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6. 喫茶店ピース~約束の欠片~ 【ヒューマンドラマ】

□◆□◆




 大通りからわき道に入ると、そこは閑静な住宅地になっている。

 最初の十字路を右に曲がり、次のT字路を左に、そして二つ目の十字路を右に曲がってしばらく直進すると、左手に小さな喫茶店が見えてくる。

 『ピース』というその喫茶店。道を挟んだ向かい側には公園があり、4月という今の時期になると公園の入り口にある大きな桜の樹がピンク色に染まる。公園側の壁はガラスになっており、春の肌寒い風を気にすることなく店内から満開の桜を愛でることが出来る店であった。

 マスターの淹れるカフェラテが人気の喫茶店なのだが、この時期の休日ともなればそれだけでなく桜も目当てに賑わう。しかし、今は平日のお昼前なので客足はまださみしい。午後からならば昼食を済ませた主婦たちが集うものの、今の店内には男性客が一人。そのお客が出ていくと、店内にはマスターとアルバイトの女の子以外誰もいなくなってしまった。


 この店のマスターは海原健一。喫茶店『ピース』の三代目である。

 自称写真家として世界中を放浪していた健一だが、父が急に亡くなったのを機に二十六歳の時にこの店を継いだ。今は四十歳となり年齢は中年だが、その見た目は三十代前半と間違われるくらいに若々しい。この健一の淹れるカフェラテが一番人気で、特に彼が描くラテアートは芸術性が高く誰もが驚く。


「知里ちゃん。カップとお皿を下げてきて」


 健一が声をかけると、アルバイトの堀川知里は明るい笑顔で返事をした。

 知里はこの春高校を卒業した。進学も就職もしなかった知里は「何かしないと親がうるさいの……」と、健一を泣き落としで攻めてアルバイトをさせてもらっている。

 健一からすれば人を雇うほどの余裕はないのだが、知里が学生だった時には多くの友達を連れて来てくれた常連さんだったので無下に断れなかったのだ。


 知里は机が三脚並ぶ四人掛けの客席へ行き、トレーにコーヒーカップとホットケーキのお皿をのせてから机を拭く。そして、ふとガラスの壁越しに道の右側を覗き込んだ。


「遅いなぁ。ねぇマスター、あのおばあちゃん今日も来ますかね」


 ガラスに張り付くような格好で、知里は健一へ目を向ける。

 カウンターの内側でコーヒー豆の袋を整理している健一は手を止めて知里と目を合わせた。


「いらっしゃるよ。僕の父親の代からこの二十年、桜の花が咲いて散るまでの間、あのご婦人が来なかった日はないからね」


 健一はそう微笑んでから作業に戻る。


「二十年前って、まだ私は生まれてもいないよ。そんなに前からなんだ……って、桜の花が咲いて散るまでの間ってことは、期間限定のお客様ってこと?」


 戻ってきた知里がシンクにカップとお皿を置いたその時、


  カランカラン


と鐘が鳴った。

 昔ながらの喫茶店はどこもこういった鐘がドアにぶら下がっている。それはどこか風情のある心地よい音色である。


 店内に入ってきたのは80代の気品の良い老婦人。「いらっしゃいませ!」と笑顔を振りまいた知里に微笑みを返してカウンターの奥へと進む。L字になっている角の席まで行き、婦人はバッグを椅子の背もたれにかけてから座る。そして、いつものようにガラス越しに見える満開の桜へと目を移した。


 どこか遠い眼で桜を見つめる婦人。知里はその視界を遮らない所から水を置く。


「音無さんこんにちは。今日は少し風があるみたいですね――このままだと桜の花が全部散り落ちちゃいそう……」


 トレーを胸に抱き、知里もガラスの向こうへ目を向けた。

 そこには満開となっている桜の花びらが、やわらかな風に舞っている。


「あら、堀川さんはさみしさを感じるのかしら。桜の雪が降っているようで、私は嬉しくなるのよ」


「私も嬉しいですよ。だって、とても綺麗ですもん。でもでも、せっかくきれいな花を咲かせたのに、花びらが散っちゃうの早すぎません?」


 口をとがらせる知里に音無婦人は笑みをこぼす。


「人生と同じね、若い時なんてあっという間に過ぎ去っちゃう。でも、その儚い時間にこそ美しさが詰まっているものよ。自分が花びらでいる間は気が付かないけれど……」


 どんな過去を思い出したのか、音無婦人の笑みに哀しさが混ざる。


「だったら私の花はもう散っちゃてるかもしれないです。学生でいる間は楽しかったんですけど……。勉強はもう嫌だから進学はしなかったし、だから就職をって考えたんですけど、何をしたいのかもわからなくて――マスターに雇ってもらえなかったら、私の居場所なんてなかったですもん」


「まだ蕾にもなっていないのに、なんだか哀しいこと言うわね」


 苦笑いをする知里に、音無婦人は困ったような表情をしながら優しく微笑む。


「蕾にも――ですか?」


 キョトンとする知里。音無婦人はその目をじっと見つめる。


「堀川さんご存知かしら。桜の樹ってね、冬の寒さを過ごさないと花を咲かせないんですって。寒さが厳しければ厳しいほど、春には美しい花を咲かせるそうよ」


「え、そうなんですか? 知らなかったです」


「私がまだ子供だった時、集団疎開してきたお友達が教えてくださったのよ」


「あ、あの~、そかい――って、なんですか?」


 申し訳なさそうに訊いてくる知里に、今度は音無婦人がキョトンとする。


「ごめんなさい。若い方はあまり耳にしない言葉だったわね」


 苦笑いする音無婦人の前に、カウンター越しに健一が近づいてきた。


「疎開っていうのは、戦時中、空襲に備えて都市にいる住民が地方に引っ越していたことなんだ。あと、戦時中はどこも食糧難だったけど、特に都市部は大変だったらしいから、そういう理由で地方の親類を頼った人も大勢いたみたいだね――」


 健一が「いつものでよろしいですか」と訊き、音無婦人が頷くと会釈をして戻って行く。


「私のお友達はね、親元を離れ、子供たちだけで疎開をしてきた人たちの一人だったわ。私の名前は『桜』っていうのだけれど、そのお友達は『桜子』さんっていってね、お互い名前に桜がついているってすぐに仲良くなったのよ――」


 当時のことを思い出したのか、音無婦人の顔が綻ぶ。


「戦争が終わって、その桜子さんとお別れの時に約束したの。また舞い散る桜を、ふたりで見ましょうねって。――あの桜はね、当時の私たちにとっては奇跡の樹であり、生きる希望になってくれた樹なのよ――」


 そう続けた後、再び桜の樹へと目を向けた音無婦人。

 知里が続きを聞きたいと健一に目で訴えると、健一は手を上げて承諾。エプロンを外した知里もカウンター席に座った。


 その様子を見た音無婦人は、健一に目礼をしてから知里に当時のことを話し始めた――。





 戦争当時、この地域には多くの疎開者がやって来た。軍事拠点もなく、経済的にも大したことのないこの地域が空爆される可能性は低かったのだ。

 しかし、食糧難にあえいでいたのはどの地域も変わらない。そのため疎開者の肩身は狭く、なかには地域住民から嫌がらせを受けていた者もいたという。


 誰もが今日を生きることで精一杯。そんな時代に桜と桜子は出会って友達となった。

 学校へ行っても勉強する時間はなく、そのままいろんな民家へ行っては畑仕事や家事手伝いをする日々。それがない時は、敵の本土上陸に備えるためだと言われ、子供であっても竹槍で敵兵を突く訓練をさせられた。

 そんな中でも、桜と桜子は時間を見つけてはあやとりやビー玉、かくれんぼなどをして遊んだ。その楽しさを今でも鮮明に覚えているという。しかし――逆の事も鮮明に記憶に焼きついてしまっていた……。可能性が低いと言われていたこの地域に空襲警報が鳴り響き、大規模な空爆が行われてしまったのである。


 雨のように落ちてくる焼夷弾。焼夷弾は高熱を出して燃える薬剤を装置した爆弾のことであり、その『夷』の字には皆殺しという意味も含まれている。

 その名の通り、焼夷弾は町を火の海にし、建物やそこで生活していた人々を焼き尽くした。――――と、ここまでならば知里も学校の授業で聞いたことがあった。

 しかし、音無婦人の記憶に焼きついているのはその時の惨状である。


 焼夷弾に焼かれた人々は町から逃げ出し、我先にと川へ飛び込んだ。凄まじい高熱によって喉が焼かれ皮膚もただれている人々は水を欲しがったのである。

 だが、その川で多くの御遺体が浮かぶことになってしまう――。


 川の水を飲もうにも、焼かれた喉は腫れあがっているので水を飲み込むことができない。無理に飲もうとすれば、その水は気管へと入ってしまいむせ返るのだ。そして、頭を下げたところを後続の人々に踏まれてしまうことにもなった。

 身体を焼かれた人々も、川へ入ったまでは良かったが出ることができない。そこまでの体力は残っていなかったのだ。

 皆は命がけで水を求めている。順番に水を飲んだり川へ入ったりする余裕などあるはずもない。前にいる人を押しのけ、倒れた人を踏み、ただひたすらに水を求めた。

 その結果、多くの人々が川で溺死してしまったのだという。


 町からは少し離れた所に住んでいた桜と桜子。空爆からは逃れられたものの、小高い丘の上からその惨状を見ていた。まだ十歳にも満たない二人にとって、その光景はまさに地獄絵図だった――。



 空爆後、ふたりは傷病者のお世話をすることになる。

 多くの医師や看護師も亡くなっていたため、子供であっても包帯の交換や洗濯、糞尿の始末など、昼夜を問わず仕事を振られた。

 その中でも、特に包帯の交換は心が折れそうになったという。

 患者はおとなしくはしてくれない。痛みで暴れる大人を、子供だけで押さえつけなければならなかった。物資が不足しているので消毒液や抗生剤などの医療品もなく、包帯も水で手洗いしただけのものを乾かしてまた使用するといった現場。そんな包帯を取る時は、ただれた皮膚がくっついてくる。その痛みで患者は暴れるのである。

 もはや動くことも声を出すことも出来ない患者にいたっては、傷口にウジ虫がわいている者も少なくない。それを一匹ずつピンセットで取り除く作業もあった。

 自分たちと同じ年頃の子供も犠牲になっていた。その子たちが出す言葉は二つだけ。痛みを訴える苦痛の声と、親を求める悲しい声である。一人でいる子供の多くは、すでに空爆によって親を亡くしている。子供であっても、それがわからないほど幼くはない。しかしその子たちは親を求めるのである。「おかあさん、どこにいるの? いたいよ……たすけてよ……どこにいるの……」と繰り返すのだ。多くの父親は、赤紙を渡されて戦争に行っている。この子たちが頼る母親も先日の空爆によって……。桜と桜子は、そんな子供たちの手を握り頭を優しく撫でた。触れられるだけで激痛が走ったに違いないのだが、そうすることでその子たちは落ち着いてくれた。自分の親ではないことはわかっているが、その子たちは温もりを欲しがっていたのだろう。

 ふたりは数えきれないほどの大人や子供を看取り、泣きたいのを我慢して次の患者のお世話をしていた――。


 戦争がもたらした惨状と悲しみを、ふたりはその小さな体と心で受け止めなければならなかった。倒れそうになる体を、潰されそうになる心を、身を寄せて支え合うことで耐えていたのである。

 逃げ場などないしそんなことを考える余裕もない時代だったといえばそれまでだが、そんな時代の経験がふたりに一生消えることのない記憶を焼きつけたことは間違いない――。





 「――町は焼け野原になったけど、奇跡的にあの桜の樹だけは焼けずに残っていたの。そして戦争が終わった次の年、それは見事な花を咲かせてくれたわ。その美しさが、私と桜子さんの心をどんなに救ってくれたか……。その桜子さんがお帰りになる前の日にね、花びら舞うあの樹の下で約束したのよ。いつの日か、この雪のように舞い散る桜をふたりで見ましょうねって――」


 バッグからハンカチを取り出した音無婦人は、それをそっと知里へ差し出す。


「す、すみま――ううっ……」


 ハンカチを受け取った知里が嗚咽を漏らす。

 学校では教わることのない当時の実情に、彼女なりに色々なことを感じたのだろう。


「堀川さんはこれからやりたい事を見つけることができる。それってとても素敵なことよ。あなたがやりたい事を見つけていく過程や、やりたい事を見つけて努力することが、桜の樹で例えるなら冬の寒さになる。努力を積み重ねていけば蕾が膨らんで、それが叶った時にきれいな花を咲かせるのだと思うわよ。その花をどれだけ満開で維持できるのかはあなた次第だけれどね」


 ウインクを送る音無婦人に、知里は鼻をすする。


「それって苦労ばっかりじゃないですか。努力ばかりじゃ疲れちゃいますよぉ」


 泣き言を言った知里に、音無婦人は声を出して笑った。


「人生ってそんなものじゃないかしら。でも、その努力を苦労と思うより楽しさに変えた方が気楽ではあるわね」


「もし耐えられなくなったら?」


「逃げちゃいなさい。あなたの蕾は一つじゃないから、別の蕾を膨らませて花を咲かせればいい。それを何度か繰り返すとね、きっとある時にわかるわよ。本当に逃げちゃいけない時はどんな時なのかってね」


「そんなもんですか?」


 涙を拭く知里に、音無婦人は「そんなもんよ」と微笑んだ。


「その後、桜子さんとはどうなったんですか?」


 その質問に、音無婦人の微笑みに影が差す。


「戦後の混乱のなかだったから、お互いにちょくちょく住所が変わってしまってね……今は一緒に桜を見るという約束が私たちを結んでいるの。といっても、私は随分長い間忘れてしまっていたから、きっと桜子さんも忘れてしまっているわね」


 そう言うと、音無婦人はガラスの向こうへ目を向けた――。




「ええ、そうです。そのまま真っすぐ来てください――――はい、それではお待ちしております」


 健一が電話を切った。


「マスター。せっかく音無さんがいいお話を聞かせてくださってるのに、なんで電話なんてしてるんですか」


 戻ってきた知里が頬を膨らませる。音無婦人が話している途中でお店の電話が鳴り、それから健一はずっと話し込んでいたのだ。


「電話なんてって言われても……。お店の場所をよく憶えていないっていうお客様がいてね。電話ごしに道案内していたんだよ」


 そう答えた健一は、音無婦人に「すみません。いつものカフェラテはもう少々お待ちください」と謝罪した。


「音無さんの注文も準備していないなんて……」


 健一は知里の厳しい言葉に苦笑いを返す。

 そしてこんな話を始めた――。


「去年の今頃なんだけどね、あるご婦人がこのお店に来てくれたんだ。ちょうど暇な時だったから少し話をしたんだけど、その時に、“来年、桜の花が咲いたら教えてください”って頼まれたんだよ。今からそのお客様がきてくださるのさ。このお店って、通い慣れてない人にとっては分かりにくい場所にあるでしょ。昔とはかなり道が違っているから……去年はなんとか辿り着けたけど、今年は道に迷ってしまわれたようでね――」


 健一は温めておいたカップを二つ取り出し、カフェラテを注いでラテアートを描き始めた。


「何を描いているんですか? ていうか、なんでカップが二つもあるの?」


「もうそろそろお着きになるはずだから――」


 知里の質問に健一が答えた時、


  カランカラン


とドアの鐘が鳴った。


「い、いらっしゃいませ」


 突然の来客に、知里が慌てて振り向く。

 そこには音無婦人と同年代であろうという老婦人が立っていた。


「お待ちしておりました。お席はあちらになります――」


 健一が手で指したのは音無婦人のいるカウンター席。


 それに気が付いた音無婦人は、その来客した老婦人を見て立ち上がる。

 老婦人も、音無婦人に気付くと口もとを手で覆った。


 信じられない――そんな表情でふたりは見つめ合っている。


「知里ちゃん、これと一緒にお客様をご案内してくれる。カウンター席よりも、お二人で窓際の席に座ってもらった方がいいかもね。その方が、桜の樹をゆっくりと眺められるだろうし――」


 健一がトレーを差し出す。

 そこにはカフェラテが二杯。そこに描かれているラテアートは、見事な桜の絵であった。


「このお店の名前は『ピース』。平和って意味のpeaceでもあるけれど、同音語で断片とか欠片っていう意味のpieceでもあるんだよ。おふたりが交わしていた約束。しばらくはお互いに忘れていたかもしれないけれど、その約束の欠片がこのお店で一つになる。たまには、そんなことが起きたりするんだね」


 健一の微笑みに、知里は力強く頷いた。


 お店の外では桜の花びらが一層美しく舞っている。

 これはきっと二人の婦人の再会を祝福しているに違いない。知里はそう思いながら二人の婦人を窓際の席へと案内した――。




□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。


 短編の練習用にと、「喫茶店」というお題をいただいたので書いてみました。

 自分では良い物語がかけたなぁと思える短編です。執筆した当時に考えていたのは全12話の連載でした。しかし、4月に始まり3月で完結としてみたかったのですが、各月ごとの物語が思いつかなかったので断念したのが苦い思い出です(^-^;

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