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7. 影  【ホラー】

□◆□◆



 厚い雲に覆われた夜空。

 闇が広がる雑木林に、男のザッザッザッ……という落ち葉を踏みしめる足音が静かに響く。

 二十歳になったばかりの若い男である。しかし走る体力はとうになく、息の荒い男は木々を支えとしながら歩くのが精いっぱいだった。


 重い足を上げ、男はある場所へ向かっている。いや、正確には引き返している。

 目指す場所は廃業した山荘。十数年前までは宿として営業していたらしい。


「次は俺だ……俺が喰われちまうんだ。俺は死にたくない。はやく、はやくアレを戻さないと……」


 何度も雲がかかった夜空を見上げる。

 あの雲が途切れ、隙間から月が出てしまった時、次は自分が殺されてしまうことを男は知っていた。

 血の臭いがする汗を拭い、男は山荘へ向かう。


 ヤツはすぐ傍にいる。

 姿は見えないし気配もない。しかし、ヤツは決して自分から離れたりしない。

 虎視眈々と、次の機会を待っているに違いないのだ――。





 男がその山荘を訪れたのは軽い気持ちからだった。

 季節はもうすぐ冬。そんななか、春日井という友人から季節外れの肝試しに誘われた。

 場所は山奥の山荘。十数年前の夏、泊り客と従業員合わせて12名が一晩で行方不明になったとして騒ぎになったことのある山荘である。



 事件当時の山荘内部は血の海であったという。小さなロビーに客室、自慢にしていた温泉の浴場も血に染まっていた。

 失血死には十分すぎる血の量から、警察は殺人事件として捜査に乗り出したのだが、いくら捜索しても遺体がない。それだけの惨劇があったにもかかわらず、遺体を移動した跡もなければ外部から侵入・逃走した痕跡も見つからなかった。

 ただ一人生き残っていた女性Jさん。彼女は山荘の地下、暗い倉庫の陰で震えているところを警察によって発見された。しかし、彼女から詳しい事情を聴くことは出来なかった。よほど恐ろしい目にあったのだろう。


 「こんなはずじゃなかった……こんなはずじゃなかった……」


 震えながらそう繰り返すだけの彼女。

 それでもなんとか事情を聴きだそうとすれば、血走った眼を見開き、奇声を上げて大暴れした。地下から連れ出すのに警察官三名が軽傷を負ったという。

 そんな彼女も、入院していた病室で錯乱したあげくに屋上から身を投げたのだとか――。



 そんな山荘へ、男は春日井・鶴木・柿田という三人の友人たちと共に向かった。

 『未解決事件研究室』といえば聞こえはいいが、要は未解決となっている事件現場を巡るという大学のサークルである。男はそこに所属していたのだ。


 昼前に集合し、男を誘った春日井の車でその山荘へ――。長い砂利道を走り、山荘に到着したのは闇が広がる深夜になった。

 上空は風が強いのであろう。流れてきた雲によって月が隠れてしまう。それにより、闇のなかに薄っすらと見える山荘の影が不気味さを増した。

 事件から十数年。破れた立ち入り禁止のテープが風に揺れ、当時は現場保存のために立っていたであろう警察官の姿も今はない。侵入するのは簡単だった。


 持参した懐中電灯で室内を照らす。

 乾いてはいるが血痕はそのままになっている。男たちは当時の惨劇の様子を思い浮かべながら夢中で写真を撮った。そしてカビ臭い廊下を歩き、男たちは地下へのドアを発見する。


 むせ返る異臭のなか、男たちはその倉庫の片隅に異様な小さい紋様を見つけた。


「なんだこれ? 魔法陣みたいだな」


 春日井がその紋様を照らす。


 最近誰かが掃除をしたのだろうか。倉庫内はどこもホコリをかぶっているにもかかわらず、その紋様のまわりだけきれいになっていた。

 それは円のなかに平行四辺形を左右対称に重ねたような図形が描かれており、円と図形の間には意味不明な文字がある。

 そして図形の中央にある小さな巾着袋に手を伸ばした時、その声は聞こえた。


  <それに触らないで>


 とても小さく、消え入りそうな声ではあったが、男はたしかにその声を聞いた。

 女性の声だった。


「うわっ、なんだよこれ。鳥の骨じゃねーか」


 春日井には聞こえなかったのであろう。

 巾着袋を拾い上げ、その中身を気持ち悪そうにのぞいている。


「おい、そういう物には触んない方がいいって」


 魔法陣だけが照らし出されている暗闇のなか、もう一人の友人である鶴木が注意を促す。


「なに? 怖いの? こんなのただの鳥の頭だって。骨だけどさ」


 巾着袋の中身を見せてくる春日井。男たちが懐中電灯を魔法陣からその友人へと向けた次の瞬間――


「ぎゃあああああああッ!」


という絶叫が響いた。

 見れば、春日井の足が地中に沈んでいる。床は堅いコンクリートになっているはずなのに、まるで沼地にはまってしまったかのように少しずつ沈み込んでいく。


「痛いッ! 痛ぇよ! たすけ、助けてくれッ!」


 巾着袋を放り投げ、春日井が手を伸ばす。

 懐中電灯を放り、男と鶴木はその手を握って力いっぱい引く。そこに春日井を照らす柿田も加わったのだが、三人がかりでもびくともしない。それどころか春日井の身体はどんどん沈み込んでいく。まるで、地中からもナニかが強い力で引いているかのようだ。


「まってろっ、ロープかなにかを探してみるからっ!」


 柿田がその場を離れたことで、春日井を照らす明かりを失う。その途端、春日井の体が軽くなった。

 綱引きをしている相手が急に手を放したかのような反動。それにより男と鶴木は後ろへ飛ぶように、春日井の手を握ったまま尻餅をつく。


「大丈夫かっ!? ――え? あ……ひ、ひぃぃぃぃぃッ!」


 物音でわかったのか、柿田が懐中電灯を向ける。その先は春日井。そして、悲鳴の理由はすぐにわかった。

 春日井の身体が半分しかない。正確にいえば、胸から下の身体が床に喰われてしまったかのように失われている。


「い゛……い゛でぇよ……ごぶッ」


 血を吐いて絶命する春日井に、男たちは絶叫した。


「放せ春日井ッ、放してくれよッ!」


 男は春日井の指を折るような力で引き剥がす。生きたいという執念が残っているのか、春日井の手は死してもまだ男の手首に食い込んでいるのだ。


 突然の友人の死。そして、春日井の半身を飲み込んだ床から血飛沫が舞い上がったことでその現場はパニックになった。


 柿田、鶴木が先を争うようにして地下の階段を駆け上がる。


「おい待てよッ、待てってばッ!」


 なんとか春日井の手を解き、男は友人たちを追う。


 山荘から出た男は、柿田と鶴木が車の窓を石で割っているのを目撃する。


「なにやってんだよッ」


「しょうがねえだろッ、鍵は春日井が持ってたんだからよッ!」


 男の怒声に柿田も怒声で答えたが、男が言いたいのはそんなことではなかった。


「ちがうッ! 鍵がないなら車も動かないだろうがッ!」


 男はボンネットに置いてある柿田の懐中電灯を奪って走り去る。


「それは俺のだッ! 返せッ!」


 怒る柿田が後を追う。それに鶴木も続いた-。



 砂利道の横には雑木林が広がる真っ暗な夜道。走り疲れた男は砂利道の脇にある木に手をついた。

 久しぶりの全力疾走は身に堪えられず、荒い呼吸を繰り返すたびに汗が噴き出してくる。


「ふざけんなこの野郎ッ!」


 そんな怒声に振り返る間もなく、男は柿田の飛び蹴りによって雑木林へと飛ばされた。


「柿田っ、やめろってッ!」


 鶴木が追い打ちをかけようとする柿田をなだめて男のもとへ行く。


「大丈夫か?」


「ああ、ありがとう」


 差し出された鶴木の手を握り、男は立ち上がる。


「はやく俺の懐中電灯を返せよ……」


 柿田の怒気はらむ言い方。

 俺を置いて逃げたくせに……と、男も柿田には怒りを感じていたが、間に入ってくれた鶴木に免じて懐中電灯を返すことにする。


「ほらよ」


 ぶっきらぼうな言い方で男が懐中電灯を柿田へ向けると――


「な、なんだ!? どうなって……いてッ、い゛でででで……ッ!」


その身体が地中へと沈みだした。


「ひッ、ひぃぃぃぃぃッ!」


 暗い雑木林のなかで震える男と鶴木。あまりの恐怖から、今度は助けに行こうという気もおきない。


「なにやってんだよッ! はやく助け……たすけて……ごぶッ!」


 柿田は血を吹き出しながら地中へと沈んだ。そして、その暗い砂利道から断末魔の叫びのような血飛沫が舞い上がる。




「の、呪いだ……」


 震える声で、鶴木がそうつぶやいた。


「呪い? なんだよ呪いって」


 男が懐中電灯を向けようとすると、


「やめろッ、俺に明かりを向けるんじゃないッ!」


鶴木はその手を叩き落とした。そして男の胸倉を掴む。


「いいか、よく聞け。これは絶対に呪いだ。俺、聞いたんだよ。春日井が巾着袋を拾おうとした時、“それに触らないで”って言った女の声を聞いたんだよ!」


「そ、それ、俺も聞いた……」


 男は自分の幻聴ではなかったことを確信した。


「それならわかるよな、これは呪いなんだよ。たぶんあの魔法陣の巾着袋を動かしたせいで、俺たちは光にあたると地面に喰われちまうナニかを呼び出しちまったんだよ!」


「そ、それなら……」


「ああ。あの巾着袋を元の位置に戻せば、その出てきたナニかをまた封印できるかもしれないっ! ほら、十数年前、一人だけ生き残った女がいただろ? それはきっと、呼び出してしまったナニかを封印したから生き残ることが出来たんだよ。だから――」


「またあそこへ戻るっていうのか!? 俺は、俺は嫌だぞ……」


 震える男の手を、鶴木は震える手で握る。


「行くしかないんだよ。きっと、それしか生き残る術はないんだ。十数年前の事件の時だって山荘を逃げ出したやつはいたはずだ。でも、生き残ったのは例の女ただ一人……言ってる意味、わかるよな?」


「わ、わかるけどよぉ……」


 そのナニかから逃げきる事はできないということは推測するに難くない。それでもあそこへ戻るのは躊躇われた。


「――だったらお前は逃げればいい。俺は戻るぞ、死にたくないからな」


 立ち上がった鶴木は懐中電灯を消し、山荘へと向かって砂利道を歩き出す。


「まてよ鶴木っ! 俺も行くっ、一緒に行くから待てって!」


 男も懐中電灯の明かりを消し、慌てて鶴木の後を追う。

 このまま逃げたいという気持ちは大きい。しかし、一人になるのはもっと怖かった。



 無言で砂利道を歩く鶴木を、男は雑木林側を木に隠れながら追う。

 二人の足取りは重い。それでも、生き残る希望はあの山荘にしかないと信じるしかなかった。


「なんで、こんなことに……」


 木に手をつき、男は目じりを拭う。

 いつもの肝試しのはずだった。昔の事件現場に忍び込み、当時の惨劇を思い浮かべながらスリルを味わうだけの遊び――。

 普段なら、今頃は帰りの車中で「次はどこに行こうか」と騒いでいる事だろう。


「何か言ったか?」


 鶴木が男へ振り返る。


「いや、なんでもない。それよりも――」


 男が早く行こうと言いかけた時、鶴木が絶叫を上げた。

 鶴木の足が地中へと沈んでいる。


「なんで!? どうしてっ!? 光なんてあててないぞっ!?」


 男も鶴木も懐中電灯の明かりを付けてはいない。


「俺が間違ってた! 光を浴びたらじゃない。光を浴びてできる影に喰われちまうんだ!」


「か、影だって!?」


 見れば、鶴木は自分の影に沈んでいる。それはさっきまでなかった影――。


「月かっ!」


 見上げた男は光源を発見した。途切れた分厚い雲の隙間から月が顔をのぞかせている。


「はやく、早く助けてくれぇぇぇッ!」


 鶴木は必死にもがくが、すでに膝まで沈んでしまっている。


「助けてくれって言われても……」


 男は動くことができなかった。

 手をついている木の影が男の影を隠してくれている。この場を動けば自分も影に喰われてしまうのだ。


「早く来いよ馬鹿野郎ッ! 痛いッ! 痛い痛い痛い痛いぃぃぃ……ッ」


 なにも出来ない男は目を固く閉じて耳を塞ぐ。そして鶴木の断末魔の叫びを聞いた数秒後、地中から吹き上がった血を浴びた。


「もうやだッ! 死にたくないッ、死にたくないよぉぉぉッ!」


 男の叫びが雑木林にこだまする。


 幸いなことに月はすぐに隠れた。広がる分厚い雲。しばらく月が顔を出す事はないだろう。


 動くなら今しかない。男は震える足を殴りつけ、雑木林のなかを山荘へ向かって走り出した――。





 冷たい風が強くなってきたなか、男は山荘へと戻ってきた。

 闇に慣れた目で内部へと入っていく。


 血の臭いが新しい倉庫へ下りた男は、残っている春日井の上半身を避け、暗闇のなかコンクリートの床に這いつくばって巾着袋を探し始める。

 春日井が放り投げたであろうという方向へ進んでいくと、指に布のような手ごたえが――。


「あった! これだっ!」


 その巾着袋を手にした時、まるで蛍光塗料で描かれていたかのように、魔法陣に薄っすらとした光がうまれた。

 男はその中央に巾着袋を戻す。


「いいんだよな。これで……これで俺は助かったんだよなっ、助かるんだよな!」


 その言葉に応えたのか、魔法陣から光が消える。


 懐中電灯で自分を照らし、助かったことを確信したかったが、男にその勇気はなかった。


 なにはともあれ、男に出来ることはもう何もない。

 重い身体を起こし、男は倉庫を後にする。


「なんて、言えばいいんだろう……」


 山荘の入り口で男はつぶやく。

 三人もの友人が死んで――殺されてしまった。

 警察は今夜の話を信じてくれるだろうかと不安になった。その時――


 厚い雲が唸りだし、雷光に目がくらむ。

 凄まじい爆音と共に落ちてきた稲妻が、山荘前の雑木林に引火した。


「――え?」


 その火を前に、男の身体が硬直する。

 動こうにも動けない。


「な……なんで……」


 なんとか首だけを動かした男は見てしまう。

 ロビーの奥の壁に、火事の明かりが男の影を作っていた。その影は、男は動けないにもかかわらず両手を広げていた。


「そんな、そんなバカな……。いやだ、いやだぁぁぁッ!」


 足から伸びる影が、男の身体を壁へと引っ張る。

 抵抗はできない。ずるずると引かれた男が壁に貼り付いた。


「や、やめ……やめてくれぇぇぇッ!」


 影は男をゆっくりと飲み込む。そして影のなかから咀嚼音がしたかと思うと、影は大量の血を吹き出した。



 壁には男の影だけが残っている。

 炎の明かりにも揺れることがないその影は雑木林の火事を、その大きく揺れる炎を見ているようであった――――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。


 小学2年生か3年生の頃、近所にあった荒れ果てた空き家を「秘密基地」と呼んでちょくちょく出入りしていました。しかし、ある日に感じた何かの視線。家の外にも内にも私以外誰もいないはずなのに、なぜか視線を感じたのです。その正体はわかりませんでしたが、それ以来「秘密基地」に行くのをやめました。 こんな言葉があることも知らない子供でしたが、不法侵入はいけませんよね(-_-;)

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