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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
黄金の繭(まゆ)と蛇の晩餐会
26/31

甘いハッタリと、自滅する権力者

「……ああ、待って、行かないでおくれ……余の、余の解毒薬を……っ!」


黒蓮こくれんの刺客たちが近衛兵に引きずり出されていく中、

御簾みすの奥から、這いつくばるようにして王太后が姿を現した。


かつて後宮を支配していた絶対的な権力者の面影は、もはや欠片もない。

頬はこけ、髪は乱れ、その目は一ヶ月後の「死の恐怖」によって完全に濁りきっていた。


叡明エイメイ……頼む、その下女に解毒剤を出させろ。銀の針も、犬も、何も信じられぬ。……水さえも、喉を通らぬのだ……」


王太后は、床にすがりつきながら叡明様の足元へ手を伸ばした。

叡明様は冷ややかにそれを見下ろしたが、剣は抜かず、ただ私の背中をそっと押して前に出した。


「凛花。……引導を渡してやれ」


私はゆっくりと王太后の前にしゃがみ込み、懐から一つの小さな水筒を取り出した。

中には、ただの冷ました白湯が入っている。


「王太后様。これをどうぞ」


「ひっ……! 毒か!? また余に毒を飲ませる気か!」


王太后が悲鳴を上げて後ずさる。

私は小さくため息をつき、自らその白湯を一口飲んでみせた。


「ただの白湯です。……いい加減、気づきませんか?」


「……何?」


「私があなたに飲ませたという『月長花の蜜』。あれは、ただの山奥で採れる希少な『甘い蜜』です。……いくら長寿のお茶と混ざろうが、毒になんて変化しません。ただお茶が甘くて美味しくなるだけです」


王太后の動きが、ピタリと止まった。

静まり返った部屋の中で、私の声だけが淡々と響く。


「暗殺一族の掟だの、遅効性の猛毒だの、全部ハッタリです。私はただ、美味しい甘露をあなたに献上しただけ。……あなたをこの一週間、水も喉を通らないほどに苦しめ、殺しかけていたのは、私が盛った毒ではありません」


私は、王太后の濁った目を真っ直ぐに見据えた。


「あなた自身の『疑心暗鬼』です」


「な……っ、嘘だ! では、余の体は、何も……っ」


「ええ、健康そのものです。強いて言えば、極度の栄養失調と睡眠不足ですね。……権力にしがみつき、他人を毒殺しようとするから、自分も同じように殺されると怯えるんです。……本当に、不味い生き方ですね」


王太后は、あんぐりと口を開けたまま、言葉を失った。


自分がただの下女の「言葉遊び」に踊らされ、

勝手に恐怖し、勝手に衰弱し、

勝手に自らの権力基盤(御典医たち)を破壊してしまったのだと悟ったのだ。


「あ……ああ……あああああっ!!」


王太后は頭を抱え、獣のような悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。

もはや、彼女に私や叡明様を脅かす政治的な力も、気力も残っていない。


完全な、そして血を一滴も流さない「敗北」だった。


「……行くぞ、凛花」


叡明様が、私の手を取って立ち上がらせた。

彼の横顔は呆れているようにも見えたが、その口元には、隠しきれない微かな笑みが浮かんでいた。


「ただの甘い蜜で、この帝国の最大派閥を崩壊させるとはな。……お前という女は、猛毒よりもよっぽど恐ろしい」


「お褒めにあずかり光栄です。……さ、帰りましょう、叡明様。今日はたくさん頭を使ったから、お腹が空きました。厨房にいいジャガイモが入ってるはずなんです」


私が笑いかけると、叡明様は私の手をさらに強く握り締め、

私たちは腐敗した匂いのする東の宮を後にした。


こうして、後宮を巻き込んだ「王太后の毒殺騒動」は、一滴の血も流れることなく、

静かに幕を下ろしたのだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

2章が完となります。


次回は3章へ。お楽しみに。

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