暗雲は破壊神とともに現れる
しっかし鎮痛剤なんて売れんのかねぇ……。
とりあえず50錠を卸してもらった。
革袋に入ったそれは、つややかな黒い粒であり、なんだかおはじきにでもなりそうだった。
オッサンから鎮痛剤を受け取った翌日、人払いをして——儲け話を他人に分けてやるつもりはないのだ——俺はひとりで仕事に出かけていた。
「——あらぁ、『からくりダフニア』ちゃんじゃないのぉ」
「なんかトラブルないか?」
オカマバーのマスター(俺はけっしてこいつをママとは呼ばない)がいたので聞いてみると。
「火事が起きてるわよぉ」
「火事? 今どっか火事なのか? ニオイはしないけど」
「あたしの恋の炎がダフニアちゃんに燃え上がってるのよぉ!」
「……そんじゃあまたな」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ! なんでダフニアちゃんはウチのお店で飲んでってくれないのよぉ!?」
朝から濃い人間に会っちまった。げっそりするわ。
俺が余裕のシカトを決め込んで次の店に行こうとして、ふと思い当たる。
「あ、マスター」
「やだぁ、あたしのことはママって呼んでよぉ」
「鎮痛剤とか要る? 安く手に入るんだけど」
「要らな——要るわ! あたしってば月のものが重くってぇ」
「……1粒500イェンな」
コイツのボケには突っ込むまい、と思いながら俺が革袋から取り出すと、
「あら、本物っぽいわねぇ。しっかり魔術も入ってるわ」
「わかるのか?」
「そりゃぁね。上等っぽいし、これが500イェンなら安いじゃない。とりあえず10粒ちょうだい」
お、マジかよ。もう10粒売れて5千イェンの売上だ。
仕入れ値をもう回収しちまった。
「10粒もなにに使うんだよ」
金を受け取りながらたずねると、
「そりゃぁね、なにかと使うから。ケンカする子もいるし、頭痛がひどい子もいるし……まあいちばんは二日酔いだけど」
「ああ——」
え、マジ? 二日酔いにも効くの?
俺のぶんもとっておこうかな。
……と、そんなふうに思ったのだけど、意外なことに鎮痛剤の需要は大きく、その日のうちにあっという間に50粒なんて売り切れてしまった。
「……すっげ」
帰りついたスラムの我が家。
薄っぺらい布団の上、俺の手には4万2千イェンがあった。
500イェンじゃなくてもうちょっと高くしたらどうかな? と思ったけど、ふつうに売れてしまったのだ。
今日だけで、俺の収入は3万7千イェンだ。
「すっげー! 鎮痛剤すげえ!」
翌日、俺はマーカスのオッサンから鎮痛剤を500粒購入した。
さすがに500粒は時間が掛かるかな、と思ったけど、なんのことはない3日で全部売れた。
「す、すす、すげえ……」
俺の手元には50万イェンだ。
1粒1千イェンで売ってるからだ。
確かに医者に行けば1粒500イェンで買えるが、話を聞いてみると、医者の診察料はバカ高く1万イェン以上するらしい。
それを考えれば、「家に置いておく鎮痛剤が買えるだけでもありがたい」ということのようだ。
中には、「ダフニアさんだから買うんだぞ。他の裏ギルドだったら怪しくて買えねえよ」なんて言ってくれる人もいた。だがまぁそんなことを言うのはオッサンばっかりだ。可愛いお姉さんたちは言ってくれないんだよなぁ……。
●~*
「——行くぞ、お前ら」
「「「「「へいっ!」」」」」
鎮痛剤を売るようになってから10日以上が過ぎた。
夏の足音が聞こえてあたりは蒸し蒸ししている。
金回りがよくなった俺は、舎弟を引き連れて歩くことが増えた。
ていうかヤツらのほうから俺にまとわりついてくるようになったんだ。
いや~、やっぱ「持ってる」男ってのは周りから見てもわかっちゃうんだろうなあ?
ちなみに借金(クソ高い酒瓶代金)も耳そろえて返してやったら、本部長が白けたような顔してたっけ。あれは笑った。内心でだけど。目の前で笑ったら殴られるし。
日中は鎮痛剤を売り、日が沈んでからはチンピラを連れて歩く。
繁華街に出れば、みんなこっちを見て恐ろしそうな顔をする。
ヤバいなーこれ。
ちょっとした快感があるぞこれ。
「マスター、勘定」
「へ、へい」
一軒目で軽く飲んで、店の女の子を冷やかしたら次の店へ行く。
もちろん支払いは全部俺だ。
この辺の店なら何人いても支払いなんてたかが知れてる。
なんせ俺の収入は、1日10万以上になっているのだ。
——ダ、ダフニア。鎮痛剤まだあるよな? 売ってくれよ。
——アレがねえと不安なんだ。早くくれ。金ならある!
——いいから寄越せって!
なんていう感じで鎮痛剤の熱烈なファンも増えた。
……ファン、なんだよな?
あのオカマバーのマスターですら、
——ダフニア、鎮痛剤は今日いくら出せんだ?
って男声で聞いてきたのにはびびったけど……。
「ニアの兄貴、ジョッキが空っすよ! お代わりどうぞ!」
モヒカンのピョイが俺にお代わりを出してくる。
「お、おう、悪りぃな」
「いえ! 自分、ニアの兄貴尊敬してますから!『血煙ニア』、かっこいいっすよね!」
ピョイが露骨なゴマすりをしてくると、「俺のほうが尊敬してるっす!」「俺が先だ」
「俺がいちばんだ!」とチンピラどもが言ってくるので、俺もいい気になってポケットから金貨を出して、
「全員にもう1杯持ってこい!」
と言えばやんややんやの大喝采だ。
「…………」
ああ、ビールが美味い。冷えてるビールを飲めるようになった。酔っ払うためだけのストロンゲスト・ゲロとは違う。
頭がとろんとしてきたな。
俺こそ鎮痛剤を飲んだほうがいいんじゃないか? そういや、試そうと思って試してなかったな……。
「——ニア!」
鋭い、刺すような声で俺は我に返った。
「あー……誰? フェリか?」
酒場に入ってきたのは同僚にして破壊の神に愛されたフェリだ。
なんか怒ってるふうに見える。
「いー加減にしろよ! なんなんだよ、毎日毎日飲んだくれてさ! なんか最近のニアは変だよ!!」
酒場の他の客の視線もこっちに向いてくる。
「——なんだなんだ?」
「——あれってほら、『血煙ニア』とかいう裏ギルドの……」
「——なんか女の子に怒られてね?」
そんな声まで聞こえてきて、俺は立ち上がった。
「フェリ、ちょっと出て話そうぜ」
「——ニアの兄貴」
「お前らはここにいろ」
騒ぎを起こすのはいちばんカッコ悪い——そう思った俺はニアとともに表へと出る。
夜も盛りだ。
客引きの声と酔っぱらいの声が大合唱だ。
「おい、どうしたフェリ。いきなり大声上げて」
「……事務所にラリッたバカが乗り込んできた。そんでニアを出せっていうんだ」
は? ラリッたバカが俺を捜してるって?




