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3.夕日にとけていったキミへ  【恋愛】

□◆□◆



 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 ボクはとても寂しくなった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 ボクはとても悲しくなった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 ボクは涙が止まらなかった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 ボクはキミの手をとりにいけなかった……


 「さよなら」 キミがそう言ったから――



 これは、ボクが小学三年生の夏休みに体験した

 不思議で、楽しくて、……ちょっと切ない。


 そんなおはなし――――。




「ねえキミ。ちょっと時間あるかな?」


 ボクがその女の子に呼び止められたのは、空のオレンジ色と藍色がちょうど半分ずつになった夕暮れ。

 家に帰るのに近道となる、河川敷の公園を走っている時だった。


「え?」


 ボクは足を止める。


 声の主――その女の子はすべり台の上からボクを見下ろしていた。


 ボクと同い年くらいだろうか? 女の子は肩にかかる髪の毛を指でくるくるまわしながら微笑んでいる。


「なに? どうしたの?」


 ボクがすべり台に近づくと、女の子は目を丸くして驚いた。


「なんで!? なんでこっちに来るの!?」


 両手を口にあて、おばけでも見たような目をする。


「なんでって……ボクを呼んだんだよね?」


 もしかしたら他の人に声をかけたのかもしれないと、ボクは周りを見回した。

 けれども、公園にはボクとこの女の子のふたりしかいない。


「よ 呼んだけど……ってキミ、わたしが見えるの!?」


 すべり台から飛び下りた女の子が近づいてきた。


「へ~。へぇ~、そうなんだぁ~。こんなことってほんとうにあるんだね~……」


 珍しいものでも見るような目でボクの顔をのぞき込んでくる。


 この態度に、ボクは少しムっとなった。

 だってそうでしょ? 自分が呼び止めたくせに近づいたら驚くし、変な目で見てくるし……。

 これは〝失礼〟というやつではないだろうか?


「用事がないならもう行くよ。早く帰らないといけないんだ」


 ボクは女の子に背を向けた。


 時間はもう18時を過ぎている。

 夕飯までに帰らないとお母さんに怒られてしまうのに、こんなところでゆっくりしているヒマなんてない。


「ま まって!」


 ボクの前に回り込んだ女の子が両手を広げる。


「わたしプレゼントを落として困っているの。いっしょに探してくれないかな?」


 断ってもよかった。

 でもボクがそうしなかったのは、両手を合わせているこの女の子が今にも泣きだしそうな目をしていたから――。



 ◇


「ねえ来瞳さん。どの辺に落としたのかもわからないの?」


 ボクは携帯電話の明かりを頼りに、芝生のように短く刈り込まれた草をかき分け

ながら顔を上げた。


 女の子――くるあゆちゃんは手を後ろに回し、下を見ながらゆっくりとした散歩でもしているかのように歩いている。


「ねえってばッ!」


 返事をしない歩美ちゃんに、ボクはもう一度呼びかけた。


「うるさいよユッキー。ひとりごと言ってないでちゃんと探しなさいな」


 歩美ちゃんはボクを見ずにそう言った。


「ひとりごとって……」


 ボクはいろんな意味で肩を落とす。

 初対面の人を、いきなり〝あだ名〟で呼ぶというのはいかがなものだろうか?


 たしかにボクは三年生。歩美ちゃんは四年生。

 ボクより小さい歩美ちゃんの方が、年上の〝おねえさん〟ではあるけれど、ボクには“真田幸村”という名前がある。

 お願いを聞いて『プレゼントが入った箱』探しを手伝ってあげているのだから、せめて“幸村くん”と呼んでもいいのではないだろうか?


 ちなみに、ボクの名前を決めたのはお父さんらしい。

 今から何百年も前に、同じ名前の〝ぶしょう〟というのがいて、その人のことが大好きだったお父さんは、どうしてもこの名前にしたいってお母さんに泣きながらたのんだんだって。



「う~ん……ないなあ。もう一週間もさがしてるのに……」


「い、一週間!?」


 来瞳さんのつぶやきにボクの手が止まった。


「来瞳さん」


「歩美でいいよ。わたしもユッキーって言ってるし」


 そう言ってくれるなら


「あ、歩美ちゃん。その箱を落としたのって、この公園じゃないんじゃの?」


「え? そんなことないよ。なんで?」


「なんでって言われても……」


 キョトンとした歩美ちゃんに、ボクは口を開けたまま立ちつくしてしまった。


 それだけ探して見つかっていないのならば、他の場所に落としたと思うのが普通なのではないだろうか?

 夕日が落ちた暗いなか草をかき分けて一生懸命手伝っていたのに、その箱は一週間経っても見つかっていないという……。


「ボク、もう帰るね」


 不機嫌さを隠せなかった。


 ボクはお母さんに怒られるのを承知で手伝っていたのに……。


 そんな思いで頭がいっぱいだった。


 もうボクには関係ない!

 はやく家に帰ってごはんを食べて、お風呂に入って、楽しみにしているTVを見るんだ!


 そう思っていたのに――――


 「え? あ……」


 立ち上がるボクに向けられた歩美ちゃんの小さな声。

 その声に、ボクは再び『帰る』という選択肢を失ってしまった。


 それは、暗くてよく見えない彼女の――歩美ちゃんのその声が、あまりにも切なく、哀しかったからかもしれない……。



「幸村ッ!」


 突如、ボクの腕が引かれた。


「お おかあさんっ!?」


 暗くて顔がよく見えないけれど、その声はボクの母親だ。

 痛いくらいに握ってくるこの力――――間違いなく怒っている……。


「いま何時だと思ってるのッ!」


 ほらね。


「ぜんぜん帰ってこないから心配するじゃないッ! こんなところに子供がひとりでいたら危ないでしょッ!」


 公園に響く大きな声に、いつもなら何も言えなくなってしまう。


 でも今日は違うんだ。

 だって、ボクは『人助け』をしていたんだから。


「まってよおかあさんっ! 歩美ちゃんがこまってるんだよ。いっしょに箱をさがしてあげなきゃ……」


 ボクはそう言って抵抗するけど、


「わかんないこと言ってないで、さっさと帰るわよ!」


 引きずられるのを止めることが出来なかった。


 ふり返ってみたけれど、いたはずの所に彼女はいない。そのかわり――


<ばいば~い!>


 いつの間に移動したのか、すべり台の上でしゃがんでいる歩美ちゃんの口がそう動いていた。


 に、逃げたな~……


 叱られるボクをそのままにして、ちゃっかり自分だけ避難ひなんするなんてあんまりではないだろうか?


 <またあしたね~>


 たぶん、そう言いながら手を振る歩美ちゃん。


 だれが来るもんかっ!


 ボクはそういう意思を込めて、口で「イ~ッ!」ってしてやった。




 お昼ごはんを食べたボクは、お母さんに「遊びに行ってくる」と言いながら家を出た。


 晴天に伸びる白い筋。

 〝飛行機雲〟と呼ばれるその雲を見上げ、ボクは公園で立っている。



「やっほ~、まってたよユッキー!」


 昨日と同じ声。


 振り向いたボクに、歩美ちゃんはすべり台の上から手を振った。


「やっぱり来てくれたんだね! また手伝ってくれるんでしょ!」


 歩美ちゃんはすべり台から飛び下り、ボクのそばで微笑んだ。


「ねえユッキー。また……手伝ってくれるんだよね?」


 何も答えないボクに不安を感じたのか、歩美ちゃんから笑顔が消えた。


「――うん」


「よかった!」


 ボクがうなずくと、ぱっと笑顔が戻る。


「それにしても遅かったのね。もっとはやく来ると思ってた」


「学校に行ってたんだ。本当は来るつもりはなかったんだけど、なんとなく気になっちゃって……」


「学校? 今は夏休みでしょ?」


「ボクは〝いきもの係〟だから、毎日ウサギやメダカたちの世話をしに行ってるんだよ。今週はボクの当番なんだ」


「ふ~ん。さぼったりしないなんて……マジメなんだ。クラス委員とかもやってたりして!」


 冗談っぽく言ってくる歩美ちゃん。


「やってるよ、クラス委員。ボクは三年一組のクラス委員長なんだ」


「やっぱり? そんな感じするもん!」


 とても明るいその笑顔に、ボクの胸がトクンと鳴った。



 なんだろー―これ……?


 走ったあとみたいに、心臓がドクドクいっている。



「ユッキーが来てくれたことだし、さっそく探そっか!」


 昨日と同じように、草のなかを探そうとする歩美ちゃん。

 ボクは声をかけた。


「あ、まって。もしかしたらボク、どこに〝箱〟が落ちているのかわかるかもしれない」


「え、ほんとに!?」


 歩美ちゃんの瞳が輝いた。


「でも、なんでユッキーが知って……」


 そう言葉を続けようとした時――――少し離れた所で犬が吠えた。


「ぅわっ! わわわわっ!」


 その途端、歩美ちゃんは慌ててボクのかげに隠れた。


「ど、どうしたの!? もしかして、犬が怖いの?」


 歩美ちゃんは震えながらコクリと頷く。


 おじいさんと一緒に遊歩道を散歩している犬。

 犬といってもとても小さな小型犬で、その声も「キャン」というくらい可愛いものだった。


「わたし、子供のころから犬だけは苦手で……」


 いまも子供だけどね


 ボクはそう思ったけど、声には出さなかった。

 だって、歩美ちゃんはもう――――



「ほら。これじゃない?」


 ボクは土手沿いの草むらでソレを見つけた。


「すっご~い! なんでわかったの!」


 歩美ちゃんはボクが掲げたモノをまじまじと見つめると、感謝と感動を入り交ぜたような拍手をしてくれる。

 カワイイ猫の絵がプリントされている包装紙に包まれている小さな箱。コレを、歩美ちゃんはずっと探していたのだ。


「きっとこれで、『ソウタくん』が元気になってくれるはずだよ! ユッキー、ほんとうにありがとう!」


「ソウタくん?」


「うん! 一緒に遊んだり、いつもわたしのそばにいてくれるの!」


 涙を拭いながら、歩美ちゃんは満面の笑みを見せた。


 その笑顔に、ボクの胸がチクンとした。


 また胸が……。今度はなんなんだろう……?


 もしかしたら、ボクは病気なのかもしれない。

 だってそうでしょ? 突然胸が“ドキドキ”したり“チクチク”したり……。


 帰ったらお医者さんに行かなくちゃ……


 そう思っているボクの目を、歩美ちゃんはジッと見つめてくる。


「どうしたのユッキー、胸が痛いの?」


「え――いや、大丈夫! ぜんぜん平気だよ!」


 心配そうな目を向けられたボクは、慌てて胸から手を離した。


「あのねユッキー。お願いが、あるんだけど……」


「いいよ」


 即答したボクに、歩美ちゃんは目を丸くした。


「いいの?」


「このプレゼントをソウタくんのところへ持っていけばいいんだよね」


「すっご~い! なんでわかっちゃたの!? だって、まだ何をしてほしいかなんて言って――ない――のに……」


 驚く歩美ちゃんだったけど、語尾がゆっくりになると同時に表情が曇った。


「ねえユッキー。もしかして、わたしのこと、知ってるの?」


「う、うん……」


「わたしはもう――――死んじゃってるってことだよ?」


 ボクは黙って頷いた。



 昨日、ボクはおかあさんに引っ張られながら家に帰った。

 もう、怒られたのなんのって……。


 でも、おかあさんが心配して怒ったのには理由があったんだ――。



 先週、この河川敷の公園で事故があった。


 『9才の女の子が川へ転落。

  心肺停止状態で搬送されたが、病院で死亡が確認された』


 そんな内容の新聞を見せられたんだ。


 散歩中の犬の鳴き声に驚いた女の子が川へ転落して溺れた。


 亡くなった小学四年生の女の子の名前は――――来瞳歩美ちゃん……。



 そう、今ボクの目の前にいる歩美ちゃんの顔は、新聞に載っていた『女の子』そのものだ。



「そっか……バレていたのなら仕方ないな~。特別に、ユッキーには教えてあげよう! 実はね――」


 歩美ちゃんは意味深に少しの間を取ると、


「わたしは〝おばけ〟さんだったのだ~!」


腕を大きく広げてそう言った。



 明るい歩美ちゃんの笑顔に、ボクは何も言えなかった。


 だってそうでしょ? 昨日会ったばかりの女の子はもう、一週間も前に――。なのに今こうしてボクとお話しをしていて……あ~もうっ! なにがなんだかわかんないよっ!




 河川敷の公園から離れたボクたちはいま、木造の古いお家の前にいる。

 木の表札には『柏木』と、習字の筆で書いたように彫られていた。


「ここって、だれのお家?」


「近所のおばあちゃんのお家だよ」


 なんでこんなところに?

 てっきり『ソウタくん』という人のところへ行くのかと思っていたのに……。


「ここに『ソウタくん』がいるんだよ」


 あ、そういうことね。


 うれしそうな歩美ちゃんに嫌な顔をしてしまいそうになったボクは、あわてて靴ひもを結び直すフリをした。


 さっきからボクの胸はおかしい。

 今度は、キュッと胸を掴まれて下にひっぱられているような感じがする……。




「あら、何かご用かな?」


 僕たちの横から少ししゃがれた声が聞こえた。


 ニコニコした顔で歩いてきたのは綺麗な白髪の小さなおばあさん。

 買い物に行っていたのだろうか? レジ袋の代わりに、長ネギがはみ出している『エコバッグ』を腕に提げている。


「柏木のおばあちゃん、こんにちは!」


 元気よくあいさつする歩美ちゃん。だけど、その声はおばさんには聞こえていないみたい。

 そりゃそうだよね。歩美ちゃんはここにいるけど、ボクのお母さんが見えなかったように、その声も姿もボクにしかわからないんだから……。


「え~と……ごめんなさいね。どこの子だったかな?」


 一生懸命思い出そうとしていたおばさんが、申し訳なさそうに両手を合わせた。


「いえ、違うんです! あのー―はじめまして! ボク真田幸村っていいます!」


 深いお辞儀をするボク。

 いくら考えてもわかるわけないよ。だって、初対面なんだもん。


「さなだ、ゆきむらくん?」


 おばあさんは驚いたように目を丸くする。


 まただ……。どうして大人はボクの名前を聞くとこんなに驚くんだろう?


 そう思いながら、ボクはおばあさんを見上げる。


「今日は来瞳歩美ちゃんの代わりに、『ソウタくん』のお見舞いに来ました!」


「ソウタに……歩美ちゃんの代わり?」


 驚いていたおばあさんの顔が、今度は悲しそうなっていく。今にも泣き出しそうに見える。


「ありがとね。さ、入って頂戴。歩美ちゃんのお友達なら大歓迎だよ」


 視線を落として目もとを拭ったおばあさんが、笑顔でお家へと招いてくれた。まつ毛が濡れているのを、ボクは見えないフリをしてついて行った。



「これしかないけど、よかったら飲んでね」


 畳に正座するボクに、おばあさんが出してくれたのはバナナジュース。ボクの一番好きなジュースだった。

 ミキサーにかけて、ほどよく果肉が残っているバナナを噛みながら飲むのが大好きなんだ。


 丸い机に置かれたジュースはひとつだけ。当然、歩美ちゃんの分はなく……


「いいな~ユッキー。わたしも飲みたいよ……」


 歩美ちゃんはすねたように口をとがらせた。


 こればかりはしょうがないよね。


「いただきます!」


 ボクはストローを少し持ち上げてコップに口をつける。


 うん。やっぱりおいしい!


「ふふふ……」


 こぼれた笑い声が聞こえた。

 バナナをもしゃもしゃと噛みながら見上げると、おばあさんが楽しそうに微笑んでいる。


「あらやだ、ごめんなさいね。幸村くんを笑ったんじゃないのよ」


 ボクの向かいに座ったおばあさん。


「やっぱり友達だから似ているのかしら。歩美ちゃんもバナナジュースが好きな子だったわ。ストローを使わずに飲むところまでそっくり」


 微笑むおばあさんはボクを見ている。でも……その目に映っているのは歩美ちゃんなのではないだろうか? ボクにはそう感じられた。


「あ、あの、今日ボクが来たのは……」


「ちょっとユッキー、残すんならわたしにちょうだい!」


 ボクが半分だけ飲んだバナナジュースを机に置くと、隣に座る歩美ちゃんが大きな声を出した。


 残したわけじゃないよ。後で全部飲むんだもん。


「ああ、わたしは飲めないんだった~!」


 歩美ちゃんは両手で頬をおさえる。

 その姿は、なんとかの叫びという絵画にそっくりだ。


 ボクは咳払いをするフリをしながら人差し指を口に当てた。

 歩美ちゃんの声がおばあさんに聞こえているわけではないけれど……ていうか、僕たちが何をしにきたのかわかってる?


「幸村くん。なんで、ソウタに元気がないって知ってるのかな?」


 顔を上げると、おばあさんは不思議そうな顔をしていた。


「歩美ちゃんが遊びに来れなくなってから、ソウタは一歩も外に出てないの。誰かに聞いたのかな?」


「え~と、その……」


 返答に困ってしまう。でも、ボクは正直に言うことにした。


「歩美ちゃんに、教えてもらいました。『ソウタくん』に元気がないから、これを持って行ってあげてほしいって」


 机にプレゼントの箱を置く。


「教えてもらったって……歩美ちゃんに?」


 おばあさんは信じられないというように目を丸くするけど、ボクはウソなんか言ってない。

 いつのまにか、歩美ちゃんも真剣な顔をしている。


「なかに何が入っているのかは知りません。だけど、これは歩美ちゃんからのプレゼントだから……きっと『ソウタくん』は元気になると思います!」


 ゆっくりと立ち上がるおばあさん。


 もしかして、「うそつきは出て行きなさい」と怒られるのかもしれない。

 そう思ったボクは緊張する。でも――


「ちょっと待っててね。いまソウタを連れてくるから」


 にこりと笑ったおばあさんが部屋を出て行った。



「び、びっくりした~」


 両手を畳につけて、力が抜けた身体を支える。


「小心者だな~ユッキーは。柏木のおばあちゃんが怒るわけないじゃない」


 可笑しそうに歩美ちゃんが笑う。


「そんなこと言われても……」


 歩美ちゃんが見えない人にこんな話をしても、信じてもらえないかもしれないじゃないか。

 そう言う前に、おばあさんが何かを抱いて戻ってきた。


「おまたせしました。ソウタ、こちらは幸村くんっていうのよ。歩美ちゃんのお友達なんだって」


 おばあさんが話しかけたのは、赤い首輪をした白と茶色の毛並みが特徴の――小さな子猫だった。


「ソウタくん!」


 歩美ちゃんの声が弾む。


「ね、ネコ? ソウタくんってネコだったの!?」


「そうだよ。言ってなかったけ?」


 聞いてないよ~!


 嬉しそうな歩美ちゃんに、ボクは開いた口が塞がらない。まるでダマされたような気分だ。でも――――なぜだろう? 喜んでいる歩美ちゃんの気持ちが伝染したかのように、ボクも嬉しい気持ちになっている。そして『ソウタくん』がネコだと知り、心のどこかでホッとしているような……。


「ソウタくん、こんにちは!」


 歩美ちゃんが話しかけるけど、ソウタくんは弱々しく顔を動かし、うつろな目でチラリとボクを見ただけだった。


 ソウタくんにも歩美ちゃんは見えないんだ……


「あ」


 自分の方を見てもくれなかったと、歩美ちゃんの表情が寂しそうに曇る。


「ね。元気ないでしょ?」


 歩美ちゃんは笑顔でそう言うけど、無理をしているのはバレバレだった。



「ソウタが猫だって、歩美ちゃんから聞いてなかったの?」


 ソウタくんを抱きながら座ったおばあさんが訊ねてくる。


「は、はい。ボクはてっきり、クラスメイトの男の子だと……」


 なんだか恥ずかしくなってしまったボクは、残り半分のバナナジュースを一気に飲んで誤魔化した。


「ねえねえユッキー、はやくプレゼントを渡してあげて」


 歩美ちゃんが催促する。


「ソウタくんにプレゼントをあげるって約束してたの。でも、わたし死んじゃったから渡せなくて……。きっと、ソウタくんはいじけてるんだと思うの」


 その声は涙声になっていた。


「わたし……。わたし、ソウタくんにうそつきって思われたくない! ソウタくんに嫌われるなんて……そんなの、イヤだよ……」


 歩美ちゃんは膝を抱えてうつむいてしまった。


 その姿に、ボクも泣きそうになってしまう。


「あの……これは、歩美ちゃんからソウタくんへのプレゼントです! 歩美ちゃんは約束を守る子です! だから、どうか歩美ちゃんを嫌わないでください!」


 ソウタくんへプレゼントを差し出したボクは、頭を下げながら大きな声でそう言っていた。


 なんでだろう? 歩美ちゃんが嬉しいとボクも嬉しくて、歩美ちゃんが悲しいとボクも悲しい。胸が軽くなったり重くなったりする。

 なんでだろう? なんでボクは、歩美ちゃんのためにこんなに必死になっているんだろう?



「幸村くん、頭を上げて。誰も歩美ちゃんを嫌ったりしないわよ」


 慌てるようなおばあさんの声。


「ほんとうですか?」


 おそるおそる頭をあげる。


「ほんとうよ。私も、それにソウタだって、歩美ちゃんが大好きだったんだから。ううん、今でも大好きなのよ」


 おばあさんは優しく微笑んでいた。


「ほんとうに!?」


 大きな声を出したのは歩美ちゃん。


 その時、ソウタくんの耳がぴくりと動いた。


「ねえはやく! 柏木のおばあちゃん、プレゼント開けてみてよ!」


 歩美ちゃんの飛び跳ねたい気持ちが伝わってくる。ボクもとっても嬉しい気持ちになった。


「歩美ちゃんからのプレゼント、開けてみてください」


 おばあさんは笑顔で頷く。


「まあ! 可愛いわ!」


 猫の絵の包装紙を丁寧に開き、紙の白い箱の中にあったのは――


  チリリン


 小さな銀色の鈴だった。

 綿のなかに埋まっていたけど、おばあさんが持ち上げると心に響く優しい音色をだした。


「ソウタくんの鈴だよ! 絶対に似合うと思うの!」


「絶対に似合うからって、ソウタくんのために用意したそうです」


 歩美ちゃんの言葉を伝える。


 首輪に鈴をつけたおばあさんは、ソウタくんを持ち上げてボクの方へ向けた。


「その通りね。とってもよく似合っているわ」


 同意するかのように、ソウタくんも「ニャ~」と鳴いた。

 そして、ソウタくんのうつろだった目が歩美ちゃんを見つける。


「ソウタくん? わたしが見えるの?」


 視線が合った歩美ちゃんがそう訊ねると、ソウタくんはそれに反応したかのようにおばあさんから飛び下り、頼りない足取りで歩美ちゃんへと近づいていく。


「不思議ね。まるで歩美ちゃんがそこにいるみたい」


 甘えた声を出してすり寄る仕草をする『ソウタくん』を見て、おばあさんはまた目じりを拭った。


「いるんです。歩美ちゃんは、本当にここにいるんです」


「ええ、そうね。おばあちゃんもそう思うわ」


 涙声の口を覆ったおばあさんは何度も頷く。


 おばあさんには見えていないけれど、ボクには――いや、きっとソウタくんにも見えているにちがいない。キラキラした目や、喉をゴロゴロと鳴らしているのがその証拠だよ!





 ボクたちは、しばらくソウタくんと一緒に遊んだ。

 帰る時に声をかけられたボクは、おばあさんにまた遊びに来ることを約束した。



 河川敷の公園に戻って来た時には、西の空がオレンジ色になっていた。


「ソウタくんが元気になってよかった。ユッキー、ありがとね!」


 歩美ちゃんはボクの手を握ってくる。――けれど、その手はボクの手を通り抜けてしまった。


「ありゃりゃ、残念だな~。お別れする前にユッキーと握手をしたかったのに!」


 悔しがる歩美ちゃん。


  『お別れ』


 その言葉に、ボクの胸はドクンと重くなった。


「お別れ? あ、そっか! また明日って意味だよね!」


 ちがう。そんな意味じゃない……。


 歩美ちゃんがどういう意味で『お別れ』と言ったのかボクは知っている。

 けれど、それを認めたくないし考えたくもない……。だから――


「明日もソウタくんに会いに行こうよ! その次は――」


 ボクは明日からの予定を次々と決めていく。


 歩美ちゃんが何かを言おうとしているけど聞きたくない!

 ボクは、ずっと歩美ちゃんといたいんだ!



「――ありがと」


 言葉が続かなくなったボクに、歩美ちゃんは小さな声でそう言った。


「なんで、泣いてるの?」


「――うれしいから」


 涙を拭った歩美ちゃんが笑った。その笑顔はぎこちなくてとても寂しそう……。

 きっと、ボクも同じ顔をしているんだと思う。


「ボクたち、ともだちだよね」


「うん。ユッキーとはずっと、ず~とおともだちだよ!」


 今度はとても明るい笑顔だった。けれど――そんな歩美ちゃんが消えていく。

 まるで夕日にとけていくかのように、少しづつその姿が透明になっていくんだ。


「また会えるよね! 一緒に遊べるよね!」


 ボクは涙声になっていた。


「わたし、ユッキーと会えてうれしかったよ! だから……だから――」


 歩美ちゃんは言いかけた言葉を飲み込んだ。その後に――


「――さよなら」


 夕日よりもまぶしい笑顔を見せてくれたんだ。


「あ」


 ボクが声を出した時――もう歩美ちゃんはいなかった――――。




 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 僕はとても寂しくなった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 僕はとても悲しくなった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 僕は涙が止まらなかった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 僕はキミの手をとりにいけなかった


 「さよなら」 キミがそう言ったから――


 だから僕は……



 小学三年生の夏休み。あれから毎日、この公園に来たけれどキミはいなかった。

 次の夏休み、その次の夏休みにも探したけれど、やっぱりキミはいない。

 突然話しかけてきたと思ったら、いなくなる時も突然だなんてひどくない?

 しばらくの間は泣いて泣いて……自分で言うのもおかしいけど、ほんとうに大変だったんだから。

 あの時のボクは子供すぎて、あの言葉の意味を知るにはもう少し時間が必要だったみたい。


 出会ってから一日にも満たない時間のなかで、きっと僕はキミに――


 歩美ちゃんに恋をしていたんだと思う。


 だから、歩美ちゃんは僕の『初恋』の人――。



 すべり台の上から見上げた空はオレンジ色に染まっていて、見覚えのある飛行機雲がある。

 チョークで描いたようなその白い線を追って行けば、その先にはキミがいるのだろうか?

 そうそう、ソウタくんは今も元気だよ。柏木さんの家に遊びに行くと、すぐに駆け寄ってきてくれるんだ。愛用の鈴を鳴らしてね!


 もちろん僕も元気だよ。だからね、今はあの言葉の意味がわかる気がするんだ。

 あの時のキミは、今の僕よりも大人だったのかもしれないね――。




  「さよなら」 キミがそう言ったから――




「さよなら」



 僕は笑顔で、そうつぶやいた――。



□◆□◆



 読んでくださり、ありがとうございました。


 この作品のテーマは【初恋】です。

 いくつか書き留めてあった詩のなかに『さよなら キミがそう言ったから』という作中で使用した文がありまして、それをもとに書き上げてみた作品でした。

 作中の「ボク」は、最後に「僕」へと成長しています。この「僕」の年齢は設定していません。

 あれが初恋だった。それに気付けたのは何歳だったのか、私は憶えていませんので(笑)

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