9. 小説家とキャラクター 【ホラー】
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窓のないコンクリートに囲まれた部屋。その部屋の中央にはむき出しの白熱電球がぶら下がっており、その下には椅子に座っている制服姿の少女がいる。
ドアに背を向けている少女は腕を手すりに、その足も椅子の脚に縛られていた。
「――ん。こ、ここは……どこなの?」
目を覚ました少女は周りを見る。そこは見たこともない部屋、そして自分が拘束されていることに気がついた。
「ちょっと、なんなのよこれ!?」
もがいてみるものの縛られている手足はビクともしない。
そんな少女へ、同じ制服を着た安佐子が後ろから近づいていく。
「気がついたみたいね。うれしいわ、やっとあなたとお話ができる……」
長い髪に触れながら前へ回り、少女の驚く顔と対面した。
「あんた……あんたがやったの! はやく解いてっ、解けよッ!」
目を吊り上げて叫ぶ少女は暴れるが、椅子がガタガタと揺れるだけでても足も出ない。
そんな様子を、安佐子は面白そうに見下ろす。
「解くわけないじゃない。これから、ゆっくりあなたと遊ぶんだもの」
微笑む安佐子。その笑みからは不気味さしか感じられないのだが、少女に屈する様子はなく、
「何が遊ぶよッ! こんなことして、ただで済むと思ってんのッ!」
むしろ下から安佐子を睨みつけた。
「こんな状況でもそんな口を叩けるなんてね。あなた、自分がそうなっている理由が解ってないんじゃない? これはね、あなたに対する罰なの、自業自得なのよ」
「はぁ!? 安佐子のくせになに言ってんの? いつから私にそんなこと言えるようになったわけ? 偉そうなこと言ってないで、はやくこれ解きなさいよッ!」
喚く少女を、安佐子は冷ややかな目で見下ろしている。
高校生である少女は気の強い娘だ。素行が悪く、悪友と共に夜の街へ繰り出しては軽犯罪に手を染めている。度々警察の手を煩わせることもあるが、代議士をしている親がそれをもみ消しているのでやりたい放題だ。何が少女をそうさせてしまったのかはわからないが、少女が抱えている鬱憤は学校という空間でもいじめを行うことによって発散されている。
少女と同級生である安佐子は、そのはけ口にされていたのだ――。
「ねえ、これがなんだかわかる?」
安佐子がポケットからナイフを出すと、少女はビクッとして黙る。
ただナイフを取り出しただけならば少女は黙ったりはしなかったであろう。それでも口を閉じてしまったのは、そのナイフが渇いた血で染まっていたからだった。
「これはね、あなたのお友達の血よ。あの娘の泣き叫ぶ声――。あなたにも聞かせてあげたかったわ」
安佐子は下唇を舐め、ナイフの切先を少女へと向ける。
「ひッ!」
少女の引きつった表情に、安佐子は満足気な笑みを浮かべた。
「そんな可愛い声も出せるのね――あなたは死ぬ前に、どんな声で鳴いてくれるのかしら?」
後ろに回った安佐子が少女の長い髪を掴んで引き下げる。そして上を向いた少女の喉元にナイフをあてがった。
「や、やめて……私が悪かったわ。ごめんなさい、ごめんなさい……」
安佐子の本気を感じ取った少女の懇願。
その震えた声、流れた涙に安佐子もその身を震わせた。今まで自分がされたことを思えば、この少女には何度殺しても足りないほどの恨みがある。その復讐をすることができる歓喜の震えであった。
「謝っても無駄よ。そんな謝罪を受け入れるような心は、あなたが壊してしまったのだから――」
安佐子はナイフを頸動脈の位置までずらすと、そのまま
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「――ちょっとまって。まさか、ここで殺して終わりにするつもりじゃないでしょうね……」
安佐子の低い声に、キーボードを打つ新太朗の手が止まった。
「だ、だめかな……」
新太朗は今年で50歳を迎えた小説家だ。とはいってもヒット作には恵まれず、何度か雑誌に短編小説を掲載してもらったことがあるだけの男である。
困ったような新太朗の声に、安佐子は呆れた息を吐いた。
「いい? 私は被害者なの。終わりの見えないいじめによって心を壊された哀れな被害者なのよ? そんな私が、心の腐ったあの女に復讐する見せ場となる場面なのに、こんな簡単に終わらせるの? ここはもっと残虐性が必要だわ」
「残虐性? 残虐性――ねぇ……」
新太朗と安佐子は同時に腕を組む。
同じ仕草ではあるが、それは新太朗はどうすれば残虐性を出せるのかと悩み、安佐子はそんなこともわからないのかという意味が込められていた。
「まったく。新太朗は苦労を知らないからなにも思い浮かばないんだわ」
「そんな……。俺だってそれなりに苦労はしてるのに……」
安佐子の言葉に、新太朗はムッと口をとがらせる。
「どこが? この高級マンションは親から受け継いでいるから、その家賃収入で生活には困ってない。人付き合いが苦手だから一日中部屋にこもりっ放し。なんの努力もしてない人にどんな苦労があるっていうのよ――」
痛いところを突かれ、新太朗は渋顔をする。
そんな表情に安佐子はため息を吐いた。
「――いいわ、新太朗にリアルな残虐性を教えてあげる。行くわよ」
「行くって――ど、何処へ?」
安佐子は何も答えない。
立ち上がった新太朗は、行き先を安佐子に任せることしかできなかった。
◇
「――ここよ」
声が反響する地下空間で立ち止った安佐子の前には鉄の扉。〝立ち入り禁止〟のプレートを貼り付けてあるその部屋は機械室であった。
そこはマンションの住人たちの高級車が並ぶ駐車場。その一番奥にある部屋である。
「ここになにがあるんだい?」
鍵を開けて中へ入り、水道管を横目に奥まで進むとそこに少女がいる。
「こ、これは――」
椅子に縛られ、テープで口を塞がれている少女に新太朗は唖然とした。この光景は、先ほどまで執筆していた小説の設定そのものだったのだから――。
「すごいでしょ? 私が捕まえてきたのよ。この娘――あの醜い女にそっくりだと思わない?」
「な、何を考えているんだっ!」
自慢げな安佐子の口調に、新太朗は声を荒げる。
「あれは小説の設定だ! キミをいじめたあの少女は――」
「黙りなさいッ!」
安佐子の強い口調に、気の弱い新太朗は黙ってしまう。
「なにが小説よ。私は体験しているのよ、あの壮絶ないじめをねッ! だからあの女は無残に殺されなければならないのよッ!」
興奮する安佐子に新太朗は抵抗できない。
「新太朗、あなたに残虐って言葉の意味を教えてあげるわ。あらゆる苦痛を与え、生きる希望をなくしてから殺す――。きっと新太朗の執筆にも役に立つ体験になるはずよ」
嬉しそうに下唇を舐める安佐子。
「こ、こんなの狂ってる……。この駐車場には防犯カメラが設置してあるんだ。その娘をここへ連れて来た映像だって残っているはずだ。絶対に警察に捕まるぞ」
「あら、そんなの後で映像を削除すればいいことじゃない」
新太朗の言葉を、安佐子は鼻で笑った。
「さて、ここからがショウタイムよ――」
安佐子は少女へ近づき、口のテープを剥がす。
「あ、あ、あの……助けてください。わ、私何もしてません。この事も誰にも言いませんから……。お、お願いします、助けてください……」
少女は新太朗の目を見て訴える。
恐怖で大きな声が出ないのだろう。しかし、擦れた声でもその必死さは十分に伝わってきた。
「おじさん。お願い、助けて……」
もう一度、少女は震えた声で助けを求める。だが新太朗は身体を自由に動かすことができない。
「ねえ、〝喉笛を掻っ切るぞ〟って脅し文句があるの知ってるかな――?」
安佐子がポケットからカッターナイフを出すと、少女はビクッとして黙る。
「――今ではあまり使われなくなった言葉なんだけどね。昔の映画とか小説とか、フィクションの世界で使われていた言葉なんだよ。でもね、喉笛を切られても声が出なくなるだけで直接生死にかかわることはないんだって。もちろん、出血した血が気管に入って固まれば窒息するから絶対ではないけどね」
後ろへ回った安佐子は、少女の耳元でそう囁いた。
「な、なんで、そんな話をするんですか……」
「あら、本当は分かっているくせに――」
「ひッ!」
少女の引きつった表情に、安佐子は満足気な笑みを浮かべた。
「可愛い声――。さて、喉を切り開いても本当に死なないのか、あなただって興味があるでしょ?」
安佐子は少女の長い髪を掴んで引き下げる。そして上を向いた少女の喉元にカッターナイフをあてがった。
「さあ、人生最後の言葉を――私に聞かせてちょうだい……」
希望を失った少女の目に、安佐子は恍惚の表情で下唇を舐めた――。
◇
マンションの地下駐車場。そこにある防犯カメラは少女を拉致してきた人物を記録していた。そして機械室に入り、二時間後に出てきた人物の姿も……。
それはどちらも同じ人物。一人で行動する中年男性の姿であった。
機械室から出た新太朗の手には血に染まったカッターナイフが握られている。
そして恍惚の目で防犯カメラへ目を向けると、その下唇をペロリと舐めた――。
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読んでくださり、ありがとうございました。
執筆をしていると、時々作中のキャラクターが勝手に物語を進めていくという感覚になることがあります。作者の私がついていけなくなるほどに……。
もし作者がキャラクターにのみこまれてしまったら……。そんな感じの作品でした。わかりにくかったらごめんなさいm(__)m