顔見知りの精一杯
「夏の夜の恋物語企画」参加作品
第2話 2351文字
くすんだ黄金週間が明けると、
彼女とオチョはまた同じ時間に公園に来るようになった。
この1週間、彼女が来ない理由を毎日考えていた。
いろいろ勝手なことを考えたし、勝手に凹んだりもした。
嫌われたかも? 失礼なことを言ったのか? 警戒されたのか?
旅行とかかも? そりゃ、彼氏と出かけるだろうよ。
怪我とか病気とか⁉ だとしたら、真相を知る術はないぞ⁉
彼女に何かあったとしても、オチョの散歩は家族がするのでは?
となるとオチョに何かあったのか?
最悪の想定が外れて、
最大の不安が払拭されたのは素直にうれしい。
何せ、俺と彼女はお互いの名前すら知らないんだから。
名乗ったりする前に世間話をするような間柄になってしまうと、
改めて名前を聞くタイミングがない。
俺が名乗るのはいいとしよう。
だがそれは、彼女の名前を聞き出そうとするのと同義だ。
あえて彼女がオチョの名前しか明かさなかった可能性だってあるのだ。
それを尋ねるような真似をしてしまえば、警戒されるだろう。
そうなって会えなくなるよりは、まだ今の方がいい。
なにせ、今俺は、彼女とオチョに会えることで、
確実に毎日の生活に潤いを与えてもらっているんだから。
再会して嬉しかったことがもうひとつ。
オチョは俺の姿を確認すると、
飼い主さんを引っ張って、俺に走り寄ってくるようになった。
まぁ、悪い気はしない。オチョはかわいいしな。
表現を変えれば、犬を連れたうら若き女性が俺に駆け寄ってくるのだ。
ともいえる。うれしくないはずがない。
オチョは本当に嬉しそうに俺に寄って来る。
嬉しそうな顔で、口角を上げ?耳を倒し、
振り切れそうな勢いでしっぽを振って。
嬉しさを全身で示しながら。飼い主さんを引っ張って。
困りながらも、はにかんだ笑顔で、
引っ張られて走ってくる彼女は、控えめに言ってかわいい。
「あぁん、オチョ、早いってば!
そんなに引っ張らないでよぉ」
さすが世界最強の牧羊犬。女性ひとり曳いてくるぐらい余裕である。
おかげで朝からダッシュをさせられる飼い主さんにはちょっと申し訳ない。
卑怯ではあるが、その光景が見たいが故に、俺は迎えには行かない。
だって嬉しいんだもんよ。仕方ないだろう?
犬は本当に「好き」を全力で伝えてくる。
あれだけ素直に「好き」を示されたら、誰だって嬉しくなるよな。
人間もあれくらい素直に「好き」を伝えられたらいいのにな。
女性が俺に向けて。に限定でだけどな!
オチョの態度を見ていると嬉しくもあるが、
ちょっと申し訳なくも思う。
飼い主さんの目の前で、他人にあれほど「好き」な態度をとるのは、
浮気とは言わないが、嫉妬の感情みたいなものを生むんじゃないかな。
人間があれをやったら、確実に修羅場なんだが。
自分の恋人が他の異性にあんな態度とろうもんなら、
殺意が沸くレベルだ。
「俺の女に何してやがる!」とか、
「そんなに好きなら、そいつんとこ行けばいいだろ!」とか。
「浮気者!」とか、
「二度と話しかけないで!」とかな。
そんなことを考えながらも、俺は両手でオチョを撫でる。
頭を、顎を、背中に腰、腹を撫でる。
なんだか破廉恥なことをしているような気もする……
それでも手を止めないのは、
手を止めると、オチョが鼻を鳴らして、お手をして、
『もっと撫でろ』と催促してくるからだ。
お前の親愛と信頼は、心底うれしいぞ。
認められ、求められ、俺は自分を肯定できる。
半年前には、あんたは要らないと言われたばかりだったからな。
自分の価値を見失いかけてた俺は、お前のおかげで、
自分を認めてやろうと思うくらいにはなってきたんだよ。
その感謝の分、撫でて返してやるさ。
「オチョは幸せ者ね。
こんなにも、可愛がってもらえるんだもの」
彼女の声には、嬉しさではない要素が混じっている気がした。
見上げた彼女の顔はやはり、満面の笑みではなく、
俺にはいつもと色が違うように感じられた。
寒色が混じっている。
黒とか濃紺とか、色の明度を落とす色が。
言葉の真相を訊いていいのか?
混ざった色のことを訊いていいのか?
言葉の意味をそのままに解釈しておくのが優しさなのか?
顔見知り程度の俺が踏み込んでいいのか?
彼女はそれを待っているのかも知れない。
誘い水なんじゃないのか?
それを流してしまうのは、男として失礼じゃないのか?
女性の勇気を見逃すヘタレな行為じゃないのか?
「これだけ好意を示されたら、返してあげたくもなりますよ。
そういうもんじゃありません?」
俺は逃げた。
一歩近づくチャンスだったのかもしれない。
でも、勝手な想像の可能性も高い。
そうだったとしたら、この時間が失われる。
今、俺は、名前も知らない顔見知りであることを選んだ。
こんなんだから、振られたんだろうな……
居たたまれなくなってしまった俺は、
「ほれ、オチョ、飼い主さんにヤキモチ焼かれないうちに戻りな。
会えなくなっちゃ困るしな」
無理やり今日の時間を終わらせる。
立ち上がって背伸びをする。体を動かすアピールだ。
でもこのまま行くのは、ずるいというか、悪い気がして、
「オ、オチョとあ、あなたに会えることで、いつも元気をもらってます。
ありがとうございます!」
言い放って逃げた。
恥ずかしいことを言ってしまった自覚はあるさ。
だからこうして走って逃げてるんだ。
中学生じゃねーんだから、もうちょっとなんとかできただろうが!
顔が熱い! 恥ずかしい行動だ、わかってるよ!
彼女がどんな顔してるかなんて、見られるわけねぇ。
ただ、彼女の言葉に混じったものをスルーしてしまったことが、
結構、罪悪感になってしまったのが、嫌だったんだ。
手を差し出して、それを掴まれなかったら。
それが怖かったんだろうな。
だから助けじゃなくて、感謝を選んだ。
大人のずるさでもあるのかもな。
それにしても、
明日、どんな顔して会えばいいんだろう……
華麗にスルーしてくれないかなぁ。