臨時従業員
誤字脱字報告ありがとうございます!
評価やブックマークも、忘れないで続きを待っていてくださった方も、初めて読んでみてくださった方も、本当に本当に感謝しかないです!
ありがとうございます!
今日もよろしくお願いします!
リタはさらに言い募った。
「優しくしてもらったのに、僕は返せるものを持ってません。お金も服も、家だってない。だから、せめて少しでも恩返しがしたいんです」
……そうだ。彼には帰る場所がないのだ。
孤児院にはもう戻れないし、かといってリタを金で買ったという引き取り先の女性の許へ向かっても、どのような扱いを受けるか分からない。
依頼通り彼の祖父を捜し出せたとして、それが善人かどうかすら。
異世界転移をした当時の感情がまざまざと思い起こされ、優季の胸まで切なく痛んだ。
この少年は、優希やシルと同じ。血という繋がりにさえすがれないでいる。
「お願いします。僕、頑張って役に立ちます」
それでも彼は俯かないのだ。
小さな体には、独りきりでも立ち上がる勇気が秘められている。
澄んだ緑色の瞳を見つめ返しながら、優季は目を細めた。曇りなき眼とは、きっと彼のような眼差しに違いない。
――……真辺優季、三十四歳。これまた断りきれるはずもなく、従業員が増えるという展開になりそうです。そもそも彼のお願いを退けることのできる猛者などいるはずありませんから。しかし真辺さん、子どもと深い縁でもあるのでしょうかね? 結婚には全く縁がないのに本当に摩訶不思議で……ちなみに『摩訶』とは仏教用語で『大きい』や『優れている』と称える意味があり……。
「あれ? いつの間にか逃避がはじまってる」
優季のもの思いを断ち切ったのは、いつものごとくシルだった。
ファザンスを置き去りにリビングに戻って来た彼は、いつもよりやや強めに優季の頭を小突く。
「慣れてない子どもの前ではやめてやれ。あと、あの男はもう食べはじめてるぞ。これでチキンの香草焼きでも出しておけば誤魔化せるだろ」
リタへの気遣いを優先したことに感謝すべきなのだが、普通に痛い。小突かれた箇所を擦りつつ、反論をこぼす。
「正確に言えば、誤魔化されてくれる、だけど」
「まぁ……いけ好かないにもほどがあるけど、あいつは間違いなく有能だ」
「どっちが素なのか分からないくらいにはね」
平静を装って会話を続けながらも、優季は肘でシルにやり返した。
応戦してしまえば両者共にあとに引けない。絶対に負けられない幼稚な争いが、そこにはあるのだ。
「結構お世話になってるのに、本当にファザンスさんが嫌いなのね」
「だからこそだろうが」
「はい? 全然説明になってませんけど?」
「だからそれはあんたがあの男を……」
会話の合間に小突き、小突かれ。ひらりとかわそうかと思えば、また逃れられず。
白熱した戦いを繰り広げていた二人は、はたと我に返った。
振り向くと、リタは無垢な眼差しで優希達を見上げている。普段の大人げない姿をさらしてしまい、気まずいことこの上なかった。
「……そ、それじゃあリタ。住み込みを条件に、まずは見習いからはじめましょうか」
苦し紛れに告げた言葉に、少年の瞳が輝く。
「――はいっ、よろしくお願いします!」
優希とシルは、引きつった笑みを返すことしかできなかった。
◇ ◆ ◇
物置と化していた部屋を半日がかりで片付けて、急遽増えた見習いの居室とする。
リタは、驚くべき早さで『何でも屋 ユーキ』に馴染んだ。
細々とした仕事をよく覚え、よく働く。
孤児院暮らしで小さな子の世話に慣れているらしく、乳児が泣きだしても対処に迷いがない。子どもが一生懸命に動き回るから客受けもよかった。
「どこにも行くあてがないなら、ずっとうちにいたっていいくらいだわ」
彼の働きぶりを眺めながら感心していると、隣にいたシルが不満そうに腕を組んだ。
「それは俺への当てつけか?」
「あんたはあんたで頑張ってたじゃない。あの時は私も色んなことに不慣れだったから、お互い手探りって感じでちょうどよかったわよ」
『割れ鍋に綴じ蓋』は夫婦のたとえだから、用例としては間違っているだろうか。そもそも各所に引っ張りだこの美青年を捕まえて『割れ鍋』は失礼か。
預かった子のままごと遊びに付き合うリタを見守る、シルの横顔を盗み見る。
出会った当初は線の細い美少年だったのに、本当に逞しく成長した。
圧迫感を感じるほど筋肉質ではないけれど、頼りになる大きな体。美しさと危うさが全く損なわれないまま大人になったせいで、一緒にいる優季が嫉妬される始末だ。
彼がいるから依頼に来る。そんな客も一定数いることは十分に理解していた。
むしろシル自身の方がその辺りには無頓着で、完全に優季の子守りの腕が売りだと考えているらしい。察するに、他者の好意によほど鈍いか、注目されることに慣れきっているかのどちらかだろう。
美しい曲線を描く横顔が注視されていることに気付いているのかいないのか、シルは赤子役を熱演するリタを見つめながら、ふと目元を緩めた。
「でも、もし本人にもうちに居続けるつもりがあったら、適度な手の抜き方ってやつも覚えてもらう必要があるな」
年長者らしい気遣いだが、それも経験談だ。
シルも働きはじめたばかりの頃は、何かに急かされるように必死だった。いらないと言われることを恐れているようにも見えた。
『そんなに頑張らなくていいの。私は、役に立たないなんて理由で追い出したりしない』
優季がそう声をかけた時、ひどく驚いていたのを覚えている。
――シルは、ちゃんと周囲の大人に、守られて育ったのかな……。
リタの出自を調べているせいか、最近はシルの生い立ちまで気になり出している。考えても仕方がないと、もう何年も思考を放棄していたのに。
両親でなくてもいいのだ。
たとえ血が繋がらなくても、愛情を注いでくれる存在が側に一人でもいてくれれば。
優季自身がそうだったから。
両親を事故で失った九歳の時、突然安全なゆりかごから放り出されたような気持ちで途方に暮れた。妹など、まだ五歳だったのだ。
頼れる親類もなく、ただ呆然とするだけだった優季達を支えてくれたのは、母の親友だった女性だ。
その当時独身だったにもかかわらず、突然二人の子どもの面倒をみねばならないという事態。彼女自身戸惑っていたに違いないのに、そんな素振りは見せない強い人だった。
成人してからは近況報告をする時くらいしか会いに行けていなかったが、元気にしているだろうか。
多忙を理由に約束を後回しにしてしまったことが今さら悔やまれる。
また、いつでも会えると思っていたのに。
――シルには……ううん、リタにも、こんな思いしてほしくないな……。
願いとは裏腹に、調査は一向に捗っていない。
城に勤める役人のみが戸籍謄本を閲覧できるとあって、守秘義務が徹底して守られている。
もちろん蛇の道は蛇というやつで、どのような情報も扱う輩はいる。おそらく『最近、少年を捜索する貴族、または資産家はいないか』と訊ねれば、欲しかった答えを簡単に得ることができるだろう。
しかし、足元を見られているため、後ろ暗い情報というのは相場が高い。街のしがない『何でも屋』が容易に頼ることなどできないほどに。
優季はこのあと、付き合いのある貴族夫人の許を訪う予定になっている。
事情を全て話すわけにはいかないが、何か手掛かりを得られればと考えていた。結果的にこちらの方が高くついた、というオチがつかなければいいが。
「それじゃあ、シル。この場は任せたわよ」
「こっちは心配しなくていいから、ユーキこそ取って食われないようにな」
「やめてよそういうの私の世界では縁起悪いって言われてるんだから」
おかしなフラグが立ってしまったらどう責任を取ってくれるのか。
意味が分からないと眉根を寄せるシルを置き去りに、優季は出かける準備をはじめた。
整然とした貴族街に立ち入るには、まず身なりから正す必要がある。
少しでも不審な動きがあれば巡回中の兵士に職務質問をされるし、最悪街の外へ排除されてしまう。
この徹底した身分差の壁に、現代日本人の優季が戸惑うのは当然といえる。
それゆえ挙動不審者として平民街にある留置所に連行されること数回。そのたび呆れたシルが迎えに来て身分を保証するという流れで、養い親としての面目を潰されてきた。そうしてさらに委縮してしまうという悪循環。
残念ながら優季は、貴族街と相性が悪い。
そういった事情を踏まえ、こちらから面会を希望したのにわざわざ馬車を用意してくれた貴族夫人には、感謝しかなかった。
彼女との付き合いは長い。優季が『子守り屋』と呼ばれるようになったきっかけが、彼女の夫の依頼だったのだ。
伯爵である夫の依頼をシルがこなす傍らで、優季は暇を持て余していた。
伯爵邸という慣れない環境でじっとしていることに耐えられず、赤子の世話を申し出た。長いこと響き続ける泣き声が気になっていたというのもある。
乳母さえ嫌がったという乳児は、優季に抱かれた途端ぴたりと泣きやんだ。
四六時中泣き続ける赤子に、これで四人目の出産だという伯爵夫人もずいぶん苦戦していたらしい。
ろくに睡眠時間をとれず疲弊していた彼女はいたく感激し、それからは子守りとして頻繁に依頼を受けるようになったのだ。
その子どもも今やすっかり成長し、実質子守りは必要なくなっているのだが、なぜか優季が異常に気に入られているため未だに関係は続いている。
――とはいえ、相手は貴族。何が逆鱗か分からないんだから、慎重に話さないと。
改めて気を引き締めながら、優季は案内されるまま応接間の扉をくぐった。
「奥様、ユーキ様をお連れいたしました」
誘導をしてくれた若い使用人は、先に指示を受けていたのか静かに部屋を辞していく。
淹れたての紅茶や焼き菓子が並ぶ大理石のテーブルと、深い紫色をしたベルベットのソファ。その優雅な空間に相応しいたおやかな女性が、ゆっくりと優季を振り向く。
「ようこそ、ユーキさん」
ティエラ・シェルトナー伯爵夫人は、気品ある笑みを浮かべた。