭お世話係である彼女の頭脳には、すでに該当する人物が思い浮かんでいるようだった。
「……心当たりがあります。昨夜、氷室の点検を理由に離れを出入りしていた、下働きの宦官が一人。すぐに捕縛させます」
御簾の奥から、芙蓉妃の安堵したような、しかし怒りを滲ませた深いため息が聞こえた。
「見事です、凛花。……ただの下女には余るその知識、まことに恐れ入りました」
「いえ。私はただ、美味しいものを追求する過程で、ちょっとだけ色々な現象に詳しいだけですから」
私はそう言って前髪を直し、いつもの「石ころ」のような笑顔を作った。
これで、芙蓉妃の憂鬱は晴れるだろう。
そして私は、再び愛しのジャガイモたちの元へ帰れるはずだ。
……だが、後日。
この一件がきっかけで、私がさらに厄介な「後宮の相談役」として目をつけられることになろうとは、この時の私は知る由もなかった。




