また拾いました
翌日の昼になっても少年は目を覚まさなかった。
ベッドに寝かせるためとりあえず体を拭くと、シルを拾ったばかりの時に買い込んでいた衣類を引っ張り出して着替えさせる。
十五歳とはいえ背の高い少年だったのでほとんど優季のものと変わらないが、他に間に合わせがないため我慢してもらうしかない。
整っているが、シルと比べると柔らかな容貌だ。すべすべな頬は幼さゆえにふっくらとしている。
自身のベッドで昏々と眠り続ける少年を、優季はじっと見つめた。
ーー真辺優季、三十四歳。人生で二度目の行き倒れを拾いました。いやぁ、本当に何が起こるか分からないものですよね。そんなこと言い出したら異世界に来ちゃったことも驚きですしねー。あ、ちなみに三十歳を迎える日も何の感慨もありませんでしたよね。何と言ってもこちらではアラサーなどという焦りを喚起させる言葉がありませんから。大体こっちの結婚適齢期って十代ですしね。二十歳独り身なんて嫁き遅れもいいところで、三十歳をとっくに越えてしまった女は変わり者以外の何者でもないんですよ。季節も暦も地球と似たようなもので便利なのですが、その分年齢もうやむやにならずしっかり数えられてしまうわけでありまして……。
「おいコラ、ユーキ」
頭を小突かれ、優季は目を瞬かせる。腕を組んだシルが、呆れ顔で見下ろしていた。
「あ、ごめん。軽く現実逃避してた」
「知ってる。時々そうなってるしな」
シルは静かに隣の椅子にかけた。
彼には今まで、街の治安を守る自警団と役所を回ってもらっていた。身元不明の人物を一時的とはいえ保護する場合、国への連絡が必要となるためだ。
シルを拾った時はそれを知らず、後々ファザンスにかなりの迷惑をかけてしまった。
当然と言えば当然だが、たとえ善意からの行動だとしても無断で他人の子どもを匿い続けていれば誘拐と変わらない。
勝手な異世界への偏見でその辺は緩いだろうと思い込み、当時は危うく犯罪者になるところだった。
「ありがとね、仕事でもないのに」
「いいさ。何でも屋なんて、こういう厄介ごとばかりだろ。出たついでに体によさそうなもの買ってきておいた。蜂蜜とか、確か滋養にいいだろ」
「お、助かる。気が利くね」
しばらくまともに食事をしていないのか、少年は子どもらしからぬ顔色だ。やつれてはいないが肉や魚は辛いかもしれないと、ちょうど優季も考えていたところだった。
彼が目覚めるまでに野菜を細かく刻んだスープか、パン粥でも作っておこう。
シルは嘆息しながら足を組んだ。
「この年頃の子どもに対する捜索願いは、今のところ出ていないみたいだ」
「そう……。遠くから来たのか、複雑な家庭で育ったのか。何にしても、事情がありそうね」
「この子、どうするつもりなんだ?」
目を瞬かせた優季は、シルへと視線を移した。
彼はやけに憂鬱そうな面もちで、横たわる少年を見つめている。
「そりゃ事情を聞いてみないことには判断できないけど、なるべく力になるつもりよ。慈善事業じゃないから何でもしてあげられるわけじゃないけど」
優季とて暮らしていかねばならないのだから、金にならないことに時間をかけている余裕はない。金銭の授受が発生しないのなら線引きはすべきだ。
部下に対してあけすけな本音を口にすると、彼は力なく苦笑した。
「結局見捨てられないんだよな、ユーキは」
「え。今何でそんな結論に至ったのか、全然分からないんだけど」
子どもが相手だというのに、結構ドライな発言をしたつもりだが。
怪訝に思って首をひねるも、シルはどこか嬉しそうに笑うばかりだ。
もしかしたら、昔の自分に重ね合わせているのかもしれない。誰にも見向きもされずに弱っていく恐怖を、彼も知っている。
優季は彼の銀髪を、くしゃくしゃに掻き混ぜた。
「ちょ、いい加減子ども扱いするなよ!」
「安心しなさい。この子はこれでも立派なーー」
目一杯顔をしかめて嫌がるシルに笑いかけていると、突然ドアが強く叩かれた。
「どなたか、いらっしゃいますか?」
昨夜から慌ただしかったため、今日は急ぎの依頼以外はキャンセルしていた。入り口にも臨時休業の掛け札を提げている。
「重大な事案が発生しましたので、緊急で調査をお願いしたいのです」
堅苦しい口調の男性は淡々と話しているが、焦ったようなノックは続いている。
うるさくドアを叩かれ続けても敵わないので応対することにした。
「いらっしゃいませ。一応今日は休業日なんですけど、どちら様ですか?」
あまり褒められた態度じゃないが、愛想も振り撒かずにドアを開ける。
そこには、給仕の格好をした壮年の男性が立っていた。堅苦しい口調から想像した通りの仏頂面だ。
「休日にたいへん失礼いたします。支払いはその分上乗せしますので、どうかお受けいただきたい」
深々と頭を下げられてしまっては、事務所に通さざるを得なかった。
応接用のソファにつくと、素早くお茶の用意をしていたシルがそれぞれの前にカップを置いた。こちらで主流とされている紅茶だ。
「お頼みしたいのは、人捜しになります。内密に子どもを捜していただきたい」
子ども、と聞いて反応しそうになったが、ここは無表情を貫く。
「子どもですか。自警団を当たられた方が確実だと思われますが」
「できるだけ内密な捜索をお願いしたいのです。少々特殊な事情がありまして」
自警団や役所が対応すべき内容であるのに何でも屋を頼るのは、大体が訳ありだ。
とはいえ詮索をせずに請け負うのがこの仕事。けれどどうにもきな臭さを感じて、優季とシルは視線を交わした。
男が、急いた様子で身を乗り出す。
「生きて、無傷で保護していただければ。捜索にかかる費用もこちらでお支払いする用意があります。十歳程度の少年で、特徴は落ち着いた薄茶色の髪と緑色の瞳。失踪時は木綿のシャツと生成りのズボンを身に着けていました。頬にそばかすがうっすらと散っております」
瞳の色はともかく、他は全て寝室で眠る少年の特徴に一致していた。
それでも、優季は返答に迷わなかった。
「詳しくお伺いしたのにたいへん申し訳ございませんが、そのご依頼はお受けしかねます」
キッパリ断るも、口元がひげに隠れているため相手の反応は窺い知れない。
応接間の空気がにわかに張り詰める。
「どうしても、でございますか? 依頼料は弾みます。何でしたら、あなた方の言い値を払ってもいいと私の主人は申しております」
言い値で構わないとは、むしろ不穏さが濃厚になった。優季はここで飛び付くほど強欲ではないし、愚かでもない。
「逆に、うち程度にそこまで固執する理由が分かりません。不審ととられても仕方がないのでは?」
「子どもに関することならば、あなたを上回るほど有能な方はいないと聞いております」
「それは……」
優季は思わずガックリと脱力してしまった。
ここにきて、また『子守り屋』の異名を持ち出されるとは。というかその噂は、もしかしたら王都中に広まっているのか。
「とにかく、私どもではお受けできません。ご足労いただいたのに申し訳ございません」
優季は戸口に立って、心なし肩を落として帰っていく男を見送った。
お仕着せの質のよさといい、わざわざ富裕層街から足を運んだと察せられ罪悪感はあったものの、拒否したこと自体に後悔はなかった。男自身は悪人に見えないが、彼の主人もそうとは限らない。
「ユーキ、どうして断ったんだ? かなり条件のいい話だったのに」
答えなんて分かりきっている顔で、シルが訊ねる。優季は肩をすくめた。
「だって、あの子はうちのドアを叩いたから」
今もなお意識を失ったままの少年が、なぜうちの前で力尽きていたのか。
彼を見つける直前に聞こえた、か細く震えるような引っかき音。
あれは、最後の気力を振り絞って、ドアを叩こうとしていたのではないか。この『何でも屋』の看板を見付けて、頼るために。
「ドアを叩いた時点で、あの子は立派な依頼人よ。依頼の舞い込んだ順番は守るのが鉄則。あの子自身からどうしたいか、どうすべきか、ちゃんと希望を聞いておかないと話にならないもの」
優季の返答に、シルは心底楽しげに破顔した。