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第二話「星と月の距離」

「あー惜しい! もっかいやろ」

 千景(ちかげ)がスマホを構えると、私とやまちゃんと姫子(ひめこ)は音に合わせて自分の指を逆さピースにして机の上を踊るように歩かせた。いま流行ってるフィンガーダンスってやつだ。指だけで踊れて手軽にできて楽しいから、うちのクラスでも結構流行っている。上手く撮れたらSNSにアップする。


 新学期になってから1週間が経ち、私はクラスメートの友人たちと一緒に動画を撮るくらいには仲良くなっていた。窓の外の桜は葉桜になり始めている。

 あれから毎朝、教室で小説に向き合っているけれど、少し書いては消し、少し書いては消し、を繰り返している。書けないことは苦しいけど、ただ、月代さんのピアノの音を聞くことが楽しみで、続けられている自分もいる。


「恭平くん、かっこいい~」

 お昼休み、やまちゃんはスマホで動画を見ながらうっとりしている。今ハマっている恋愛WEBドラマの主人公・恭平くんは不良で乱暴だけど、ヒロインには優しいのだそう。

「ねぇほら、このシーン見てみて!」

「うるさいな~」

 興味ないけど、山ちゃんがうるさいので私はお弁当を食べている手を止め、スマホを覗き込んだ。恭平くんがヒロインのおでこに自分のおでこをくっつけて、熱を測るシーンだ。

「私もされたい!」

 リアルでこんなことされてもなぁ……。

「わかるよ、憧れだよねぇ」

「ちょっとわかるかも」

 隣で一緒に観ていた千景と姫子は「わかる」らしい。

「いいよね、ふたりは。これやってくれる彼氏いるんだからさ」

 やまちゃんがふてくされたように言う。千景と姫子も中学の時から付き合っている彼氏がいるのだ。

「いや、さすがにこれやってとは恥ずかしくて言えないけどさ」

 千景は知的な赤いメガネをくいっと直して答える。

「いーねーラブラブだねぇ」

 やまちゃんはうらやましそうにため息をついた。姫子が聞く。

「やまちゃんのタイプは恭平くんみたいな感じ?」

「そうだなぁ、優しくて~カッコよくて~細マッチョがいいかなぁ」

「真名は?」と千景。

「ええ、うーん。考えたことないからなぁ……」

「まだまだお子様だなぁ、真名は」

 やまちゃんがなぜか勝ち誇った顔で言う。

「あんたに言われたくないわ……」


 正直、こういう話しは苦手なんだよね……。

 やまちゃんたちは一日一度は恋バナやら男子の話をするものだから、少し疲れるときがある。

 ……月代さんと話してる方が楽しかったかも。


 後ろのドアが開き、担任が顔を出した。

「あなたたち、そろそろ出発するわよ。荷物持って門の前に集合ね」

「あ、そうだった! 次ホールに移動じゃん!」

 みんな慌てて弁当を仕舞い始める。

 5限目は授業ではなく、100周年記念の行事を記念ホールで行うのだ。


 小町女子高等学校は鎌倉駅の東側にある小町という立地に建つ。記念ホールはコマ女から歩いて5分の距離にあり、建物のすぐ後ろは緑茂る谷戸になっている。私たちの合唱コンクールなどの行事に使うのだけど、500人収容の立派なホールのため、たまに有名人などを呼んで講演会を開いたり、プロの音楽家のコンサートにも使ったりするのだ。

 そんなすごい舞台に、月代さんが立っていた。

 記念式典のオープニングの演奏に全校生徒代表で月代さんが選ばれたそうだ。

 私は暗くなった席から、壇上でスポットライトを浴びる月代さんの姿を見上げていた。

 まっすぐに客席を見て、礼をする月代さん。顔を上げた時の凛としてどこか冷たさのある表情に、先日話した可愛らしい面影は無く、全く別人のように感じてしまう。

 隣の席の千景がひそひそと話しかける。

「月代さん家って音楽一家らしいよ。特にお母さんが世界的に有名なピアニストらしいの。月代さん自身も去年の全日本コンクールで3位だって、まだ1年生だったのに。才能よね……」

「へぇ……」

 パンフレットに書かれた曲目を見る。


 ベートーヴェン

 ピアノ・ソナタ 第一七番 ニ短調テンペスト 第三楽章


 ピアノの音がした。

 月代さんの背筋はピンと張り詰め、凄みを感じるオーラを放っていた。速く細かな高音のメロディを次々に生み出していく。華やかで軽やかだが、どこか切羽詰まっているようなメロディだ。かと思えば、今度は悪魔が降りてきて暴れているかのような低音の乱暴な旋律が鳴り響く。一心不乱に演奏する月代さんはその悪魔に取り憑かれているのかもしれない。私はその狂気にも似た演奏を、終始瞬きも忘れるほどジッと魅入ってしまっていた。 

 そうか、音楽は物語なのか。私は初めて気付いた。

 会場全体がこの月代さんの紡ぐ物語の世界に惹き込まれているのを感じた。


 曲が終わる。椅子から立ち上がり、月代さんが一礼をすると、会場全体に拍手の嵐が巻き起こった。顔をあげて、微笑んだ月代さんの笑顔は少し憔悴しているように見えた。


 式典が終わり、友人たちと廊下へ出ると月代さんが数人の女生徒たちに囲まれていた。

「おお、凄いね。あんなにファンがいるんだ」

 やまちゃんが繁々と見ながら話す。

「そりゃあそうでしょうよ、さっきの演奏すごかったし」

 千景が感心しながら話し、隣で姫子がうんうんと頷いている。

「だね」

 私は少しもやっとした気持ちになった。私もファンの一人、ということになるんだろうか。

 私たちが月代さんとファンたちの一群の横を通り過ぎようとした時だった。

「あ、真名さん」

 横を見ると月代さんが満面の笑みで私の方を見て、そして手を振っている。可愛らしい、初めて会話を交わした時の月代さんの笑顔だった。その横でファンたちの冷たい目線も一斉に感じることになったけど。

「や、やっほ」

 私は辛うじて笑顔を作り、手を振り返す。それだけで十分というように、月代さんは微笑み返してくれた。友人達の目線が私に集まっている。

「真名……? どうゆうこと?」

「いつのまに仲良くなったの?」

 私はなんて説明していいか分からずに、

「えっと……秘密……?」

 と、苦笑いを返した。


『テンペスト』

 テンペストは『嵐』という意味だった。諸説あるが、シェイクスピアの戯曲『テンペスト』を元に作られたとも言われている。その夜、私は図書室で借りたきた「シェイクスピア全集・テンペスト」という文庫本を、自分の部屋で読みふけった。その他にも「小説の書き方」やら、夏目漱石や、芥川龍之介などの有名な作家の小説を片っ端から借りてきて机の上に積み上げた。

 壇上の月代さんを見て、「私はなにをやっているんだろう」と思った。彼女はいくつからピアノを弾いてきたのかは知らない。だけど、自分と彼女の距離は月と、月の横にポツンと光る星のように離れていて、一生近づくことはないように思えた。


 それでもやっぱり、翌日も私の足は早朝の教室へ向かっていった。

 いつものようにピアノの音が聞こえてくる。私は窓から葉桜を眺め、いつものように小説の構想にふけった。

「真名さん」

 その声を聞いて、私の心がぴょんと跳ねた。二階の窓から月代さんが顔を出してこちらを見ていた。

「おはよ! 月代さん」

「おはよう、もう桜は散ってしまったわね」

「ね、早いもんだね」

「でも私、これから来る新緑の季節も好きだわ」

「わかる! 緑が青々としてきらきらして、素敵だよね」

 月代さんはにこにこと微笑みを返し、しばらくしてこう言った。

「ねぇ、もし良ければこっちの部屋でお話しない?」

 思ってもないお誘いだった。私は急いで筆記具をしまって、二階へ駆け降りた。


 音楽第二準備室は相変わらず、少し薄暗く埃っぽいけど、月代さんの座るピアノの前だけは光が差し込んでいて暖かそうだった。

 月代さんは奥から引っ張り出したのか少し錆びたパイプ椅子を用意してくれて、そこの座面の埃を自分のハンカチで払ってくれた。

「ありがとう」と私はそこへ座らせてもらった。

「いいえ。ようこそ、って私の家じゃないのにね」

「どっちかと言うと秘密基地だよね」

 ふたりして、ふふっと吹き出す。

「なんだか、あれ以来ちゃんとお話してなかったなと思って。学校じゃゆっくりお話するタイミングがないでしょ。でも、執筆のお邪魔してしまったかしら」

 そんなことを思ってくれていたなんて。私は胸の高揚を抑えながら答える。

「そんな、私もお話したいなって思ってたから、すごく嬉しい」

「よかった……」

 上品に顔の前に手を合わせて、喜んでいる月代さん。

「執筆はどう? どんなお話を書いているの?」

 初手で痛いところを突かれた。

「あ、はは……。それが全く」

「あら、それはどうして?」

「えっと、どうしてだろう……」

 本当にどうしてだろう? そう問われて、こんなに長いこと書けないのは根本的になにか理由があるような気がしてきたのだ。

 うーん……と私は悩みこんでいると、月代さんは少し慌てたように言う。

「悩ませてしまってごめんなさい……。私、余計なことを言ってしまったわね」

「いや、違うの……、あのね、たぶん書けない理由はね。力みすぎてるんだと思う……。コンクールで優勝しなきゃって無意識に緊張してしまっていて。今、聞かれて気づいたわ」

 私が捻り出しながら話す言葉たちを月代さんは頷きながら聞いている。

「審査員の先生が私の憧れの作家さんで、凄いのを描かなきゃいけない、期待に応えなきゃいけないって。よくよく考えれば、私なんかに期待しているはずないのに、おかしな話だよね……」

「そんなことないわ」

 月代さんがはっきりと言った。そして、一呼吸置いて続ける。

「……私も真名さんの気持ち凄くわかる。私、コンクールに出るの好きじゃないの」

「え?」

「あ、好きじゃないってことじゃなく、たぶん苦手なの。真名さんの言うように緊張してしまって。それでね、ある時気づいたの。あ、私のままじゃダメなんだって。鎧をつけなきゃダメなんだって。それで、コンクールで弾く時は鎧を纏っている気持ちで弾くことにしたの。そうしたら、いい成績が出るようになって……」

 月代さんの話を聞いて私は先日の式典での演奏を思い出した。あの時の憔悴している様子は、無理をしていたからだったのか。

「だから、しんどそうだったんだね」

「え?」

 月代さんは意外そうな顔で私を見た。

「あ、いや。こないだの式典の演奏で、ちょっと疲れていたようにみえたから」

「……ふふ。真名さん、よく見てくれてるのね」

 月代さんはなぜか嬉しそうに私を見つめている。自分の気持ちを見透かされているんじゃないかと私の心臓が高鳴り始めた。

「だから、秘密なんだけどね」

 私の焦りを気付かないまま、月代さんはくるりと後ろを向き、壁沿いの古ぼけた本棚からファイルを取り出した。ほっとため息をつく私に、月代さんはファイルを開いてみせた。

 楽譜だ。何十枚もの譜面に、手書きで書き込まれたであろう音符が連なっていた。

「これって……」

「私が書いたの」

「月代さんが作ったってこと?」

「そう。私、作曲してるの」

「え!」

 私の驚いた顔を見て、月代さんは満足そうな顔をした。前も思ったけど、月代さんは少し子供っぽいところがある。

「家だとね、コンクールの練習ばかりで、息が詰まっちゃうの。だからね、ここで毎朝好きなように作曲しているの」

 そう言いながら、月代さんはピアノを優しく弾いて見せた。

「……凄い。 作曲もしちゃうなんて。やっぱり月代さんは凄い人なんだね」

「ありがとう……」

 月代さんは少し照れたように微笑んだ。

 私はそこで、ハタと気が付いた。

「あの時の、……初めて会った時に弾いてた曲も、月代さんが作ったの?」

「うん、そうよ」

「わぁ、そうなんだ……。私、あの曲すごく好き」

「……あの日もそうやって褒めてくれたよね」

 月代さんは柔らかい目で私を見つめて続けた。

「すごく嬉しかった」

 私はその目に胸を掴まれそうになる。もしかしたら、自分の思うよりももっと近くに月代さんはいるのかもしれない。そう勘違いしてしまうような。

「あの、私、月代さんを入学式の時にも見かけたの。桜の前で歌ってた、よね?」

 月代さんの微笑みが引き攣った。

「……あれ、見てたの?」

「え、うん……」

「……恥ずかしい」

 月代さんは赤くなった顔を両手で覆った。

「えっ、ごめん……なんか、目立ってたから」

「ううん。……そうなの。あの日は桜が綺麗だったでしょ。それで眺めていたんだけど、途中で音が降ってきちゃって……。それで、早く曲にしなきゃって」

「音が降ってくる……?」

「うん。そういうの、真名さんはない?」

「私は……」

 あ、確かに、月代さんの曲を聴いていたら、知らない間に物語を描いていたことはあった。あれは降ってくるというんだろうか?

「あるかも……?」

「でしょう。そうなると集中して、周りが見えなくなっちゃうの」

「ああ、それはわかる」

「ふふ。じゃあ一緒ね」

 月代さんと一緒なんて、恐れ多い気もするけど……。

「それでね、私ここで音楽を作るのがとっても楽しくて。それって、自分のためだけに作ってるからなのかなって思うの」

「自分のためだけに?」

「そう。コンクールを意識するとどうしても誰かの目線を気にしてしまうけれど、でも自分のためだけにって意識してみたら、失敗してもいいんだって思うし、だったら好きにやっちゃっていいんだって。そう思ったら、わくわくしない?」

「わくわく……するかもしれない」

「そう。だから真名さんも、自分のためだけに物語を描いてみたらいいわ」

「そんなこと、できるかな?」

「できるわ。だって、自分の読みたいものを書けばいいんだもの」


そう話す、月代さんの子供のようにきらきらした眼差しに、私はとても大きな勇気をもらった。うじうじして同じ場所から進めない私の背中を、力強く押してもらった気がした。


《続く》


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