第四章:予兆と胎動
修の海外出張が頻繁になり、一年の半分近くを不在にするようになってから、マンションの空気は完全に康夫の色に染まっていた。
瑠美の体調に異変が現れたのは、修が東南アジアへの長期視察に旅立って二週間が過ぎた頃だった。
朝、キッチンで小春の朝食を作っていた瑠美は、炊き立てのご飯の匂いに強烈な吐き気を覚え、その場に崩れ落ちた。
「ママ、大丈夫?」
心配そうに覗き込む小春の声を遠くに聞きながら、瑠美の脳裏には絶望的な計算が浮かんでいた。
修とはこの数ヶ月、多忙を理由に一度も肌を合わせていない。
その日の午後、修の代わりに幼稚園へ小春を迎えに行った康夫が、青ざめた顔でソファに横たわる瑠美のもとへ歩み寄った。
「…瑠美さん、察しはついているね?」
康夫の声には、隠しきれない歓喜が混じっていた。
彼は瑠美の同意も得ず、すでに産婦人科の予約を済ませていた。
一週間後、診断結果は「妊娠二ヶ月」。
康夫は病院の駐車場に停めた車の中で、診断書を愛おしそうに撫でた。
「私の勝ちだ、瑠美さん。これで君と私は、修くんには決して立ち入れない『血の絆』で結ばれた」
瑠美は窓の外を見つめたまま、力なく呟いた。
「修になんて説明するつもりですか…? 彼は…彼は自分の子だと思い込むでしょう。そんな残酷なこと…」
「残酷?違うよ。これは慈悲だ。彼は真実を知らずに、父親になる喜びを享受できる。君が完璧に演じきれば、誰も傷つかない」
康夫の手が、まだ膨らみも目立たない瑠美の下腹部を、所有権を主張するように何度も撫でる。
瑠美はその感触に吐き気を覚えながらも、同時に、自分の内側に宿った「康夫の分身」が、修との生活を永遠に破壊する爆弾であることに、抗いようのない官能的な恐怖を感じていた。




