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4. 隙間風  【ホラー】

□◆□◆



 汗が流れる八月のある日。二階建てのアパートの一室で、若い女性の変死体が発見された。


 小奇麗な部屋には小さな机とベッドがあり、壁には可愛いらしい服がかけられている。一人暮らしで寂しかったのだろう、部屋にはたくさんのぬいぐるみもある。

 動かされた形跡がないことから、この女性はこの部屋で亡くなったと推測されたのだが……。警察は恐怖で引きつった表情で亡くなっている彼女に困惑の色を隠せない。検死結果の死因に納得できないのだ。

 彼女には目立った外傷はなく、毒物も検出されないことから事件性は薄い。しかし、その死因は『凍死』だった。

 真夏の暑いアパートで凍死など前代未聞。

 その死因が解明されないまま、この捜査は打ち切りとなった……。


 そして数年後――。



 この春、大学へと進学した僕は一人暮らしを始めた。きれいな夕日が見れた村に住んでいた僕にとって、空が狭い都会は少々息苦しく感じてしまう。

 そんな僕が住むのは、最寄駅から徒歩七分の二階建て賃貸アパート。

 部屋は一階の角部屋、間取りは六帖のダイニングキッチンと和室六帖の1DK。嬉しいことに風呂とトイレは別だ。そして、そこから徒歩五分圏内にはコンビニや銀行、そしてスーパーマーケットまである。なによりも、都心までは急行に乗れば15分で着いてしまう。

 こんな好条件にもかかわらず、家賃はたったの三万円。同じような条件で他の部屋を借りれば家賃七万三千円は下らない。相場を考えても半額以下の格安で、両親も大喜びした物件だった。

 しかし、それには両親にも言っていない理由がある――。


 それは、この部屋が『事故物件』であるということだ。


 事故物件とは、不動産取引や賃貸借契約の対象となる土地・一戸建ての建物やアパート・マンションなどのうち、その物件の本体部分もしくは共用部分のいずれかにおいて、何らかの原因で前に住んでいた住人が死亡した経歴のある物件のことをいうらしい。

 この部屋が安い理由は、何年か前に変死体が発見されたから――。

 契約書を交わす前に賃貸業者の人から説明を受けたが、僕はそんなことは気にしない。なぜなら、僕には『霊感』なんて全くないからだ。二十年近く生きているけれど、『幽霊さん』に会ったことなど一度もない。

 第一、この国で亡くなった人がいない場所なんてあるのだろうか? もちろん、気にする人は気にするのだろう。けれども、僕にとって重要なのは両親への負担をなるべく抑えることなのだ。

 田舎で暮らす家族は裕福な生活をしているわけではない。僕への学費や仕送りを考えれば相当な出費だろう――。


「春だけど、夜になるとやっぱり冷えるな」


 和室の壁際。畳の上に折りたたみの机があり、それに向かいあぐらをかいて勉強をしていた僕は、少し背伸びをして上にある窓の分厚い斜光カーテンを閉めた。


 今の時間は午前二時。

 北側を向いている窓は日中でもあまり陽があたらない。昼間ならたいして気もならないのだが、やはり深夜ともなると寒くて身が震えてしまう。

 アパートに石油ストーブは厳禁。代わりにエアコンが設置してあるのだが、これが全然役に立ってくれない。

 設定温度を高くしても、うるさい音がするだけで小さな部屋すら暖めてくれないのだ。明日にでも内部を掃除しなければならないだろう。


「さむっ。なんなんだよこの部屋は……」


 足に冷気を感じた僕は、買ったばかりのひざ掛けを下ろして足下を包む。


 築年数は17年。少々古いが、アパートの外壁はリフォーム工事で綺麗になっている。その外観で安心してしまったのだが、どうやら隙間風が入ってきてしまうようだ。


「ん? なんだこれ……」


 足下を包んだ手を戻そうとした時、僕は机の下に黒い糸の束を見つけた。それを引っ張ってみたのだが――奥の方で何かに引っ掛かっているのか、それを取り出すことができない。


「なんなんだよもう――」


 僕はあぐらを解いて机の下をのぞき込む。

 こんなゴミなんて放っておいてもよいのだが、引いても取れないゴミが気になってしまったのだ。


「なんだ? カツラか?」


 壁に貼り付いている長い髪の毛。それは人間の頭頂部に見えた。


「なんでこんなものがあるんだよっ――」


 カツラなんて買った覚えのない僕は、今度はその髪を強く引く――。しかし、よほど粘着力の強いもので張り付いているのか、壁のそれを取ることが出来ない。


「腹立つ~。大家さんのイタズラかぁ~?」


 そんな事あるわけないのだが、取れないカツラに苛立った僕は机の下にもぐりこんだ。

 放っておいても害はないのだが、気になってしまったものをそのままに――というのは精神衛生上よろしくない。何としてでも取ってやるつもりだ。


 左腕を伸ばした僕は、強く引っ張ってやろうとそのカツラを鷲掴みにした――のだが、どうもおかしい。まるで本物の頭を掴んだような感触だ。

 訝しむ僕の目の前で、そのカツラは自ら動き出す。うつむいている人が頭を上げるようなその動き――。


 そこは薄暗い壁際。ゆっくりと頭を上げたソレの、揺れた前髪の下から青白い肌が現れた。と同時に、腐りかけているような死臭が僕の鼻をつく。


「うッ!」


 それはひどい悪臭。僕はたまらずに頭を放して手を引くのだが、手を戻す前にその長い髪の毛が腕に絡みついてきた。

 そして、頭を上げきったその女性と目が合う――。


 何日も寝ていないかのような血走った目に青白い顔。カサカサの肌はヒビ割れており、薄皮が所々めくれている。

 なにか言おうとしたのだろう、彼女は必死に訴えるような顔で大きく口を開く。


「ひッ! ひぃぃぃッ!」


 もちろん、僕にその言葉を聞く余裕なんてない。

 怖くて怖くて……。必死に逃げようとするのだが、畳で滑る足はバタつくだけ。

 腕を掴む髪の毛を解こうにも、混乱する右手は左腕を掻きむしるだけとなる。


 グイッと、僕の身体が机の下へ引き込まれた。腕を伸ばした彼女が、僕の右腕を掴んで引き寄せたのだ。


 目の前には形相凄まじい彼女の顔。恐怖は限界を超え、僕は力の限り悲鳴をあげた。


「ひ、ひ、ぃひひひひ……」


 大声を出しているつもりなのに、恐怖のあまりノドから出てくるのは笑い声にしか聞こえない擦れた声。


≪タ……≫


 そのこもった声は、彼女が放ったもの――。冷たい吐息が顔に触れ、僕の体はビクビクっと震えた。

 この冷気には覚えがある。さっき僕の足にあたった冷気と同じものだ。


 彼女は僕の首の後ろへ手を回し、さらに暗闇となっている奥へと引き込む。

 その先は壁になっているはずなのに、僕の体は止まらない。


「やめて……。やめてくれ……」


 声にならない声を上げる僕は、闇のなかで彼女に抱きしめられた――。




 ここは……どこだろう?


 強烈な寒さで目を覚ましたボクは、暗闇のなかにいた。目に見えるのは黒一色。

 瞬きをする感触がなければ、自分が目を開けているのか閉じているのかもわからない。


 いつのまにか、ボクは彼女から解放されたらしい。寝起きのようなぎこちなさはあるが、体は自由に動いてくれる。

 今は近くにいないようだが、またあの恐ろしい彼女が戻ってくるかもしれない。


 今のうちに、はやく逃げないと……


 どこへ向かって逃げれば良いのかもわからないまま、ボクは歩き出す。

 それにしても――寒い……。極地の氷の上へ放りだされたような寒さが身に凍みる。


 だんだんと身体が動かなくなってきた。ここで倒れたら、二度と起き上がれないかもしれない。

 そんなことを考えていた時、細くて小さな光が見えてきた。


「あ、アれは……ソトニでられルのか……?」


 凍える口は満足に動いてくれない。それでもボクは必死に足を動かした。

 あの光からは温もりを感じるのだ。


 やっとの思いで光へたどり着いたボクは、その細い隙間をのぞき込む。


 どこかで見たような間取りになっているが、そこはどうやら若い女性の部屋らしい。

 暑いのだろうか? 部屋にいる彼女はアイスを食べながらうちわで扇いでいる。

 向こう側が暑いのなら好都合だ。こっちは寒くて仕方がない。

 ボクは隙間に指をねじ込み、ありったけの力を込めて広げる。強いゴムを伸ばしているような抵抗はあるが、隙間は確実に広がっていく。


 足に風があたったのだろう。彼女がボクに気がついた。


 やった、助けてもらえる!


 そう思ったのもつかの間、彼女は恐怖の顔で後退る。


 まって! いかないでくれッ!


 ボクは広げた隙間から身を乗り出し、彼女の足を掴むことに成功する。しかしその瞬間、ボクの体は再び暗闇へと吸い込まれそうになった。


 いやだッ! もうあそこへは戻りたくないッ!


 悲鳴をあげる彼女には悪いと思うが、ボクだって必死だ。


 なんとか脱出を試みるものの、ボクの体は徐々に暗闇へと引き戻されてしまう。


「タ……タスケテ……」


 やっとの思いでしぼり出した言葉は、ひどくこもった声だった。


 もうダメだ、これ以上は抗えない……。


 抵抗がムダだと悟ったボクはあることに気付く。

 錯乱して泣き叫ぶ彼女の足を掴む手から、温もりが伝わってくる――。


 寒くて凍える暗闇も、彼女がいてくれれば耐えられるのではないか?


 そう思うと、ボクは手を離すことができなかった。


 だって、仕方ないよね。寒いんだもん……


 ボクと一緒に、彼女も暗闇へと吸い込まれてきてくれる。


 やっぱり暗闇は寒い――。


 隙間は閉じてしまったが、ボクの手のなかには確かな温もりがある。

 まだジタバタと暴れるその温もりを、ボクは思い切り抱きしめた――。


 ああ、あたたかい……


「アタタカイな~――」


 ボクは思った。


 コのヌクもりは、ゼッタイに放しはしないヨ……




 壁際や机の下から冷気を感じたならばご注意ください。


 誰かが貴方を見ているだけでなく、

 暗闇へと引き込まれてしまうかもしれません――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。


 冬に書いたホラー作品です。ストーブがあるのに足下が冷えるなか書いていました。

 身体や心が寒いと、ろくなこと考えません(-_-;)

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