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葵夜露は素直に好きと伝えたい  作者: 宮下龍美
第3章 近づく心と、離れる心
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第42話 花言葉

 寝坊した。

 そこに至るまでに様々な要因が複雑に絡まり合い、到底簡単に説明できるようなことではないとはいえ。それでもシンプルに今の俺の状況を説明するのであれば。

 寝坊した。

 その一言に尽きるだろう。複雑でもなんでもなかった。


「やばいやばいやばいやばい……!!」


 時刻は十時ちょっと過ぎ。待ち合わせは十時半。家から駅まで歩いて五分ちょいで着くとはいえ、飯を食う暇もなければ髪型をセットする時間もない。

 今日が楽しみすぎて全然眠れなかったとか遠足前の小学生でもあり得ないだろ。俺は幼稚園児か。所詮大神真矢は睡眠の敗北者じゃけぇ……。これはゴミ山大将呼ばわりも否定できない。

 平日ゆえに両親と姉は当たり前のように仕事だから、まさかのストライキを起こした目覚まし時計ちゃんの代わりに俺を起こしてくれる人は誰もおらず。

 広い家の中でただ一人慌てて準備する情けない男、大神真矢。

 本当だったら九時には起きる予定だったのだ。起きてから朝食を済まし、ゆっくりと、しかし入念に髪型や服装のチェックを済ませてから家を出る予定だった。それがこの始末。完全に俺自身が悪いからマジで申し開きのしようもございません。

 とりあえずはラインで葵にちょっと遅れる旨を伝え、身だしなみだけでも最低限しっかり整えようと洗面所に行き髪を整える。

 朝飯はいらん。食ってる暇もないし、葵が弁当を作ってきてくれているのだから。今から食べたら、昼頃には腹の空き具合が中途半端になってしまう。


「あと十分……!」


 携帯で時間を確認する。葵からは気をつけて来てくださいね、と返信が来ていた。駅まで本当に近いから気をつける必要すらないくらいなのだが、俺の遅刻を咎めないどころか優しい言葉をかけてくれた嬉しさのあまりに涙がちょちょぎれる。まあ寝坊したってことは伝えてないんだけど。

 結局昨日の柏木の助言通りいつも通りの服装に着替えて髪も整え終わり、準備は完了。カバンなんておしゃれアイテムを持ってるわけがないので、ポケットの中に家の鍵と財布とスマホがちゃんと入ってるのを確認。頭の中で現場ネコが「ヨシッ!」って言ってる。指差呼称は大事。古事記にもそう書いてあった。

 行ってきます、と誰もいない家に告げてダッシュで駅まで向かう。もちろん鍵をかけるのも忘れずに。

 近所の人から変な目で見られてる気がするが、それを気にしている余裕なんぞ今の俺にはない。とにかくダッシュ。全身の筋肉を励起させ、少しでも早く着くために地面を蹴り風を切って前へと進む。

 唯一の信号も引っかかることなく足を動かし続け、普通に歩くのよりも倍の速さで駅が見えてきた。

 そして辿り着いた待ち合わせ場所。駅前に植えてある大きな木の下。その影で休んでいる麦わら帽子を被った少女の元へと駆け寄った。


「悪い、待たせた……!」

「ふふっ、大丈夫ですよ。まだ十時半になってませんから。ギリギリ間に合ってます」


 帽子の下には可愛らしい笑顔。重そうな手提げ鞄を両手で持っている葵は、やはり遅刻しそうになった俺を責めることなく微笑んでいる。近くの時計に視線をやると、彼女の言う通りまだ十時半前だった。走った甲斐があったらしい。


「おはようございます、大神くん」

「うん、おはよう。荷物持つよ」

「ありがとうございます」


 今日の葵は白のロングワンピースに、暑さをしのぐため麦わら帽子を被っている。まさしくピクニックに行くためのファッションだ。可愛い。

 やっぱり男の俺もそのためのファッションとかあったんじゃないかと不安になるが、寝坊してしまった今日はそんなこと考える余裕もなかったし、ここはアドバイスをくれた柏木を信じるとしよう。

 受け取った鞄の中には、予想通り弁当とレジャーシートが入ってある。ずっしりとたしかな重さを感じるから、結構な量を作ってきたのだろう。


「それにしても、大神くんが遅刻なんて珍しいですね。なにかあったんですか?」

「あー、いや、まあ……」


 葵とはこれまでも何度かデートをしてるし、その時に待ち合わせに遅れるなんて一度もなかった。バイトの日も二十分ほど前には店に着くようにしてるから、たしかに珍しいのかもしれない。

 ここで変に誤魔化すのもどうかと思うので、恥ずかしながらも素直に白状することにした。


「ちょっと、寝坊してな……」

「寝坊、ですか?」

「そう。寝坊」


 楽しみすぎて昨日中々寝れなかった、とは言わなかった。そこまで言うのはさすがに恥ずかしすぎる。いや、大事なデートの日に寝坊したってだけでもう十分に恥ずべきことではあるんだけど。

 しかしクスクスと笑いだした葵は俺の金色の瞳から視線を逸らさなくて、全部見透かされているんじゃないのかと思ってしまう。


「と、とりあえず行こうぜ。ギリギリ間に合ったんだし、これ以上時間を浪費しても仕方ないだろ」


 なんだか背中のあたりがむず痒くて、顔にもほんのり熱が集まってきた。それを誤魔化そうと手を差し出せば、小さな手がそこに乗せられる。


「ふふっ、そうですね。行きましょうか」


 耳に届く優しい音に、顔の熱はさらに増してしまう。今日の葵はその服装も相まって、なんだか大人びた感じがする。白のワンピース、清楚な葵に似合ってて大変よろしいと思います。ええ。

 手を繋いで駅の改札を通り、乗り込んだのは快速電車。平日のこの時間だと車内はさほど混雑しておらず、葵の苦手な満員電車じゃなくて一安心。それどころか椅子に腰を下ろせるくらいには空いていた。

 いつも映画を観に利用しているモールの駅も通過して、それからしばらく走ったところで電車を乗り換えた。俺もたまに利用している、山の方に続く車線だったのでまさかとは思っていたのだが。


「なあ葵、こっからどれくらいかかる?」

「あと三十分ほどです」

「結構かかるんだな」

「私も行くのは久しぶりですから……」


 昨日聞いた限りだと、電車で少し行ったところとの話だったが。そもそも切符は600円のやつだし、その時点でそれなりに遠いことは察しておくべきだった。

 てか、どこの駅かすら聞いてない。葵の案内に従っていれば自ずと分かることではあるけど、気になったのでそれを葵に尋ねればどこかで聞き覚えのある駅名。

 ていうか、やっぱり俺が懸念した通りのまさかな展開で。


「マジか……」

「どうしました?」

「いや、そこの駅、俺もたまに行くんだよ」


 なんて会話をしている間にも、窓の外には見覚えのある景色が流れて行く。

 頭の上に疑問符を浮かべている葵には誤魔化しておいたが、その後も他愛ない雑談を交わしていると目的の駅に到着。電車から降りて駅を出ると、目の前には見慣れた病院が。

 そう。俺たちがやって来たここは、月宮まひるさんが入院している病院のある駅だ。目的地のひまわり畑はここから少し歩いたところ、病院の裏手に存在しているらしい。今までまひるさんのお見舞い以外でここに来たことはなかったから、ひまわり畑の存在なんて知らなかった。

 まあ、まさか今日まひるさんと出会うなんてことはないだろう。あの人からひまわり畑のことなんて聞いたことがないし。


「大神くん? どうかしましたか?」

「いや、大丈夫だ。なんでもない……」

「そうですか? 少し様子がおかしかったので……もし体調が悪かったりしたら」

「大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけだから。ほら、さっさと行こうぜ。お前の弁当楽しみだし」

「今日の目的はお弁当じゃなくてひまわりですよ」


 苦笑する葵に手を引かれて歩き出す。いつもなら病院に直行だが、今日はその病院を迂回する。そう言えば他の道なんて歩いたことがないことに気づいた。そもそも、ここに来る目的なんて一つしかなかったから。

 果たして今日の目的であるひまわり畑に到着したのは、駅から歩き出して十分と経たないうちで。

 その光景を目の当たりにして、俺たちは揃って息を呑んだ。


「すごいですね……」

「すごいな……」


 視界いっぱいに広がるのは、太陽へと元気に首を伸ばす多くのひまわり達。黄色い花びらがどこまでも広がっていて、それを一目見ようとそれなりの人達が道を歩いている。家族連れやカップル同士、中には車椅子の人もいるから、恐らくはそこの病院の患者さんだろう。近くにはちょっとした広場もあって、そこにレジャーシートを広げている人たちも。

 まさか、こんなにもすごいひまわり畑が病院の裏手にあったなんて。どうして俺は今まで気づかなかったのだろう。まひるさんの病室からはこの景色は見えない、つまり病院の正面側に位置しているから仕方ないのだが。それでも、話くらい聞いていても良かったのに。


「ちょっと歩くか」

「はい」


 舗装された道を歩きながら、咲いているひまわりに視線を向ける。

 さて、そんなひまわりについて少し話してみよう。

 ひまわりとはキク科の花で、漢字で書くと『向日葵』となる。夏の季語でもあるこの花は種が食用としても使われていて、中国やアメリカでは煎っておやつとして好まれているのだとか。ひまわり畑は全国様々な場所に存在してあり、有名なところは特にこの時期になるとかなりの観光客が訪れることだろう。元は北アメリカが原産地であるが、今では日本でもお馴染みの花となっている。

 そしてひまわりの花言葉は、『憧れ』に『あなただけを見つめる』の二つ。白やら紫やらとなるとまた違うらしいが、俺たちのよく知るこの黄色いひまわりの花言葉は、その二つだ。

 とまあ、俺が知ってるのはこれくらい。別に昨日の夜寝れなくて調べてたとかではない。そしたら余計に寝れなくなったとかでもない。断じて違う。


「葵は昔ここに来たことあるんだよな?」

「はい。と言っても、本当に小さい頃なので、私も朧げにしか覚えてないんです」


 そう言ってひまわりを眺める葵の瞳は、しかし懐かしいものを見るような色で。在りし日の思い出を、この花畑に見ているのだろう。

 今でも両親から愛されている葵は、きっと幼い頃もそうであったに違いない。小夜子さんと勇人さんの二人に挟まれ、家族三人で仲良く手を繋ぎこの道を歩く。そんな光景が、ありありと目に浮かぶ。


「小さな頃は、色んな場所に連れていってもらったんですけど。ここは特に思い出深いんです。ひまわりがとても綺麗だったのは、今でも覚えてるから」


 それでも、朧げにしか覚えていないという。人の記憶とはとても曖昧なもので、時間という絶対的に概念を前にすると酷く頼りないものになってしまう。

 時が過ぎれば、どんなに大切な思い出と正確には思い出せなくなる。

 とても悲しいことではあるけど、それが自然の摂理。人間という生き物の限界。忘却とは、あらゆるものに必ず訪れてしまう。

 俺だって、数年前の出来事であるはずのまひるさんとの思い出は、全てを正確に思い出せるわけではない。

 しかし、だからこそ。


「だったら、俺は今日お前と来れてよかったよ」


 心の底から、そう思うのだ。

 記憶とは、思い出とは。時間の積み重ねだ。極端な話、勉学などがそれによく当てはまる。何度も何度も繰り返し同じことをして、脳に記憶させる。同じ公式を使った問題を何度も解くことでその公式を覚えるように。

 葵がかつて家族と訪れたはずの思い出を、もう忘れかけてしまっていたというのなら。なら、その思い出を更新してやればいい。

 家族じゃなくて俺と一緒なのはご容赦願いたい。未だ高校生の俺では家族の代わりになんてなれないし、家族そのものになることは以ての外だけれど。


「私も、大神くんと来れてよかったです」


 また忘れてしまいそうになった時は、もう一度この場所に来たらいい。ここだけじゃない。これから一緒に作っていく思い出のその全てを。何度も、飽きるまで。

 葵と一緒なら、飽きることもないのだろうけど。


「しかし、花言葉が憧れってのもまた、なんだかなぁ……」

「ふふっ、昨日大神くんに怒られたばかりですもんね」

「いや、あれは別に怒ったとかじゃないぞ」


 まひるさんがいる病院の裏手というのも、なんだか神様のいたずら的ななにかを感じてしまう。

 両親に憧れている葵と、まひるさんに憧れていた俺。そんな二人がやって来ては目を奪われてしまうなんて、なんとも皮肉の効いた花じゃないか。

 などと考えていたのが悪かったか。


「あっ」

「どうかしましたか?」


 前方に、嫌でも見覚えのある姿を発見してしまった。

 ひまわりと言えば元気で明るい、なんてイメージがあるけれど、そんな花を物憂げな表情で見つめる横顔。太陽の光を受けて輝く銀髪は眩しく、この直射日光の下でも病院服から覗く肌は病的なまでに白い。それを直接日の光に晒さないよう持っている日傘は、病院の人たちに渡されたのだろうか。

 ひまわりと共に映るその姿は、まるで一枚の絵画。俺の『憧れ』を具現化した絵。


「……おや」


 不意に顔を上げた拍子に彼女は。月宮まひるは俺を視認して、次いで隣の葵を見てから。端正な顔を愉快そうに歪めた。


「ボクが入院している近くでデートとは、君も随分と肝っ玉が据わるようになったものだね。もしくは、ボクが病室から出てくるなんて思っていなかったのかな? それなら迂闊と言わざるを得ないぜ。警戒心が足りないんじゃないか?」


 ああ全く、その通りだよ。

 隣で小首を傾げている葵を尻目に、俺は頭を抱えて激しく後悔するのだった。

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