心配するまでもなく
いつもありがとうございます!
今日もよろしくお願いします!
――この男は、本当に質が悪い……。
何も知らないふりをしながら、この状況を面白がっていたのだろう。
当然と言えば当然だった。
ひどい勤務態度のせいで分かりづらいが、ファザンスほど見た目を裏切る者を優季は知らない。
おそらく彼にも、何もかもが筒抜けなのだろう。
リタの事情だけでなく、ご馳走の誘惑に負けたら接待を受けたとみなし、半ば強制的に協力を取り付けようとしていた……こちらの思惑も。
いつものぬるっとした笑顔に脱力しながら、それでも何か皮肉を言わねば気が済まず、優季はぞんざいに当てこすった。
「……分かっていてこの茶番に付き合ったくせに。いい加減、その勤務態度を改めなければ、国に報告しますからね」
「ひどい、優季さんまで私を脅すんですかぁ」
「までって、どんだけ弱み握られてんですか」
「『真面目に働かなければ解雇する』と、上役が常日頃から脅迫を」
「常日頃から尻を叩かなきゃいけないその上役の方に、心底同情します」
ファザンスを睨み付けるシルと戸惑うリタに着席を促し、優季自身も座りながらから揚げを口に放り込む。まだ昼間だが異常に酒が飲みたい。
「で? こっちの思惑を知りながら乗ったってことは、調べてくれるんでしょうね?」
凄みを利かせて問えば、ファザンスは青い瞳を意味深に細めた。
「あなたの頼みでしたら、搦め手なんか使わなくてもお引き受けしますよぉ」
「そういうのいいから。ファザンスさんが損得でしか動かない人だって、一応この数年の付き合いで分かってるから」
「素っ気ないですねぇ。そんな優季さんだからこそ、付き合いやすいんですけどぉ」
わざとらしく落ち込んでみせていたファザンスだが、顔を上げた時にはもう茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべていた。
「お任せください。最優先で調べ上げますから」
「いや、上役の方の迷惑にならないよう仕事はちゃんとしてください」
優季はすんっと表情を消して即答した。
◇ ◆ ◇
仕事の合間に、と念を押していたものの、さすがに腐っても優秀だった。
ファザンスは協力を頼んですぐ、リタの素性を突き止めてしまった。
かかったのは僅か三日。
何週間もあの手この手で調査していた事実が馬鹿らしくなる早さだ。
……そして今、少年は緊張しながらも、高齢の祖父と対面している。
仕立てのいい服に、宝石の埋め込まれた杖。白髪に立派な顎ひげを蓄えた厳格さを窺える様相は、いかにも貴族といったところか。背後にはいつか依頼にやって来た壮年の侍従が控えている。
「エレディオン家のご当主、リドウェル・エレディオン子爵様です。高貴なる義務を重んじる子爵様と違い、その跡取り息子は生来の遊び人だったようですねぇ。妻がいるにもかかわらず、いたずら心で屋敷の使用人に手を出し――その結果生まれたのがリタ君です。先年、火遊びが過ぎた天罰なのか、また別の浮気相手の家から帰る途中、馬車の中で突然死したようですが……不審すぎるにもかかわらず、身内から捜査を望む声は一切上がらずじまい。いやぁ、哀れな末路ですねぇ」
ファザンスが囁く情報に、優季はげんなりした。
リタへの配慮で声量は落としているが、無関係な者が聞いても不愉快になる内容だ。その後少年が孤児院へ引き取られるようになった経緯も、きっと楽しい話じゃない。
「リタをもののように扱おうとする夫人のやり方は腹に据えかねるけど、最低男と結婚したって点だけは同情するわ」
ついぞ子どもには恵まれなかったという子爵家の次期当主夫人。
夫は責任を放棄して遊び呆け、子どもまで作っていたというのだから、その事実を知った時にはやりきれない気持ちになっただろう。まして、自分の地位が不安定なまま、夫は浮気直後に死んでしまったのだから。
「身内と証明できるものはないのに、よくエレディオン家にたどり着けたな?」
今度はシルが口を開いた。
「正直、あんたが優秀なんて信じたくないが……さすがはシェルトナー夫人の慧眼ってところか」
「え~、そこは私を褒めるところじゃないですかぁ? 戸籍をさかのぼって調べたのも複数の人物にあたりをつけて素行を調査したのも第三者機関の許可をとって面会の場を設けたのも皆さんが立ち会えるよう調整したのも全部私なんですけどぉ?」
「ユーキの手料理食べたさでサボってばかりいるんだから、たまにはまともに働け」
「ひどい、優季さんが絡むとシルさんは冷たい」
「――後半何を言っているのか全然分からなかったけど、色々尽力してくれたことだけは伝わりました。ありがとうございます」
長引きそうな予感がしたので、優季が介入して強引に会話を断ち切る。彼らは本当に、仲がいいのか悪いのか分からない。
話が途切れると、ファザンスはぎこちない様子の祖父と孫を見遣った。鰻のような笑みを消し、珍しく神妙な顔をしている。
「今回は私が役人として面会の場に立ち会うので、手に負えない事態に発展することはないでしょう。ですが、今後はどうなることやら……」
ファザンスは次期当主夫人とも、事前に面会の機会を設けていた。
彼女は比較的早く、リタを脅迫したことを認めたという。
夫が死んで精神的に追い詰められていたらしく、今は邸内にて静養中だ。とはいえ部屋の外に騎士が配置されているので、実質身柄を拘束されている状態。今後の展開次第では加害者として罪に問われる可能性がある。
今後の展開――今目の前で行われている、祖父と孫の対面の結果次第ということ。
ファザンスは難しく考えているようだが、優季はそこまで心配していない。シルも同じ気持ちのようで、軽く肩をすくめた。
「大丈夫だろ。どんなに冷酷な人間でも、相手がリタなら修羅場になりようがない」
「へ? シルさん、それってどういう……」
大人達が見守る視線の先、ついにリタが動いた。
「ぼ、僕……家族がいるって知って、ずっとお祖父ちゃんに会いたいと思ってました」
はにかみながら進み出た少年を、祖父は無感動に見下ろしていた。
白ひげを蓄えた老人は、孫が相手でも目線を合わせようとしない。
ただ冷えびえとした眼差しで、何かを探るように注視している。その瞳の色はリタと同じ色なのに、全く別のものにさえ見えた。
にもかかわらず、リタは微塵も怯えることなく祖父を見上げる。
「僕を引き取った女の人が、このままじゃ家を追い出されるって言ってました。だから、安心させてあげたいって思ったんです」
リタの瞳には、相変わらず汚れなど一つもなく。
「お祖父ちゃんは、そんなことしません。だって、家族ですから。せっかく一緒にいられるんだから……大事にしないと、もったいないです」
孤児院で育ったリタだからこそ、子どもとはいえ重みのある言葉。
そのくせ、彼はとても真っ直ぐに育った。
孤児院の院長にあっさりと売り払われても、脅迫まがいの言葉を投げかけられても、思い遣りの心を捨てない。自分のことは二の次で、他人の心配ばかりする。取り巻く環境は関係なく、生まれ持った彼の資質なのだろう。
それは、厳格な祖父にも伝わった。
「……あぁ、そうだな。儂は、今一度彼女と話し合わねばならないようだ」
老人の鋭い眼差しが和らぐ。
そのまま不慣れな手つきで頭を撫でられると、リタは目を輝かせた。
エレディオン子爵の腹の内は分からない。
請われるまでもなく、息子の妻を追い出すつもりなどなかったかもしれないし、彼女の予想は的中していたものの、危ういところでリタが譲歩を引き出したのかもしれない。
それでも、気難しそうな老人を頷かせることができたのだ。
しかも第三者――さらに言えば役人が立ち会っているので、これを覆すことは難しい。
不遇の身ではあったとはいえ現在加害者として扱われている元次期当主夫人も、罪に問われることはなくなるだろう。
被害者のリタが立件を望まず、その保護者であるエレディオン子爵が認めたのだから。
場の空気が緩むと、シルは笑みをこぼした。
「……な、凄まじく平和的な解決だろ? あの子には打算なんて一欠片もないんだ。うまく取り入ろうなんて考えもしてない。あれじゃ、情のない人間だってもれなく絆される」
どれほど優秀でもリタの善良ぶりまでは予想がついていなかったようで、ファザンスはぽかんと口を開けていた。
「なるほどぉ……優季さんが、あまりにあっさり匿ったわけです」
「あなたは私を何だと思ってるんですか」
優季は一瞬目を尖らせたが、それもすぐに苦笑に変わる。
失礼な発言も今は大目に見よう。
はしゃいで祖父に抱き着く少年と、杖を支えに不器用に抱きしめ返す腕。
心温まる場面で、これ以上無粋な文句は不要だ。
長い抱擁を解いてリタが振り返った。
不安げな少年に、優季はしっかりと頷き返す。
「何でも屋での研修は、今日でおしまいね」
「え? で、でも……」
「あなたのお祖父さんはとっくにその気だと思うわよ。家族は大事にしないともったいないんでしょ」
戸惑うリタに背を向け、優季は戸口へ向かって歩き出した。
ここからは行政の出番で、街の何でも屋にできることはもうない。一時的にリタを預かっていた責任があるから、今回の立ち会いを許されただけにすぎないのだ。
扉に手をかける前、優季は振り返ってしっかりと頭を下げた。
リタへではなく、今後彼の心強い保護者となるだろう、子爵へと向けて。