白い歯
急いでいた。
大急ぎで向かっていた——薬品倉庫に。
レイチェルティリア様とアティラ王女殿下の衝突はなく、そのままお互いがにらみつけ合いながら別れたのだけれど、俺は気が気じゃなかった。
——俺が売ってたのは鎮痛剤じゃなく、ほんとうは……麻薬だったんじゃ?
医者に掛かる金額を考えれば鎮痛剤が売れるのはわかる。「とりあえず持っておこう」と思うのは理解できる。
だけど、「追加でもうひとつ。いや、あるだけ出してくれ!」となるはずがないのだ。
「使ってみてよかったから」という理由があったとしても、「さらに追加でもう5粒、いや、あるだけ出してくれ!」というのはおかしい。
おかしいのだ。
同じ相手に何回も鎮痛剤が売れるなんて——どう考えてもおかしいのだ。
(クソッ、なんで俺はそんな単純なことに気づかなかったんだよ!!)
入ってくる金額のデカさに浮かれて、ちょっとした違和感を無視したせいだ。
(だけど、まだ間に合うはずだ)
もしもあのオッサンが違法薬物を売ってるのだとしたら、オッサンを治安本部に突き出せば俺は、まあ、怒られはするだろうけど俺もまた「被害者」ということになる。騙されただけだし。
虫がよすぎるか?
いや、それでも主犯にはならんし、牢獄にぶちこまれることもないだろう。治安本部の捜査にだって協力しちゃうし。
だけど、それをやるには、あの鎮痛剤がマジのマジで違法かどうかを確認しなきゃならない。
もしかしたら——俺としてはそっちのほうがありがたいのだけど——あのオッサンは正当に、本物の鎮痛剤を俺に売っていたのかもしれない。そうだろ?
いずれにせよ俺の手元には1粒も残っていないので、あの薬品倉庫で新しいものを仕入れなきゃならないってわけだ。
今は真夜中だけど……朝まで待てんわ。
なんなら忍び込んで何粒か盗み出してもいいとすら思う。
それくらい俺は切羽詰まってる。
(もし麻薬だったらヤバイ。マーカスのオッサンがいなくなって、俺が主犯ってことになって、騎士に捕まって、「龍舞」から直々に破門されたら……)
終わりだ。
牢屋で残りの一生を過ごすことになるのか、あるいは裏ギルドに目を付けられてひどい目に遭わされるか——もしかしたら、死ぬかもしれない。それくらい「龍舞」は麻薬に対して強い拒否感を示している。
「幸運」スキルはきっと、俺にそのことを教えてくれたに違いない。
「…………」
今は「幸運」スキルが収まってるのが気になるけども。
スキルの手助けはそこまで、ってことかなぁ……。
「あれだ……薬品倉庫」
人口の集中する王都エルドラドとは言え、夜中は静まり返っている。
街灯の明かりもないとなると、月明かりだけが頼りになる。
ぐちょっ。
とまたなんか……イヤな感じのものを踏んだけれども。
今はそんなことを気にしていられない。
石造りの倉庫は、俺が背伸びしてギリギリ届くかというところに窓がある。
正面に回ってみると、入口は鉄の扉になっているが、そこはがっちりとカギがかけられていて開くことはできない。
入口脇の小屋は無人だ。この時間には警備員もいないんだろうか。
「……クソ。誰もいないんなら忍び込むしかないけど……」
ぐるりと倉庫に沿って歩いて行くと、一箇所に木箱が積まれているのを見つけた。
踏み台にするにはちょうどいい感じだ。
ボロだけど、俺の体重なら大丈夫だろう——まさかひょろい自分の体型に感謝することになるとはな!
木箱を引きずって、窓の下に持ってくる。
周囲を確認する。
「…………」
静まり返っている。
ふー。
ここからが勝負だぞ。俺は不法侵入をすることになるんだ。
いや、むしろ被害者かもしれないんだから細かいことは気にするな。
これで、マジもんの麻薬だったら、俺がヤバイ。
生きるか死ぬかなんだ。
木箱に足を掛けて乗ると、ギィッ、と軋んだ。
だけど壊れはしない。
そして俺の目の前にはすすけた窓ガラスがある。
開く……ワケないよな。
壊そう。
俺は木箱から降りて、近くに落ちていた手頃な石を拾ってくる。
もう一度木箱に乗って、窓ガラスに叩きつける——割れた。
硬質な音が響き渡って、ドキリとする。
「いっつ……」
手のひらが切れてる。
バカか俺は……素手でやったら、そりゃ窓ガラスで切るよな。
俺、めちゃくちゃテンパってるらしい。
手ぬぐいを取り出して手に巻きつける。
さっさと終わらせよう。
さっさと終わらせるに限る。
鍵、鍵……これか。
ロックを外して、窓ガラスを開ける。
小さい窓だけど、俺の身体くらいなら入るだろう。
よし。
行くぞ。
木箱を蹴って身体を持ち上げ、上半身を倉庫の中に滑り込ませる——と、
「うおわ!?」
勢い余ってそのまま中へと落ちた。
「いだっ!?」
尻から落ちて衝撃が脳天に突き抜ける。
あぁ、クソッ、なにやってんだよ俺は——。
「——え?」
瞬間、俺の目の前が真っ白く飛んだ。
それが、強烈な光を当てられたことなのだと気づくのには、数秒必要だった。
「住居建造物不法侵入の現行犯、及び窃盗の未遂、さらには禁止薬物取引容疑の罪であなたを逮捕します」
いくつもの強烈な光を背景に、現れたのは——治安本部第4部長のエドワードだった。
「え……?」
倉庫の外にも大量の光が焚かれている。
ざわざわとした大勢の動く気配が感じられる。
まさか。
まさか。
まさか——。
「俺……ハメられたのか……?」
呆然とする俺を前に、逆光のエドワードがにやりとする——白い歯だけが浮かび上がった。




