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葵夜露は素直に好きと伝えたい  作者: 宮下龍美
第3章 近づく心と、離れる心
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第40話 忙しくも幸せな日々の始まり

 自己主張の激しい太陽が作り出す炎天下。セミはうるさく鳴き喚き、路上でミミズが干からびている。近所のじいちゃんばあちゃんは道路に打ち水をしていて、公園では暑さに負けじと子供達が遊びまわる。熱中症には気をつけろよ。

 そんな、平凡で平穏で平和な日々の中。

 ついに夏休みが始まった。

 例年通りなら俺は家に篭ってゲームしたり漫画読んだりアニメみたりして、最終日に溜まった宿題で泣きを見ることになっていたのだが、今年は違う。

 なにせ俺には、彼女がいるのだ。いわゆるガールフレンド。(仮)じゃないやつ。そう、恋人だ。

 受験生ゆえに勉強を疎かにするわけにもいかないが、それでも去年までと比べたら数万倍はマシな夏が送れる。朝陽や広瀬も合わせた四人で遊びに行く約束だってしている。葵とのデートもするし、まひるさんに会いに行ったりもする。

 俺は高校最後のこの夏を、リア充として満喫してやるんだ。

 そう思っていたのは、初日だけだった。


「大神くん! これ四番テーブルにお願い!」

「はい!」

「すいませーん」

「少々お待ちください! 悪い葵、向こう頼む」

「了解です!」

「お待たせしました! こちらAセットお二つお持ちしました!」

「こっちも注文いいかなー?」

「はいただいま!」

「オーダー入りました!」

「お会計お願いしまーす」

「はい! レジの方までどうぞ!」


 忙しい。とにかく忙しい。

 夏休み二日目である今日は日曜日。昨日はそこまでだったはずなのに、どうして今日はこんなに客が入って来るのか。

 厨房は小夜子さんと勇人さんが二人で回し、ホールは俺と葵が注文を聞いて料理を運んでレジで会計をしてと、てんやわんや。夏休みが始まる前に作業の殆どを教えてもらったからいいものの、この忙しさは経験したことがなかった。

 ここまでミスをひとつもしていないのが奇跡にさえ思える。休憩を取る暇どころか、飯を食う時間すらもない。客が帰ったと思えばすぐに次の客が入ってきて、一瞬たりとも気を休める暇がない。無限ループって怖いよね。

 今もまた一組店を出たと思えば、すぐに扉が開かれる。もう勘弁してください。


「お、やってるやってる」

「ちゃんと働いてるみたいね」

「なんだお前らか……」


 入ってきたのは我が幼馴染の二人。朝陽は練習終わりなのか、エナメルを肩に下げてジャージを着ている。一方の広瀬はジーパンにTシャツの上から半袖のパーカーを羽織っている。比較的楽な格好だ。


「いらっしゃいませ! 大神くん、今は二人ともお客様なんですから、そんな言葉遣いじゃダメですよ」

「うっす……」

「真矢のやつ、怒られてやんの」

「夜露の言う通り、あたし達はお客様なんだからちゃんともてなしてよね」


 腹立つゥ……! こっちが反抗出来ないからってこいつら調子に乗りやがって……。しかし葵の言う通り、今の俺は店員でこいつらはお客様。下手な作り笑いをしながら唯一空いてる席へと案内する。あとで覚えてろよ。


「それにしても、今日は随分繁盛してるじゃない」

「夏休みの日曜だからじゃね? 家族づれも多いし」

「て言っても、まだ二日目だけど」

「世のお父さんお母さんは大変だなぁ」


 世のお父さんお母さんよりも今の俺の方が大変なんですけどね。

 雑談を始めた二人を尻目に仕事へ戻る。厨房の小夜子さんと勇人さんはとんでもない数の調理を二人だけで素早く、かつ正確にこなしている。しかもお互いにカバーしつつ、小夜子さんに至っては洗い物までしてるのだから、この二人の踏んできた場数が一体どれほどのものなのか。食戟のアオイじゃん。連隊食戟じゃん。

 そして出来上がった料理を俺と葵が運ぶ。厨房の方を手伝えないのは歯がゆいが、忙しくも真剣な表情の二人を見ていると仮に洗い物だけで入ったとしても、邪魔にしかならないだろう。それはきっと、葵も同じく。

 それ程までに、二人の作る調理場の空気は完成されていた。

 完成された料理を席へ運ぶ中、葵が呆けた様子で厨房を眺めていた。多少は忙しいのもマシになってないこともないとは言え、やはり疲れたのだろうか。


「葵?」

「あっ、ごめんなさい! 私も料理運びますね!」


 心配になって声をかけてみれば、ハッと我に返り慌てた様子で仕事に戻ろうとする。うーん、なんか危なっかしいな。こんなところでポンコツ発揮されたら困るぞ。


「いや、満席になってるし、ある程度落ち着いてはいるからそんな急がんでもいいぞ」


 席が全て埋まれば、新しい注文もなくなる。さっきまでは回転が早すぎて注文も相次ぎ、料理が出来て運んだと思えば席を立つ客の会計を済ませ、そして間断なく次の客が入って来るの繰り返しだった。マジで回り過ぎて今宵は雪月花かよと何度思ったことか。

 だが今はそれも落ち着き、一息つく時間くらいはある。


「それよりお前、大丈夫か? 疲れてるんだったらちょっと休憩しててもいいけど」


 料理を運んでからもう一度声をかけるも、葵は微笑を浮かべて首を横に振った。


「いえ、疲れてるわけじゃないんですけど……」

「けど?」

「お母さんとお父さん、凄いなぁって思っちゃって」


 羨望の眼差しが向かう先は、厨房の中で今も一糸乱れぬコンビネーションを保ち調理を続ける自分の両親。

 いつかこの店を継ぐと言った葵の、目指すべき場所。

 短いながらもここでバイトさせてもらって、親子の間には途方も無い差があることを俺でも理解出来た。それは当然なんだと思う。小夜子さんと勇人さんはこの店の主だ。この店を開き、一代でここまで繁盛するようにして、二人は長い時間を共に過ごしているのだから。

 だからこそ。そんな二人の姿を最も近くで見てきた娘は、そこに憧れを抱く。


「憧れるだけじゃ、ダメだろ」

「え?」


 慰めの言葉はかけない。ヒーローのようになりたいと願い、自分なりの道を見つけた葵にそんなものはいらない。仮に必要なのだとしても、俺からかける言葉じゃない。

 隣にいたいと思ったのだから。こいつが夢を叶えるのを、支えてやりたいと。だったら俺が言うべきなのは、そんなものじゃなくて。


「憧れで終わらせたらダメだ。そうやって遠くに、自分の手が届かないところに置くだけにしてると、いつか本当にそこへ辿り着けなくなる。だから、憧れを自分のものにするための努力はやめるなよ」


 夢を夢で終わらせないためにも。

 なにかに憧れること自体は悪いことではない。自分もあんな風になれたらと、誰しもが何かに対して思ったことがあるはずだ。俺が、まひるさんへそう思ったように。

 けれどそこにほんの少しでも諦めが滲んでしまえば、憧れたはずの夢や願いは最後に嘘へと変わってしまう。

 葵には、昔の俺のような失敗を犯して欲しくはない。


「……もしかして、経験談ですか?」

「ん、まあ。よく分かったな」

「ふふっ、なんとなくです」


 女の勘ってやつですかな? これで昔の女の匂いがしますとか言われてたら怖かったけど、そう言って微笑む葵はただ可愛いだけ。俺の言いたいこともちゃんと伝わったみたいで少しホッとした。


「すいません店員さーん、イチャイチャしてないでお水のおかわり貰えますかー?」

「んなことしてねぇ」

「言葉遣いがなってないですよ店員さーん?」


 完全に輩と化した広瀬と、その向かいで呆れたように苦笑を漏らす朝陽。そちらに水を注ぎに足を踏み出せば、大神くん、と背中にかかる声。

 振り返った先には、俺の好きな彼女の笑顔があって。


「ありがとうございます。私、もっと頑張りますねっ!」

「……まあ、無理しない程度にな」

「はい!」


 我ながら素っ気ない返事だったな、と若干後悔しつつも、お客様であらせられる幼馴染二人の元へ向かう。

 だけど仕方ない。まともに言葉を返そうとすれば、また変なことを口走ってしまいかねないから。


「真矢、顔真っ赤だぜ?」

「うるせぇ……」


 ニヤニヤといい笑顔を浮かべてやがる朝陽に指摘されるまでもない。この顔を見られたくないからこっちに避難してきたんだよ。







 十四時を過ぎると客入りは途絶えてしまい、十五時になった頃には店内はいつも通り閑散としていた。昼過ぎの忙しさが嘘のようだ。

 朝陽と広瀬も思ったより呆気なく素直に帰っていった。昼飯のついでに俺の働きっぷりを弄りに来たらしいのだが、思ったよりも客が多かったから勘弁してやったとのこと。いや、十分過ぎるほどにムカついたけれども。

 母さんと姉ちゃんに報告しとくとかほざいていやがったから、帰ってからが少し怖い。果たしてなにを言われるやら。

 まあ、なんにしても。


「づがれだぁぁぁぁぁ……」


 客入りが落ち着いた頃合いを見計らって軽く作ってもらったおにぎりを食べたりしていたが、それでも疲労は嫌というほどに蓄積されていて。

 店内に客が一人もいないのをいいことに、カウンター席に腰を下ろしてテーブルに思いっきり突っ伏してしまっていた。

 隣に座る葵はそんな俺を見て微笑んでいるが、その顔にはやはり疲労が滲んでいる。


「お疲れ様です、大神くん」

「ん、葵もな」

「二人とも、今日は少し早いけど上がっても大丈夫だよ。あとは僕と小夜子さんでやっておくから」


 俺のあんまりにも情けない姿に同情したわけでもないのだろうが、勇人さんがカウンター越しに提案してくれる。

 いつもならもう少し頑張りますと言ってるところなのだが、今日はさすがに限界だ。まさか、夏休み二日目でここまで忙殺されるとは思っていなかった。

 これを今まで三人で捌いてたと考えると、葵家の面々には頭が上がらない。


「すいません、それじゃあお先です」

「家の中で少しゆっくりしてたらいいわよ。夜露と、二人っきりで」

「もうっ、お母さん!」


 小夜子さんの揶揄いに顔を赤くして叫ぶ葵を引き連れ、店から家の中へと移動した。

 とりあえずはエプロンを脱ぎ、葵に促される形で彼女の部屋へ。ここに入るのは初めてじゃないと言っても、やはり多少は緊張してしまう。


「今日はさすがに疲れましたね」

「だな。明日明後日と休みで助かったわ。じゃなきゃ死んでた」


 言いながら、チラリと視線を部屋に巡らせる。以前来た時はそんな余裕もなかったから、こうして改めて見てみると模範的なくらいに女の子らしい部屋だ。絨毯やカーテンなどで部屋の色調は全体的に明るく、ベッドの上にはサメのぬいぐるみ。あれIKEAのやつじゃん。

 だが、ひとつだけ明らかにこの場にそぐわないものが。天井に届くほど大きな本棚の中にはビッシリと本が詰まっており、そのどれもがアメコミの雑誌だったり漫画だったり、日本の仮面ライダーに戦隊モノ、ウルトラマンまで。一応少女漫画も置いてあるが、その数も存在感も完全に負けている。

 そして本棚の隣にはアクリルケース。葵が愛する古今東西のヒーローたちのフィギュアが多く飾られている。その中には、先月の誕生日に広瀬から貰っていたフィギュアも。

 なんか、こうしてみるとすごいな……。葵さん割とガッツリオタクじゃないっすか。

 しかし俺も、葵に映画へ連れられて興味を持ってしまったのだ。ケースの中に飾られてあるフィギュアたちはどれもカッコいい。男はカッコいいものに憧れる生き物だ。個人的にはソーが一番お気に入りですかね。雷使うとか厨二心が刺激されちゃう。

 それらのフィギュアに目を奪われていると、隣でなにやらモジモジと動く気配が。ちょっと不躾に部屋を見過ぎたかなと思ったものの、どうやら違うらしく。


「あの、大神くんも、疲れてるんですよね……?」

「まあ、そうだな。今日は気持ちよく寝れるくらいには」

「そう、ですか……なら……」


 顔を真っ赤にしながらも、俺の金眼をしっかりと見つめる葵。赤くなってる理由はよく分からないが、そんなに見つめられるとこっちまで恥ずかしくなってしまう。

 ていうか、この状況にちょっと既視感を覚える。そう。まだ付き合う前、出会った頃くらいにいきなりとんでもないことを提案して来た時のようなッ……!


「ど、どうぞ……」

「…………へ?」


 おもむろに手を広げた葵は、ギュッと強く目を瞑っている。唐突なその行動に思考が止まってしまう。

 だって、これではまるで。ハグを要求しているような。

 どうしてこのタイミングでとか、なんでハグなんだとか、色んな疑問が湧いては消えて湧いては消えて。いや消えたらダメだ。それが消えてしまったら流されるがままに抱きしめちゃう。それもありかもとか思ってる男の子な自分が恨めしい。


「あの、葵?」

「その……ハグで疲れが取れるって、凪ちゃんに聞いたので……」


 また広瀬かよ! そんな気はしてましたけどね! あいつら二人のレジは葵が担当したから、おそらくはその時にでも聞いたのだろうけど。またいらんこと吹き込みやがって。

 だが、今はかつてと違って理由がある。そうしてもいい理由が。

 俺と葵は恋人同士で。なら、仕事終わりに疲れたからってハグを要求されても、逆に断る理由がない。


「……ちょっとだけだぞ」

「あっ……」


 葵の背中に腕を回す。なるべく密着しすぎないように、あまり力を込めず。それでも制服より生地が薄いTシャツの上からでは、彼女の柔らかさが如実に伝わってくる。すぐそこにある艶やかな黒髪に隠れた首筋からは制汗剤の香り。腕の中にすっぽり納めてしまえば、この子の体はこんなに小さかったのかと少し驚く。

 以前にも半ばアクシデントのように抱きつかれたことならあったけど。その時とは感じられるものが違う。

 それはきっと、俺がお前を好きだから。

 だからこんなにも満たされてしまって。ああ、どうやら、広瀬が葵に吹き込んだ話もあながち嘘じゃないらしい。こうしていると、本当に疲れが取れていくみたいだ。


「もっと、ぎゅってしてください……」


 そう小さく漏らした葵自らが、広げられたままだった腕を俺の背中に回して密着してくる。

 一瞬たじろいでしまったものの、可愛い彼女の要求とあらば仕方ない。


「えへへ……」


 腕に少しだけ力を入れて俺からも抱き寄せれば、蕩けた音が鼓膜を震わせる。

 決して大きいわけではないが、確かな自己主張が存在している双丘が胸に押し当てられていて、邪な思考が脳裏をよぎる始末。それを必死に追い出していると、腕の中の葵が際限なく赤くなった顔を上げた。多分、俺の顔も同じ色をしているんだろう。

 けれどそこに羞恥心のようなものは少ししか感じられず。彼女はただただ幸せそうに、顔を綻ばせていた。


「明日、デートしませんか?」

「ん、そうだな。どこ行く?」

「電車でしばらく行ったところに、ひまわり畑があるんですよ。お弁当作るので、ピクニックにしましょう」

「いいな、それ」


 この後しばらく抱きしめ合ったまま、明日のデートの予定を立てた。俺も葵も、どこか浮ついた声で。

 それでもこれ以上先に進展しなかったのは、ただ俺がヘタレなだけじゃなくて。

 ちゃんと彼女から、好きと言ってもらえた時に、取っておきたかったからだ。

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