1 トリロ不思議な生き物と遭う
昔むかしある村の道端で、子ども達がかくれんぼうをして遊んでおりました。鬼の役になった子どもが、両手で顔を覆い隠し、他の子ども達がちゃんと隠れたかどうか尋ねます。
「もう、いいかい」
「まあだだよ」
「もう、いいかい」
「もう、いいよ」
子ども達は皆それぞれの隠れ場所に落ち着いたようです。
鬼は顔から手を外し、伸び上がって辺りを見回しました。
道の両脇から畑が始まり、ずっと遠くまで広がっています。遠くには高い山が聳えて、剣のように空を突き刺しています。山の手前には林があり、こんもりとした緑の霞が取り巻いています。時折牛や羊の白っぽい姿が、何かの塊のように見えます。
畑の間には、小さな小屋が点々とあります。多くは畑仕事の道具や干し草などをしまっておく小屋ですが、人が住んでいる小屋もあります。
畑には鍬や鋤をふるって働く大人達がおりました。牛に鋤を牽かせている大人もおります。皆熱心に働いておりました。仲間達の姿は見えません。鬼は、道の前後に目を向けました。鬼の前にある道を進むと、大きなお屋敷へ入ることができます。そこは領主トリロの館でした。
トリロは、牛飼いの息子でしたが、先の戦で大きな手柄を立てたので、褒美として山間にある小さな村を王から与えられ、領主になっておりました。
王は民の手前として牛飼いの息子にも褒美を取らせただけで、その痩せた土地しか持たない村のことなど、すっかり忘れてしまっておりました。村人達は、長い間王や町の人達から顧みられなかったので、お城の人達のことなどよりも、村をよくしてくれるトリロや、村に怪しい人物が入らないように見張ってくれる山住みの男達の方に親しみを感じておりました。
鬼は後ろを向きました。それは子ども達がさっきやってきた道で、村の中へと続いておりました。入り口に建っている小屋の影で、何かが動きました。
「見ぃつけた」
鬼は大声で叫びながら、小屋へ向かって駆け出しました。小屋の後ろから、すごすごと仲間の一人が姿を現しました。いの一番に見つけられたのが恥ずかしかったのでしょう。しきりと頭に手をやって、髪の毛をいじっています。
「小屋の中にもいるだろう」
鬼はまたも大声で叫びながら、小屋の周りをぐるぐると歩きました。一番に見つけられた子どもも一緒に、ぐるぐると回りました。二人で小屋の後ろ側を歩いている時、背後にある扉がそっと開いたような気配がありました。
「見つけたぞ」
鬼はきゅるりと回れ右をすると、猛烈な勢いで扉のある側へ走り寄りました。今しも仲間が二人で逃げようとしているところでした。これで鬼は三人の仲間を見つけました。残るは二人です。
「小屋の中には、もう誰もいないのかな」
鬼は新たに見つけた二人に尋ねながらも、自分で小屋の中を改めました。明るいところから急に暗い中へ入ると、すぐには様子がわかりません。やがて暗さに目が慣れると、隙間や明かり取りから漏れる光で小屋の中が見えるようになりました。やはり、誰もいる様子がありませんでした。鬼は外へ出ました。
「村の中へ行ったのかな」
誰にともなく呟きます。応える者はおりません。もし知っていたとしても、教えてはいけない決まりになっております。それに、皆自分が隠れるのに一生懸命で、仲間がどこへ隠れたかまで見届ける余裕はありませんでした。鬼はもう一度辺りを見回しました。
「あっ。牛にしがみついているぞ。見つけたぞ。降りてこいよ」
何と、一人は牛の横腹にしがみついておりました。牛が向きを変えたので、姿が丸見えになってしまったのです。牛の歩みはのろく、向きが変わったことに気がつかなかったことと、気付いたところで、急に反対側へ移動することができなかったために、鬼に見つかってしまいました。
「あと一人」
鬼は村の中を眺めました。村人がのんびりと行き交っております。隠れる場所はたくさんあるでしょう。こちらを探すのは大変そうです。
「こっちだ」
鬼は見つけた仲間を引き連れて、最後の一人を探しにトリロの館へ向かいました。領主の館ではありますが、トリロの館の門扉はほとんどいつも開かれておりました。
従って、村人はもちろんのこと、子ども達も自由に出入りすることができました。
連れ立って門に辿り着くと、鬼は足を止めました。扉は開かれておりますが、立派な門構えです。門の中に人が住むことさえできそうです。鬼と仲間達がそのままじっとしていると、門のどこかから人の気配が伝わりました。
「見つけた!」
「わっ」
「ひえええ。助けて!」
最後の仲間が門の上から転がり出てきました。怯えた顔で、後ろを指しています。
なかなか言葉が出てこないようです。
「なんだなんだ」
「何かいるのか」
全員見つかって鬼ごっこも終わったことであるし、子ども達は皆で門の上へどやどやと上がり込みました。怖さも少しはありますが、昼間のことですし、皆一緒だという安心感が好奇心に道を譲りました。隠れていた仲間も、後からこわごわ付いてきました。
門の上は広い部屋のようになっており、何に使うのかよくわからない道具らしき物が、隅に寄せて積んでありました。仲間が駆け下りたせいでしょう。埃が外の光に反射してきらきらと舞っている他、変わった事はありません。
「何もないぞ」
子ども達が、不満そうに後ろからきた仲間へ文句をつけます。騒ぎを引き起こした仲間は、困り顔です。
「さっきは本当にいたんだ。変な生き物だった」
「どんな」
「人間に似ているけれど、人間じゃない」
「俺は人間だ」
「きゃああああ!」
突然聞こえてきた覚えのない声に、子ども達は肝を冷やして一斉に逃げ出しました。先を争って門を降りると、ちょうどトリロと鉢合わせしました。
トリロは、村の領主ということになっておりますが、生まれつきの顔まで変えることはできないので、今でも牛飼いの息子らしく平凡でした。その上、着飾ることもせずにいたので、外の者にはますます町や村の民と区別がつきませんでした。でも子ども達は、ちゃんとトリロの顔を知っておりました。
「そんなに慌てて、どうしたのだ」
鍬を肩に担ぎ、トリロはのんびりと尋ねました。子ども達が騒ぐのは日常茶飯事で、大人にはちっとも面白くない事でも、ひどく面白がる事をトリロは知っておりました。子ども達はこれ幸いと、トリロに今しがた起こった奇妙な出来事を話しました。
「ふむふむ。では、ちょっと見に行こう。危ないかもしれないから、お前達はここから離れていなさい」
「はーい」
素直に返事をした子ども達は、のしのしと階段を上るトリロの背中を見送ると、僅かに数歩ばかり下がっただけで、固唾を呑んで中の物音に聞き耳を立てました。
とてつもなく珍しくて面白い事が起こるかもしれないのに、遠く離れて見逃すなど、子ども達にできる筈がありませんでした。でも、暫く待っても、劇的な物音も掛け声も何も聞こえませんでした。子ども達は待ちくたびれてしまいました。
「ねえ。魚釣りして遊ぼうよ」
遂に年少の子どもが言いました。魚釣り、という新しい魅力的な遊びを思いついて、子ども達の心はすっかりそちらへ奪われました。
「じゃあ、竿取ってくる」
「魚籠も忘れるなよ」
「長網も」
子ども達はてんでに魚釣りの計画を立てながら、トリロの館を後にしました。
子ども達の声が遠くに小さくなった頃、門の上から奇妙な生き物が降りてきました。
それぞれ二本ずつ、人間と似た形の手足を持っておりますが、どれもとってつけたように短いのです。それが生えている胴体もずんぐりとして短く、首から下だけ見れば、卵に手足をつけた人形のようでした。それでいて、首から上にはちゃんとした人間の頭が乗っかっておりました。
ただし、目も鼻も耳も異様に小さく、人並みの大きさである筈の唇が異様に目立ち、却ってそこだけが間違って造られたと見えました。まともな大人の頭を寸詰まりの胴体と短い手足で支えるのですから、不安定極まりありません。その生き物はよちよちと壁を伝いながら慎重に階段を下りていましたが、やはり途中で足を踏み外し、ころころと地面へ転がり落ちました。
「怪我はないか。俺が抱えて館まで連れて行こうか」
後から降りてきたトリロが尋ねました。生き物はもがきながらどうにか立ち上がり、できるだけしゃんとした姿勢をとりました。
「いいえ。自分で歩けます」
生き物は人間と同じように口を利き、誇りも持っているようでした。トリロは二度と口出しせず、よちよち歩く生き物の後から、館へ向かいました。
館で働く村人達は、トリロが奇妙な生き物を前に立ててやってくる姿を見て、心の中では酷く驚きましたが、何食わぬ顔をして応接間へ案内しました。トリロの元へは、様々な人が相談に訪れるので、他の村人に比べると、館の人達は変わった出来事に慣れておりました。
応接室にあるソファが高過ぎて、生き物は自力で座ることができませんでした。そこでトリロは手助けしましたが、生き物はこれには素直に従いました。
よい具合に一人の婦人が飲み物を持ってきました。婦人はスープを入れるような両把手付きのカップを、生き物が座るソファの肘掛けに置きました。ソファの肘掛けは幅が広く、よく磨かれた木の台が付けられておりましたので、カップを乗せても平気でした。
生き物は、どのくらい門に隠れていたものか、飢えた獣のように一気にカップを干しました。
トリロはテーブルに載った果物を二、三個ばかり肘掛けに置きました。生き物はこれも二つばかりぺろりと平らげました。空腹が収まったところで、トリロは生き物に話しかけました。