第59話 心機一転
4章スタートです。
月を跨いだからといって暑さは全く和らぐことのない九月。色々とあった夏休みも終わって、今日から二学期。
久しぶりに歩く通学路には、友人と夏休みのことやこれからやって来る文化祭のことを話す人達でいっぱい。かく言う私も、その二つに想いを馳せていた。
特に文化祭。私たち三年生にとっては最後となる今年の文化祭は、念願叶って真矢くんと一緒に楽しむことができる。夏休みには本当に色々あったけど、なんとか仲直りすることが出来ましたし、後は残りの学校生活を真矢くんと楽しみながら受験に備えるだけです。
夏休みがあんな形で終わってしまったのは名残惜しいですけど。
ていうか、その真矢くんですよ。二学期初日から寝坊したから先に行っててくれって、どういうことなんですか、もうっ。
太陽の照りつける通い慣れた通学路を歩いていると、前方に見知った後ろ姿を発見した。
「凪ちゃん!」
「ああ、夜露か。おはよ。四日ぶりね」
「おはようございますっ」
凪ちゃんはいつも通りのローテンションが、久しぶりの登校ゆえかさらに低く見えるような顔だった。きっと夏休み中は不規則な生活をしていたんでしょう。
「朝から元気ねぇあんたは。こっちは久しぶりの学校でただでさえテンション低いってのに」
「だって学校に来たら毎日凪ちゃんに会えるじゃないですか」
「それを素で言うところが恐ろしいわ」
勉強は嫌いじゃないけど、やっぱり学校が好きな理由は友達に会えるから。約束しなくても、この箱庭の中にいれば強制的に顔を合わせることになる。
学校というのは情操教育としてはよく出来たシステムだ。小さな教室の中に三十人から四十人を閉じ込め、私たちはその中で人との関わり方を学ぶのだから。
けれど、そんな理屈を抜きにして、大好きな親友と平日毎日会えるのは嬉しい。もちろん、彼とも。
「あー、夏休みが恋しいわ。なんで終わっちゃうかなぁ。毎日夏休みだったらいいのに」
「一万五千回以上ループすることになりますよ」
「また分かりにくいネタを……」
あれ、分かりにくかったですかね……? 結構有名だと思うんですけど、あの八週間に渡る生き地獄。
「ていうか、私だってちゃんと観たわけじゃないんだけど」
「そうなんですか?」
「最初と最後だけ観た」
「えー、途中も観てくださいよ。前回との相違点とか探すのが楽しいんじゃないですか」
「あれを八回全部観れるのは余程コアなオタクだけじゃない?」
「そんなことないですよ」
真矢くんも全部観たって言ってましたし。今ではSFの代表作とも言えるアニメなんですから、コアなオタクじゃなくても観ると思いますけど。
「それにしても、二学期始まってすぐ文化祭かあ……今年はクラス違うから一緒に出来ないわね」
「うぅ……言わないでくださいよ……私だけクラス違うの、まだちょっと寂しいんですから……」
二年の時は凪ちゃんに伊能くん、それから世奈ちゃんと黒田くんもいた。その四人と特に仲の良かった私は文化祭の準備も私を含めた五人で仲良く取り掛かっていたのだけど、今年は私だけ違うクラス。
舞ちゃんがいるとは言え、やっぱりちょっと寂しい。高校生活最後の一年も、親友の凪ちゃんや他の友達と過ごしたかった。
「ま、クラス分けはあたしたちじゃどうしようもないし、そこは諦めなさい」
「凪ちゃんたちはいいから、せめて大神くんだけでも同じクラスだったら……」
「おいこら」
「冗談ですよ」
クスリと笑みを漏らせば、隣からはため息が。別に私の冗談で不機嫌になってるわけではなくて、これが凪ちゃんのデフォルト。私みたいにすぐ落ち込んだり、伊能くんや真矢くんのように元気に笑うわけでもなく。まるでその名の通り、彼女の表情はいつも凪いでいる。笑ったり怒ったりすることはあるけれど、それでも激情をあらわにしたことなんて一度だってない。中学の頃からの親友だけど、私はそんな凪ちゃんを見たことがない。
真矢くんや伊能くんなら見たことあるのかな、とは思うけれど、わざわざ聞こうとも思わない。
そんなことよりも、私は凪ちゃんに聞かなければならないことがある。
「あの、凪ちゃん」
「ん?」
「ちょっと真剣なお話なんですけど……」
「なに、大神となんかあった?」
「いえ、そうじゃなくて……凪ちゃんは、伊能くんのことが好きなんですよね……?」
問うた瞬間、凪ちゃんの纏う雰囲気が変わった、気がした。本当に一瞬だけ、見逃してしまいそうなる一瞬。私を睨んだようにも。
けれどそれは、まるで私の勘違いだったかのように霧散する。
「なに、夜露がそういうの改まって聞いてくるなんて珍しいじゃん。てか今更聞くようなことでもないでしょ」
「それは、そうなんですけど」
こうして聞くのはなにも初めてのことではない。中学の頃から凪ちゃんに好きな人がいるのは知っていたし、高校に入って伊能くんと出会ってから、凪ちゃんの想い人は彼なんだってすぐに分かった。そういう話も、何度かした。
だから、本当に今更だ。でも、ここからちゃんと始めなければならない。真矢くんの言っていた通り、凪ちゃんの気持ちを確かめないことには私も凪ちゃんの手助けができないから。するべきではないと、分かったから。
「私が凪ちゃんにしてもらったみたいに、凪ちゃんのことを応援するのは、迷惑ですか?」
「……そうだって言ったら?」
胸の奥で、チクリと小さな棘が刺さった。
凪ちゃんは表情に変化を見せない。言葉の通りに拒絶するでもなく、ただ無感動な眼差しで私を見ている。
思わず止まりかけてしまった足をなんとか引きずるようにして動かす。隣にいるはずの親友が、遠い。いや違う。距離を離されたわけじゃない。ただ、私と彼女の間に分厚くて大きな壁が出来たような気がした。私じゃ決して破れない、破ることを許されない壁が。
表情は変わらずとも、それは言葉以上に強い拒絶の意思だった。
「なんて、冗談よ」
「じょ、冗談……?」
「そ、冗談。さっきの仕返し。私が夜露を迷惑に思うわけないでしょ」
その壁が、私の見た幻覚だったかのように消え去る。口の端を釣り上げてイタズラな笑みを見せるその表情は、私のよく知る親友のものだ。
「驚かさないでくださいよぉ……」
「ごめんごめん。ちょっとやり過ぎちゃった?」
「やり過ぎです……さっきの凪ちゃん、怖かったですよ……」
脱力して安堵のため息を漏らす。本当に怖かったです……なまじ今までの距離が近かったから、本当に凪ちゃんから拒絶された時が来てしまえば、多分私は立ち直れなくなる。
「だからごめんって。それで? どうしていきなりそんな話するのよ」
「そんなに大したことじゃないんですよ? ただ、私は凪ちゃんに助けてもらったので、私も凪ちゃんを助けたいって思って。真矢くんには凪ちゃんに黙って勝手にやらない方がいいって言われたので、一応確認です」
「なるほどねぇ」
「それで、あの、本当に迷惑じゃないですよね……?」
「迷惑じゃないわよ。でもあんた、そういう裏でこそこそ動いたりすんの得意じゃないでしょ」
「ま、まあ、そうですけど……」
「駆け引き的なのも苦手だし」
「それもまあ……」
「あと、嘘つけないからもしもの時に全部ゲロッちゃいそうよね」
「うぅ……」
そこまで言わなくてもいいじゃないですかぁ……。
「ま、応援してくれるってならよろしくお願いしたいけど。私だって一応、恋する乙女として最低限の願望くらいは持ってるしね」
「ま、任せてください!」
「泥舟に乗ったつもりで期待しとくわ」
「沈むじゃないですか!」
真剣なお話はおしまいとばかりに、凪ちゃんはクスクスと笑いだす。とにかく許可はもらいましたし、これからは凪ちゃんのために色々と頑張っても真矢くんには文句言われないですよね。
その後も他愛のない話をしながら通学路を歩いていると、学校の正門手前あたりでスマホがラインの着信を知らせた。
「なに、愛しの大神くんから?」
「い、愛しのなんて、そんな……」
「いちいち照れないでなんかウザいから」
「酷いですよ!」
しかしラインは真矢くんからではなく、舞ちゃんから。それをかなりのビッグニュースを運んできた。
「うちのクラスに転校生が来るらしいですよ」
「夜露のとこに?」
「はい。三年のこの時期って、珍しいですね」
「これから受験シーズン真っ盛りだし、たしかに珍しい。てか、そんな情報どこで仕入れてくるのやら」
「校内で見かけた人がいたとかじゃないですか? さすがに職員室での話を盗み聞きしたとかじゃないと思いますけど」
「ま、そんなとこか」
「あ、また舞ちゃんから来ました。やっぱり見かけた人がいたみたいです。綺麗な銀髪の女の子、らしいです」
「……」
「凪ちゃん? どうかしましたか?」
「嫌な予感がする……」
いつも凪いでいるはずの親友の表情が、青白くなっていた。
何故かいきなり元気がなくなった凪ちゃんと別れて教室に入ると、やっぱりクラスメイトたちは転校生の話題で持ちきりだった。学校という狭い空間の中だと、噂が回るのも早い。私と真矢くんが付き合い始めた時だって、気がつけば学年中にその話が広まっていたくらいだ。
教室内はその転校生の噂が間違いでない証として、私の席の真後ろに新しく机と椅子が置かれていた。どんな人なのか今からドキドキです。
「夜露ちゃんおはよー」
「おはようございます、舞ちゃん」
席につけばクラスで一番仲のいい舞ちゃんに話しかけられる。舞ちゃんとはキャンプ以外でも夏休み中に何度か遊んだ。
そして転校生の情報を私に教えてくれた彼女も、やはり持って来たのはその話。
「さっきラインした転校生、超美人らしいよ。朝から男子のテンションが高すぎて鬱陶しいことこの上ないんだよねー」
「あはは、まあ仕方ないんじゃないですか?」
「うちにはもう夜露ちゃんっていう校内一の美少女がいるのに、欲張りなやつらめ」
「校内一は大袈裟ですよ……」
私自身、自分の容姿が優れた方であることは自覚している。だって、そうあり続けるための努力もしていますから。
でも、校内一は言い過ぎだと思います。凪ちゃんや世奈ちゃん、朱音ちゃんたちだってみんな可愛いですし、下級生にも美人な子はいますから。
「しかもその超美人らしい転校生と夜露ちゃんが固まって座ってるとか、しばらくはこの辺り、男子の視線を釘付けだろうねぇ」
「授業中はさすがに前を向いてて欲しいですね」
出来れば、お友達になれたらいいな、なんて思ってみる。高校生活も残り少ないけど、文化祭だってあるんだし。すぐにクラスのみんなにも溶け込めるはず。
その後舞ちゃんと夏休み中のお話で盛り上がっていると、朝のチャイムが鳴った。舞ちゃんが自分の席に戻ってしばらくしてから、担任の先生が教室に入ってくる。
「えー、皆さん知ってると思いますが、今学期からクラスメイトが一人増えます」
挨拶もそこそこに早速本題を切り出した先生。クラスメイトたちはざわざわと騒ぎ出し、それを先生が諌める。
「はい静かにー。それじゃあ月宮さん、入ってきて」
先生が扉の向こうへ呼びかけたのは、どこかで聞き覚えのある苗字。記憶を発掘するよりも早く扉が開かれ、その答えが現れた。
みんなが噂していた通りの綺麗な長い銀髪と、同じ色の瞳。病的なまでに白い肌と細い肢体。手にはカバンの他に日傘を持っている。先生の隣に立てば、背後の黒板と白銀に煌めく彼女の存在は美しい対比を描いた。
クラス中がその美貌に酔いしれる。校内一の美少女なんて舞ちゃんから言われた私なんかよりもよっぽど綺麗な、人間離れした美しさを持つ彼女に。
でも、おかしい。この人は本来入院していたはずで。私が初めて会ったのだって、病院の裏手にあるひまわり畑で。
自分の名前を大きく黒板に書いた彼女は、振り返って微笑んだ。その視線がこちらに向いているのは、多分みんな気づいていない。
やがて開かれた小さな唇から、寒々とした銀鈴の声が室内に響き渡る。
「はじめまして、月宮まひるです。長らく病気で入院していたので皆さんよりも一つ歳上ですが、卒業までの短い間よろしくお願いします」
以前会った時よりも丁寧な言葉遣い。上品な立ち振る舞い。
呆気にとられた私は、そういえば夏休み明けに面白いことがある、なんて言ってたなぁ。と呑気に考えているのでした。




