春の訪れ
穏やかな陽射しの午後、執務中のクレイは側近であるデラが準備した紅茶を飲み、一息ついた。
山積する書類に埋もれるようになりながらひたすら承認のサインをしていく作業は気詰まりになりがちだ。
こうして機を見計らって休憩する時間を設けてくれるデラに感謝しながら、クレイは砕けた笑顔をデラに向けた。
「茶を淹れるのが上手くなったな」
「恐れ入ります」
騎士らしく礼節を失わない態度で、デラは恭しく頭を下げる。
「妻の指導の賜です」
その台詞に、クレイは笑いを堪えきれない。
「お前の息子は、相変わらずマイリに厳しく躾けられているのか?」
「本人がレイラ皇女の手本となりたいと宣言した以上、親として出来うる限りの支援をしようと決めたまでです。息子が意欲を失わぬよう、まず父親である私が手本にならないと」
「息子の方が得意となれるものを残しておいてやれ」
「既に息子の方が秀でているものの方が多いので。私は専ら、反面教師の役割を果たしております」
「マイリも苦労が絶えないな」
茶請けとして出された不格好な焼き菓子は、クレイの愛娘が焼き上げたものだ。生地の配合は妻のサラが整えているから、味のほうは申し分ない。
「ところでデラ。この嘆願書についてどう思う?」
差し出された一枚の書類に目を通したデラは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「…これは。大変申し訳ございません」
父親であるデラには見慣れた筆跡であり、家族同然で過ごしているクレイにも当然見慣れたその筆跡は、間違いなくデラの息子のものだった。
「匿名で受け付けている嘆願書で態々出すあたり、お前の息子らしいな。お前の任務に支障が出ると思ったのだろうな」
子供らしからぬ慎重さを持つデラの息子に、クレイは常々好感を抱いていた。敢えて言葉にはしなかったが、この配慮には父親の任務を敬う気持ちと、自らが思いのほか子供らしいということを知られてしまう気恥ずかしさを隠し通したいという願望も見て取れる。
「このような考えを持っているとは、夢にも思いませんでした。マイリに子供の頃の話を熱心に尋ねているのは知っていたのですが…私はその、子供の頃の生活について語るべき経験を持ち合わせていなかったものですから…」
思いの外過酷であったデラの幼い頃の生活を知るクレイは、彼の息子の配慮が父親の任務の為だけではなかったと思い知る。
「僕はむしろ嬉しいんだ、デラ」
クレイは皿から焼き菓子を取るようにデラに勧めた。デラはその中から比較的小さめなものを一つ取る。
「うん。皇女様も腕を上げられましたね」
「不格好だが、焼き加減は絶妙だろう?」
お互い親馬鹿としか言えない評価を下した後、クレイは再び嘆願書に目を戻した。
「我が国で、花祭りを開催したいという嘆願が出てくるとは夢にも思わなかったよ。父上が聞いたらひっくり返るだろうな」
戦を好む蛮族と揶揄されるワイルダー公国民は、花も育たぬ不毛の地で育ってきた為、花を愛でるという習慣も持ち合わせていない。唯一草花が育つ環境にあるクレイ公爵領は、森の女王の血を引くサラが嫁いで来たからこそ、クレイの主導によってここまで整えられてきたのだ。
「リブシャ王国から花を仕入れたとしても、王城に着くまでに枯れてしまいます。この公爵領までならともかく…」
「そう。この公爵領までなら可能だ。領内の子供達に良い思い出を作ってやりたいし、父上達も皇女の顔を見に来る機会が増えるのならば色良い返事をしてくれるだろう。交易地として財政も潤うだろうしな。エリーだって呼びやすくなる」
「エルマ王女だけお呼び出来るのなら良いのですが。ご夫君もいらっしゃるとなると、ワイルダー公国の面子をかけた警備が必要になるかと」
「だからこそ父上に出向いてもらうんだよ。警備は王城の警備兵に一任することになるから、お前は非番扱いだ。この機会に任務から解放されて、一人の父親として家族と花祭りを楽しんで来い。でないと僕が発案者に恨まれるからな」
「皇子…」
「公爵、だろ。いい加減、慣れてくれ。これから父上に手紙を書くから、今日中に早馬を走らせる手配を頼む。ああ、その前にもう一杯茶を淹れてくれ」
クレイはそう言うと紅茶を飲み干し、抽斗から便箋を取り出した。
「畏まりました、公爵」
デラは再びクレイへ恭しく頭を下げると、二杯目の紅茶を淹れる準備に取り掛かった。
ご無沙汰しておりました。
久しぶりの短編は、この二人の登場から始まります。
作者にとって馴染み深いこの二人は一番ストーリーテラーの役割を担ってもらいやすいので、登場率はかなり高めです。
これからも少しずつ投稿していくつもりなので、この二人の出番がますます増えていくと思われます。