生きている証
翌日薄曇りの空の下、5人の少女たちはベースキャンプを後にした。焚き火の温もりはすでに遠く、彼女たちの胸を満たすのは「生き延びたい」という切実な思いだけだった。
足音は湿った落ち葉に吸い込まれ、風の音と交じり合っていく。山と海がぶつかるこの場所は、静けさの中に不穏なざわめきを含んでいた。
「ノア、こっちの道、昨日と違って見えない?」
ミユが小さな声で言った。
ノアはちらりと後ろを振り返り、眉をわずかに寄せた。
「そうだな。たぶん夜のうちに雨が降ったんだ。土が流れて、地形が少し変わったんだろう」
「……そっか」
ミユは黙って頷く。
ノアの言葉にはいつも冷静な重みがあった。彼女の言うことには、なぜか安心できる何かがある。
一方、スバルはというと、ひとりだけ空気を変えるように元気な声をあげていた。
「おーい!見て、このきのこ!傘がめっちゃ大きいし、すっごいキラキラしてる!」
彼女の手には、赤と白の模様が鮮やかなきのこ。
ノアはその一歩前に出て、きのこに目を凝らす。
「触らないほうがいい。色が鮮やかすぎる。たぶん、毒」
その一言にスバルは口をすぼめた。
「ちぇー、やっぱり?」
「自然界では、派手なものほど危険だって覚えといて」
「はいはーい、森の先生」
スバルの軽口に、ミユが小さく笑った。そんな何気ないやりとりも、この状況では貴重な癒しだった。
「でも、きのこは全部が毒ってわけじゃないよね?」
ミユが問いかける。
「そう。ただ、見分けるには知識と経験が必要。今は無理しないほうがいい」
「うん……でも、食べ物は必要だし……」
「必要だ。でも命を落としては意味がないんだよ」
ノアの言葉に、二人は静かに頷いた。
生きるために食べなければならない。
でも、命をかけるべきではない。そんな当たり前が、この状況では難しい。
ーーーー
「足元、滑るから気をつけて」
サキの声がユミに届く。
潮風に晒されながらも、二人は海辺の岩場を慎重に進んでいた。
「うん……わかってる」
ユミは俯いたまま、岩の隙間に手を伸ばした。冷たい海水に触れるたび、体が小さく震える。
「ここに……あ、あった。小さな貝……」
ユミはそれを箱に入れる。収穫は少ない。でも、確かな命の糧だ。
「焦らずに、少しずつでいいよ」
サキの声は、潮風に紛れそうなほど静かだったが、ユミの胸にしっかり届いた。
「ねぇ、サキ。もし、明日は何も取れなかったら、どうする……?」
「それでも、探す。あきらめない。私たちには、それしかできないから」
「……うん」
ユミはぎゅっと拳を握る。恐怖はある。でも、隣にサキがいる。だから、まだ頑張れる。
ーーーー
夕暮れ。5人は焚き火を囲んでいた。
今日の成果は山菜、いくつかの貝、そして——疑わしいきのこ。
誰もがそれに目を奪われながらも、手を出せずにいた。
「やっぱり……きのこ、食べないほうがいいんじゃ……」
ミユの声が震える。
「でも、それが食べられるなら、もっと力が出る」
サキが真っ直ぐに言った。
「それでも、博打だよ。スバル、どう思う?」
ユミが問いかける。
「正直、怖い。でも、ノアがいるし……ノアなら、わかるんじゃない?」
その視線に、ノアは静かに頷いた。そして、黙ってきのこを手に取った。
「ノア……!」
「私が毒味する」
皆の目が彼女に集まる。ノアはきのこを裂き、小さな一片を口に運んだ。
毒きのこなら静電気が走り治癒が始まる。ノアはそれを知っていたのだ。
一瞬、焚き火の音さえ止まったように思えた。
噛む。
苦味。舌に広がる独特の刺激。喉の奥が熱くなる。
1秒、2秒、3秒……。時が止まる。
「ノア、大丈夫……!?」
スバルが声を上げる。
ノアは数秒後、ゆっくりと頷いた。そして、微笑む。
「問題ない。これは……食べられる」
その一言で、張りつめていた空気が緩む。ユミはその場に膝をついて、安堵の涙をこぼした。
「ほんとに、よかった……!」
「……ノア、ありがとう」
サキが静かに言った。
きのこは焚き火で軽く炙られ、山菜とともに香ばしい匂いを漂わせる。
岩場で取った貝は、海の塩気とともに、海岸で手に入れた小さな鍋で煮られていた。
「これ……ちゃんと、味がするね」
ミユがそっと口に運びながら言う。
「味がするって、こんなに嬉しいんだな」
スバルが笑う。
「食べられるものがある。それだけで、生きていける気がする」
ユミは目を閉じて、小さな幸せを噛み締めた。
誰もが無言のまま、少しずつ口に運び、咀嚼し、嚥下する。そのすべてが「生きている証」だった。
ノアは、仲間たちの顔を順番に見渡した。
安心した顔、喜びに満ちた顔、そして、未来を見つめるような目。
焚き火の炎が、少女たちの瞳に揺れていた。
「これが、私たちの強さ」
ノアは心の中で、静かにそう呟いた。
今日も生き延びた。それは奇跡ではなく、選び続けた結果だった。
そして、その奇跡は——きっと明日へと繋がっていく。