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五年後

 人の行き交う中央通りを、馬車停めのある大広場から王城に向かって歩いて十分。

 通り沿い、二階が住居スペースとなっているこぢんまりとした建物の入口に、木製の飾り気のない看板が提げられていた。


『何でも屋 ユーキ』


 店主の名前を冠したこの何でも屋、開業から五年経つが意外と評判も上々だ。

「ユーキ。カボール家の庭の手入れ、依頼通りに終わらせてきたぞ」

 ユーキが事務仕事を片付けていると、裏口から従業員が帰ってきた。

 硬質な銀髪に、灰色を帯びた紫の瞳。しんと静かな雪景色が似合う、冷たく整いすぎた容貌。

 五年前、優季が道端で保護した華奢な少年は、今年で二十歳になる。

 シルと名乗った彼は、今や何でも屋ユーキたった一人の従業員だった。

「ありがとシル。どうだった? カボール夫人には口説かれた?」

「口説かれたけど、ちゃんと断ってきたよ。こうなると分かってて俺を派遣したくせに」

 依頼料を受け取りながらからかうと、シルはうんざりした顔で髪を掻き上げた。

「もうあそこには二度と行かないぞ、俺は。ドレスを脱がれかけた時、どうしようかと思った」

「まぁまぁ、そうおっしゃらず。うちはあんたの見た目で客引いてるところもあるんだから」

 よくよく聞けば、休憩にしましょうと案内された先で二人きりになり、襲われかけたのだという。

 もちろん振る舞われたお茶とお菓子には一切手を付けていない。以前食したところ、体が痺れて動けなくなったことがあるためだ。

 ちなみにそれは、貧乏根性からお茶請けに出された高級菓子をこっそり持ち帰った時に起こった。おかげで優季とシルは揃って一晩行動不能になってしまったのだが、今となってはいい思い出だ。

 シルは成長するにつれ、男女問わず視線を集めるようになった。特に歳上の既婚女性にモテるため、手段が結構えげつなかったりする。

「シルが頑張ってくれてるから、今日もおいしいご飯が食べられるね。そうだ、今日の夕飯はあんたの好きなハンバーグ作ってあげるよ。ね?」

 これからも彼の女性人気を利用していきたい優季が、分かりやすくごまをする。

 シルは苦虫を噛み潰したような渋面になった。

「そんな依頼受けなくたって、ここはやってけるだろ。あんたの子守りスキルさえあれば」

 優季は可愛くないことを承知で、わざと子どもっぽく唇を尖らせてみせた。三十四歳きつめな顔立ち独身の拗ね顔。想像するだけで物悲しい。

「ちょっとぉ、シルまでうちを子守り屋って呼ぶつもり? ここは何でも屋だよ?」

「実際、子守りで経営が成り立ってるだろ」

 そう。五年という時が経ち、この何でも屋は別の名前で呼ばれるようになっていた。

『子守り屋 ユーキ』だ。

 日本での生活は何一つ役に立たなかったはずが、たった一つ、まさかのスキルが役に立った。

 妹夫婦の可愛い可愛い天使達を面倒見続けてきた優季は、子守りのスキルが異様に高かったのだ。

 ある時依頼人の子どもをたまたま預かったら、なぜか非常に喜ばれたのが始まりだった。

 それが今まで乳母にさえ抱かれるのを嫌がる気難しい子だったようで、依頼人は依頼内容より子どもを四六時中抱かずに済んだことに歓喜したのだ。

 以来、用事でどうしても側にいられない時。旦那様と結婚記念日のお祝いをする時。心と体が疲れた時など、あらゆる状況で頼られるようになった。

 そんな噂が噂を呼び、腕のいい子守り屋がいると評判になった。

 この国の一般市民層は共働きの夫婦が多く、現在依頼の六割近くが子守り関連となっている。

 何も持っていない、少し金勘定が早いだけの女だと思っていたが、まさかこんなことが役に立つとは優季も思わなかった。

「今預かってるのは、ザリアさんのとこの双子か。今日は依頼が重なってないようでよかったな」

「重なってたらシルを他の依頼に回したりしないよ。そうだ。ザリアさん、いつも通り大量のお肉もお裾分けしてくれたよー」

 ザリア夫妻は共に冒険家で留守にすることも多いため、何でも屋をよく利用するお得意様だ。

 その際、いつも獣の肉をブロックでお裾分けしてくれる。彼女達のおかげで魔獣の肉を躊躇いなく食べられるようになったのは余談だ。

 なんとこの世界、一般市民層に魔法が浸透していないくせに、ファンタジーな点が多々あった。

 まず、魔物がいる。ドラゴンが住む峡谷やゴブリンが出没する森があるらしい。

 優季自身は防護壁にグルリと囲まれている王都から出たことがないため、生きて動く魔物はまだ見たことがない。解体済みの素材や食材としてならば毎日お目にかかっているのだが。

「今日はなんと、キングゴブリンのお肉も少しだけもらえたんだよ!」

「お、ご馳走じゃないか。せっかくだしそれはステーキで食べよう」

「もちろん! でも分けると取り分が少なくなっちゃうから、それを補うためにプラスでハンバーグでも作ろうかなって」

 凶暴で個体数の少ないキングゴブリンの肉は極上品で、なかなか市場にも出回らない。

 今日の晩ご飯について熱く語り合っていると、突然赤ちゃんの泣き声が聞こえた。そしてそれはすぐに二重奏に変わる。

「あ、双子ちゃん起きたかな?」

 優季は慌てず立ち上がり、子守り部屋と称している隣室に移った。

「よしよし、どうしたの? お腹空いたかな?」

 まだ生後六ヶ月なので、母親の母乳が必要な時期だ。こちらの世界には粉ミルクという便利なものは存在しない。

 子どもを預かる時は、必要なものを最低限揃えてもらう決まりだ。布おむつや替えの下着、服、食事、その子どもが気に入っているおもちゃなど。

 泣き声だけで欲しているものが分かるほどプロではないので、まずはザリア夫妻から預かっていた母乳を取り出した。

「シル、帰ってすぐで悪いけどミーナの方頼んだ」

「了解」

 コップに入れたミルクを、揺りかごから抱き上げて口元に寄せる。子どもはすぐに飲み出した。

 なぜ哺乳瓶を使わないのかというと、生後六ヶ月とはいえ口の中には立派な牙が生えているからだ。

 母親が直接授乳していたのも、ほんの一、二ヶ月ほどだったという。

 ミーナとリーナは頭に三角の大きな耳、フサフサの尻尾が生えた、狼獣人なのだ。

 そう。もう一つの驚きは、獣人が存在すること。

 他に竜人や魔人、有翼人種もいるらしいが、魔物と同じく優季はほとんど見たことがなかった。それぞれ自国から出ることがあまりないらしい。

 満腹になった双子の女児達は、再び気持ちよさそうに眠りにつく。しばらく揺りかごを動かしながら寝顔を見守った。

 妹や甥っ子達の姿が、ふっと頭をよぎる。

 優季は苦いものが混じった笑みを浮かべながら、緩く首を振って懐かしい面影を追い出した。

 その後指定された時間内にザリア夫妻が引き取りにきて、今日の仕事はここまでとなった。

 夕食は予告通り、ジューシーなキングゴブリンのステーキと玉ねぎたっぷりのハンバーグを作った。

 付け合わせはマッシュポテトとブロッコリー。刻んだ人参と玉ねぎ、トマトを煮込んだミネストローネは昨晩の夕食の残りだ。

 食材が地球とあまり変わらないため、優季も調理に困ることはない。ちなみに火力や電力は、魔力を充填させた魔石に頼るのがこちらの主流だ。

 シルは上品な顔に似合わずたくさん食べてくれるので、優季としても作り甲斐を感じている。二階の住居スペースで共に暮らしているため、最近ではほとんど家族のような関係だった。

「ユーキの作るこのハンバーグという料理は、本当においしいな。食事処を開いても、きっと繁盛していただろう」

「日本では普通の家庭料理だし、毎日大量に同じ味の食べものを提供できるほどの腕はないよ。私は身近な人に食べてもらえれば十分」

 テーブルに向かい合って座るシルが、途端に顔をしかめた。

「身近と言うが、あの男にまでいちいちユーキの手料理を振る舞う必要はないと思うぞ」

 彼は名前も出したくないようだが、週に一、二度は顔を出す人物のことだろうとピンときた。

「あの男って、ファザンスさん?」

 保護期間の一年はとっくに過ぎているのに、ファザンスは頻繁に顔を出していた。

 特に目的もなく、好きなだけおしゃべりと食事を楽しんでから帰っていく。

 迷い人の保護機関に勤めているためか、彼は『ユーキ』ではなく『優季』と正しく発音してくれる、貴重な人だ。

 はた迷惑ではあるけれど無下にできず、優季はすっかり気を許していた。

「そんな冷たいこと言わないでよ。私にとっては、一応友達みたいなものなんだから」

「そうやってあんたが特別扱いをするから腹が立つんだ。俺は……」

 シルが何か言いかけた時、戸口から耳慣れない音が聞こえた。


   ……カリ。カリ、カリ、カリカリ。


 食卓に沈黙が落ちる。

「怖っ、何かの怪談みたい」

「カイダン? 二階からの音ではないだろ」

 同居人の見当違いな返しに、優季の動揺は一気に落ち着いた。

 このくらいの時間になると酒場通りに賑わいが移るため、中央通りの人影はまばらなはずだ。店じまいをしたあとの来客も珍しい。

「ノック、なのかな? 手のない人種とか?」

「有翼人種だって手はあるだろ」

 シルは立ち上がり、足音を殺してドアに近付く。そして隙間程度に開くと、そこから外を確認する。

 束の間悩むような素振りを見せたものの、彼はドアノブに手をかけた。

 外開きのドアは、何かにつかえて開かなかった。シルが少しだけ力を込める。

「何だ……?」

 ドアを塞ぐ原因は、十歳ほどの子どもだった。

 倒れた子どもはピクリとも動かない。優季は駆け寄って肩を揺さぶる。

「おーい、生きてる?」

「ユーキ、それ、昔俺にも言ってたけど、死んでたら答えられないからな?」

 傍らに膝をつき、シルは呆れ顔だ。

 呼吸も脈拍も確認できたが、子どもが意識を取り戻す様子はない。

 優季達は顔を見合せ、しばし途方に暮れた。




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