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第五話「トンネルを抜けて」

 朝、春の風が吹き込む誰もいない教室で、私は新品のB5ノートを開いた。


 私は今まで最初から原稿用紙に小説を書き出そうとしてたけど、まずは物語のジャンル、テーマや登場人物、簡単なあらすじなどを考えた方が良いということを学んだ。図書館で借りてきた小説の書き方の本にそう書いてあった。他にもプロットの役割や、三幕構成など、小説ひとつ書くにも、いろいろな技術があり、それを何も知らないで書けるほど小説は容易いものではないことも知った。

 少しずつ、少しずつ、これから私は勉強していくつもりだ。


 まずはジャンル。これはもう決めてある。私の好きなファンタジーを書きたい。

 先日、鎌倉文学館で見た石造りのトンネル。あれを見た瞬間、心がわくわくした。この場所を使って、物語を書こう、と直感的に思った。

 トンネルの向こうは、元いた場所とは違う世界で、文学館のようなかわいい洋館が出てくる。ここから物語を膨らまそう。この洋館の主は一人の少女で……。

 そこからは、突然掘った場所から泉が湧き出してきたように、次々にアイディアが思い浮かんできて、ノートが文字たちでみるみるうちに埋めつくされていった。


 一通り書き出した後、参考に借りてきた吉屋信子の「花物語」をパラパラと読む。

 こんな風に、可愛らしい少女小説にしたい。

 だから、登場人物は少女ふたり。主人公は中学生くらいで、クラスに馴染めない子。なんで馴染めないのかというと、話すのが苦手だからで……。優しい洋館の少女と交流するうちに、だんだん話すことができるようになる、とか? 成長物語がいいかな。

 それに、少女ふたりの恋の物語でもある。

 それが今、私が本当に書きたいこと。

 周りを気にせずに、自分の読みたいものを書いてみる。

 これは私の創作の第一歩。


 ピアノの音が聞こえる。

 はらり、と桜が散り、春の終わりを惜しむような、少しだけ寂しさのある曲。

 優美な音色に耳を澄ませる。


 ……あ、そうだ。春の国にしよう。

 主人公がトンネルを抜けてたどり着くのは春の国だ。

 桜の散らない、永遠に春の季節が続く場所。


 そう思いついた私は、急いでペンを走らせた。


 《中学生のつくしは、話すのが苦手でなかなか友達ができない。ある日、学校に行きたくない、と母と喧嘩して家出をしたつくしは、森の中の不思議な洋館を見つける。その洋館は、近所の人からは今は空き家で老朽化しているため、誰も近寄らない場所だと噂されていた。つくしが塀の外から中を覗こうとすると、そのお屋敷からピアノの音が聞こえてきた。美しいピアノの音色に誘われ、つくしはその洋館へ続くトンネルへ潜る。その瞬間、夏の夕暮れだったはずなのに、蝉の鳴き声がやみ、目の前に桜の花びらが舞い落ちる。いつのまにか美しい桜のトンネルに変わっていた。歩いていくと目の前にかわいい洋館が現れ……》


 私は、有希子の生み出す春の音色に包まれながら、夢中になって書き続けた。



 オレンジの陽に変わる頃、私は心地よい疲労感で帰路の江ノ電に乗っていた。

 さっきまで、鎌倉駅前の図書館で朝の続きを書いていたところだった。

 今日は充実した一日だった。

 初めて「書く」という感覚が掴めた気がする。やっとスタートさせることができた。あとは、骨格に沿って物語を紡いでいく。

 海と空がオレンジに染まり、車窓に映る私の顔は満足そうに笑っている。

 きっと面白いお話が書ける。そんなわくわくする感覚があった。

 その時、ポケットの中のスマートフォンが振動した。

 グループメッセージでやまちゃんから写真が送られてきた。昨日の由比ヶ浜で、海を背にみんなで撮った写真。楽しそうに笑う有希子が写っている。

 かわいい……。

 有希子と初めて撮った写真、嬉しくてすぐ保存した。

 『さんきゅー!』と返信すると、ほぼ同時に『ありがとう、とても楽しかったです』と有希子からメッセージが入った。有希子らしい丁寧な返信だな、と思った。

 ふと、有希子に個人的にメッセージを送ってみようか、と思いつく。

『やっほ。今日ね、やっと小説書けたんだよ』

 そう書いては、いや、なんか違うなと書き直す。

 そうやっているうちに、練習中かな、迷惑じゃないかなと思い始めて送るのを辞めてしまった。

 結局、勇気が出ないだけなんだけど。


 夕食後、帰路のコンビニで買ったバニラアイスを開け、ソファにどっかりと座る。

「甘いのばっか食べて、太るわよ」

 母のお決まりの愚痴を聴きながら、テレビを点ける。

「いいの~、今日頭使ったから疲れたの~」

 チャンネルを変えると、見覚えのある人物が写っていた。

「あ」

 小説家・陽河ユイ先生がアナウンサーからインタビューを受けていた。

 私が好きな小説『精霊の森のちいさな魔女』の映画の宣伝番組らしかった。

 そっか、そういえば映画は来週公開だった。自分の小説のことで頭がいっぱいで忘れてた。

「映画の見どころはどこですか?」とアナウンサーが聞く。

 陽河ユイ先生は笑顔で答える。

「映画楽曲を大好きな作曲家さんが制作されてるんです。物語に没入できる素敵な音楽になっておりますので、ぜひ劇場で堪能してほしいです」

 へぇ、楽しみだなぁ。あとで予約しよう。


 その番組が終わったので、他のチャンネルに切り替えると、音楽家を追ったドキュメンタリー番組がやっていた。

 ウィーンで活躍する日本人の女性ピアニスト。艶やかなウェーブがかった長い前髪から覗く目つきが、氷のような冷たい印象を受ける。そしてその顔は、怖いほど美しい。

 なぜか気になって、その番組を見続けた。


 コンツェルトハウスというウィーンの格式あるコンサートホール、赤と金を貴重とした豪華な内観だ。

 そのステージに一人登場したそのピアニストは、その場をシンとさせてしまうような、そんな静寂な威圧感があった。


 次の瞬間、狂気をはらんだ激情的な演奏が始まった。

 漆黒のドレスも相まって悪魔のような恐ろしい印象を覚える。


 世界的なピアニスト、月代光子(つきしろみつこ)


 その面影も演奏も、私には見覚えがある。

 私はテレビ画面を携帯で撮り、その写真と共に有希子へメッセージを送った。

『この人って、もしかして有希子のお母さん?』

 数分後、電話の着信が鳴り響く。

 驚いて携帯を見ると着信画面は『月代有希子』の文字。

 慌てて二階へ上がり、物置部屋からベランダに出る。自分の部屋では妹が勉強していたのだ。


「はい!」


「あ、夜分にごめんなさい。月代です」


 電話口から春の夜風のように優しい声が聞こえて、心がきゅうっと締めつけられた。

「月代さ……、有希子? 急に電話来て、びっくりしちゃった」

「あ、ごめんね……。私、メッセージするの少し苦手で……」

「え、そうなの?」

 苦手とかあるんだ……。慣れてないとか?

「文字のやり取りって、変に勘違いさせる事とかあるでしょう? 私の文章、絵文字とかなくて淡白だから、冷たく感じるらしくて……」

「なるほど。私は全然、電話でも大丈夫だよ」

 どちらかと言うと、私は電話の方が緊張するから苦手だけど……。

 でも、学校以外でも有希子の声を聞けると思うと嬉しい感情の方が勝つ。

「真名の送ってくれた写真だけど」

「あ、そうだった。たまたま観てたんだけど、有希子になんとなく似てるって思って」

「うん、月代光子は私の母なの」

「やっぱり! お母さんなんだ、なんだかオーラがあって、とってもかっこいい人だった」

「ふふ、ありがとう。自慢の母なの」

「そうなんだぁ。演奏の時の雰囲気が、学校の記念行事の時の有希子にすごく似てた気がして」

「そうなの?」

「うん、月代さんからお母さんと似た気迫を感じたもの。それに凄く上手なところも……!」

「ありがとう。 ……でも、私なんか全然。母とはレベルが違いすぎるわ。いくら練習しても追いつける気がしないもの」

 そう話す有希子の声は、いつもより少し寂しげに聞こえた。

「でも私、有希子の演奏好きだよ。教室に聞こえてくる有希子の曲に、いつも励まされてて……」

「……ふふ、ありがと」

「あ、そうそう! 今朝、有希子の曲を聞いていたら急にアイディアが湧いてきてね、物語が書けるようになったの!」

「え! すごい!」

「やっとスタートさせることができたよ。今まで書けなかったのが嘘みたいに、すいすい書けるの! だから今すっごく楽しくてさ……」

「……ふふ、よかった。真名が嬉しそうで私も嬉しい」


 そんな綿菓子のように甘い有希子の声を聞いていると、すごく安心する。

 このまま電話を切らずに、ずっと聞いていたい。

 少しでも長く、有希子と一緒にいる時間が欲しい。

 いればいるほど欲が出てきてしまう。


「あのさ」

「なあに?」

 有希子が聞き返す。

「……映画好き? だよね」

「? ええ、好きだわ」

「今度ね、私の好きな小説が映画化するの。『精霊の森のちいさな魔女』っていうんだけど」

「へぇ! 初めて聞いたから、ちょっと調べてみるね」

 そう言って有希子はパソコンで検索をかけているようだ。

「あ、これね。へぇ~、面白そうなお話ね! ……あ!」

 突然、有希子は大きな声を上げた。

「どしたの?」

「あのね、私の好きな作曲家さんが映画の曲を作ってるみたいなの!」

「え、すごい!」

「わぁ! いいなぁ! 聞きたいなぁ」

「え、じゃあ行こうよ」

「え?」

「映画、一緒に観に行こう」

 当初の目的の言葉、やっと言えた……。

 私は最初から、有希子を映画に誘うつもりで聞いたのだ。断られるのが怖くて遠回りになったけど、でも好きな作曲家さんが参加してるのなら、さすがに断られることはないだろう。

 しかし、有希子は意外な言葉を口にした。

「無理かもしれない……」

「えっ」

「ピアノのレッスンで忙しくて、時間がないかもしれないわ……」

「そっかぁ……」

 一気に落胆する。そうだった、有希子はコンクールなどで忙しいのだ。

 私のように、暇な時間が当たり前にある人間ではないのかもしれない。

「それに母が帰ってくるから……」

「お母さん、帰ってくるの?」

「そう、ちょうど明日からしばらく長期休暇みたい。こんなのって珍しいのよ」

「そっか……、じゃあお母さんとの時間大事にしなきゃね」

 それなら、なんとなく仕方ない気がした。

 親子の時間は大事だ。普段会えないなら尚更。

「でも……」

 有希子が急に切羽詰まった様子で話を続ける。

「私、映画行きたい……」

 そう、有希子は絞り出すように話した。

「だから、お母さんのこと、説得してみる」

 説得? 少し引っかかったが、行きたいと言ってくれて嬉しかった。

「あ、ありがとう! でも無理しなくても大丈夫だよ」

「ううん! 私も観たいもの、その作曲家さんの曲、映画館で聞いてみたい」

「そっか」

 私と出かけたいという意味では、ないよね、そりゃ。

「それに、真名とお出かけ出来るチャンスだもの。だから、頑張るわ」 

 電話でよかった。

 今、この表情を見られたらきっと気付かれてしまうから。

「ありがと、有希子」

「こちらこそありがとう」

 電話を切ると、夜空には春の三日月がにっこりと微笑んでいた。

 月も私を見て、さぞ幸せそうな三日月だと思ったことだろう。


《続く》

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