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青ざめた月と銀河鉄道の夜

作者: 愛龍

死を望んだ……それはただ言葉に出来ない叫びの積み重ね。そこで見た夢が幻のような出会いは彼を救う鍵となるのか…

願いはただ──終わらせたかった。


夜更け、春都はるとは窓を開け、青ざめた月に向かって小さく祈った。吐いた息は白く、文の終わりに打たれるピリオドのように夜へ溶ける。やがて降り始めた雪が音を吸い込み、世界はゆっくり形を変えた。


――――


気づけば、春都は見知らぬ駅にいた。


線路は遠い星の川に溶け、黒い天蓋のむこうで列車の灯が近づいてくる…


黒い車体が目の前で止まり扉が開く。


吸い寄せられるように乗り込むと、車輪の響きが静かに胸の鼓動を追い越していった。


「おお! 来たな、少年!」


広い背と朗々たる声。太陽のような瞳を持つ男が、車両の中央で笑った。


「難しいことはあとでいい。ここから先は、俺が引っ張ってやる!案内人とでも呼んでくれ」


春都は反射的に身をすくめる。──教室にいたら、絶対に友達にはならないタイプだ。眩しすぎて、近寄ることもできない。


「死を選ぶのも、生を選ぶのもお前の自由だ。でもな」男は拳を握る。「生きてこそ願いは叶う。俺はそう信じてる」


眩しい。

うるさい。

嫌いだ。



なのに、その言葉は胸のどこかで火花を散らした。


けれど……


「……僕は、もう疲れたんだ」


春都は俯き、かすれた声で続けた。


朝は胃が痛む。


教室の笑い声は遠く、自分だけ透明な壁の内側にいるみたいだった。答案に散る赤い丸。平均点より下がるたびに胸が冷たく沈む。進路の紙は白いまま。放課後、スマホを開けば、既読がつかないトーク、匿名の掲示板で自分らしき影が擦られている噂。眠れない夜が続く。まぶたの裏で、劣等感だけが増殖した。


家の中にも、静かな圧があった。「期待してる」──


その言葉がナイフみたいにきらめく。


言い返す語彙も、泣く余白も、どこかで失くしてきた。

「消えたい」という四文字が、枕元で小さく脈打つ。生きていることが、解けない宿題を抱え続けるみたいに思えた。


案内人はしばらく黙って、窓の雪を見た。さっきまでの大きな声とは違う、低く落とした静かな声。


「……俺に、弟がいた。優しくて、まっすぐなやつだった。学校のこと、将来のこと、家のこと──いろんなものが絡みついて、誰もほどいてくれなかった。『仕方ない』って、世間はすぐ言う。けどな、仕方なくなんて、なかった」


拳が膝の上でゆっくり握られる。


「理不尽な死だった…

だから俺は、覚悟したんだ。

もう誰かが『終わらせたい』ってつぶやいた時は、そいつの横に立つって。生きる道のほうへ、顔を向けさせるって」


その声音は熱かったが、怒鳴り声ではなかった。炎が、薪ではなく胸の奥の氷に向けられているのが伝わる。


「春都。疲れたなら、ここで一度、荷物を降ろせ。降ろした手は、次に掴むための手になる」


星の海を渡るころ、車両の空気がひときわ澄んだ。

ふと目をやると、窓辺にひとりの男が立っている。


漆黒の髪、深い水底のような瞳。旅人のような出たち。


案内人とは対照的に、声は低く、よく通るのに静かだった。


「……君は、なぜ死を望む?」


名乗らない。肩書きも語らない。ただ、問う。

問いは刃物ではなく、包帯のように静かに巻きつき、春都の本音をそっと押し上げた。


「死にたいんじゃない。……痛いのを、終わらせたいだけなんだ」


言って、はじめて気づく。自分は「死」を欲しているのではなく、「痛みの終わり」を探していることに。


旅人は、うなずく。「君が欲しているのは終止符ではなく、休符だ。休むことは、終わることとは違う。列車は、行き先を変えられる」


案内人が笑い、春都の肩を叩く。「そうだ。休んだらいい。息を整えて、また一歩でいいから進めばいい」


車窓に、雪よりも淡い朝の兆しが滲む。

星の河が薄れはじめ、遠くで誰かの声がした。


泣きながら名を呼ぶ、母の声。


震えるような、友のメッセージの着信音。


それらは線路の切り替え器みたいにカチリと鳴り、列車の向きを少しずつ変えていく。


旅人が、懐から小さな懐中時計を取り出す。針はなく、淡い光が円の中を流れていた。


「時間は、君を置き去りにしない。君が望むなら」


春都は、掌を見つめる。握りしめていたものは、いつの間にか涙で濡れていた。


「……生きたい。まだ、ちゃんと笑える場所を、見つけたい」


案内人は晴れやかに口角を上げる。「よく言った!」


旅人は静かに目を細める。「なら、列車は生の方角へ走る」


最後に旅人は告げた。


『僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない…君の幸はこれから築くんだ。自分の手で…物語を紡いで』


光が車内を満たし、暗い天蓋がひとひらずつ剥がれるように薄くなる―――――


春都が目を開けると、そこは白い天井の下だった。消毒液の匂い。手を握る温かさ。枕元で嗚咽を堪えながら微笑もうとする母の顔。


「あれは……夢か、幻か」


言葉にすればするほど遠のくのに、道だけは確かに残った。息を吸う。吐く。休符を置く。


春都は小さく、でもはっきりと頷いた。

「まだ、続ける」


―――その後


季節はめぐり、春都は大人になった。夜、机に向かい、紙に言葉を置く。

「成績」「進路」「友人関係」「眠れぬ夜」「家族の期待」「画面の向こうの嘲笑」──それらが複雑に絡み、誰かの胸を締めつける時、物語が解きほぐしのはしになればいいと思う。

一文ずつ、祈りの舟に変えていく。かつてあの列車が自分にしてくれたように。


窓の外、冬の夜空を一条の光が横切った気がした。


あの強い笑い声と、雪のように静かな問いかけが、今も胸で響いている。


彼らは何者か、名乗らなかった。それでいい。


──名がなくても、道を示す者は確かにいるのだから

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