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国から出て行けと言われたので、どうせなら異世界に行こうと思います

作者: 雨霧音湖

 


「レティシア・エルヴィス! 貴様の数々の悪行、もう看過しておけぬ! よって、この場をもって私セルゲイ・ランスティとの婚約破棄及び国外追放を命じる!」


 華々しいパーティー会場に、突如、鋭い怒声が響き渡った。


 一瞬にして静まり返ったダンスホール。

 いきなりのことに、誰もが自然と声の方を向く。

 その視線を一身に浴びながら、名指しされたレティシアは、内心盛大なため息をついた。


(一体何やってくれてるの、この王子は……。いきなり暴走するのはいつものことだけど、さすがにこれは無いわ……)


 この婚約者は以前からこういうところがあったため、レティシアも慣れていたつもりだったが……今回は、それを上回る暴挙である。

 せっかくの卒業パーティー、この場の全員にとって大切な節目になるこの日に、我が国の第一王子は、何がどうしてこんなことをやらかしたのか。


 既に頭が痛いが、しかしそれを決して表に出すことなく、レティシアはただ悠然と微笑んだ。長年の妃教育の賜物である。


「セルゲイ殿下。申し訳ございませんが、悪行とは一体何のことでしょう? それに、国外追放までされなければならないこととは……わたくし、全く身に覚えがないのですけれど」

「はっ、覚えていないなどと白々しい! 貴様がマリエルにした所業、私が知らぬとでも思ったか!」


 その言葉に、レティシアは視線を移す。

 セルゲイの後ろでは、一人の令嬢が怯えたようにレティシアを見ていた。


 栗色の髪に、可愛らしい桃色の瞳。

 その容姿に、レティシアは覚えがあった。


(あれは確か、ドーラ男爵家のご令嬢……。ああ、最近あいつに気に入られていた子ね。本当、ご愁傷さまだわ……)


 仮にも婚約者、しかも第一王子に対して酷い言いようだが、これこそがセルゲイに対するレティシアの揺るぎない評価である。

 しかし、そんなことを考えられているとは思ってもいないセルゲイは、キッとレティシアを睨みつけた。


「貴様、この場に及んでまだマリエルを妬むのか! 見苦しいぞ!」


 見苦しいのはお前だ。

 そう言ってやりたかったのを何とか呑み込んだレティシアは、にっこりと笑う。


「何か誤解なさっているようですが、わたくしはマリエル様とほとんど面識もありませんし……そもそも妬むなどと、そんなことは露ほども思っておりませんわ」


 その言葉に、視界の隅で誰かが顔を背けた。

 遠目なので詳しくは分からないが、肩を震わせているようなので、おそらく笑いを堪えているのだと思われる。

 レティシアが暗に「お前には何の感情も持ち合わせてねえよ」と言ったことがツボにハマったらしい。


(まあそんなものよね、この王子に対する評価は)


 だからこそ、未だに王太子ではなく第一王子止まりなのである。


 それはともかく、とレティシアは再度セルゲイを見やる。

 笑われている王子は、しかし言葉の意味を正確には理解出来なかったらしく、猜疑的な目をレティシアに向けていた。

 そのことにまた内心ため息が出るが、早くこの場を収めようと、レティシアは口を開く。


「それで……その上でお伺い致しますけれど、殿下が仰る悪行というのは、具体的にどういったことでしょう?」


 この王子は、暴走し始めたら止まらない。

 我を通さなければ気が済まない性格なので、いっそ爆発させた方が早いだろうと、レティシアは持っていた扇を広げ、挑発的な笑みを向けた。


「わたくしには覚えがありませんので、ご教示いただけると嬉しいですわ?」


 その言葉に、セルゲイがカッと怒りに顔を紅潮させる。


「いいだろう! そこまで言うなら教えてやろうではないか! ──ザルド!」


 その名に、レティシアはわずかに目をみはる。

 そうして出てきたのは、ザルド──レティシアの弟だった。


 何かの書類を片手に現れたザルドは、眼鏡をくいっと持ち上げた後、冷ややかな目をレティシアに向ける。


「姉上、失望しましたよ。まさか、由緒正しきエルヴィス公爵家に生まれたあなたが、こんなことをするだなんて」


 呆れたようにわざとらしくため息をついたザルドは、書類を持ち上げ、高らかに読み上げ始める。


「レティシア・エルヴィスの罪状──マリエル・ドーラ男爵令嬢に対し、陰で罵詈雑言を浴びせかけるなどの人権侵害の容疑。所有物を隠すなど盗難行為の容疑。偶然に見せかけて熱い飲み物をかけた傷害容疑。果てには階段から突き落とす殺人未遂容疑!」


 すらすらと流暢に読み上げたザルドは、レティシアの眼前にその罪状を突きつけた。


「どうです、これでもまだ分からないと言い張れますか!?」


 速読でそれを読み上げたレティシアは、呆れを通り越して無の表情になりかけたが、すぐに笑みを貼りつける。これもまた、長年の努力の賜物だ。


 なんだろう。今日は、妃教育に感謝する日か何かなのだろうか。

 今にも引き攣りそうになるのを何とか阻止しながら、レティシアは笑う。


(ほんっと、何なのこれ!? 物的証拠も無ければ状況証拠も曖昧すぎる! 証人の意見も偏りすぎで少なすぎ! よくこんなのを罪状として出せたわね!?)


 罪状に記されているものは、全て事実無根だ。

 その上、全て全てが、都合のいいようにでっち上げただけの罪状書き。

 レティシアがそれをおこなったという根拠も、ただレティシアと同じ金髪紅眼の女性をそこで見かけた者がいる、というだけなのだから。


(こんなの、子供の方がまだマシなのを書けるわよ!)


 内心もう怒り心頭──というか物申したい気持ちでいっぱいであるが、しかし、レティシアは笑みを崩さなかった。

 やはり今日は、妃教育に感謝する日らしい、と現実逃避気味にひとりごちる。


 その沈黙を肯定と受け取ったらしいザルドが、レティシアを鼻で笑った。


「さすがの姉上でも、反論する言葉も無いようですね」

「そうだ、もうお前に逃げ道はない! 早く罪を認めることだな!」


 そう叫ぶ弟と第一王子に、レティシアは頭痛に加え、キリキリと胃が痛むのを感じる。


(全く、怒りたいのはこっちよ……王子と次期宰相がこれでいいと、本気で思っているのかしら)


 しかし、ザルドはレティシアが何か言っても、考えを改めようとはしないだろう。

 セルゲイは言わずもがなである。


 ここで少し説明をすると、レティシアとザルドは、姉弟ではあるが、お世辞にも仲が良いと言えるような関係ではない。

 それは、レティシアが完全な政略結婚で娶られた前妻の子で、対するザルドは、レティシアの母が若くして亡くなった後、恋愛結婚──しかも相手は若き日の公爵の恋人でもあった──で娶られた後妻の子だからである。


 つまりは、前妻とその子を疎んだ後妻により、ザルドは徹底的にレティシアと距離を置くよう教育されてきたのだ。

 学院でも、ほとんど顔を合わせたことはなかった。

 それにレティシアも、当初こそ、どうにかザルドと仲良くなれないものかと頑張っていたのだが、何かすると余計にねじ曲がったことを後妻に吹き込まれるので、ザルドに関しても、最近はずっとお手上げ状態だったのだ。


(あー……頭痛い。しっかし、どうやって収めようかしら、これ)


 (くだん)のマリエル令嬢にちらりと目を向ければ、彼女はレティシアと目が合った瞬間、サッとセルゲイの後ろに隠れた。

 それを見たセルゲイとザルドが、「可哀想に!」と必死になって慰めている。「わたしは大丈夫です」と涙を流しながら微笑むその姿は、まさに健気である。


 しかし、彼女も彼女で、魂胆があってそうしているのだということを、レティシアは既に理解していた。


「レティシア! マリエルがこんなにも泣いているのに、なんとも思わないのか!? 早く謝罪するんだ!」

「セルゲイ様、そんなに怒らないであげてください……! レティシア様は何も悪くありません。全て、不出来なわたしが悪いんです……」

「そんな、君は何も悪くないよマリエル! 全部あの非道な姉が悪いんだ」


(あーあーあー……)


 全く、わいわいわいわい、仲のいいことだ。


 ついに、目の前で繰り広げられる茶番に疲れてきたレティシア。

 反論したらしたで、彼らは根拠の無い言いがかりをつけるのだろうから、この場を収めるのは容易ではない。


 そのため、レティシアは、もういっそのこと提案を受け入れようかと思い始めた。


(……未来の王子妃としてやって来た事業はもう既に形になっているし、領地に関しては、上より領民たちの方がよほどしっかりしてるし……)


 今までエルヴィス公爵領を運営してきたのは、実質的にレティシアである。


 宰相として多忙を極める公爵(父親)に代わり、街道や水道の整備にはじめ、領民の教育機会の拡充や農業支援、医療福祉制度の充実などなど、レティシアは様々な事柄を意欲的におこなってきた。


 そのため、エルヴィス公爵領の発展率は、他地域に比べはるかに高い。

 さらに、レティシアが王家に嫁いだ時のことも考え、指揮系統もレティシア抜きで立ち行くように育て上げたので、領地に関しては何の心配もしなくて良いだろう。


(国については……今は留学中だけれど、第二王子殿下は優秀な方だから、そこは大丈夫ね。お父様も、家庭は省みないけれど仕事だけは有能だし、騎士団も徹底的に鍛え上げたから、しばらくは大丈夫でしょう)


 騎士団を鍛え上げたというのは、言葉通りのことである。

 剣術の天才であるレティシアは、第一王子の婚約者となってから、長らく平和だったゆえになまっていた騎士たちを徹底的に鍛え上げた。

 その訓練は大変厳しいと有名で、途中で弱音を上げようものなら遠慮なしに鉄拳制裁された上、訓練内容を倍増されるので、レティシアは騎士の間で「鬼軍曹」とも呼ばれている。


(うーん……。そう考えると、もう私、いなくてもいい気がしてきたわ)


 ここで提案を受ける一番のメリットは、この件で確実にセルゲイが廃位され、ザルドにも厳しい制裁が成されるだろうことだ。

 そもそも、こんなセルゲイが未だ王子という立場に留まっていられるのは、レティシアが婚約者であるからこそ。

 つまり、レティシアがいなくなって一番困るのはセルゲイなのである。


 さらに、婚約破棄並びに国外追放というのは、レティシアにとってこのどうしようもない王子から解放される上に、家のしがらみからも解放されることを意味する。


 娘を政略結婚の道具としか思っていない父親に、そもそもレティシアを毛嫌いしている義母親。

 そんな人たちに、もう会わなくていいのだ。


(私がいなくなった後、使用人の皆がどうなるのかは少し心配だけれど……まあ、上手く立ち回るでしょう)


 あの家で働いている人々は、今やほとんどがレティシアに信を置いて働いてくれている者たちだ。

 だからこそ、色々なことをレティシアから伝授されているし、そもそも有能な人物が多い。

 レティシアがいなくなっても、なんとかなるだろう。


 その他のことも頭の中で計算したレティシアは、やはりこれが一番良いと腹を決めた。


(──よし、それで行こう)


 余談ではあるが、考え始めてからここまでかかった時間は、一分にも満たない間である。



「分かりましたわ!」


 バチン! と、あえて大きな音を立て扇を閉じたレティシアは、驚いている三人に向け、艶然(えんぜん)と笑う。


「セルゲイ殿下。婚約破棄並びに国外追放処分、しかと承りました」


 その言葉に、周囲がざわりとどよめく。

 レティシアを止めようと慌てて駆けてきた騎士たちを、レティシアは視線だけで止めた。


 その直後、ザルドが持っていた罪状を素早い体捌きで奪い取る。

 ザルドが驚いているが、何か言い出す前に、ぴらりとそれを周囲に向けた。

 ついでに、騎士たちに目配せするのも忘れない。

 ──これを元手に洗いざらい調査しろ、と。


 そんな指示をしながらも、レティシアは(あで)やかな笑みを崩さない。


「まあ、分かったと申しましても、この罪状に書かれているものは全て事実無根。荒唐無稽もいいところの作り話なのですけど……」


 そこで言葉を区切り、レティシアはセルゲイを見る。


「セルゲイ殿下は、こんなことをするほどわたくしを嫌っておいでのようですし、わたくしがいなくなっても大丈夫だという自信がおありのようですから? それならば、こちらから引いて差し上げますわ」


 その言葉に、ポカンと口を開けていたセルゲイだったが、一拍置いて意味を理解すると、怒りに染め上がった顔で鋭くレティシアを睨む。


「貴様……ッ!」

「ああ、苦情でしたら後で存分に仰ってくださいな。……まあ、もうわたくしはいなくなるのですけれど」


 最後に呟いた言葉は、きっと届いていないだろう。

 しかしそれでいい。

 どうか、いなくなった後存分に爆発させて、勝手に制裁されてくださいな。


 そう笑いかけたレティシアは、綺麗なカーテシーをして、その場を退場する──ふりをして、持っていた書類をさりげなく騎士の一人に渡した。


 そうして、会場の入り口前につくと同時、ある人の名前を呼ぶ。


「──アルス!」


 その瞬間、一人の青年がレティシアの側に現れた。

 誰もいなかった空間にいきなり人が現れた、そんな信じがたい光景に、会場全体がどよめく。


「お呼びでしょうか、レティシア様」

「ええ。もう私、出て行こうと思って。だから、連れて行ってくれる?」


 手を差し出すと、アルスと呼ばれた青年が顔を上げる。

 夜のような漆黒の髪に神秘的な紫の瞳──この世のものとは思えない美貌に、誰かが息を呑むのが聞こえた。


 しかし、アルスもレティシアも、そんなもの露ほども気にしない。

 なぜなら、ここにはもう戻ってこないのだから。


 アルスは恭しくレティシアの手を取り、その甲に口づけした。


「我が主のお心のままに。このアルスが、貴女様を何のしがらみもない異世界へとお連れ致しましょう」


 このアルスは、長年レティシアに仕えてくれている侍従で──そして、実は、異世界から来た【大賢者】でもある。

 そのことを知っているのは、レティシアとごくわずかな人間だけだ。


「頼んだわよ、アルス」


 その言葉に、紫の瞳が不敵に輝いた。

 嬉しそうなその表情に、レティシアはふっと笑う。


(まさか、あなたの言う通りになる日が来るとはね)


 実は、レティシアはずっと前からアルスに求婚されていたのだ。

 アルスは、不遇な環境に置かれているレティシアを案じ、共に故郷(異世界)に行かないかと何度も言ってきた。


 それでもレティシアは、この国の貴族として生まれたからには責務を果たさなくてはならない、と拒否してきたのだが──もうこうなったからには、好きに生きようと思う。


(でも、何だかんだ言って、本当はずっと行きたかったのよね)


 アルスから「異世界」の話を聞かされる度、レティシアは密かに心を踊らせてきた。

 魔法のような「スキル」というものがある世界、そして、羽を持つ者や角を持つ者──他にも様々な種族がいるという、その場所。


 そこには、どんな景色が広がっているのだろうか。

 元々好奇心旺盛だったレティシアにとって、そこは夢のような世界だったのだ。


 そう考えているうちに、何やら長い言葉を呟いていたアルスが、ちらりとレティシアを見た。

 それに頷いて、レティシアは最後に会場全体を見渡した。

 とびっきりの笑顔を向けるのも、忘れない。


「──それでは皆様、さようなら!」


 瞬間、眩い光がレティシアとアルスを覆った。

 止めようとする騎士たちが透明な何かに阻まれるのが見え、その隅で、呆然とこちらを見るあの三人も見えた。


(せいぜい、足掻いて後悔することね)


 そう笑って、レティシア・エルヴィスは、この世界から姿を消した。






 しばらくの間、不思議な浮遊感が続いた。

 それに身を委ねていると、突如、ふっと地に足がつく感覚を覚える。

 そして、瞼の向こうから、暖かな自然光が差すのを感じた。


「レティシア様、着きましたよ」


 聞きなれたその声に、おそるおそる目を開く。

 そして──映った光景に、レティシアは驚きと感動に言葉を失った。


 レティシアがいるのは、シャンデリアがきらめくダンスホールではなく、自然美しい丘の上。


 頭上では、鳥たちが色とりどりの翼を駆って空を駆け回り、まるで虹のような光景を作り出していた。

 眼下に目を向けると、そこには見たこともない不思議な花々が咲き乱れ、その近くにはきらきらと太陽の光を反射させながら、澄んだ川が流れている。

 少し遠くに目を向けると、緑生い茂る森に、反対側には街のようなものも見えた。


「……っ、これが、異世界……!」


 感嘆の声をあげるレティシアに、アルスが嬉しそうに微笑む。


「美しいでしょう? ここは、僕のお気に入りの場所なんです」

「ええ、ええ! 凄いわ! 本当に私、違う世界に来たのね!」


 興奮冷めやらぬレティシアに、アルスが苦笑する。

 しかし、すぐにその笑みを消したアルスは、レティシアの手を取った。


「……レティシア様、覚えていますか? かつての約束を」


 真剣なその表情に、レティシアは目をまばたく。

 そして、居住まいをただし、静かに頷いた。


「……覚えているわ。もし、あなたの故郷に行くことが叶ったなら、その時は──あなたとのことを、真剣に考えると」


 言いながら、緊張にこくりと唾を飲む。


 かつて、話していたこと。

 もし、違う世界に行けたなら。アルスの故郷に行けたなら。

 そこでは、レティシアは公爵令嬢でも何でもなくなる。


 だからこそ、全てのしがらみから解放されたその時は、求婚への返事を真剣に考えてはくれませんか──と、そう言われていたのだ。


(……でも、いきなり言われるなんて……)


 しかも、こんなに真剣に見つめられては、ドキドキしてしまうではないか。


 ……実は……正直に言うと、レティシアはアルスのことが好きだ。

 かつてのあの場所では、決して口にできなかったことだけど。


 元の場所でも、アルスだけは、どんな時でもレティシアの味方でいてくれた。

 そうして、時には助言し、共に悩み、側で支え続けてくれた彼の存在は、レティシアにとって何よりも大きなものとなっていた。


(それに……アルスは、誠実な人だわ)


 アルスは【大賢者】として莫大な力と知識を持っている。

 それなのに、それをひけらかそうとはしたことは一度もなかった。

 また、自らの手でことを成し遂げたいと願うレティシアを、何も言わずに見守ってくれた。


 事業にしろ何にしろ、アルスの力を使った方が格段に早かったり良かったりすることは、たくさんあったのだ。


 けれど、レティシアはそれを望まなかった。アルスは、元々違う世界の人。

 その力に頼りきりになれば、レティシアのいた世界が成り立たなくなるからと、そういう思いからだった。


(アルスは、それを笑ったりしなかった)


 彼は、いつも、レティシアの思いを汲んで行動してくれた。

 ずっと、レティシアのことを第一に考えてくれていたのだ。


(でも……)


 ちらりとアルスを見る。

 それでも、今まで未来の王子妃としてやって来た分──もちろん愛だの恋だのは欠片も持ち合わせていなかったが──すぐにアルスとのことを考えるというのは、レティシアには出来ない。


 どう言おうか悩んでいると、目の前でアルスがくすりと笑った。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。別に、今すぐ答えを出して欲しいとか、そういう訳ではありませんから」

「そ、そうなの……?」

「ええ。ただ、覚えておられるか不安だったから、聞いてみただけです」


 その言葉に、レティシアはホッと胸を撫で下ろす。

 そんなレティシアを、アルスは愛おしそうに見ていた。


「ずっと待ってきましたからね。少し答えが遅れたぐらい、なんでもありませんよ。今までの五百年を考えると、短いものです」

「……。……え?」


 降ってきた言葉に、一瞬思考が停止した。

 しかし遅れて理解し、けれど聞き間違えたかとアルスを見る。

 すると、アルスは今気づいたというように笑った。


「ああ、言っていませんでしたね。実は僕、ハイエルフという長命種でして。こんな見た目ですけど、今は……ざっと、五百歳を超えたくらいですかね?」


 衝撃的な言葉に、レティシアはぴしりと固まった。


(……え。ちょっと待って?)


 そういう種族があるというのは、レティシアも既に聞いていた。

 それに、アルスの人間離れした美貌と、今までの言動を考えると──そういうことなのかと腑に落ちないこともない。


 しかしここで問題なのは、ハイエルフという言葉だ。

 その名前には、聞き覚えがある。


(た、確かハイエルフって、生涯ただ一人しか愛せない種族……)


 正しくは、愛さない、だったか。

 ともかく、この世界のハイエルフには、必ず「運命の相手」という人がいて、生涯その人しか愛さないために──不遇な事故や病、はたまた出会えないケースが度々あり、種としての数が減ってきているのだと言っていた。


 それでも彼らは、種族として(そんなこと)よりも、運命の相手のために最善を尽くすのだという。

 例え出会っていなくても、いつか出会うだろうその人のために、自らの持てる全てをかけるのだそうだ。


 出会ったのなら、なおさら、その人の幸せを願わずにはいられない──


 かつての記憶を呼び起こしつつ考えたレティシアは、ハッとアルスを見る。

 それでは、まさか。


「あなたが求婚してきたのは……そういう、こと……?」


 衝撃に震える声で尋ねたレティシアに、アルスは当たり前だと言わんばかりに笑う。


「ええ。ちなみに、僕があなたの世界に行ったのも、『運命の相手』を探すためですよ。──あなたをひと目見た瞬間、あなたこそがその人だと分かった」


 アルスが滑らかな動きで、レティシアの髪にキスを落とす。

 その今までに経験したことのない甘い雰囲気に、レティシアは「ひえっ!?」と変な声を出してしまった。


 そんなレティシアに、アルスはまた愛おしそうな目を向ける。


「僕があの世界に留まり続けたのも、あのとんでもない王子を排さなかったのも、全てあなたのため。レティシアのためなら、僕は何だって出来ますよ」


 いつの間にか敬称が外れているが、レティシアには、それを気にする余裕も無くなっていた。

 顔が熱くてたまらない。同時に、レティシアは悟る。


(こ、これは、もしかして)


「だから、レティシア、覚悟してくださいね? もちろん待ちますが……今まで出来なかった分、これからは行動で示していきますから」


 どこか危険な甘さをはらんだ瞳に射抜かれ──レティシアは、確信した。


(もう、逃げられない……!)



 全てのしがらみから解放された令嬢は、今度は大賢者の愛に捕らえられてしまったようです。





登場人物たちのその後。


【元の世界の人々】


セルゲイ:その日のうちに廃位&臣籍降下処分&たいそうお怒りになった国王陛下から、しばらく騎士団の雑用係として働くように言い渡されたもよう。

 しかし、今までちゃらんぽらんと王族してきたセルゲイがまともに働ける訳もなく、レティシアがいなくなったのはお前のせいだと、鬼軍曹の信奉者(騎士団員)全員から目の敵にされ、ひいひい泣きながら毎日過ごしているようだ。

 本人は出勤するのが怖くて仕方ないようだが、しかし行かなかったら鬼軍曹直伝の訓練に放り込まれるので、やっぱり泣きながら行っている。というか無理やり連れて行かれている。

 また、例え雑用係が終わったとしても国民全員から目の敵にされているので、日陰で暮らすことになるのは間違い無し。

 国外追放を言い渡した本人が国から逃げるハメになるかもしれない。(しかし逃亡は騎士たちが許さないぞ☆)



ザルド:やはりこちらも国王陛下にたいそう怒られた。というか、虚偽の罪状を作って勝手に裁いた罪で捕まった。

 ちなみに、罪状制作についてはセルゲイは関与していない。そもそもそういう発想が出来るほどあいつは賢くない。あの時セルゲイがザルドを呼んだのは、パーティーが始まる直前に「罪状を作ってきました」とザルドに言われたため。その時までは本当に知らなかった。

 話は戻ってザルドのその後。

 国王陛下に呼び出された時は「自分が正しい」と思い込んでいたため褒められると思っていたようだが、行ってみたらその場にいた全員(国王の臣下)から冷ややかを通り越して-196℃な視線を向けられるし、国王が聞いたこともないようなドスの効いた声で怒るしで、その時ようやくマズイと気づいた様子。

 しかし残念だったな、そこで気づいてももう遅い☆

 あれよあれよという間に裁判が終わり、今は罪人として一番キツい労役をさせられている。

 ちなみに、父である公爵からも勘当され、公爵から怒られた母親にも激怒され「縁を切る」と言われた。

 いつ終わるか分からない労役の後は領地に逃げようかとも思っているが、多分行った瞬間にボッコボコにされる。



マリエル:言わずもがな、玉の輿を狙ってセルゲイたちに近づいた残念な男爵令嬢。

 レティシアが他の仕事で忙しい間に計画を進めたようだが、セルゲイたちに近づいた時点で彼女の未来は決まっていた。

 上の二人と同じように国王陛下から大変に叱られたが、実質的に動いたのは男二人のため厳しい処罰は出来ず、王都からの追放処分に終わった。

 ちなみに、家からは普通に勘当された。

 まあでも自分可愛いからどこに行ってもなんとかなるでしょ! と思っていたマリエルだが、世間がそれを許す訳がない。

 どこに行っても住む場所も食べる物も無く、住人から非難を浴びせられ続ける日々。

 路頭に迷って色々な場所をさまよい歩いていたが、最後に辺境の地で目撃されて以降、行方不明となった。



公爵(レティシアの父):息子が罪を犯したため(いち早く縁を切ったとはいえ)、しばらく肩身が狭い思いを強いられる。

 さらに、レティシアを慕っていた領地の人々&使用人たちがストライキを起こすし、レティシアの母方の家からは容赦ない報復をされるし、恋愛結婚だったはずの現妻との仲は悪くなる一方だしで、災難が続く。

 いなくなってからようやく、レティシアの存在の大きさに気づいたもよう。

 今までは、仕事ぶりは評価していたが、「そのくらいは出来なければ」と冷めた評価をしていた。

 元々多忙だったのに上記の災難&今までレティシアがしていた仕事の引き継ぎなどもあり、ストレスで相当やつれたらしい。



【主人公たち】


レティシア:元の世界でそんなことが起こっているとはつゆ知らず、アルスと共にファンタジーな異世界を満喫中。自由の身になったので、色々やりたいことを増やしているようだ。

 アルスとの仲は変わらず良いが、普通にしていると思ったらいきなりグイグイくるアルスへの対応にちょっと困り中(しかし決して嫌ではない)。



アルス:やっとレティシアを面と向かって口説けるので、とても嬉しそう。今までが長かった分、これからはとことん押していく方針。


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― 新着の感想 ―
[一言] マリエルのその後だけちょっと引っ掛かるかなぁと。男爵令嬢なので,いくら王子と関係があったとしても,非難を受けるレベルで住民に顔が知れ渡るかなと。うまくやっていけないとは思いますけど。 あと,…
[一言] 「スキル」のある異世界… 暴走馬車から子供かばって、チートもらった転生平民ばっかの異世界と見た。
[良い点] あとがきのザルド罪状制作についての「そもそもそういう発想が出来るほどあいつ(セルゲイ)は賢くない」に不覚にも笑ってしまいましたww [一言] さくっと読めてとても面白かったです〜(^^)
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